- 本 ・本 (288ページ)
- / ISBN・EAN: 9784101139548
作品紹介・あらすじ
幼い頃は〈よそゆき〉を着て、家族でおでかけするのが休日のお楽しみ。お子様ランチを食べたあとは、屋上遊園地へ。それから十数年後、百貨店員となり、その裏側をたっぷりと経験した。独特の流儀、厳しい労働環境、困ったお客さま……。そして今、ひとりの消費者として思うこと。時代を越えて見つめ続けたデパートの姿とは。懐かしさと驚きが満載!
感想・レビュー・書評
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デパートや大型スーパーの閉店が相次いでいる。
特に、今年2017年に入ってからの勢いはとどまる事を知らない。
あ~あ、デパートってオワコンなんだなあ…
ニュース記事では、その理由を経済評論家が分析している。
郊外型の大型施設に取って代わられたとか、アウトレットが人気とか、駅前で買い物しなくなったとか、通販が盛んになったとか…
どれも、「今の状況」としては間違っていないのだろうけど…
震災や、世界経済の影響は別として、何事も突然始まるものではない。
長野さんのエッセイだから読みたくて手に取ったのだが、デパート勤めが題材の自伝的エッセイかと思ったら、『老舗デパート、なぜ閉店相次ぐ?どうしてこうなった?』という理由が、余すところなく語られているように感じた作品でもあった。
私などはおおいに「あのころあったね~」と楽しんで読ませていただいたが、若い人には良く分らない部分も多いだろう。
長野さんいわく『デパートというのは昭和文化の展示場』という一言に尽きる。
時代世代が違ってしまったのだ。
かつてデパートは、行けばわくわくできた場所、見たこともないようなものが毎回発見できる場所、だった。
今、そういう気持ちを満たしてくれるのはセレクトショップ。
かなり始めの方には、デパートとは、
『日ごろはつつましい暮らしぶりの庶民が、手の届く範囲で、ささやかな贅沢と非日常を味わうことのできた場所』と書かれている。
あら、それテーマパークね。
しかし、建物が重要文化財に指定された日本橋高島屋などはどうだろう。
長野さんは、見学ツアーで取材してきた。
三越日本橋店は、長年のお得意様であるシニアに向けた欧風エレガンスな空間作りをしているらしい。
少数の店舗が、「骨董品的価値」という形で生き残ることに落ち着くのではないか?…そんなこともいろいろ考えた。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
長野まゆみさんの、エッセイ含む作品の中でも異色だと思う、デパートについてのあれこれ。
「昭和四十年代前半に小学校低学年」の長野さんはわたしの母(昭和三十四年生まれ)と同世代だろうので、母もこんな少女時代を送ったのか…となんだか妙な気分です。
バリバリ都会っ子の長野さんと、地方の田舎住みの母とでは意味する都会もデパートも違うでしょうけど。
何度か読んでいる本書、その度に新鮮な面白さがあります。
今回はデパートという存在の移り変わりが心に残りました。この、時代の流れに染まらないしスピードにも合わせない(悪く言えば取り残されている)のがいいけど、でもそれじゃ生きていけるのか?というところ。
刊行されてから10年以上過ぎたけれど、変わらなかったところ変わってほしくなかったところ、失われてしまったもの……いつまでも同じじゃいられないけれど、忘れられていくのもどこか寂しいです。
80年代に生まれ、昭和から平成へ元号が代わったこともなんとなく覚えているわたしも、デパートは「ハレ」の場所でした。
デパートへは普段着じゃなく、よそ行きの服を着て行きました。家の周り田んぼだらけだったのでTシャツにズボンという「ケ」の格好で走り回ってたけど、「(福岡)市内に行く」ときはワンピースを着せられていた。
今はない西鉄宮地岳線に乗り、発着曲「心の旅」を聴いておりました。幼心に、博多や天神は都会だった。
わたしでさえそうなので、この本で流れている、デパート黎明期から震災直後の頃まではずいぶんと隔たりがありました。
最近読んだ明治か初期の大正時代設定の漫画で、妻が夫に初めてデパートに連れていってもらう場面があり、入口で履物を脱ぎ(下足番さんがいる)、畳の上に平台だけど高脚のガラスのショーケースがずらりと並んでいて着物の店員さんが隣へ並んでいる、その間をお客さんは歩いて品定め…というデパート描写をしげしげと眺めてしまいました。
解説にもあったけど、この本はルポタージュとしても良書かもしれない。また読もう。
ここで描かれている社員旅行では、男性はゴルフシャツにズボン、若手だとポロシャツにズボン。女性は各々好きな装い。
だけれど、わたしの父方祖父母(昭和10年代生まれ)が地区の農家の組合みたいなもので行ってた旅行の写真を見ると、男性はジャケットとズボン、女性はツーピースを皆さん着ている。農家でこれ。
家族で見ながら、「ほ〜」となってました。母「お義母さんスカート丈が膝上…若い」。旅行も完璧に、「ハレ」だったんだろうな。
読みつつ考えつつ、いろんなこと思い出すのも面白い読書です。
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昔、デパートは「ハレ」の場だった。
そんな時代を、ノスタルジックに回想しながら、著者自身がデパートに勤務した時の逸話も記した、ルポルタージュ的エッセイ。 -
長野まゆみさんの作品が好きなので読んでみたが、長野さんってこういうキャラだったのかと以外に思った。思っていたよりこだわりが強そう。
子供の頃のデパート、自分が働くようになった頃のデパート、今のデパートと、ちょいちょい脱線しながらつらつらと語っており、デパートの魅力や裏事情だけでなく、時代背景やお中元豆知識までわかって面白かった。 -
著者の長野まゆみさんより年下の世代ですが、70年代半ば生まれなので、デパートへ出かけるというのが一大イベントだった子供時代を懐かしく思いながら読んだ。
ネットで自分が欲しいものに目星をつけて買うのが主流の時代、店員さんのアドバイスよりコスパの時代かもしれないけれど、やはり、買い物をするとき、あれこれ見比べながらアドバイスをもらいながら、ときに友人とふらふらしながらの買い物は楽しい。デパート、無くなってほしくないな。子どもの頃、大きくなったらデパートに住みたいと思ったことを懐かしく思い出した。
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長野さんは、バブル期直前までの一時期を、デパートの店員として勤務した経験があるという。
関西拠点の、電鉄会社を母体とするKデパート、つまり、近鉄百貨店の東京店。
本書いう「あのころ」の大半は、確かにその時期のことを指す。
が、お母さんもデパートに勤めた人だったとのことで、話はもう少し古い頃のことも出てくる。
私自身も八〇年代後半ごろからなら、なんとなく記憶にあり、また住んでいたのが地方だから、まだ八〇年後半でもここに書かれているようなことは、まだ残っていたかもしれない。
そのせいか、なんかとても懐かしかった。
デパートに定休日があったころ。
デパートの店員さんが制服を着ていたころ。
表紙にもあしらわれている、チュールリボンで作った花なんかもあったなあ。
その昔、「暮しの手帖」が、デパートのテストをしたことがあったという話が紹介されていた。
贈答品として砂糖を贈る習慣があったころのことらしい。
チェック項目は伝票に誤字があるかどうかまで及んでいたという。
レトロスペクティヴな傾向はあるけれど、筆者は一方で、不便だった「あのころ」に戻れるのか、と問いかける。
あの震災の直後に書かれた文章だけに、便利な現代の生活をどう受け止めるかが、筆者自身も自問するところだったのだろう。
きれいごとだけではすまされないものを、指摘された感じがする。 -
長野さんが今時のデパートにもの申すめんどくさいおばちゃんにならず嬉しい。働く側として少しでも関わったことがあると、さらに面白く読めるかもしれません。
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昭和の懐かしいデパートの事が色々語られたエッセイ。
笑えるというものでは無く、興味深いといった内容。 -
デパートってわたしみたいな若者はあまりもうワクワクしない年代だと思うんですけど、「あのころのデパート」はすごく魅力的でした。サザエさんではデパートに張り切って買い物に行く場面があったりしますけど、ああいう感じなんですかね。よそ行きのワンピースでめかしこんだ女の子がお子様ランチを食べている場面を想像してほほえましく思います。就活を終えたばかりなので、デパートで働くのもいいなあ、なんて。
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ノスタルジック。
私の母もデパート勤めをしていたので、その頃の思い出話を聞いてるようでした。
著者プロフィール
長野まゆみの作品





