国盗り物語(一) (新潮文庫)

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  • Amazon.co.jp ・本 (544ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784101152042

作品紹介・あらすじ

世は戦国の初頭。松波庄九郎は妙覚寺で「智恵第一の法蓮房」と呼ばれたが、発心して還俗した。京の油商奈良屋の莫大な身代を乗っ取り、精力的かつ緻密な踏査によって、美濃ノ国を"国盗り"の拠点と定めた!戦国の革命児斎藤道三が、一介の牢人から美濃国守土岐頼芸の腹心として寵遇されるまでの若き日の策謀と活躍を、独自の史観と人間洞察によって描いた壮大な歴史物語の緒編。

感想・レビュー・書評

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  • 歴史小説家の今村翔吾氏がお薦めする一冊、さっそく購入。
    まぁなんと言っても主役の庄九郎こと斎藤道三の魅了的なキャラ。
    狙い定めたものを確実に手に入れるという、いわば策士ぶりはスゴいを通り越して極めて気持ちいい。
    頭は良いわ、武芸に通じるわ、女を口説けば必ず落とすわで、あっぱれとしか言いようがない。
    主君の土岐頼芸も頼りないキャラで、より一層庄九郎の豪傑さを浮かび上がらせているなぁ、と前編を読了。

  • 【感想】
    織田信長や豊臣秀吉、武田信玄、上杉謙信と、色んな偉大な歴史人物に溢れるこの戦国時代にて、「美濃の蝮」と称される斉藤道三にスポットが当てられた物語。
    豊臣秀吉ほどじゃないにしても、牢人という立場から一国一城の主までのし上がったこの人物は本当にバイタリティと計画性に富んだ人物なのだなと読んでいて思った。

    「国主になりたい」という思いを元に一歩ずつのし上がり、智恵と策略を持って名前の変化と共に自身もステップアップしていく様は、読んでいて本当に面白く、胸のすく思いがする。
    スペックの高さもあるんだろうが、「人事を尽くして天命を待つ」この姿勢は、本当に見習わなくてはいけない。

    2巻で斉藤道三編も終わりか・・・寂しいな。



    【あらすじ】
    世は戦国の初頭。
    松波庄九郎は妙覚寺で「智恵第一の法蓮房」と呼ばれたが、発心して還俗した。
    京の油商奈良屋の莫大な身代を乗っ取り、精力的かつ緻密な踏査によって、美濃ノ国を“国盗り”の拠点と定めた!
    戦国の革命児斎藤道三が、一介の牢人から美濃国守土岐頼芸の腹心として寵遇されるまでの若き日の策謀と活躍を、独自の史観と人間洞察によって描いた壮大な歴史物語の緒編。


    【引用】
    「国主になりたいものだ。」と乞食はつぶやいた。
    松波庄九郎。
    智恵第一の庄九郎と呼ばれ、後に戦国諸大名を震えあがらせた斎藤道三の若い頃である。


    p26
    (いっぺんに天下は取れぬ。千里の道も一歩からだという。まず奈良屋の巨富を狙うことだ。)
    庄九郎は文学をきわめ、兵書に通じ、武芸は神妙に達し、舞・音楽をやらせれば公家も及ばない。
    これほどの才気体力があるにせよ、まずは神妙にしていた。


    p55
    「俺には志がある。余計な女は抱かぬ。抱けと言われても抱かぬ。そこもと、思い上がって侮蔑したゆえ、打擲を加えた。」

    たった一度、女の秘所に触れただけで、これだけの徒労をした。
    女とは、男にとってどういう存在なのだろう。
    (女は魔道じゃな。)
    が、10歩も歩かぬうちに、庄九郎は小宰相のことは忘れてしまった。


    p95
    百もお万阿の思案を見抜いている。
    「狐であろう」といったのは、庄九郎の軍略である。
    そう決めつければ、身代大事のお万阿は「奈良屋の後家」という束縛から解放される。
    (後腐れない淫楽ができると思い、裸か身になってわがひざに折崩れるであろう。)


    p163
    「さてさて商いとは不自由なものよ。」
    やはり武将になることだ。
    一国一天下をとって、社寺からかような愚権を奪い、楽市楽座をしてしまわねば世が繁盛せぬ。


    p180
    「真の英雄」である斎藤道三は、エジプトの穴掘りどもには及ばずとも、日本人としては珍しく「計画」があった。
    奈良屋の養子からたくみにすりかわって「山崎屋庄九郎」になりすましてしまったことは、重大なことである。
    店もそのまま。
    商売道具もそのまま。
    手代、売り子もそのまま。
    屋号だけが奈良屋でなくなり、山崎屋になってしまった。


    p194
    日本史上、足利幕府ほど愚劣、悪徳な政府はないであろう。
    庄九郎のような京の町人にとっては、これほど有害な存在はない。

    「わしは、国を盗りにゆく。」
    「一国を奪ってその兵力を用い、四隣を併合しつつ、やがては百万の軍勢を整えて京へ押し登り、将軍を追って天下を樹立する。」


    p198
    庄九郎は策略の多い人間だが、その都度その都度、心に濃烈な真実を込めていた。
    ただ、濃烈な真実は、次の瞬間には色が変ずるという虚しさも知っている。


    p233
    まだ来ぬ、というのは、美濃の実力者長井利隆からの使いがである。
    来ぬとあれば、長井が庄九郎をよほど警戒したか、それともこの国の貴族社会に紹介するに足りぬ人物とみたか、どちらかである。

    (待つことさ。)

    庄九郎の処世観では、世の中は「やる」と「待つ」の二つしかない。
    待つということも重要な行動なのである。

  • 一介の油売りから身を起し美濃一国を手に入れた「斎藤道三」とご存知「織田信長」の物語。特に斉藤道三の方が面白い。あらゆる手を使って成り上がっていくところが逞しい。

  • 斎藤道三という名前は聞き覚えがあったが、具体的な人物像は知らないままであった。

    アニメ、ラノベが流行り始めた辺りから日本史の戦国時代を対象としたものが広がり始め、ゲームとしても確立されているため、人物としての名前は知っていてもふんわりとしたものしから知らなかった。

    司馬遼太郎の作品は人、それを取り巻く時代の流れを丁寧な描きと共に読むことができるため、物語として純粋に楽しむだけでなく勉強としても読むことができるのではないか。
    (実際学生時代『項羽と劉邦』を課題図書として読んだ、、、)

  • 斎藤道三さんの成りあがりっぷりを描いた歴史小説。
    道三さんの冷静さと行動力、そして何よりも知識の豊富さが単なる成りあがりじゃないんだな~と思いました。

    人間ってものをキレイごとじゃなくリアルで知っていて、相手を内心バカにしながらも自分の糧として自分の心を抑えて相手の懐に入る潔さがスゴイな。

  • 幕末に少し飽きたので戦国時代へ。
    織田信長を読もうと思ったのが、ちょっと前から読んだ方が
    理解できるかなと…この本に行き着いた。
    斎藤道三の話ですが…こりゃー面白い。
    楽市楽座って信長が初めて行ったと思っていたが違った。

  • 司馬遼太郎先生の戦国四部作の初作。他の三作品は既に読了したので、残すは本作品だけである。本来は、国盗り物語→新史太閤記→関ヶ原→城塞の順に読むべきなのだが、新史太閤記から読み始めてしまったため、順番が狂ってしまったのだ。まあいい、私の得意な時代だから、頭が混乱することもないだろうと気を取り直して読み始めた。
    単純に面白い。要因は二つ。
    一つは、サクセスストーリーが痛快であるのだ。僧侶から京の油商人になり、そして美濃一国を分捕ってしまう話の展開は分かり易くて楽しい。まるで「わらしべ長者」のようである。この点、新史太閤記で描かれている豊臣秀吉の話と共通するところである。
    もう一つは、舞台が私の故郷、岐阜(美濃地方)であること。所々に出てくる場所は馴染みがあり、「あの辺で仕掛けたのか」「あそこに城があったとは…」など新鮮な思いで故郷を振り返ることが出来るのだ。

    以下に、興味深かった記述を引用したい。

    ・庄九郎が美濃を選んだのは天才的な眼識といっていい。美濃に天下分け目の戦いが行われたのは、古くは壬申の乱、のちには関ヶ原の戦いがある。徳川時代は美濃に大大名をおかず、この国を制せられることをおそれ、一国のうち11万7千石を直轄領とし、残りを大名、旗本に細切れに分割して互いに牽制させた。それほどの領国である。
    →我が故郷をそう表現されると気分がいいものだ。土地は肥沃だし、京に近く、東海道、東山道など様々な街道が出ており要衝の地なのである。

    ・庄九郎よりもやや後年に出た黒田官兵衛如水の先祖は、一時、この備前福岡の市に居ついていた。黒田家が筑前一国に封ぜられ、博多の西方に築城したとき、先祖にゆかりの備前福岡の地名をとって「福岡」と名付けた。今の福岡市がそれである。
    →こうした由来話は私は大好きである。福岡がもともと岡山県にあってそれが派生したとは驚きである。果たして、このトリビア、福岡県民の何割の人が知っているのだろうか。

    ・庄九郎は売り子の悪徳を見つけた。売り子は油をマスで計って客の壺にいれてやるのだが、最後に一滴をたくみにマスの中に残すが商い上手とされた。その一滴ずつをためておいて、自分が着服するのである。一日溜まると馬鹿にならぬ量になる。庄九郎は「それはならん。一滴残らず客のものである」と厳しく禁じた。「奈良屋の商法に嘘があってはならぬ。マスから壺へは客の手で移させよ。奈良屋の商法はこれじゃ、と言えば客も喜ぶだろう」
    →現代でも通じる商法である。私も飲食店で食事をしたとき、似たような経験があった。「ちゃんと全部よそえよ!」と腹正しさが生ずることもあるのだ。これをきっちりやる店、セコさのない店は信頼できる。

    ・「絵具でございますな。旦那様がおかきになりまするか」「いや、わしは浮世に絵をかくのだ。絹の上に絵などをかいている暇はない」
    →小姓の杉丸に問われて返した言葉。「浮世に絵をかく」・・・。ロマン溢れる表現!(笑)。

    ・旧家というのは、迷信の因習が累積してそのあくのなかで人が育つ。ろくな者ができるはずがない。
    →合理主義的価値観を持つ司馬氏ならでは論理である。もちろん、本作品の主人公:庄九郎も合理主義者である。

  • 緻密な計画に大胆な野望。本巻は、牢人であった松波庄九郎(後の斎藤道三)が様々な手法を用いて次々に身分を乗っ取っていく様を、スピード感ある文章で描き出している。如何なる人物を相手にしても物怖じせず相手の心を掴んでいく過程は、世渡りの上手さを物語っているなと思った。根拠のない自信は何処から湧いてくるのか。庄九郎という人物の人生観に強く興味をそそられた。司馬遼太郎の小説は幕末だけでなく戦国時代も面白い。ここから更にどのような道を辿ってのし上がっていくのかが気になり、次巻も期待の気持ちがいっぱいである。

  • 数多の権謀術数で、戦国の世でのし上がっていく【斎藤道三】の物語の前編。日蓮宗の坊主の野望、京の油商人、美濃の国盗りへと、人も舞台も目まぐるしい展開で語られる、大人向けの痛快歴史小説。

  • 【知識・度胸】
    小説です。
    おもしろい。

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著者プロフィール

司馬遼太郎(1923-1996)小説家。作家。評論家。大阪市生れ。大阪外語学校蒙古語科卒。産経新聞文化部に勤めていた1960(昭和35)年、『梟の城』で直木賞受賞。以後、歴史小説を次々に発表。1966年に『竜馬がゆく』『国盗り物語』で菊池寛賞受賞。ほかの受賞作も多数。1993(平成5)年に文化勲章受章。“司馬史観”とよばれ独自の歴史の見方が大きな影響を及ぼした。『街道をゆく』の連載半ばで急逝。享年72。『司馬遼太郎全集』(全68巻)がある。

「2020年 『シベリア記 遙かなる旅の原点』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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