季節のない街 (新潮文庫)

  • 新潮社 (2019年6月26日発売)
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  • 本 ・本 (480ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784101134901

作品紹介・あらすじ

この街の住人たちには、自分を偽る暇も金もない。他人には見えない電車を毎日運行する六ちゃん。夫を交換し合って暮らす勝子と良江。血の繋がらない子供を五人も養う沢上良太郎に、自宅に忍び込んだ泥棒をかばうたんば老人──。誰もがその日の暮らしに追われる貧しい街で、弱さや狡さを隠せずに生きる個性豊かな住人たちの悲喜を紡いだ「人生派・山本周五郎」の不朽の名作。

感想・レビュー・書評

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  • 周五郎忌
    1961/4/1〜1962/10/1 朝日新聞連載
    新潮文庫化1970年
    1963年 ドラマ化「たんばさん」
             「季節のない街」
    1970年 映画 「どですかでん」原作
    2023年 官九郎脚本ドラマ化
    贅沢な事に青空文庫にもなっている。

    第一話「街へゆく電車」は、架空の市電を毎日運転する六ちゃんと母の話。その市電から見えるどぶ川の向こうにある貧民街。そこに住まう人々の日常が連作のような形式の15編からなります。
    私は、読んでないと思うのですが「青べか物語」の都会編というほど共通点があるようです。
    「ここには、時限もなく地理的限定もない」とし、
    普遍的な悲喜劇が描かれていきます。
    住民達は、極めて貧しく殆ど9割以上の者が決まった職を持たず、不道徳な事が公然と行われ、前科者や与太者、賭博者や乞食さえもいる」

    男達は、よく飲み、女達は噂話に熱を入れる。
    虚飾にはしる金も時間もないのに虚栄心はある。
    自尊心ももちろんある。
    そして、彼らの抱える問題は小さくない。
    人情話ではなく、非人情的な面さえ多い。
    だけど、山本周五郎の無駄使いではなく、有効活用の一作だと思う。

    「親おもい」搾取子の悲哀
    「プールのある家」依存する父親を最期まで気遣う痛ましさ。
    「とうちゃん」母親の育児放棄
    「がんもどき」義理親の非常な行為
    「倹約について」幸せを貯蓄に頼る母親は娘達の人生も倹約してしまう。
    特にこの5作は、親子の関係を描いている。
    読むのも忍びないをその様子を罪とも感じさせないような日常として書いてしまう。
    貧しいということは、全てが許されるのか。
    煩瑣論的と表現する自尊心。
    ぐっとくるような描写は多々ありますが、
    「肇くんと光子」の中の 生活の砥石で削られる という言葉が言い得て妙。
    若い方は内容が読みにくいかもしれない。多少生活の砥石に削られた方に読んでいただきたいなと思います。

    • kuma0504さん
      今ごろコメントしますが‥‥。
      これは大学のころ読んだか。「どですかでん」に合わせて。難解だった。
      貧困を告発しているのでもなく、いいところを...
      今ごろコメントしますが‥‥。
      これは大学のころ読んだか。「どですかでん」に合わせて。難解だった。
      貧困を告発しているのでもなく、いいところを発見するのでもなく‥‥。
      でも最近短編集読んだら、ものすごくストンと落ちたので、今読んだらストンと落ちるかも‥‥。
      人生を清濁合わせて生きてきた経験が必要なのかもしれない。
      2024/02/15
    • ひろさん
      「さぶ」推しがいっぱい(ノ*>∀<)ノ
      おびさん『銀の匙』もよかったですっ!手元に残してまたいつか読もうと思います♪
      こちらは難解で人生経験...
      「さぶ」推しがいっぱい(ノ*>∀<)ノ
      おびさん『銀の匙』もよかったですっ!手元に残してまたいつか読もうと思います♪
      こちらは難解で人生経験が必要そう...読むのはもっと生活の砥石に削られてからにします~
      2024/02/15
    • おびのりさん
      kumaさん、ひろさんこんばんは。

      私は、親子の短編に関しては、山本周五郎の慇懃な皮肉と読みました。
      あまりに非人間的な行為を日常としてい...
      kumaさん、ひろさんこんばんは。

      私は、親子の短編に関しては、山本周五郎の慇懃な皮肉と読みました。
      あまりに非人間的な行為を日常としている様子を憐れみをも含めて平坦に描く。
      そこに異常さを読ませる。
      違うかな?まあ、わたしの感想なので。
      2024/02/15
  • 落語を聴いている感覚で読み進めた
    設定は作者の生み出した架空の「街」なのに
    登場人物が生き生きと見えてくるようで
    生きることへの力強さを羨ましくさえ感じてしまう

  • 『赤ひげ診療譚』や『さぶ』のイメージで山本周五郎の本作を手に取ると、痛い目に遭うかもしれない。
    私自身読みながらなかなか進まず時間がかかった。なかなか手ごわい1冊だったが読後は満点評価! 出逢ってよかった作品。

    今夏宮藤官九郎さん監督で有料配信ドラマ化。クセ強めのキャスティングでとても楽しみ。これから観ます! あまちゃんキャストや劇伴が再現されている。
    過去には黒澤明監督も『どですかでん』として映画化。


    「人間とは? 生きるとは?」
    論じても仕方のない壮大かつ抽象的なテーマではあるが、その一端に確実に触れることはできたと思う。

    「こういうこともある」
    「こういう人もいる」
    「そんなときもある」
    「どうにもしようのないことがある」

    何より私自身生きてきた道、そして今いる環境は大きな世界の中の一部にしか過ぎないということを。

    舞台は戦後の混乱や無秩序、そして貧困のなかの庶民の街。
    貧しさの中で共に助け合い人情味あふれるやり取りを期待しようものなら読み手は期待を裏切られる。
    短編集群像劇のなかで重ねられる人間のえぐさ。

    欺き、虚言、裏切り、嫉妬、やっかみが生きるための狡猾さのすぐ隣に鎮座する。特別なことではない。
    しかしながらその描き方が露悪的で嫌悪に満ちているわけではないのだ。ここが山本周五郎の筆。

    貧しいのだから生きるために必死でとか、格差があるからこんな選択肢しかないのだといった価値判断を感じさせない。
    「清貧」とは程遠い現実のみ。

    醜い。やばい。狡い。私は正直近づきたくない。
    宮本輝さんの『流転の海』シリーズの戦後の混乱の描写を思い出す。
    価値観を排して淡々と描く筆致は今村夏子さんの『あひる』『星の子』に似ている何かを感じる。

    夫婦、親子、友人知人といった人間関係は「かくあるべき」、「これが普通」という既成概念が私たちの頭にも心にも無意識に根付いている。
    だが「生きること」は元来困難に満ち満ちている。綺麗ごとでは済まされない塵芥まみれの現実。

    山本周五郎さんは作品『青べか物語』とも連動し、実際に生活をして見聞きした出来事に基づき本作を仕上げたとあとがきで読んだ。

    知性や秩序とは程遠い人々の日常生活。
    その原因が貧困ゆえか、はたまた福祉的配慮の必要な問題からか、政治が悪いなどと吠えて観ても解決しない根源的な問題を突きつけられた気がする。

    巻末の開高健氏の一言も印象的:
    この世のにがさに多少なりとも訓練を受けたことのある人なら誰にでもわかる作品と思えます。

    『青べか』も読むのがしんどくて止まったまま。もう少し元気になったらまた読みます!

    ※追記(2023.8.22)
    Disney plusで『季節のない街』(宮藤官九郎企画・脚本・監督)鑑賞
    たしかに山本周五郎原作なのだけれど、クドカン流作品にしっかり仕上がっている!

    山本周五郎作品を咀嚼解釈して、熟成乾燥させて、余計な価値判断をそぎ落とし、重いテーマを沢山含んでいるのに重苦しくなく、あっという間の10作品。

    池松壮亮・仲野太賀・渡辺⼤知がきっちり演じる。
    三浦透⼦・濱⽥岳が山本周五郎作品そのままで素晴らしい。
    大人計画の荒川良々・皆川猿時・伊勢志摩のはじけ方。
    Lilicoのすっぴん、始めて見た。
    枚挙にいとまのないキャスティングの妙。
    そして大友良英さんの劇伴の効果。この夏一番でした。

  • これが書かれた昭和37年、開高健の解説が書かれた昭和45年という時代のせいなのか、貧乏を清貧として描いている(貧しい暮らしをしているが心がきれいであるという)ファンタジーではなく、街の人の不道徳や不謹慎も描いているし、悲惨な話も出てくるのに、どこか落語の長屋噺のような牧歌的な雰囲気が漂うのは、季節のない街の外の世の中が社会として経済成長をし続けているという希望があったからなのだろうか? 貧乏でその日を食べていくのに精いっぱいの街の住人たちは、虚栄心に毒されず、したがってありのままの人間性がむき出しになっていて、そこに著者が関心を持ち、「弱者ではあるが心がきれい」というような歪んだ道徳観を押し付けることはなく非常にニュートラルな視点で観察している人間の普遍的なドラマにはなっていると思うのだが、しかしどこかにそれが人間賛歌になっているような違和感も覚える。自分がそう感じてしまう理由をいろいろ考えてみたが、やはり本当に凄惨なことは出てこない(売春、暴力、薬物中毒などの犯罪性)ことと、生活の負を相当な部分で女性に押し付けることによってこの「街」は成立しているからなのかな、と思う。この物語に出てくる女性は、ネグレクトや浮気も頻繁に行うし、嫉妬や妬み誹謗中傷も激しく行うが、最終的に「女子はこうあるべき」という社会の規範から逃れられることはなく最終的にその鎖に繋がられてしまっている。貧乏を苦にしない働き者という、女性の聖性に依存することでやっている社会ではあるのかな、そして著者も開高健もそこにはまだ無自覚なのではないかと思ってしまった。またもう一つ、現在においてはこの街の牧歌性を支えていた一億総中流意識に支えられた「街」の外、社会の本体のほうがいよいよ崩壊の危機に立っていることもあるだろう。もう今のままの社会の在り方で希望に満ちた未来を信じていける人はごく少数だろうし、せめてはこの街のような、みんなそれぞれ自分勝手ではあるが最低限の絆は持ち続けようというコミュニティのありかたは失ってはいけないなとは思った。

  • なんとも切ない救いのないエピソードもあるが、人間の暖かさや逞しさも感じる連作集。

    横浜のスラム街をモデルにしてるようだが、今では殆どその痕跡を感じることはできない。この作品が発表されてから60年、なんだかんだ言ってそれだけ日本は豊かになったのかもしれない。

    以前「日本残酷物語」を読み、その余りの悲惨さに目を覆った記憶があるが(確か山周はその書の編集委員でもあったと思う)、本書では山周らしい人情話に昇華させている。ゆえに読後感は悪くない。

    暮らしは一見便利になったが、むき出しの人間はそんなに以前と変わるはずもなく、井戸端会議はSNSにとって変わられたがそこで語られる中身はあまり変わり映えしてないかもしれない。

    映画もかなり以前に見たが、出来は原作に及んでない気がする。

  • ある「街」の住人たちを描く、15編・約420ページの連作短編集。

    「住人たちが極めて貧しく、九割以上の者がきまった職を持たず、不道徳なことが公然とおこなわれ、前科者やよた者、賭博者や乞食さえもいる」「長屋が七棟、物置のような独立家屋が五軒」。
    本作はこのような極貧者が集う吹き溜まりのような「街」を舞台とした群像劇である。15編のそれぞれである人物や家族にフォーカスをあて、それぞれの人生の一場面、場合によっては終局を切り取って描く。ある短編のなかで主役として扱われた登場人物が、他の短編では脇役として登場することもしばしばだが、基本的には各篇を独立して読むことができるように作られている。

    極貧者の「街」にスポットを当てた本書の各短編は、悲劇的な結末であったり、悲哀を感じさせる作品が多く、全篇を通してはっきりとハッピーエンドだといえるような作品はない。ただし、滑稽味を交えて人の性のおかしさを温かく見守るような作品も少なくない。同じ著者の作品に同じく貧しい人々を描いた『赤ひげ診療譚』があるが、赤ひげが登場しないために救いが訪れない同作といったところだろうか。

    前述の通り、暗い話、やりきれない話も多いため、読み手によってはただただ辛気臭いだけの小説ということにもなりかねない。それでも暗さがストレスにならず、最後まで興味をもって読み通せたのは、本作で登場する数多の人びとの言動や生き方に納得させられるだけの合理性があって自然であり、著者の恣意的な判断によって物語が動かされているように感じなかったからかもしれない。そのような描き方が可能になったのは、あとがきで著者が「登場する人物、出来事、情景など、すべて私の目で見、耳で聞き、実際に接触したものばかり」と明かしているように、現実に知り得た情報をもとに構成していることは大きな一因なのだろう。それにしても本作だけで、これだけの数の人生をリアルに描ききる力量は驚くべきものだと感じた。

    黒澤明の映画『どですかでん』の原作にもなっている本作だが、ちなみに、「どですかでん」とは第一篇「街へゆく電車」で電車バカの六ちゃんが架空の電車を走らせるときに口にする、車輪の音を真似た擬音である。

  • ほのぼのとして人情味あるようだが、刺さるシャープさがあります。人間て人が悪いんですね。
    山本周五郎は性善説満載ばかりではない。

  • 季節のない街という題名の通り、かなりダークで不思議な話が多かった。自分の狡猾さを隠さずに生きる人たち、他人の陰口を言うことで自分の虚栄心を満たす人たち。今現代だと必ず批判されそうな人たちだが、それでも一日一日を精一杯過ごそうとする姿勢には感動を覚えた。余裕のない生活だからこそ生まれる幸せや笑いというのもあるのかもしれない。
    まあ新年1発目に読むべき本ではなかったかも。

  • 宮藤官九郎の「季節のない街」を観たので、原作となったこちらを読んでみました。

    貧しい暮らし。行き場のない人たちがより集まった社会の吹き溜まり。どうにもならない現実、救いようもなく、辛いのに、そこまで暗い気持ちにならず、さらっと読めてしまう。悲しい話も面白い話もあります。夫婦を平然と取り替えて暮らしたりと、考えられないような、落語のような話も印象的。この街の人々の性欲もこれまた小話によく出てくる。

    日本にも、こんな風なオンボロ長屋の暮らしの風景はがあったのですね…。

    親おもい
    兄ばかり可愛がる母親に、届かぬ想いや努力や我慢や…つらい。

    プールのある家
    乞食の親子。現実逃避をし続ける父親が痛々しくて、辛かった。

    がんもどき
    伯父の京太…なんとか学だのとうざいし、どうしようもない。

    倹約について
    病気になっても治療費まで倹約した結果、家族も自分も命を落とすという悲劇。

  • 黒澤明の映画の原作にもなった短編集。

    貧乏長屋に住む人々の悲喜こもごも。時代もあるのでしょうが、自分の身近に感じるかと言うとちょっと違うかなぁと。

    テーマは普遍的ではあるので人間の根本という部分では現代にも通じるものがあるとも思いました。

    親おもい、プールのある家、とうちゃん
    上記のエピソードが自分は心に響きました。
    ハッピーエンドといかない話が多く、でもこれが現実なんだよなぁ。

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著者プロフィール

(やまもと・しゅうごろう)
1903~1967。山梨県生まれ。小学校を卒業後、質店の山本周五郎商店の徒弟となる。文芸に理解のある店主のもとで創作を始め、1926年の「文藝春秋」に掲載された『須磨寺附近』が出世作となる。デビュー直後は、倶楽部雑誌や少年少女雑誌などに探偵小説や伝奇小説を書いていたが、戦後は政治の非情を題材にした『樅ノ木は残った』、庶民の生活を活写した『赤ひげ診療譚』、『青べか物語』など人間の本質に迫る名作を発表している。1943年に『日本婦道記』が直木賞に選ばれるが受賞を辞退。その後も亡くなるまで、あらゆる文学賞の受賞を拒否し続けた。

「2025年 『山本周五郎[未収録]時代小説集成』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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