- 本 ・本 (256ページ)
- / ISBN・EAN: 9784101139050
感想・レビュー・書評
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初庄野潤三。
山の上の家の公開に合わせて図書館。
心がじんわりとして電車の中で涙が出た。
庄野潤三を知るきっかけとなった掲示板の奥様読書会から引用。
ここから↓
『本の虫の本』(創元社)の一節「読書の守護神」から岡崎武志の言葉を引用します。
(前略)
読書の世界においては、私の場合、庄野潤三が守護天使だ。
これまで、職業柄(書評家、古本ライターを名乗る)数限りない作家や作品を読んでは、ときに紹介を務めてきたが、正直言って、世評は高いがピンと来ない作品、古典と言われながら何が書いてあるかわからない難解な本、どうも気が合わない作家とも出会って来た。
(中略)
しかし、そんな時は庄野潤三のことを思う。
いやいや、何を言ってるんだ。
代表作『夕べの雲』を始め、庄野さんの作品なら、ドンピシャ、少しも狂いもなく、いつと自分の胸を深く撃つではないか。
自分は間違っていない。
自分の読む力を疑ってはならない。
そう思い直すことができるのは、庄野潤三という、早くに私を深く捉えて離さない作家がいるからだ。
いつでも庄野潤三に帰って行けばいい。
そう思えるからだ。
こんなに間違いない基準はない。
庄野潤三と読者としての私の関わりは、自分で編んだ『親子の時間──庄野潤三撰集』(夏葉社、2014年)ほかでくわしく書いたからくり返さない。
2009年9月に逝去した庄野潤三は、長く生田丘陵の上に建てた家に住んでいた(『夕べの雲』の舞台)。
私が結婚して、最初に住んだのが川崎市多摩区宿河原という町で、西側に小高い生田緑地がこんもりと視界を遮っていた。
まだ向ヶ丘遊園という遊園地があった頃で、大きな観覧車がカラカラ回っていた。
庄野潤三は、その丘陵地を一つ越えた山の上に住んでいた。
そのことを知っていた私は、とても畏れ多くて訪ねることをしなかったが、「この丘の向こうに庄野さんがいる」と思い、それだけで勇気づけられて来たのである。
夏葉社の依頼で、『親子の時間』という庄野潤三の家族小説を編むことになっていて、思いがけず、庄野さんがいない庄野家を訪ね、ご遺族と言葉を交わす光栄に浴した。
その後、夫人の千寿子さんは亡くなられたが、まるで庄野潤三の作品そのままの一家に接して、私の中の守護神ぶりは、ますます存在が大きくなっている。
私が思い描く自分の晩年は、書評も、本の紹介もしなくていい身分になったら、庄野さんの作品だけを身の回りに置いて、何度も何度も最初から、読み返し読み継ぐことだ。
怖いものなど、もう何もない。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
なにげない日常.
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穏やかでほっこりとした幸せな空気が漂う日常。
ミミリーが跳ね、ご近所さんから頂きものしたり。長女がよい手紙が届いたり。 -
実家に帰りたくなります。しょっちゅう帰ってるのだけれど(笑)特別なことが頻繁に起こるわけではないし、おしゃれな写真とか載ってるわけでもないのに、どんな丁寧な暮らしかたの紹介されている本とかおしゃれな毎日を紹介している本よりも、庄野さんの本を読むことで、こんなふうに暮らせたらいいなと思えます。幸せってこういう毎日なんだろうなぁと思えます。
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「貝がらと海の音」から続く一連のこのエッセイも、フーちゃんが中学生になっていたりして時の流れの速さに驚く。
当初に比べて新鮮味はなくなってきたけれど、相変わらず幸せで平和な空気が漂う。
ミミリーって名前、かわいいな。
巻末の江國さんとの対談もいい。 -
読んでると、作者の中でゆったりと和やかに流れる時間が感じられて心地いい。表紙絵も可愛くて好き。
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2002年6月 図書館で借りた
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繰り返される毎日が、安心感を与えてくれる。大きな変化も驚くべき事件もここには出てこない。行きつけのお店、いつものメニュー、それが心地よい。
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第9回: 庄野潤三 『うさぎのミミリー』
http://ameblo.jp/pippu-t-takenoki/entry-10002524155.html
著者プロフィール
庄野潤三の作品





