- 本 ・本 (320ページ)
- / ISBN・EAN: 9784101139012
感想・レビュー・書評
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著者、庄野潤三さん、ウィキペディアを見ると、次のように書かれています。
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庄野 潤三(しょうの じゅんぞう、1921年(大正10年)2月9日 - 2009年(平成21年)9月21日)は、日本の小説家。庄野英二の弟。大阪府生まれ。九州大学東洋史学科卒。『愛撫』で認められ、『プールサイド小景』で芥川賞受賞。「第三の新人」の一人と目され、『静物』『夕べの雲』など、都市生活者の不安定な日常を、穏やかな描写と叙述で深く彫り上げた作品を多く発表した。晩年は、老夫婦の生活や孫とのふれあいをテーマに連作を書き継いだ。日本芸術院会員。
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で、本作の内容は、次のとおり。
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大金を使い込み、突然会社をクビになった夫。妻が問いただすと、つらい勤めの苦痛や不安を癒すため毎晩のようにバーに通いつめていたという。平凡な中年サラリーマンの家庭に生じた愛の亀裂――日常生活のスケッチを通し、ささやかな幸福がいかに脆く崩れやすいものかを描いた芥川賞受賞作『プールサイド小景』、家庭の風景を陰影ある描写で綴った日本文学史上屈指の名作『静物』等、全7編を収録。
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『プールサイド小景』は、静かながら、妙にリアリティーのある作品と思いました。
『プールサイド小景』は、芥川賞受賞作とのことなので、当時の受賞作を見ておきましょう。
第31回 「驟雨」 吉行淳之介
第32回 「アメリカン・スクール」 小島信夫
第32回 「プールサイド小景」 庄野潤三
第33回 「白い人」 遠藤周作
第34回 「太陽の季節」 石原慎太郎
第35回 「海人舟」 近藤啓太郎詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
庄野潤三の7編の短編を収めた短編集。その中の「プールサイド小景」という作品で、庄野潤三は第32回(1954年下半期)の芥川賞を受賞している。
1954年というと、今から約70年前のことだ。庄野潤三以降の芥川賞受賞者を見てみると、33回が遠藤周作、34回が石原慎太郎、38回が開高健、39回が大江健三郎。私自身は、庄野潤三の作品を読むのはこの短編集が初めてであるが、ここに書いた、庄野潤三以降の芥川賞作家、特に開高健や大江健三郎は多く読んでいる。また、本短編集に収載されている作品は、どれも時代背景や舞台設計は古いものであるが、登場人物の心の動きが主なテーマであり、70年経っていても、古びた感じを全く受けない。優れた文学作品というのは、そういうものであり、そういったものは、時を経ても生き残るのであろう。 -
こちらの著書のものは随筆が好きで拝読(積ん読ともいう)してます。
本作は短編小説。
芥川賞作品。
全体的に静かな読み心地。
【プールサイド小景】
会社の金を使い込んでクビになったサラリーマンのお話。
雇われのつらさや家庭の不和がわじわとせまってくる感じ。
背後にある不穏さが静かさの中にどろりとした生活感を思わせる。
【静物】
物語的に特になにも起きないことに対しての安心と、読み手としてなぜか不穏を感じさせる行間。わりと好き。
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短編の感想はちょっと苦手かな、短いからわかりやすいはずなのになんでだろう。
この著者の書き物として他に随筆の「野菜讃歌」も拝読しましたがブクログには登録がないよう。こちらも良かったのでぜひ。野菜が食べたくなること必至です。 -
日常や普段の営みに焦点を当てて描かれた短編集。
全体を通して、会話が少なく物語上に大きな山や谷が現れず淡々と進んでいった。その淡々さが時間の流れの残酷さを思わせるようで、読み終わった読後感に寂しさを添えていた。
そういった時間の流れの残酷さが最もよく現れていたのが「イタリア風」だと思う。日本に来ていたアメリカ人にニューヨークで再会する話だが、変わってしまった物やいなくなった時間や人への愛慕と憐憫が痛々しく綴られていた。
また、日常生活の脆さをテーマにした作品も多く、「プールサイド小景」と「静物」はその中でもかなり好きだった。「プールサイド小景」は芥川賞を取った作品で「静物」は村上春樹の薦める読むべき日本文学短編6選の中の一つだったりと、事前の期待も高かったが、両方とも題にあるように、一枚の風景画、静物画のように思える静謐さと細やかさを兼ね備えた作品だった。この二作品は他の短編とは違い、読後感に諦観のような爽やかなものを感じさせた。
個人的には戦犯になった兄を見送る「相客」も好きだった。どうしても抗えないことの中でもお互いを思い合う気持ちや日常の営みはなくならないことを示しており、人間の芯の強さを感じられた。
ただ、仕方ない部分もあるとは思うが、日常や生活の脆さを示す時に「時間」「不倫」「死」の描写が多く、またかと思うシーンもところどころあったのは残念だった。けれど、またいつか読みたくなる作品集だと思う。
4.5 -
1950年の「舞踏」から、54年の「プールサイド小景」を経て60年の「静物」まで計7編を収録。初期の2作が夫婦の危機や不安定さを詳細に描いているのに対し、後期の作品では日常がより静かに描かれるようになり、『夕べの雲』の世界に近づいていく。
私は「舞踏」が最も印象に残ったが、解説によると、雑誌掲載時から大きな改稿がなされたとのこと。気になって調べたところ、下記の論文が詳細に論じていて、理解が深まった。
村手元樹(2016)「昭和二十年代における庄野潤三の文学修業:チェーホフ受容を軸に」『愛知県立大学大学院国際文化研究科論集(日本文化編)』7。
http://doi.org/10.15088/00002583 -
一年後、どんな内容の本だったか思い出せるか。もしかすると、すっかり忘れてしまっているかもしれない。
それはそうで、これはあまりにも“日常”である。三日前の晩ご飯を思い出せないように、“日常”とは過ぎ去っていくもの、忘れ去られていくものである。そのような“日常”を克明に描写している。
一つ一つの出来事を丁寧に、ありのまま描くことで、些細な“日常”の裏に深刻な何かが見え隠れする。急に、“日常”が重大に思われてくる。
その深刻な何か、日常の裏にある“危うさ”みたいなもの、それは一体何なのか、どういうことなのか、はっきりと書かれてはいない。結果、それが読後の絶妙な余韻へと繋がっている。
初めて志賀直哉を読んだときの衝撃と似ている。☆5つでも足りないくらい。今年読んだ本の中で最も衝撃的だった。
本書収録の中では、『舞踏』が最も私の好みで、冒頭からやられてしまった。
“家庭の危機というものは、台所の天窓にへばりついている守宮(やもり)のようなものだ” -
芥川賞シリーズ⑨
戦後すぐに書かれた作品であるのに、今のリストラ社会を予見させるもので読んでいてドッキとさせれた。15年勤めた会社を自分の責任で首になった夫、その事で始めて夫の生活や家族について何も考えてなかったと気づく妻。
プール=現実社会の厳しさと、プールサイド=現実社会の厳しさから逃れた場所。プールの中に身を置き泳いでいくことを社会はこの後ずっと求め続けて高度経済成長を成し遂げてきた。
プールサイドに佇み人々には目もくれることもなく。
仕事に生き甲斐を見いだすことの一方、そこで生まれる疲れや淀みに気づかないふりをしてきたのではないだろうか。
社会や家庭の中で人は生きていくうえで表面的には何の波風も立っていないよう振る舞おうとする。個人と組織、個人と個人の間で関係を良好に保っていこうとする。それが疲れを生む。
この作品は高度成長期を終えた今の家族をテーマにした現代の小説の先駆けではないだろうか。
作者は2009年9月に亡くなられました。ご冥福をお祈りします。 -
『静物』が“何も起こらない”系作品の極地。
読み終えた後、何も残らないが読んでいる間は無心で読み進めてしまう水のような作品。
戦後の内向的な作品群の中でも輝く一冊。 -
なんだこれ。お行儀の良い文体の心地よさと時代の違和感、懐かしい感じと共感できない歯痒さ。昭和生まれだからわかるわーと思ってたらさらりと混ぜ込まれる戦争の記憶。綺麗な文体に浸りながらそんな両極端を行き来させられた。名文には間違いないかもしれないがもうおなかいっぱい。せめて最後の「静物」に不穏さが無くて良かった。
あと新潮文庫の表紙デザインがテキトー過ぎて引く。 -
今年の私の読書テーマは「第三の新人」。
小島信夫は何年か前に読みましたが、今年は安岡章太郎、丸谷才一、吉行淳之介と読み継いできました。
これら4氏に比べると、やや影が薄いのが庄野潤三ではないでしょうか。
文学に興味のない人でも、安岡や吉行の名前くらいは知っているでしょう。
ただ、庄野となると、どうか。
でもねー。
実に良かったです。
家族の生活というものは、危ういバランスの上に辛うじて成り立っているものなのだと再認識しました。
妻と子のいる男なら、誰でも共感を覚えるのではないでしょうか。
まず、感心したのは、芥川賞受賞作の「プールサイド小景」。
会社の金を使い込んでクビになった男の話です。
男には妻と小学生の息子がいます。
妻は明日からの生活を考え、呆然とします。
それでも、いつもの日常と変わらず、夕飯の支度をします。
それを「何故だろう?」と考える妻の疑問は、とてもリアリティーがあります。
一見、幸せそうに見える家庭にも、人には言えない様々な事情がある。
そんなことを感じました。
もっとも会社の金を使い込むというのは極端ですが。
それから、何と言っても「静物」です。
夫婦と1女2男の家族の平凡と言えば平凡な話。
寓話的なエピソードが並べられる、何とも不思議な作品です。
正直に言って、私は初め戸惑いました。
こういう構成の作品は、特に日本人作家には珍しいからです。
自分の少ない読書体験からは、ブローティガンの「アメリカの鱒釣り」に近いかも、と思いました。
1つ1つのエピソードは、釣りをした話や親戚からクルミをもらった話など、確かに他愛無い。
ただ、途中でやや趣の異なる挿話(たとえば階下で女の泣き声がした話など)があり、作品全体に不穏な影を落としています。
いや、何とも独特の読後感。
「舞踊」も良かった。
第三の新人には、小市民的とかスケールが小さいとか揶揄する向きがあります(今はさすがにないか)が、どっこい奥が深いのです。
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