無所属の時間で生きる (新潮文庫)

著者 :
  • 新潮社
3.55
  • (19)
  • (20)
  • (44)
  • (8)
  • (0)
本棚登録 : 283
レビュー : 31
  • Amazon.co.jp ・本 (240ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784101133331

作品紹介・あらすじ

どこにも関係のない、どこにも属さない一人の人間としての時間-それは、人間を人間としてよみがえらせ、より大きく育て上げる時間となるだろう。「無所属の時間」を過ごすことで、どう生き直すかを問い続ける著者。その厳しい批評眼と暖かい人生観は、さりげない日常の一つ一つの出来事にまで注がれている。人と社会を見つめてきた作家の思いと言葉が凝縮された心に迫る随筆集。

感想・レビュー・書評

並び替え
表示形式
表示件数
  • 肩書から意識的に離れて、自分自身の時間を過ごすことの大切さをつづったエッセイ。

    出張時に空白に一日を作る、という点は実行してみたい。

  • 山元さん オススメの本
    2回目はいいかな…

  • ■時間

    A.4 つの時間
    ・真珠の時間:仕事のアイディアを練る、深夜の時間
    ・黄金の時間:仕事上のゴールデン・アワーとなる、9 時頃から1 時過ぎまでの時間
    ・銀の時間:資料調べや下書きなどをする午後の時間
    ・珊瑚の時間:新聞や郵便物に目を通したり、仕事とは関係のない本を読んだりする、夕方以降の時間退職後の自由時間の大きさにおびえる人もいるが、こうして分割すると、1 日という単位も相手にしやすい。

    B.戦後最大の財界人、石坂泰三は、出張の際、「空白の1 日」を日程に組み込んでいた。そしてその1 日を、どこにも属さない1 人の人間として、ただ風景の中に浸っていたり、散歩したりして過ごした。こうした無所属の時間は、人間を人間としてよみがえらせ、より大きく育て上げる時間といえる。

  • 故城山三郎氏は私の好きな作家の一人である。氏が描く男はどれも漢であり格好いいのだ。
    本書は、城山氏自身が「無所属」というキーワードを軸に書き溜めたエッセイである。城山氏は約10年間の大学教員時代以外はフリーの経済作家として、いわば社会的に無所属の立場で過ごされてきた方である。

    本書にて城山氏の造語が二つ、紹介されていた。

    ひとつは「一日一快」。一日にひとつでも、爽快だ、愉快だと思えることがあれば、「この日、この私は、生きた」と自ら慰めることが出来るということである。私も仕事などで凹み、ぐったりして帰宅することがあるが、そんなときに道端に咲く花が素敵だったり夕焼けが綺麗だったりすると、爽快に感じて疲れを忘れることがある。

    もうひとつは「珊瑚の時間」。一日を振り返って、どう見ても快いことがない場合の奥の手という位置付けである。晩餐後に短時間でもよいから寝そべって好きな本を読み、眠りに落ちていくというものであり、私も実践している。「今日は何ひとつ良いことがなかった、何をやっても上手くいかなかった」という日でも好きな本を読んだり、DVDを観賞したりしながら酒を飲むという至福の時を過ごすことがある。今後、私も「珊瑚の時間」と呼ぼう。

    本書で手に取ることの出来る城山氏の人柄の温かさは、生き馬の目を抜くような経済小説を書いてきたとは思えないほどである。読んでいてホッと心温まる内容だった。今度、久しぶりに城山氏の経済小説を読んでみよう。

  • 無所属であるということは、自分を直に見つめる機会にあるということである。
    いかに生き、いかに精神的な満足(あるいは不満足じゃない)を得られるのか…
    作家となり数十年来、無所属であることを節目節目で振り返る。
    三十代、四十代、五十代、六十代…
    一日の中でも自分の時間をいかに生きるかで、それは大きく変わるのだから。

    “ほぼ完全な無所属の時間の中に、同じように居てどう生きたか、自分をどう生かしたか。
     その差がはっきり顔つきに出てくる”

    のだから、それはとても怖いものだ、とも著者は言う。

    “この日、この空、この私”

    一日一快、その日生きたと思えるような、そんな生き方ができればよいのだろう。
    自己を客観的に見つめ、真っ当な組織社会との接点に己の生き様を映し出そうとする、
    そんな珠玉のエッセイだ。

  • 20頁に、永井龍男さんのことが書かれている。
    一行の表現をどうするかで、一日中、机に向かっていたことも、あるようだ。
    それ故に、氏の文体はみがき上げられているようだ。

  • 肩書きではなく一個人として生きていくことが一番人間らしい生き方なのだ。

    これが日本人(特にある世代の)にとっていかに難しいのかが伝わってくる。

    定年後にウツになる人も多いと聞くし。。。


    終身雇用なんて単語が歴史的出来事な単語になっても、そういうタイプの人間は少なくなくて、そういった点にも「秋葉原事件」の根っこはあるのではなかろうか。

    お前誰だ! という問いにハキハキと応えられるのは幸せなことなのだと思う。

  • 物書きとして生きてきた人生を振り返り、組織に所属することなく生きてきた「無所属」だからこそ感じられたことを、具体的エピソードとともに書かれたエッセイ。
    どこにも所属していないからこそ、得られる緊張感ややる気というのもあるのだろう。

  • 久しぶりの城山さんのエッセイです。ここに書かれているエピソードが正に当てはまるステージに立ちつつあるので、そこここで気になるくだりがありましたね。とはいえ、よほど気持ちを本気で入れ替えないと「無所属の時間」は過ごせないでしょう、私の場合は。しばらくぶりに「毎日が日曜日」を読み返しますかねぇ。

  • 身辺雑記のような城山三郎のエッセイ。妻に対して「〇〇させる」って表現してたり、巷のかしましいご婦人たち、女子高生たちへのミソジニーっぷりとか、旧人類男性だなと思うんだけど、そうした強気ないっぽうで彼の日常や心象のなかにやさしさや弱気やシャイっぽい部分が存在する。こんな男っていいかもね、とも思った。
    本書は「無所属の時間で生きる」という。「無所属の時間に」とか「無所属の時間を」じゃないんだよなあ。そうすると恒常的に無所属という感じがするかなあ。確かに彼は、フリーの文筆家だからこういう表現になるということか。いずれにせよ、無所属の自分だけの時間でこそ、生きる、生かされるということだろう。
    そもそも手に取ったのが、「組織の歯車たちよ、そこから離れた時間(余暇とか退職後)のことも考えよ」といったことをきわめて常識でうるさ型のジジイが教訓的に語ってくださるのかと思ったからだった気がするんだけど、そういう本じゃなかった。彼自身も、経済小説の先駆者という認識から商社や銀行など企業上がりの人かと思っていたけど、そうじゃなくて大学教員から文筆家に転身したという人だった。びっくり。
    そういえばこの人、『そうか、君はもういないのか』とか、確かに彼なりの優しい気持ちをもった人みたいだもんな。
    改題前の書名には「この日、この空、この私」とついていて、この言葉が書中にも何度か出てくるんだけど、この言葉もやさしくさわやかでいい言葉だ。実は「この日」も「この私」も結局はいまそのままいるしかない、連続性の範疇のことだと思う。でもこれに、「この空」という言葉が加わって三拍子そろうと素敵なフレーズになるんだよね。そらを見上げる心の余裕とか、そこから目に入る空の広さや高さ、青さを感じさせる。

全31件中 1 - 10件を表示

著者プロフィール

城山三郎(しろやま さぶろう)
1927年8月18日 - 2007年3月22日
愛知県名古屋市中区生まれ。大日本帝国海軍に志願して入隊し、特攻隊の部隊に配属されたが、訓練中に終戦となった。東京産業大学(一橋大学の前身)を卒業後に1963年までは大学講師を務めながら作家活動を続けていた。経済小説を一ジャンルに格上げした先駆者のひとり。伝記小説、歴史小説も多い。
1957年に『輸出』で第4回文學界新人賞、1959年『総会屋錦城』で第40回直木賞、同年『落日燃ゆ』で吉川英治文学賞と毎日出版文化賞、1996年『もう、きみには頼まない 石坂泰三の世界』で第44回菊池寛賞をそれぞれ受賞。2002年に朝日賞を授与される。
代表作としては上記作品に加え、二度テレビドラマ化された『官僚たちの夏』、妻との想い出を描いた遺稿のエッセイ『そうか、もう君はいないのか』、よくタイトルが人物評としても用いられる、『粗にして野だが卑ではない』が挙げられる。

無所属の時間で生きる (新潮文庫)のその他の作品

無所属の時間で生きる Kindle版 無所属の時間で生きる 城山三郎

城山三郎の作品

この本を読んでいる人は、こんな本も本棚に登録しています。

有効な左矢印 無効な左矢印
村上 春樹
有効な右矢印 無効な右矢印

無所属の時間で生きる (新潮文庫)を本棚に登録しているひと

ツイートする