柳橋物語・むかしも今も (新潮文庫)

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  • Amazon.co.jp ・本 (368ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784101134048

感想・レビュー・書評

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  • 初めての山本周五郎。「柳橋物語」「むかしも今も」の2篇。
    「柳橋物語」が宝塚の「川霧の橋」という演目の原作ということで手に取りました。丁度月組新トップコンビお披露目が博多座で公演してるところ。
    「柳橋物語」
    庄吉が上方へ発つ前におせんに言った「待っていてくれるか」という言葉は呪いのようにおせんを縛り付けて、本当におせんを愛してくれていた幸太を遠ざけてしまった。それでもつらい思いをしながらもおせんが生きてこられたのは、庄吉を想う気持ちあってのことで、庄吉も決して悪人というわけではなく、人生ってタイミングとめぐりあわせだなぁ…っとしみじみしてしまった。最後はおせんが幸太の真の愛情に気付いてくれてよかった。喪ってから気付いたというのがなんとも切なくて泣けるけど…。幸太がまたいい男なんだわこれが。
    「むかしも今も」
    直吉がもはや聖人レベルで良い人すぎた。でも、周りにかけた情はちゃんと直吉に返ってきて、情けは人の為ならずだなぁと思いました。柳橋とは違い、直吉のまきに対する献身的な愛情は実を結び、幸せな未来を思わせる結末には心が和みました。

  • 高校の時の課題図書だった。当時ひねたガキやったはずやのに号泣した。宿題の感想文が書けなかった。書けない理由を原稿用紙に綴った。今の僕の国語力では書き表せません、いつか文章でこの感動を書き表わせるよう、これからいっぱい本を読もうと思います、と。
    今大人になって読み、今だに書けない自分がいるけれど、それが周五郎の大きさなんだと素直に思う。心にただ刻むべき作家なんだ。

  • 戦後の山本周五郎の江戸下町作品。
    「柳橋物語」と「むかしも今も」の2作品です。
    「柳橋物語」は主人公おせんの悲しい半生が描かれ、なぜここまで…、という感じがします。その人生の分かれ道となったのが、短い時間に庄吉と交わした約束から。その約束を守りとおしたが故の運命。登場人物のだれが悪いわけでもない。環境と巡り合わせにより逆らうべくもなく悲しい人生に落ちていくおせん。その中で、精神的な愛が描かれています。

    「むかしも今も」も愚直な直吉の人生を描いたもの。最後まで読むとなんともいえないあたたかい感情が湧いてきます。

    やっぱり山本周五郎の作品はいいです。

    書評より
    「作者は問うている。愚直さまで一途であり、一旦きめた約束を守り通そうとすることは、くだらないことであろうか。世俗的に見てたとえばかと思われようとも、そこにこそ人間の他の動物とは違う尊さがあるのではないかと。」

    本文より
    「『この頃の職人はなっちゃあいないよ、爺さん、一日に三匁とる職人が逆目に鉋(かんな)をかけて恥ずかしいとも思わない、ひどいのになると尺を当てる手間を惜しんでおっつけて鋸を使うんだ、そのうえ云いぐさが、そんなくそまじめな仕事をしていたら口が干上がってしまうぜ、こうなんだ』
    『それは今にはじまったことじゃあないのさ』と源六は穏やかに笑う、『…どんなに結構な御時世だって、良い仕事をする人間はそうたくさんいるもんじゃあない、たいていはいま幸さんの云ったような者ばかりなんだ、それで済んでゆくんだからな、けれどもどこかにほんとうに良い仕事をする人間はいるんだ、いつの世にも、どこかにそういう人間がいて、見えないところで、世の中の楔になっている、それでいいんだよ』」

    「『人間は正直にしていても善いことがあるとはきまらないもんだけれども、悪ごすく立ち回ったところで、そう善いことばかりもないものさ』」

  • 今回、再読して逆に感じたのは、おせんが決して不幸な境遇だったとは思えなかったのです。 逆にこちらは少数意見かもしれませんね、とりわけ女性読者からはお怒りを買うかもしれません。 私は却って針仲間のおもんの身を持ち崩して行く姿がおせんよりも不幸なように感じました。 というのは、庄吉はこの物語の中ではどちらかと言えば悪役めいた役割を演じてますが、物語の初めの告白から江戸に戻ってくるまで、少なくともおせんに対する愛情は尋常なものではなかったはずだと私は確信しています。

    そして男は結構疑い深いというか、本作にあるシチュエーションからして誤解が生じて当然だと思います。 まあそのあたり、作者の力量の確かさでしょうね。 いずれにしても、主人公のおせん、最後にはつつましくかつたくましく生きることを貫きます。 つつましさが“八百屋”を営むことによって描かれているところが作者の優しさなんでしょうね。 たくましさの源は死んだ幸太の愛情だけでなく、冷めきってますが過去の庄吉へのいちずな思いがそうさせたんだなと私は捉えています。 人を愛することって難しいけど素晴らしいことです。

    もう一遍の「むかしも今も」 物語に“つき当たり”という言葉が出てきて重要な役割を演じています。 これは直吉とまきとが幼いころに遊んだ場所の名前なのです。 いわば2人の長年の愛情が築き上げられた場所として描かれています。 とりわけ直吉のやさしさは女性読者から圧倒的な支持を受けると思います。 そしてその優しさの根底は誠実さと義理堅さなのですね。 まきが失明した後も献身的に支える直吉の姿が印象的です。 これはなかなかできませんよ。 ラストが少しはっきりせずに読者に委ねている部分のあるのが作者の心遣いだと受けとめています。

  • 山本周五郎さんの作品は、とても優しい。歴史に名を残す人物の話ではなく、普通に生活する人たちの恋や仕事や友情などを描いている。この人が描く、女性像?というのだろうか?それに憧れた事が、何度かある(笑)

  • 中編二編。どちらもよかった。貧困や天災やなにか抗いがたい運命によって厳しい道を歩まされる人間の物語。山本周五郎の真骨頂のような二つの物語だった。耐え忍ぶ美とそれでも朽ち果ててしまう美。スポットライトがあたる花が美しいのではなく、その周りに咲く誰にも見向きもされない花にこそ真の価値があると、やはりテーマはそういったところだった。しかし、こういうものを書くときもお涙頂戴にせず、この世の無常と厳しさをきっちりと書き上げ、時代劇ではなく現代にも耐えうるものに仕上げてるあたりが、ただものじゃないなと思う。

  • 読んでいて、情景が浮かんできて、文章に引き込まれてしまいました。

    柳橋物語は、苦しく辛くなってきたけれど、最後におせんが味わった待ってた人が他の人と結婚して苦しい思いをした時に気付いた幸太の想い。
    新たな気持ちで前に進むおせんに人の強さを感じた。

    今もむかしも 直吉の素直で真面目一辺倒だけれども、芯の強さを感じた。
    男性として、顔ではなく心が素敵な人で、まきも目に見えるものより見えない所に本当に大切なものがあるのだとわかった。

    えてして、人はおおいに、目に見えるものに惑わされる事がある。

    本当に素敵な作品でした。

  • 山本周五郎さんは、文章が上手ですね。ただ文字が並んでいるだけなのに、まるで江戸時代にタイムスリップしたような気分に浸れます。火事の描写なんか本当に経験したんじゃないかと思ってしまう程リアルです。
    物語は、おせんという女性がただただ酷い目に遭う話なんですが、前向きに生きていく。これを読むと優しい気持ちになれますね。
    それにしても、幸太は本当にいい男だ。自分もこんな人間になりたい。
    私は、『さぶ』より好きですね。

  • 山本周五郎の時代小説がなぜ魅力的なのか。それはその時代を生きる人々の美徳を、本当に美しいものとして書き上げているからだ。分不相応なものを求めない、けれど決して諦めているわけではない。与えられた世界の中で、いかに幸福を求め、五感をフルに使い、人間らしく生きるか。心が豊かであるとはどういうことか、読み返すたびに思い知らされる。

  • 「山本周五郎」の中篇時代小説を2篇収録した『柳橋物語・むかしも今も』を読みました。
    ここのところ「山本周五郎」の作品が続いています。

    -----story-------------
    過酷な運命と愛の悲劇に耐えて、人間の真実を貫き、愛をまっとうする――。
    一途な愛を描き、永遠の人間像を捉えた感動の二編。

    幼い恋心で男との約束を交わした「おせん」は、過酷な運命に翻弄される。
    「おせん」を愛する「幸太」は、命をかけて彼女を守り抜く(『柳橋物語』)。
    周囲の愛情に包まれ何不足なく育ったまきに降りかかった夫の裏切り。
    密かに慕う直吉は愚直なまでにまきに尽くすが(『むかしも今も』)。
    一途な愛の行方を描く、下町人情溢れる感動の傑作二編。
    -----------------------

    1946年(昭和21年)1月から3月まで雑誌『新青年』に発表された『柳橋物語』と、1949年(昭和24年)6月から8月まで雑誌『講談雑誌』に発表された『むかしも今も』が収録されています。

     ■柳橋物語
     ■むかしも今も
     ■解説 奥野健男

    研ぎ師「源六」の孫娘「おせん」は、上方へ行くという幼なじみの大工の「庄吉」から愛を打ち明けられた… 「おせん」は、帰って来るまでお嫁にゆかないで待っていてくれるかという「庄吉」の言葉に、「待っているわ」と自分ではなにを云うのかわからずに答えていた、、、

    ある一瞬の決断が、たった一言が、その人の人生を決定してしまう… 運命の分岐点を見事に描いた辛く哀しい作品『柳橋物語』。


    「直吉」は、幼いころ両親に死なれ、九つまで叔父に育てられたが、叔母からのそのそしているといって折檻された… 指物師「紀六」に奉公したが、一生懸命に働いてもそこでも兄弟子たちから、化物面だ、愚図だと、ひどい言葉をかけられた、、、

    こういう状態の彼を救ってくれたのが、おかみさんの「お幸」だった… 愚直な男の、愚直を貫き通したが故の幸せを描いた心和む『むかしも今も』。


    いずれも、過酷な運命や愛の悲劇に耐えて、真実を貫き愛を全うしようとする江戸庶民の人情が描かれており、読んでいてしんどくなる部分もあるのですが、「おせん」や「直吉」の人生が、どうなっていくのか気になってページを捲る手が止まりませんでした。

    特に『柳橋物語』の「おせん」は地震、火事、祖父の死、自分を愛してくれていた「幸太」の血の出るような告白と死、記憶喪失、水害、飢饉、世間の誤解による冷たい目… 等々、さまざまな災害や運命のいたずらに翻弄され、辛いことの連続、、、

    でも、それらの困難を乗り越えた「おせん」が、「幸太」の愛に気付き、火事の惨禍の中で出会った「幸太郎」への愛情に生きることを決意し、自分のことを理解できなかった「庄吉」に対して精神的に勝利する結末は見事でした… 誰も悪くはないんですけどね、みんな自然の運命に翻弄されたんですよね。

    人は何を信じて、どう生きるべきなのか… 考えさせる2篇でした。

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著者プロフィール

山本周五郎(やまもと しゅうごろう)=1903年山梨県生まれ。1967年没。本名、清水三十六(しみず さとむ)。小学校卒業後、質店の山本周五郎商店に徒弟として住み込む(筆名はこれに由来)。雑誌記者などを経て、1926年「須磨寺付近」で文壇に登場。庶民の立場から武士の苦衷や市井人の哀感を描いた時代小説、歴史小説などを発表。1943年、『日本婦道記』が上半期の直木賞に推されたが受賞を固辞。『樅ノ木は残った』『赤ひげ診療譚』『青べか物語』など、とくに晩年多くの傑作を発表し、高く評価された。 

解説:新船海三郎(しんふね かいさぶろう)=1947年生まれ。日本民主主義文学会会員、日本文芸家協会会員。著書に『歴史の道程と文学』『史観と文学のあいだ』『作家への飛躍』『藤澤周平 志たかく情あつく』『不同調の音色 安岡章太郎私論』『戦争は殺すことから始まった 日本文学と加害の諸相』『日々是好読』、インタビュー集『わが文学の原風景』など。

「2023年 『山本周五郎 ユーモア小説集』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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