土を喰う日々: わが精進十二ヵ月 (新潮文庫)

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  • / ISBN・EAN: 9784101141152

感想・レビュー・書評

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  • 映画の「土を喰らう十二ヶ月」を観てたいへん面白かった。面白かったが、まさかあんな美人の編集者(松たか子)と懇ろの仲になっていたとまでは流石に思わなかったが、妻方の親戚(尾美としのり)が、自分の母親の葬式の一切までもツトム(沢田研二)に任せ、あろうことか骨壷まで置いていったのをみて、そんなことをありあるのかとビックリして本書を紐解いたのである。

    予想通り、そんなことは一切書いてなかった。どころか、未だ著作当時水上勉の奥様は健在だったし、どうも義理の母親の葬式エピソードは、祖母の一人暮らしエピソードを改変したようだった。中江裕司監督は、真冬の信州の自然に、沖縄の死生観と自然観を注ぎ込んだのだ。

    映画にも出てきたが、道元の著書(『天座教訓』)引用が至る所に出てくる。10代のお寺修行は、老境の著者に、53年浸かった梅のように滋味深いあじを与えたのか。思うに、その自然観と死生観は、500年を経て尚且つ生命力を持つものだろう。

    どうせしないだろうけど、やってみたい料理がたくさんあった。
    ・ほうれん草の「根」の赤いところはしっかり洗ってお浸しにまぶす。
    ・蕗のとうの網焼き
    ・山の焚火に濡れた紙にタラの芽を入れて焼く。
    ・渋柿の灰焼き
    ・無名汁

    我が家には、捨てるにすれられなくて置いている30年以上は浸かっている梅干がある。勇気を出して食べてみようかという気にもなった。

    • Macomi55さん
      kuma0504さん
      梅の果汁でしょうか?干さずに入れられているとしたら、それくらい果汁が出ていてもおかしくないかもですね。それとも梅&赤紫...
      kuma0504さん
      梅の果汁でしょうか?干さずに入れられているとしたら、それくらい果汁が出ていてもおかしくないかもですね。それとも梅&赤紫蘇酒?  どちらにしても興味あります。食べられても食べられなくても開けてみて下さいね。
      2022/12/08
    • くろねこ・ぷぅさん
      師走ですし、蓋はあけてないものと思われますが、ネットには開かない蓋の開け方がいろいろ載っているようですね。
      瓶詰めのものや自家製の飲み物の...
      師走ですし、蓋はあけてないものと思われますが、ネットには開かない蓋の開け方がいろいろ載っているようですね。
      瓶詰めのものや自家製の飲み物のフタは得てして開かなくなりますね。
      水分は焼酎ではなく「酢」という可能性はどうでしょうか。
      アルコール漬けも酢漬けも、なんか大丈夫な気がいたします(笑)。
      塩は金属なので永遠に食べられ、アルコールもウイスキーやワインを考えても大丈夫なので~。
      いつかフタの開くことを!!
      2022/12/14
    • kuma0504さん
      くろねこ・ぷぅさん、こんばんは。
      未だ開いていません。
      この間、ホームセンターで道具を探してみたんですが、直径7センチのしかなかったり、zo...
      くろねこ・ぷぅさん、こんばんは。
      未だ開いていません。
      この間、ホームセンターで道具を探してみたんですが、直径7センチのしかなかったり、zoom会議の合間にちょっと見てもらったら、中に入っているのホワイトリカーかもしれないけど、こんなに梅が詰まっているのは、梅酒用じゃないだろう、あんまり悪くなっていないんじゃない?との意見でした。

      くろねこさんのネット情報見てみました。試していないのが幾つもあったので、やってみたいと思います♪開いたらまた報告しますね。
      2022/12/14
  • 著者、水上勉さん、どのような方かというと、ウィキペディアには、次のように書かれています。

    ---引用開始

    水上 勉(みずかみ つとむ、1919年3月8日 - 2004年9月8日)は、日本の小説家、日本芸術院会員、文化功労者。福井県生まれ。社会派推理小説『飢餓海峡』、少年時代の禅寺での修行体験を元にした『雁の寺』、伝記小説『一休』などで知られる。禅寺を出奔して様々な職業を経ながら宇野浩二に師事、社会派推理小説で好評を博して、次第に純文学的色彩を深め、自伝的小説や女性の宿命的な悲しさを描いた作品で多くの読者を獲得。その後は歴史小説や劇作にも取り組む一方、伝記物に秀作を残した。作品の映像化も多い。

    ---引用終了


    で、本作の内容は、次のとおり。

    ---引用開始

    著者は少年の頃、京都の禅寺で精進料理のつくり方を教えられた。畑で育てた季節の野菜を材料にして心のこもった惣菜をつくる――本書は、そうした昔の体験をもとに、著者自らが包丁を持ち、一年にわたって様様な料理を工夫してみせた、貴重なクッキング・ブックである。と同時に、香ばしい土の匂いを忘れてしまった日本人の食生活の荒廃を悲しむ、異色の味覚エッセーでもある――。

    ---引用終了

  • 『一茎草(いちきょうそう)を拈じ(ねんじ)て宝王刹(ほうおうせつ)を建て、(中略)縦ひ(たとひ)莆菜羮(ふさいこう)を作るの時も、嫌厭軽忽(けんえんきょうこつ)の心を生ずべからず」といったのは、道元の「典座教訓(てんぞきょうくん)」だが、この書のユニークなところは、たかが台所仕事というふうに料理を見ず、いかに食事を作り、いかに心をつかうか、工夫するか、の行為は、人間のもっとも尊い仕事だと強調するところにある。』
       (本文より)

    最後の章での表記だが これがこの本全ての根底にある
    と言えよう


    たかが食事 されど食事…
    「人間のもっとも尊い仕事」に食事の用意が挙げられている 道元の「典座教訓」とはいかなる書なのかと興味深い

    我が家の台所事情は
    頑張って工夫したり 挑戦したりという日もあれば
    適当で済ます日もあり
    お惣菜や 外食で 調理しない日もある

    大部分は成り行きクッキングで 時々めっちゃ頑張る
    という割合

    この本を読むと とにかく出てくる食べ物が全部美味しそうで仕方ない
    梅干しも筍も栗も…生唾が湧いてくるようだった
    心を寄せて調理するのは楽しいし 素敵だなと改めて思った
    私も また野草クッキングをしてみよう

    子どもが小さい頃は 春によもぎを摘んでよもぎ団子を作った
    つくしを取ったら 袴を外して炊き込みご飯を作った
    食の思い出は 子どもたちも覚えていてくれてるだろうか…

     『何もない台所から絞り出すことが精進だといったが、これは、つまり、いまのように、店頭へゆけば、何もかもが揃う時代と違って、畑と相談してから決められるものだった。僕が、精進料理とは、土を喰うものだと思ったのは、そのせいである。』
        (本文より)

    そうそう タイトルの「喰う」は「くらう」と読むらしい
    「くう」と「くらう」ではずいぶん印象が違う
    「くらう」の方がなんか やっちゃるぞーというようなインパクトがあって好きだ
    この本の内容にも合っている

    「土を喰らう」ことこそ 最高の贅沢ではないだろうか
    飽食の時代に生きる今だからこそ 精進料理に舌鼓を打つ醍醐味に触れたい気持ちが溢れて仕方ない

    『禅宗の僧たちはうまいことをいう。一所不在だと。真の高僧はどこにいても極楽を見出す。酷寒の山にくらしても、文明の都会にくらしても、どこだって己れが住む場所だ。随所作主。どこでも主人になれるというのである。』
        (本文より)

    著者の食べ物に対する愛が溢れる表現が素晴らしいものがあり 以下に引用する

    ◯『〜串を通してみて、ゆでかげんを見るころに、ぷーんと鼻にせまるあの匂いは何ともいえない。土の中でうずくまっていた五月の竹の生気がゆで汁の中で煮えあふれ、土の産む生きものの精が泡立ってくる感じだ。』

    ◯『〜筍がまるで、地球のふき出ものみたいにむらがり出るのを眺めるしかなかったのである。』

    ◯『豆めしの美味なことは当然であって、それに若筍汁でもあれば、五月はもう、自分の口に入ったことになる。』

    ◯『ほかに茄子、青紫蘇、さつまいも、れんこん、なんでも、ぶちこんで、からりと揚げて出すのだ。新鮮な土にいたころの風味が、衣に封じこめられて、舌にのって、それぞれ材料が、胃へ向かう途中で、唄をうたいだす。精進揚げとはつまり、衣を着せて一様にみせかけてはいるが、じつは野菜どもの交響曲(シンフォニー)ではないか。』

    どの表現も 土から採れた食材への愛情をひしひしと感じる
    こんなに愛されて調理されたものが美味しくないはずがない
    著者の水上さんが作った精進料理を食べてみたいと思えてならなかった

    また 著者が食事の楽しみについて語る場面も心地よく共感できる

    ◯『〜人間は、不思議な動物で、口に入れる筍の味覚のほかに、とんでもない暦のひき出しがあいて、その思い出を同時に噛みしめる。土にうまれたものを喰うことの楽しみといってしまえばそのとおりだろうが、口に入れるものが土から出た以上、心ふかく、暦をくって、地の
    絆が味覚にまぶれつくのである。これも醍醐味のひとつか。』

    ◯『中村幸平氏の『日本料理の奥義』という本をみていると、料理には六味の味があってこそ完全な味だと説いてある。ふつうわれわれは、甘、鹹(かん)、酸、苦、渋の五味を分析して考えているが、もう一つその「後味」をつけ足して六味とするのが中村氏の説で、後味とは「食べたあとまたたべたくなるあと味」と説明されている』

    先日テレビで五味に加えて六味が言われ出したがそれは何かというクイズがあった
    ここぞとばかり ああ本で読んだばかり!「後味だー」
    と満面の笑みで答えたが 回答は「脂肪味」

    脂肪を味わう味覚である

    何とも…
    これが主流で加われば 中村氏の言う「後味」は七味として加わることになるかな…
    また たべたくなるあと味って すごくいいと思うんだよね!


    著者が初めて知ったと言う松茸の件も興味深い
    『ところで、このあいだ、タクシーでラジオをきいていたら、アナウンサーが、高い松茸の話にふれながら、松茸の栄養価値について話をすすめ、ある大学教授に伺いをたてたところ、まったく栄養価はなくて、水を呑むようなものか、それとも水を呑むよりも落ちるぐらいのものだ、としゃべっているのにはあきれた。松の露がもとのカビみたいなものだから、そういわれれば納得もゆくのだが、栄養価は少しもないと知らされたのははじめてだった。』
         (本文より)

    これって…ほんとなのかな…
    そもそも松茸なんてもう何年も口に入ったことがないけど スーパーで何千円もする松茸に 栄養価ゼロで水より落ちるぐらいだともなれば 松茸の立場はどうなるのだろう
    そもそも香り高いけど うまいとか 栄養があるとは聞かなかったから現行維持の風格は保てるのかな…

     あと 気になった表記で またたびの焼酎づけの場面で
    『またたびは、猫の好物だから、何杯も呑むと猫になるのではないかというのだが、さて虎になった人はいるが猫になった女性はまだ見ない。』
    (本文より)
    とある

    その 『虎になった人』って誰?

    「ちびくろサンボ」という絵本があったが あれは虎がグルグル回ってバターになった気がする
    「山月記」という本では主人公は最後に虎になる道を選んだようだった気がするが その物語のことなのか

    それともノンフィクションで 虎になった人間がいたのだろうか…
    気になる

    本の本当に最後あたりで「五観の偈(げ)」というのが出てくる
    『一つには功の多少を計り彼の来処を量る
    二つには己が徳行の全欠を忖って供に応ず
    三つには心を防ぎ、過を離るる事は貪等を宗とす
    四つには正に良薬を事とするは形枯を療ぜんがためなり
    五つには成道のための故に今この食を受く』
    (本文より)
    というものだ

    実は先日 福山の「禅と庭のミュージアム」なるところを訪れた際 そこで修行僧も食べるといううどんをいただくにあたり この五つの文言を読んでから食するようにとお話しを受けたため 唱えてからいただいたのだ
    貪り食うなということだが お腹がぺこぺこで そうもいかないよね…と笑いながら唱えたのを思い出す

     この本は四季を追いながら 土に根付く食材に感謝し 愛を持っていただく著者の様が手に取るように伝わり
    大変興味深く読めた
    ひらがな表記が多く 読みやすいのも良い

    食を見直すきっかけにもなるようなこの本だが 実は映画にもなっており ぜひ見てみたいと思う
    ちょうど近くの図書館にDVDが入ったようなので 予約をかけた

     映像も楽しみに待ちながら  読後の心地よい余韻と
    台所に立つ時のちょっとした高揚感と 食材に溢れる自然を見つめるほどの視野と 
    この本の読者として 食に対する広がりを見せながら 日々の食事をおいしく丁寧にいただいて生きていきたい

  • 渋皮が少し残った栗、人より長生きする梅干し、山でどんどん採れていた松茸、軽井沢の畑で育った細くて辛い大根。
    作者が小さな頃に禅寺で身に付けた精進料理は、文字にしても、どこか土の香りが口の中に広がる。
    少し気難しいおじいちゃんに、昔話をしてもらいながら、ご飯を食べているかのよう。

  • 精進に生きるとは土を喰らうということ。そして孤独を愛し、孤独に生きるということのよう。いつか誰かの本で読んだ「始末」と同じだろうな。誰だったかなぁ。暗く、悲惨な響きだけど筆者の孤独はニコニコ笑っているようで、凍てついた土の上の抜けるような青空の下でせいせいしているようだ。読者諸兄姉、やってみたまえ。と何度も出てくるこの語り口が独特でとても良い響き。私事ですが、母は農家の出で、野菜の皮を厚く剥き土色や真っ青なキャベツ葉をどんどん捨てるので土を喰らうのと畑に生きた人とはちがうなー。

  • 映画化にともなって
    刷りの新しいのが本屋さんに並んでたので
    図書館で古いやつを借りてみました。
    で、なんか手元に置いておきたくなったから
    今度買おうと思います。

    著者が少年時代にお寺で修行していたことを
    この本で初めて知りました。
    料理を作りながら語る当時の思い出話や
    住んでいる軽井沢のこと
    説法についての話、典座について…。

    ゆったりと滋味になりそう。

  • 生きていくためには食べなくてはならない。
    かといって食べるのはただ体を保つことだけが目的ではない。
    より良い生き方につながるのだから、楽しみだけを食べ物に求めるのは何か違っているのだ。そんなことに改めて思い至るような文章。季節の土から現れた食物に対する視線が美しい。
    匂い、色合い、火の暖かさ、煙ったさ、風、音、食材の手触り、そして何より食材が形を変えていく様子がありありと思い浮かび、読んでいるだけで幸せな気分になる。

  • この本を知ったのはずいぶん以前『美味しんぼ』を読んでのことだったと思う。たぶんそれから20年くらいたってようやく読んでみた。作家・水上勉の軽井沢暮らしのなかでの自給自足・自炊の日々が綴られる。
    山野のものを上手に使い、腕も立つ人が作る素朴な料理の数々は魅力的。ところどころはさまれる写真がカラーだったらいいのにと思う。でも、著者の筆致が何だか自慢げ自信ありげで、精進とは逆のギラギラっとした雰囲気をそこはかとなく感じながら読んだ。

  • 子供時代に禅寺で修行していた著者が、その教えを活かし、毎月様々な料理を作る本。
    「美味しんぼ」で知った人も多いと思います(自分もその一人)。

    この本には高級料理なんて一品も出てきません。
    粗末なお惣菜ばかりです。
    けれど、どれもこれも最高に美味しそうです。

    畑で取れた旬の野菜を、手間ひまかけて丁寧に料理する。
    それがどんなに贅沢で、どんなにありがたいことか。

    作中では、以下のように書かれています。

    『出来のわるい大根を、わらう資格はぼくらにはない。
     尊重して生かせば、食膳の隅で、ぴかりと光る役割がある。
     それを引き出すのが料理というものか。』

    食材に貴賎なしということですね。
    本当の意味での「ご馳走」とは、まさにこういう事なんだと教えてくれます。

    じんと来る表現もたくさんあり、心を豊かにしてくれる一冊でした。


    ちなみに、自分が一番心惹かれたのは、次の一文です。

    『めし時になると、父は近くの山へ入り込んで、三十分くらいすると何やかや、木の葉や、キノコやをとってきてオキ火を片よせて、そこで焼いて喰った。
     弁当箱には、味噌と塩とめしが入っているだけだった。
     山へゆけば、惣菜になるものが収穫できるから、何もいらなかったのである。』

    ああ……なんて羨ましい!!

  • 映画『土を喰らう十二ヵ月』のDVDを観て(映画の料理監修が、土井善晴先生なので、ちょっと気になっていたのだ)気に入り、原作を読みたいと思った。
    元の本はけっこう昔に出版されていたらしいけれど、映画の情報が出た頃に再版されたのだと思う。
    令和3年12月10日 32刷の本。
    長く読まれているのだなと思う。

    文章のテンポがまさに映画での沢田研二さんの語り口で、いい気持ちで読み進める。
    映像も目に浮かび、またDVDを見たくなる。
    原作はエッセイなので、女性編集者との関係などのストーリーは無い。
    けれど、映画での物語は原作の雰囲気を壊していないし、おばあさんと山椒の佃煮のエピソードなどは人物の続柄を少し変えてうまく取り入れている。
    映像も、原作も良い。

    一月の食料は、雪の中から掘り出したり、貯蔵庫から乾物を取り出して料理したり、旬を喰う日の楽しみはまだ。
    春の芽吹きから、夏の収穫、秋の山のめぐみを経て、十二月、寂しい冬となり土も眠る。
    一周して戻った。人の一生のようである。

    土の恵みを採り、料理をするという作業の間、作者の脳裏にはいつも、子供の頃に寺で修行していた頃の和尚さんの言葉や思い出が浮かんでいる。
    禅寺での料理作り。それは精進の日々である。
    その時期ある物で作る、または「何もない台所から絞り出す」
    そして、精進の極意は季節を喰うところにある。
    何度も読み返したい1冊がまた増えた。

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著者プロフィール

少年時代に禅寺の侍者を体験する。立命館大学文学部中退。戦後、宇野浩二に師事する。1959(昭和34)年『霧と影』を発表し本格的な作家活動に入る。1960年『海の牙』で探偵作家クラブ賞、1961年『雁の寺』で直木賞、1971年『宇野浩二伝』で菊池寛賞、1975年『一休』で谷崎賞、1977年『寺泊』で川端賞、1983年『良寛』で毎日芸術賞を受賞する。『金閣炎上』『ブンナよ、木からおりてこい』『土を喰う日々』など著書多数。2004(平成16)年9月永眠。

「2022年 『精進百撰』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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