- Amazon.co.jp ・本 (496ページ)
- / ISBN・EAN: 9784101134208
感想・レビュー・書評
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「 女は同じ物語 」が1番よかった。
「 ひとごろし 」も良かった。
別の作品も読んでみたい。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
弱い武士だからこそ、弱いなりの戦い方があることを示した一作。
藩で冴えない武士であった主人公が仇を討つため、剣豪に自分なりの戦い方で挑んでいく。
卑怯といえばそれまでだが、力だけではなく、知恵を使って目的を果たすのも一つの手だと思った。 -
<span style="color:#000000"><span style="font-size:medium;"> 山本周五郎をこのブログ、メルマガで取り上げるのは何回目か。それほど好きな作家であり、私の人生に影響を与えたとまでは言わないが、なにかにつけ思い起こし、また、私の性格の一端になんらかの跡を残した作家であることは間違いない。
図書館で調べもの。いつもそうなのだが、その調べものの合間にというか、逆にというか、全く違う本を眺めていたりする。また、時として、あの作家の本は、とある特定の作家の作品をそのまま続けて読み込んだり、借りてしまったりということも少なくはない。
ふっと、山本周五郎のあの作品はなんという題名だっけ、と気になり探し始める。分かった。
「ひとごろし」
<img src="http://yamano4455.img.jugem.jp/20081020_525365.jpg" width="200" height="200" alt="ひとごろし" class="pict" />
時代は江戸時代、田舎の福井藩(関係ないが、藤沢周平だったら、「海原藩」なんだろうなぁ)。主人公は、ある甲斐性なしの宮仕え者、六兵衛。藩内でその評判が立ち、妹のかねも嫁ぎ先が見つからない。
そんなある日、ひょんなことから、六兵衛が大役を背負うことになる。藩で人殺しを起こしてしまった謀反人を討つ、いわゆる「上意討ち」の役回りだ。何のことはない、その相手は剣術の達人で強すぎて、誰も手を挙げる者がいなかっただけである。六兵衛にその損な役回りがめぐってきた。
まともでは勝てない。相手は悠々と福井藩を出て行ってしまう。
六兵衛、一計を案じる。まともでは勝てない。そこで、その相手の後をつけ、どこか店に入ると、近くで大声で叫ぶ。
「そいつは、人殺しだ!気をつけろ!」
そう言った瞬間、六兵衛は逃げ出す。周りの人間も、蜘蛛の子を蹴散らすようにいなくなってしまう。
「卑怯者!武士なら勝負しろ!」
姿も見えないような遠くで、六兵衛は叫ぶ。
「私は武士だ。確かに臆病者だが、卑怯者ではない。私は私のやり方で勝負する。これが私のやり方だ」
食事をしようにも、店に入ると、六兵衛はそう叫ぶ。そして、自分はすぐ逃げていく。お店の人も、お盆もお茶も投げ捨てで逃げ出す。宿を取ろうにも、同じこと。どうにも旅を続けることができない。
「そんな汚い手でおれを困らせようというのか、女の腐ったような卑怯みれんな手を使って、きさまそれで恥ずかしくないのか」
遠くで遠くで、六兵衛は叫ぶ。
「ちっとも。(中略)私には武芸の才能はない、(中略)あなたの武芸の強さだけが、この世の中で幅をきかす、どこでも威張って通れると思ったら、それこそ、大間違いですよ」
六兵衛、決して開き直っているわけではない。また、山本周五郎は、その時代の風習や因習を著すというような、風俗小説家ではない。一市井人の中に、つましく生きる人間の性(さが)を、読む人に共感を持ってもらえるように書き表す作家である。
「侍には侍の道徳がある。きさまのような卑怯なやりかたに、加勢する者ばかりではないぞ」
次の台詞だ。
「ためしてみよう。(中略)侍だってそういう武芸の達人ばかりはいないでしょう。たいていは私のように臆病な、殺傷沙汰の嫌いな者が多いと思う」
そうなんだよな。どんな仕事や立場だってそうだ。私だって・・。
とまあ、この小説、そんなことを繰り返しながら、現代でいうところのラブロマンスも入ってくる。さらっとした濡れ場もちゃんとある。
締め。
「おれは誤った。(中略)武芸というものは負けない修行だ。強い相手に勝ち抜くことだ。」「強い者に勝つ方は必ずある、そういうくふうはいくらでもあるが、それは武芸の一面だけであって、全部ではない。それだけでは、弱い者、臆病者に勝つことはできないんだ」
本当の締めは、ここではない。もうちょっとなのだが、さすがにそこは、この小説を読んで欲しい。
すべてがハッピィエンドになったことだけを知らせておく。
だから、やっぱり、山本周五郎だ。</span></span> -
サラリーマン侍、ここに見参