この文章は、瀬戸内晴美(寂聴)『比叡』、アンドレ・ジッド『狭き門』、レオン・ブロワ『貧しき女』を扱った文学概論の感想です。
私が『比叡』の授業を通して学んだことは、宗教と愛がどのように作品と関係しているのか、そして、「火」や「雪」の描写が何を意味しているのか、<男>に名前が与えられていないのはなぜか、など作品の表現を細かいところまで分析していくことの重要性だと思う。分析していくことにより作品の理解は深まるし、文学研究の上でとても大切なことを学んだ気がする。しかし、作品を読む上でとても重要な鍵となる表現があっても、自分一人だけで読んでいたら読み飛ばしてしまうのではないかと不安になった。これからは、色々な人と意見を交換し、文章の様々な表現に目を配り、注意深く作品を読んでいきたいと思う。
それから、私は出家や得度に関する知識が全くといっていいほどなかった。もしこの授業を受けていなければこれから先も知らないままだったかもしれない。出家した人たちの生き方について知ることができたし、出家しなければならないほどの理由を背負って生きている人々がこの世の中に存在するのだということも分かった。そして、「出家とは行きながらに死ぬことである」という言葉が大変印象に残った。生きている間は精一杯生き抜く強さというものを持たなければならないと感じた。出家や自ら死を選ぶような道は、自分の勝手なのかも知れないが、作品の中で幸江が悲しんでいるように、必ずそのことを悲しむ人がいる。瀬戸内晴美自身がよく言っているように、人生には笑いが必要であり、自分だけでなく、他人も悲しませないような生き方をしなければならないのではないかと思う。
また、私は授業で読解を試みた三つの作品の中で、『比叡』が一番「希望」が見出せる作品であるように思った。それは、『比叡』において他者=愛を共存させながら信仰を希求するという態度が見られるからだ。『狭き門』におけるアリサや、授業中に例として取り上げられた高橋たか子のように、神への追求のためには愛の対象である他者が妨げになってしまうという考えはどこか排他的で人間味に欠けるし、他者を愛せないようでは神を愛することもできないのではないかと感じた。私は、神を愛することと人間を愛することは同一であり、人間を愛することによって神への愛も達成されるのではないかと考える。人を愛し、「希望」が持てるような人生という道を歩んでいくことが大事なのではないだろうか。