楢山節考 (新潮文庫)

  • 新潮社 (1964年8月3日発売)
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  • 本 ・本 (224ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784101136011

感想・レビュー・書評

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  • 1.著者;小説家。中学の頃からギターに熱中し、ギタリストになった。エルヴィス・プレスリーのファンで、「短編しか書けないのは、マンボやロカビリーのような小説が書きたかったから」と言う。73歳(1987年)没。土俗的な庶民生活を描いて、独特な作品を発表し続け、異色の新人として文壇で注目された。
    2.本書;「楢山節考」を始め、4つの短編を収める。「楢山節考」は、伝承の姥捨伝説を題材とした短編小説。貧しい部落の因習に従い、口減らしのの為に、老いた母親をおぶって真冬の山へ捨てに行く物語。進んで山に行こうとする母と、辛い村の掟を守ろうとする息子との情愛が、読者の胸を打つ。本書は、正宗白鳥に❝人生永遠の書の一つとして心読した❞と称賛された。中央公論新人賞を受賞したベストセラー作品。2度映画化された。
    3.個別感想(印象に残った記述を3点に絞り込み、感想を付記);
    (1)『楢山節考』から、「おりんは今年六十九・・村では七十になれば楢山参りに行く」「おりんはずっと前から楢山まいりに行く気構えをしていた。・・おりんは年をとっても歯が達者であった。・・年をとっても(歯が)一本も抜けなかったので、これはおりんに恥ずかしいことになってしまった。食料の乏しいこの村では恥ずかしい事であった。・・(おりんは)目をつむって、石臼の角にがーんと歯をぶっけた。・・歯が二本欠けて口の中から出てきた。・・前歯が二本欠けた」
    ●感想⇒食料の乏しい村の年寄りは、70歳になると楢山に行って、自ら死を迎える習わしがあった。飽食の時代と言われる現代では想像を絶する風習に思います。おりんは、丈夫な歯を自ら砕き、家族の為に自己犠牲を誇り高く実行します。自己犠牲とは、何らかの目的や他者のために、時間・労力・身体・生命を捧げる事です。犠牲対象が誰(親族・友人・他人等)に対するものかで、考え方は異なると思います。最もそれが顕著なのは、❝親が子に対する犠牲❞でしょう。一部の例外はあるものの、形は違えど、おりんの精神は今でも同じだと思います。私事ですが、幼い頃に祖母からよく言われました。「たとえ好物であっても、我が子に食べさせなさい。自分は何でも後回しで良いのです」と。親が子を虐待し、最悪の場合、死に至らしめる事件があります。こういう人達には、人間の血が通っているとはとても思えません、愛情の一欠けらも無いのでしょうか、怒りが込み上げます。おりんの行動は、掟の存在も無視できないと思う一方で、自己犠牲は、美しい行為であると思いますが、場合によては、甘えの助長に繋がる事もあります。この問題は、宗教的な意味合いもあり、永遠のテーマですね。
    (2)『楢山節考』から、「おりんの手は辰平の手を固く握りしめた。それから辰平の背をどーんとおした。辰平は歩み出したのである。後ろを振り向いてはならない山の誓いに従って歩き出したのである。十歩ばかり行って辰平はおりんの乗っていない後ろの背板を天に突き出して大粒の涙をぽろぽろと落とした」・・『おっかあ、雪が降ってきたよう」おりんは静かに手を出して辰平の方に振った。それは帰れ帰れと云っているようである。「おっかあ、寒いだろうな」』
    ●感想⇒おりんは、貧村の中で家族の為に村の掟に従い、潔い死を敢行する。息子の辰平は、辛い心情を抑えて、母を背負い山に向かう。「口を聞いてはいけない、道を振り返ってはいけない」という掟を破り、「おっかあ、雪が降ってきたよう~」。おりんは幸福だったと思っていたのでしょうか。辰平の悔しさは想像を絶します。この場面は、物語とは言え涙を禁じえません。現代では長寿程称えられる社会です。本書のような事は考え辛く思います。豊かさの中で生きながらえる現在の高齢者には、自己犠牲を広く考え、後ろ指をさされるような行動は控えてほしいと思います。例えば、車に高齢者マークをつけていながら、交通ルールを守らない自己中の老人を散見します。人間として、見本を示して欲しいですね。
    (3)『白鳥の死』から、「❛センセイ❜とか❛サマ❜などという敬称は、いらないのだ。どんな賢い者も、どんな阿呆の者でも、どんな美しい者も醜い者でも、どんなに地位があっても、権力があっても死ねば誰でも同じ物になるのだから、私はほっとする。そうして、死者には敬称など関係のない事なのだ」・・「神様は、きっと、温かく抱いて天国に導いて下さるから」
    ●感想⇒解説から、『「死ねば誰でも同じ物になるのだから、私はほっとする」。不人情な男だと思う読者も中にいるだろう。そうではないのだ。生きているからこそ敬称はその人に必要なので、死者には必要ないのである。生こそすべてなのだ』。私が、会社勤めの時に、上司が言っていました。「社長だからと言って、人間的に偉い訳ではない。会社は組織なので、それぞれの役割があるので、役職名がある。人間的に偉いかどうかの呼称でないのに、勘違いする輩もいる。困ったもんだ」と。上司は役職を守ろうとする人とは違い、部下の言う事を真摯に聞いてくれ、対応してくれました。この人間性を重んじる言動に共感し、多くの事を学びました。話がそれましたが、確かに「死ねば誰でも同じ」ですが、どんな職業であれ❝世の為人の為❞に役立っているのですから、納得のいく気概を持って、人生を歩んでほしいと思います。
    4.まとめ;「楢山節考」を再読しました。最初読んだ当時の鮮烈な感想は2点。一つは、これ程までに崇高に自己犠牲のある女性(おりん)がいるのかという事。二つは、親が子を思い、子が親を思う心根の深さ。深い感動を味わいました。再読した今でもそれは不動です。しかし、私も人生を刻み、自己犠牲の考え方に変化がありました。先述した祖母の教えは今でも重要と考えていますが、他人に対しては、自己犠牲が本人に良い影響を与えるばかりではないと思うようになったのです。この考えは、人によって違うでしょうが、そうした場面に遭遇したなら、自分なりの判断が大切と思います。それにしても、本書は「人生永遠の書」「民族を越えた感動の源泉」などと賛辞されています。間違いなく、我が国の名作の一つです。蛇足ですが、映画化された作品(緒形拳×坂本スミ子の名演技)を見て、筆舌に尽くし難い感銘を受けた事を忘れません。(以上)

  • 雪の楢山へ死に赴く老母おりんを、孝行息子辰平は胸のはりさける思いで背板に乗せて捨てにゆく。残酷であってもそれは貧しい部落の掟。子供の頃に読んだ昔話か民話か、このような姥捨山的な話は覚えがあります。なぜかどんな結末だったか思い出せないのですが、やはり老母は棄てられる運命だったのでしょうか。老母は悲しんだのでしょうか。記憶には残っていないけれど、姥捨山には重苦しい残酷なイメージがありました。
    この『楢山節考』はそのような伝説を近代的な小説にまで昇華させたものでした。
    70才になれば楢山まいりにいく。つまり山に置き去りにされる運命の村の年寄りたち。
    この村のおりんもそのうちのひとりですが、このおりんは、残酷とも思えるこの日をとても心待ちにしているのです。
    ずっと前から行くときの振舞酒も準備し、山で座る筵も作っていました。ただ一つの心残りだった孝行息子にも後家を見つけることができ、おりんは肩の荷をおろします。更におりんは、健康な歯を恥ずかしいこととして自ら火打ち石で歯を叩きつけ欠けさせ老婆としての身なりをも整えます。山へ行く気のない年老いた村人を馬鹿な奴だとも思っています。山へ行ったあとに、自分が密かに用意しておいた、たらふくのどぶろくや食べ物を村人や家族の皆が驚き喜んでいる姿を誇らしげに想像してます。そのときの自分は山できれいな根性で座っているんだぞと。
    おりんにとって確かなことは、楢山まいりは何ひとつ怖れるものではないということです。自分が愛する息子たちのために最期に役に立てるのですから。そのことに喜びを感じているようにさえ思いました。息子に背負われ山中を進むおりんの心中はどのようなものだったのでしょう。悲しみにくれる息子の背中の温かさを感じながら、穏やかなものだったように思います。楢山まいりは神の御心のままに自分を委ねる、おりんにとって生から死へ向かう崇高な儀式だったのでしょう。

  • 1956(昭和31)年に刊行されたというから、ずいぶん昔の小説を読んだ。刊行当時、著者は42歳で本作が処女作である。もともとミュージシャンだったらしい。本作に唄が多用されているのは、その影響であろうか。
    三島由紀夫に「それは不快な傑作であつた。何かわれわれにとつて、美と秩序への根本的な欲求をあざ笑はれ、われわれが「人間性」と呼んでゐるところの一種の合意と約束を踏みにじられ、ふだんは外気にさらされぬ臓器の感覚が急に空気にさらされたやうな感じにされ、崇高と卑小とが故意にごちやまぜにされ、「悲劇」が軽蔑され、理性も情念も二つながら無意味にされ、読後この世にたよるべきものが何一つなくなつたやうな気持にさせられるものを秘めてゐる不快な傑作であつた。」と言わしめた楢山節考は、「姥捨の伝説」が題材となっているので、三島の評にも首肯せざるを得ない。
    解説で日沼倫太郎が述べているように、著者は本作を描くにあたり、登場人物の心理描写などには踏み込まず、淡々と神の視点から見たままを描いている。日沼はさらに「あらゆる事象は『私とは何の関係もない景色』なのである」と言う。たしかに本作を読んでいると、事実の叙述の中、いわば行間から、登場人物の行動をとおして否応なく情念がにじみ出てくるような印象を受ける。同時に、貧しい山村で、人々が生きていくために「そうするしかなかった」慣習が、極限の状況を如実に伝えるのである。
    三島の言葉どおり、そこには「人間性」をも否定――否定というより「無効化」かもしれないが――するほどの力を持っている。それほどの極限の状況をただ淡々と描き、極限の状況下において「人間性などという概念は意味を持たなくなる」ということを伝えるのである。喜んで「楢山まいり」(姥捨)に向かうべく着々と準備を進めるおりんと、村の慣習にいやいや従い、手助けする息子・辰平の両者の姿に、私の気持ちもざわついた。所どころに挿入されているわらべ唄も。さりげなくその壮絶さを伝えるのに一役買っている。
    三島が言う「『悲劇』が軽蔑され」た後には、絶望しか残らないのかもしれない。それでもなお。おりんが目指した「完全なる死」と、あえて言葉を多用せずともお互いに心の中まで理解しあう親子、そしてその根底にある「愛情」さえも慣習には抗えないという事実を描いたこの物語は、短い話ではあるが、一度は読んでみるべき小説であると思う。

  • 表題作は姥捨山の伝説を題材にした短編。映画化されたこともありもっと長編のようなイメージだった。しかし短い中にいろんな人間の感情がものすごく濃縮されて詰まっている。

    主人公おりんは、年老いてなお歯が丈夫なことを恥ずかしく思い、毎日、石で叩いて折ろうとしている。食い扶持を少しでも減らしたい貧しい村で、丈夫な歯を持つ=たくさん食べる年寄りなど害悪でしかないと考えるからだ。同様に、曾孫は「ねずみっ子」と呼ばれ、若くして次々子供を作ることは無駄に食い扶持を増やすゆえ悪徳とされ、結婚は遅いほうがよく、子供は少ないほうがいい、つまりそれくらい貧しいのだ。

    おりんは、ゆえに、できるだけ早く「楢山まいり」=姥捨山に捨てられることで家族に迷惑をかけず旅立ちたいと考えているが、孝行息子の辰平は複雑だ。妻に先立たれた辰平のために迎えた後妻・玉やんも気立てがよく、おりんを慕ってくれている。

    しかし孫で十六になるけさ吉は恩知らずのバカ息子で、松やんという大食いの娘を孕ませて結婚、継母もいらない、婆はとっとと山へ行けみたいな態度。このくそバカ息子ほんと腹が立つ。しかしおりんはこの「ねずみっ子(曾孫)」が産まれる前に(あるいはこの子を間引きさせないために)山へ入ろうと覚悟を固める。

    あちこちに白骨がちらばり、まだ新しい死体にカラスが巣食うような山奥に親を捨てて去らねばならない辰平の苦しさ、切なさ、自己犠牲を厭わないおりんの潔さ、反面、けさ吉のような情のない人間、死ぬのを嫌がる老親を崖から突き落とす別の家族の無情さ、いろんな感情につまされて胸がぎゅうっとなる。村人たちがさまざまな場面で歌う素朴な歌もとても切ない。

    「月のアペニン山」は“精神病”という言葉が何か抽象的な怖れや偏見と共に口にされた時代の残酷さを感じる。まあ確かにこの奥さんの言動は怖いけど。「東京のプリンスたち」は昭和30年代の少年たちの群像劇、これはさすがにちょっと時代が違い過ぎてピンと来なかった。でもそういえば篠原勝之の本を読んだときに「深沢七郎親分」はプレスリーが大好きだと書いてあったっけ。

    「白鳥の死」は鳥の話かと思いきや、正宗白鳥の話だった。一見、情がないような言動が記されているのだけれど、実はもう「生きている白鳥」に会えない作者の悲しみがじわじわ沁みてくる。

    ※収録
    月のアペニン山/楢山節考/東京のプリンスたち/白鳥の死

  • 父の本棚から拝借。
    短編集で楢山節考だけ読みました。

    山に親を捨てるの無理だな〜
    背負って逃げるか!?

    芋盗んだ雨屋は生き埋めになったって事なのかな?怖っ。

    実話ではないだろうけど、今の時代に生まれてよかったな。

  • 車谷長吉が「文士の魂」で紹介していたので読んでみました。

    棄老伝説(現代の感覚では)おぞましい風習と「おりん」という美しい心の老女をヒロインにするという、テーマでほとんど興味が惹きつけられて読んでみました。

    何かに迷ったとき「死ぬ直前に俺はどう思うやろ?」と思うことにしています。つまり、死ぬとき「納得のいく、満ち足りた人生やったなぁ、あのときあれで良かったなぁ」みたいなことを思って死にたいと常々おもう。

    現実は、そんなにきれいではなくて、細々とした諍いや悲しみや不満がある。だけど、大事なとこではブレてはいけない、死ぬときに納得いかんそうやから。

    この小説のクライマクスでは、おりんが筵の上にたち、息子を見送るシーンがあるけれども、そうできるのは、おりんが自分の生き方に納得がいったからやろう。

    書評を書いていて気づいたけど、おぞましい風習やと思っていたけども、自分の死を納得行く形で迎えることができるという意味では、精神的で人間的な一つの終わり方であるとも言える。

    「人生永遠の書」と激賞された意味が少しはわかったかもしれへん。

  • 楢山節考に衝撃を受けた。他はそんなでもない。柳田國男を想像してたんだけど、違った。
    食べ物の少ない村。70歳になると姥捨山に置いていかれる風習。待ち望むおりん。心に深々としみる唄と、家族の愛情。常識を疑わず掟に従って暮らす村人。
    人智を超えた「人間らしさ」にあふれている。
    関東地方の(著者からすると山梨?)方言の魅力もあり、どことなく身近で、昔話を小説に起こしただけとは言えない、生き生きとした状況、残酷さと清々しさにあふれている。

  • 四つの短編が入ってる本

    三つ目までは、おりんの姥捨山の話は面白かったけど、他は意味わかんないし全体としては微妙と思っていた。

    が、四つ目の白鳥の死から、しっくりき始めて、後書きを読んだ頃には凄いものを読んだ気分になった。

    楢山節考は、姥捨の話である。
    食べ物にも困る貧しい村で老婆のおりんは、実の息子に背負われ姥捨山に捨てられる。

    こう言うと、とても冷徹な話である。

    が、読み終えてしばらくすると、私は切ない愛に溢れた話だと感じた。

    おりんは、自分が旅立つ日に向けて、客や家族に出すご馳走や、家族の服などを用意しており、極めて積極的だ。
    彼女は自分の死の舞台を完璧に整えるだけではない。

    自分が旅立つ前に、やもめとなって長い息子の新しい伴侶を迎えようと躍起になる。
    新しい奥さんがいい人だと言って大喜びし、歓迎する。


    息子も優しい人だ。
    風習に従って、おりんを捨てなければならない。と分かっているが、それに悩む。
    おりんに来年にしよう。と提案して、断られたりもしている。
    おりんが孫に馬鹿にされたら普段の温厚さが嘘の様に怒る。

    息子の後妻さんもおりんを慕っている。
    ずっといて下さい。なんて言ったりする。

    結末は、おりんは冬山の中に一人残る、つまり姥捨されるわけだが、そこにはむしろ愛情がある。
    息子も母親もお互いを思いやっているのに、現実はいつまでも仲良く暮らす訳にはいかない。
    ここに、思う通りに出来ない切なさがある。

    この思う通りに出来ないというのは、
    四編目の白鳥の死や、東京のプリンスたちにも共通したテーマだと思う。

    白鳥の死では、信仰に厚いキリスト教徒でありながら隣人に優しくない作者の友人が出てくる。
    彼も思う通りに生きられない例だと思う。

    他には解説によると、
    人の物化もテーマらしい。
    確かにみんな酷い目にあう。
    感情移入全く出来ないのは、わざとだったらしい。
    カフカ?カミュ?だっけの変身に通ずるところがあるらしい。

    考察を読むと新たな発見がありそうな本だった。












  • 村で生きていく知恵は残酷だが理にかなってる。
    村人が村で起きた事件、出来事を言葉にし節をつけて歌っているのが印象的。みなが覚えられるように歌には節の形式があり、受け継がれる歌には村の風習(掟)で揺れ動いた先祖たちの感情が込められている。
    理性を熟練させた年功者にのみ、祭る判断が許される村の営みに至高の物語性が宿っています。
    生にしがみつく男性は地獄に堕ち、生を生み出してきた女性は穏やかに最期を達観する。と読み取ったら背筋を正しながらも背筋が凍る想いにかられました。


  • 日本人が耳にした事ぐらいはある姥捨山のリアル。
    様々な文学的評価を受けてるが、作者本人は何も考えずおばあちゃん子の気持ちで書いてるだけなのが他著で分かっていて面白い。

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著者プロフィール

大正三年(一九一四)、山梨県に生まれる。旧制日川中学校を卒業。中学生のころからギターに熱中、のちにリサイタルをしばしば開いた。昭和三十一年、「楢山節考」で第一回中央公論新人賞を受賞。『中央公論』三十五年十二月号に発表した「風流夢譚」により翌年二月、事件が起こり、以後、放浪生活に入った。四十年、埼玉県にラブミー農場を、四十六年、東京下町に今川焼屋を、五十一年には団子屋を開業して話題となる。五十六年『みちのくの人形たち』により谷崎潤一郎賞を受賞。他に『笛吹川』『甲州子守唄』『庶民烈伝』など著書多数。六十二年(一九八七)八月没。

「2018年 『書かなければよかったのに日記』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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