- 本 ・本 (352ページ)
- / ISBN・EAN: 9784101144368
感想・レビュー・書評
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高橋源一郎の飛ぶ教室での追悼回にて紹介されていた本。
検索すると、電子書籍でしか出てこなかったけど、図書館での単行本にて読了。(読み続けれられ古い本の重みを感じながら)←ISBNで検索したらありましたので、本に変更登録しました(2022/7/8)
メディア等で恋多き小説家と語られていることしか知らなかったが、この本を読んで初めて離婚に至った経緯を知る。
これを読むことで寂聴さんの見方が少し変わった気がした。昔と一括りには出来ないけれど、純粋さとは・・・昔も今もより、今よりも昔は・・・か。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
77歳になった瀬戸内寂聴が過去に住んでいた場所を訪れ、自らの人生を振り返る回想記風のエッセイ。子どもの頃の記憶から始まるが、訪れる多くの場所の記憶として語られるのは、人気作家になっていく人生の過程で不倫恋愛関係にあった男たちとの関わりのこと。得度してからの奔放で自由な言論執筆活動も含め、自分の信じる道をまっすぐに進む姿が魅力的で読者や信奉者が多かった作家だったと思うけれど、こうして自分の行いや考えを書き残しておくことは、読者に対してではなく自分にとって必要なことだったのだろう。
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うーん。。。必要に迫られて読んだ、初・寂聴さん。
こんな恋愛&同棲は絶対嫌だな、、と読んでる間ずっと思った。
小田も涼太もきつい。
なんでこんな人らと一緒にいるのか。
最後の人が井上荒野の父かな。
しかし、読んでいて一番きついかったのは、
最初の夫を含めて、複数の男たちに対して
悪いのは一切がこの私なのである、というスタンス。
ウェットすぎる。やはり私には、私小説は向いてなかった。
後半、作家たちが集まり住んだアパートの件が面白かった。まるでトキワ荘だ。
しかし引っ越し好きだねえ。
出家したのはただただ生きるのが辛かったからなんだろう。
作者の記憶力には感心する。 -
朝日新聞の文学紀行の徳島で紹介された本である。徳島は母親と眉山のこととわずかの場面であり、それから東京の三鷹、野方、西荻窪、本郷などの男性と過ごしさらに小説を執筆した下宿を訪ね歩きながら、その当時のことを回想していく形式である。
文章はうまいので読んでいて飽きない。また瀬戸内寂聴についての生まれや住んだ場所がよくわかる小説である。 -
瀬戸内寂聴の小説を読むのは初めて。というか、坊さんとしてメディアに登場する彼女の姿しか知らない私にとって、彼女の小説って所から新鮮だった。たまたま私が場所研究者であり、場所をテーマにしている大学の講義のレポート課題図書を探している中で、タイトルずばりの本書に出会ったわけである。といいつつも、映画好きの私は今年、小説家としての寂聴さんに出会っている。それは『夏の終り』という作品が満島ひかり主演で映画化されたからだ。しかも、この映画の原作もあの寂聴さんの実体験をもとにしているというのは私にとってちょっとした衝撃だった。
そんな縁もあり、本書を課題図書に決め、早速読み始めた。本書には下記14の章があり、それぞれ実在する場所の名前をタイトルにしている。本書は彼女自身の遍歴を再訪し、当時の記憶と現在の場所の変貌を書き綴った作品。
南山
多々羅川
中洲港
眉山
名古屋駅
油小路三条
三鷹下連雀
塔ノ沢
西荻窪
野方
練馬高松町
目白関口台町
中野本町通
本郷壱岐坂
と書きつつも、荒川洋治なる人物による巻末の開設には「『場所』に登場する「私」は、瀬戸内寂聴(晴美)その人と思われる。」と書かれており、実話とは断言していない。作品中にも「ウソ」と「ホント」の堺について、作家の情夫との会話が登場する。本作においても事実か創作かを議論することは意味がない。そもそも、彼女はノンフィクション作家ではなく小説家なのだから。
前半の地名は徳島県を中心としている。四国の地理感に疎いことと、話が戦中戦後の話なので、ちょっと読みにくい。主人公は戦中にお見合い結婚し、北京に渡り長女を産む。戦後帰国したものの、不在がちな夫に代わって、夫の教え子でもあった年下の男性に恋をし、夫に告白する。そのまま離婚はせずに上京するが、何度かその男に会うために家出をする。その男の名は「涼太」といい、映画『夏の終り』にもそのままの名前で登場するが、この小説はまさしくその関係を描いた作品。『夏の終り』ではもう一人の不倫相手として小林 薫演じる「仁」というのが登場するが、これも本書で実名で登場する人物。映画では「涼太」を綾野 剛が演じているが、やはり私が映画評で書いたように、実際は満島演じる女性の方が「涼太」よりも年上で、その三角関係にあった頃の年齢としては満島だけがちょっと若すぎる。
さて、話を勝手に進めてしまったが、私が映画を観ていたこともあるが、この三角関係が描かれるところからだんだん引き込まれるようになっていった。巻末の解説にも書かれていたように、彼女には独特の文体がある。この辺りで事実関係を確認しておくと、『夏の終り』が1962年に発表され、出家して瀬戸内寂聴になるのが1972年。つまり、彼女は坊さんになる前に小説家として有名だったのだ。そして、本書は2001年に単行本として出版されているが、その前から『新潮』で連載されていたとのこと。
上にも書いたが、本書はつまり、すでに『夏の終り』などでも小説化されている実体験をした思い出のある場所を40年以上たって再び訪れるという内容。にもかかわらず、過去を語るその書きぶりは非常に鮮明で生々しく描かれている。これこそが彼女が小説家たるゆえんであり、本書でも語られている通り、一時期は毎週雑誌にその名前が載らないことはないというほどの仕事をこなしていたのだ。
特に、彼女が登場で数多くの引越しを重ねて住んでいた場所に関する知識を私が持っているわけではないが、やはりそれなりにもっている東京の土地勘に照らし合わせると読みやすい。私の受講者がこのblogを読む可能性もあるので、肝心なことは書かないが、地理学研究の素材としても豊かな内容を有する作品でした。 -
土地が持つ記憶、思いを再生する旅。
どんなかたちにしろ一生懸命に生きてきた大切な軌跡。 -
心象表現の文章での方法で、寂聴さんよりうまい人がいるだろうか。
時間と記憶と現在の土地への彷徨。 -
「父は、徳島県との県境に近い
香川県引田町の黒羽という所在に生まれた・・・」
『場所』(瀬戸内寂聴著 新潮文庫)
瀬戸内寂聴はこの中で
父のことを「南山」に
母のことを「多々羅川」に書いている。
随筆のようでもあり、
過去の人生を「再構築」した私小説のようでもある、
不思議な空間が訪れてくる。
本人は徳島県徳島市の東大工町で
三谷家の次女として生まれた。
その後、父が瀬戸内家の養子に入ったことで
本人も三谷姓から瀬戸内姓に改姓している。
故に、瀬戸内は瀬戸内海のペンネームにあらず。
自分の親以上の年配の方が
今なお携帯小説で話題をさらうなど
阿波の女性はとても活発だ。 -
自分史の中で、エポックとなった場所を、
齢80にして訪れ、人生を再構築するかのように文字に
刻んだ私小説。
場所と時間とは切り離せないもの。
私も喚起されて、自分の‘場所’をいくつか訪れてみた。
旅としてとても面白い。
過去の場所を今旅し、見出す新しい風景。
そしてそれが、また新たな頁となって心に残ってゆく。
読みがい深い、渾身の一作。
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場所もキーワードね。
わかりました。
私も訪ねてみます。
これまで避けてきたであろう場所も。
場所もキーワードね。
わかりました。
私も訪ねてみます。
これまで避けてきたであろう場所も。
2009/05/21 -
はい。
意外な心持ちになったり、とても不思議な感じを
味わえる道行きになります。
いつかオーストラリアを再訪するのが、
一番の避...はい。
意外な心持ちになったり、とても不思議な感じを
味わえる道行きになります。
いつかオーストラリアを再訪するのが、
一番の避けてきた旅の裏返し。
できるかな・・・。2009/05/21
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瀬戸内さんが今まで生きてきた場所にまつわる話。自分の気持ちに素直に、突き動かされている姿がうらやましいというか、あこがれるというか・・・。
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瀬戸内寂聴の作品





