- 本 ・本 (544ページ)
- / ISBN・EAN: 9784101152066
感想・レビュー・書評
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さすが明智光秀と言いたくなるような、智略に長けた処世術がキラリと光り、諦めずに美濃を落とすために苦戦する織田信長。
斎藤道三は死んだけど、その息子もなかなかの、やり手やのう。
信長への光秀の思いは日に日に増していくが、いつどんなタイミングで2人は侍従関係に結びついていくのか、第4巻が楽しみでしょうがない。
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【感想】
1~2巻から続く斉藤道三編の終結、3巻からは道三の種である織田信長と明智光秀を中心に物語は進んでいく。
天才とは言え、予め地盤がある信長と、それと比べて徒手空拳で苦汁を舐めながら流浪の身でのし上がって行く光秀。
こんなところから、本能寺の変の序曲は流れていたのだなーと読んでいて思った。
斉藤道三をはじめ魅力的なキャラクターがあふれるこの時代だが、終盤から頭角を現してきた木下藤吉郎にやはり目がいく。
目立ちすぎず、能力をひけらかすこともせず、悪く言えばゴマをすってのし上がって行くその処世術は、現代でも非常に有効活用できるものだなぁ。
勿論、秀吉の工夫や細心あっての話だけども、「能ある鷹は爪を隠す」というか、そのあたりの生き方は参考になった。
「太閤記」も早く読みたいな。
【あらすじ】
美濃を征服した斉藤道三は義理の子義竜の反乱に倒れたが、自らの天下統一の夢を女婿織田信長に託していた。
今川義元を奇襲して鋭鋒を示した信長は、義父道三の仇を打つべく、賢臣木下藤吉郎、竹中半兵衛の智略を得て美濃を攻略した。
上洛を志す信長はさらに畿内制覇の準備工作を進めてゆく…。
信長の革命的戦術と人間操縦、その強烈な野性を、智将明智光秀を配して描く怒涛編。
【内容まとめ】
1.道三は実は怒りっぽい。しかし思慮のほうがはるかに深い。
その怒りを腹中深く沈め、思慮をかさねた挙句、それを他のものに転換してしまう。
蝮といわれる所以だろう。
2.俺の生涯で、こんなばかげた瞬間をもとうとは思わなかった。
義竜は躍起になって兵を募るだろう。それはたれの兵か、みなおれの兵ではないか。
義竜は城にこもるだろう、その稲葉山城というのもおれが智能をしぼり財力をかたむけて築いたおれの城ではないか。
しかも敵の義竜自身、もっともばかげたことに、あれはおれの子だ。
胤(たね)はちがうとはいえ、おれが子として育て、おれが国主の位置をゆずってやった男だ。
なにもかもおれはおれの所有物といくさをしようとしている。
おれほど利口な男が、これほどばかな目にあわされることがあってよいものだろうか。
3.人智のかぎりをつくした美濃経営という策謀と芸術が、なんの智恵も要らぬ男女の交接、受胎、出産という生物的結果のために崩れ去った。
4.(来る年も来る年もこのように歩き続けて、ついにおれはどうなるのだろうか。)
ふと空しさを覚えぬこともない。人の一生というのは、ときに襲ってくるそういう虚無との戦いといってもいい。
5.(信長は、うらやましい男だ。)
人間、志をたてる場合に、光秀のように徒手空拳の分際の者と、信長のように最初から地盤のある者とでは、たいそうな違いだ。
光秀は、自分の能力が信長よりもはるかにすぐれていることを、うぬぼれでなく信じきっている。
しかし、徒手空拳の身では如何ともしがたい。
道三ほどの男ですら、あれだけの才幹・努力・悪謀をふるってさえ、美濃一国をとるのに生涯かかった。
6.秀吉の処世術
秀吉は慣れている。抜け目がなく、稲葉城を攻略する工夫はついている。
ついているどころか、この男はすでに手を打っていた。
秀吉の細心はそれだけではない。
あまり独断を用いると、信長の嫉妬を買うことも知っている。
信長が天才であることを知り抜いているため、才能というものは才能をときに嫉み、警戒するということも心得ている。
信長に「これこれの思案がございますが、その実施にはどうすればよろしゅうございましょう?」
と、むしろ信長から智恵を拝借するという形で言及する。
秀吉は才気をほめられるより、その精励ぶりをほめられるのが狙いなのである。
【引用】
おかしな若君だった。
幼名は吉法師、名乗りは信長という立派な呼称がありながら、どちらも気に入らず、自分で「三助」という名前を勝手につけていた。
p137
道三は、60を過ぎてめっきりと老いこんだ。
痩せた。
皮膚の衰えが尋常でなく、からだの深い場所に病気を持ち始めているのではないかと思われる色つやの悪さであった。
そのくせ、大きな眼だけが、やや黄味をおびてぎょろぎょろと動くのである。
p146
「稲葉山の仇討」
この怒りをどう表現すべきか、道三は思案をしていた。
庄九郎といっていた若い頃から道三は、ほとんど怒りというものを他人にみせたことがなかった。
かといって、その性情が温和である、というわけではない。
この男は実は怒りっぽい。しかし思慮のほうがはるかに深い。
その怒りを腹中深く沈め、思慮をかさねた挙句、それを他のものに転換してしまう。
蝮といわれる所以だろう。
p164
(あの馬鹿めを、みくびりすぎた。この俺ともあろう者が…)
呆然と道三は馬をうたせてゆく。その顔はハマグリのように無表情だった。
無理もなかった。義竜ごときを相手に、という馬鹿馬鹿しさが、考えよりもまず先立ってしまうのである。
俺の生涯で、こんなばかげた瞬間をもとうとは思わなかった。
義竜は躍起になって兵を募るだろう。
それはたれの兵か、みなおれの兵ではないか。
義竜は城にこもるだろう、その稲葉山城というのもおれが智能をしぼり財力をかたむけて築いたおれの城ではないか。
しかも敵の義竜自身、もっともばかげたことに、あれはおれの子だ。
胤(たね)はちがうとはいえ、おれが子として育て、おれが国主の位置をゆずってやった男だ。
なにもかもおれはおれの所有物といくさをしようとしている。
おれほど利口な男が、これほどばかな目にあわされることがあってよいものだろうか。
(すべては、おれの心に頼芸への憐憫があったからだろう。その憐憫というやつが、おれの計算と奇術をあやまらせた。)
ばかげている、と思った。
人智のかぎりをつくした美濃経営という策謀と芸術が、なんの智恵も要らぬ男女の交接、受胎、出産という生物的結果のために崩れ去ろうとは。
p274
後世、今川氏と織田氏の決戦の場を「桶狭間」と言いならわしているが、地理を正確に言えば「田楽狭間」である。
桶狭間は1キロ半南方にある部落で、この戦いとは直接関係ない。
p292
光秀
(今川義元は田楽狭間で落命した。東海の政情はがらりと変わった。おれの構想も修正を加えねばならぬのだろう)
(来る年も来る年もこのように歩き続けて、ついにおれはどうなるのだろうか。)
ふと空しさを覚えぬこともない。人の一生というのは、ときに襲ってくるそういう虚無との戦いといってもいい。
p367
・永禄八年の事件
将軍義輝が、松永久秀の手で殺された。
「禅正殿」と通称されている、斎藤道三にならぶ悪人の代表。
強大な軍隊を持つ上に、智謀すぐれ、海千山千といった外交能力をもち、近畿のどの大名よりも戦がうまい。
文書にあかるく、風雅の道も心得ているため、京の公家や堺の富商とも格別の付き合いを持つ。
p377
義輝は、もはや1匹の殺人鬼と化した。
腕はある。死は覚悟している。
征夷大将軍の身でみずから剣闘をした男は、鎌倉から明治維新にいたるまで、この義輝のほかはなかったであろう。
足を払われ転んだところ、最期は上から杉戸をかぶされて自由を奪われ、その隙間から槍を突き入れられて殺された。
光秀は自分の運の悪さに暗澹とした。
朝倉家で占めている特異な位置といえば、義輝将軍の知遇を得ている事だけであったからだ。
p417
ついに美濃を陥した信長を想って。
(信長は恵まれている。父親の死とともに尾張半国の領土と織田軍団を引き継いだ。それさえあれば、あとは能力次第でどんな野望も遂げられぬということはない)
うらやましい男だ。
人間、志をたてる場合に、光秀のように徒手空拳の分際の者と、信長のように最初から地盤のある者とでは、たいそうな違いだ。
光秀は、自分の能力が信長よりもはるかにすぐれていることを、うぬぼれでなく信じきっている。
しかし、徒手空拳の身では如何ともしがたい。
道三ほどの男ですら、あれだけの才幹・努力・悪謀をふるってさえ、美濃一国をとるのに生涯かかった。
p448
信長はほとんど前置きを言わない。
よほど機敏な頭脳とかんをもった男でなければ、この男の家来にはなれない。
秀吉は慣れている。
秀吉は抜け目がなく、稲葉城を攻略する工夫はついている。
ついているどころか、この男はすでに手を打っていた。
秀吉の細心はそれだけではない。
あまり独断を用いると、信長の嫉妬を買うことも知っている。
信長が天才であることを知り抜いているため、才能というものは才能をときに嫉み、警戒するということも心得ている。
「工夫」についても、信長に「これこれの思案がございますが、その実施にはどうすればよろしゅうございましょう?」と、むしろ信長から智恵を拝借するという形で言及する。
信長は勿論喜んで指示をした。
秀吉は才気をほめられるより、その精励ぶりをほめられるのが狙いなのである。 -
一条谷朝氏遺跡に行ってみたい。
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本作は道三の愛弟子である信長と光秀を対照的に描き、乱世を気迫ある文章で書き出している。織田信長編になり道三から次世代へと語り手が変わっていくが、全体的には光秀目線で進んでいく事が多かった。光秀というと本能寺の変のイメージが強く裏切り者という印象を受けていたが、情に厚く将軍家の再興の為に奔走する姿は精悍さが感じられる。なぜ謀反を起こすに至ったのか釈然としない思いがあるが、善と悪の線引きが難しい時代だからこそ、行動に至るまでの気持ちの変化を丁寧に見据え考察していきたい。
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美濃を治めた斎藤道三は、義竜(義理の子)の謀反により戦陣の露となり、波乱の生涯を閉じた。道三が目を掛けた二人の若武者が、明智光秀と織田信長であったことは、奇遇であり皮肉な巡り合わせである。二人の境遇に大きな隔たりがあったにせよ、戦乱の世の武家社会で切磋琢磨しながらの生き様に心打たれる。“人間五十年 化転(けてん)の内にくらぶれば 夢幻しのごとくなり” と「敦盛」を舞う信長の姿が、時空を超えて妖しく蘇る【司馬遼太郎】の世界を堪能できる。
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【いちぶん】
おれは美濃を織田信長にゆずろうとおもうのさ。美濃を制する者は天下を制する、とおれは思っている。(中略)あの男なら、きっとやるだろう。 -
来た来た信長、来た来た光秀。道三の最後は哀れといえば哀れだがこれも戦国の習いとていたしかたないのだろう。つくづく戦国時代に生まれなくてよかったと思います。
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【異端集団】
小説です。
明智光秀もおもしろそうです。 -
国盗り物語、いよいよ後半戦である。主人公は前2巻の斎藤道三から、織田信長&明智光秀へとバトンタッチしていく。本作品では信長と光秀をあくまで道三の弟子同士のライバルとして描いている点が特徴的である。特に、光秀の信長への意識がかなり強い。この点が、本作品のフィナーレである本能寺の変への伏線となっており読者の気持ちを盛りたてていくのだ。
今回も以下に、興味深かった記述を引用したい。
・「城中、何百の人間が駆けまわって葬儀の支度ばかりしている。僧侶を何百何千人呼び、供華を山ほどに飾っても父(信秀)の生命は蘇らぬ。古来、何億の人が死んだが、いかに葬式をしても一人も蘇ったものはないわ。だから無駄じゃというのじゃ。何の役にもならぬものに熱中し、寺に駆け入り、坊主を呼び、経をあげさせてぽろぽろと涙をこぼしおる。世の人間ほど阿呆なものはない」
・「馬鹿め、人の世はもともと、不吉なことだらけだ。人の世が吉であれかしと祈っている世間の者こそ、よっぽど変人だ」
→信長の、妻:濃姫に対する言である。この一文で信長が観念論を否定し唯物論を主張している点が読み取れる。私が信長を好きな理由はこんな点にあるかも知れない。
・「よいか、そちはいくさで偵察にいく。敵のむらがっている様子を見て、そちはとんで帰ってきて『敵が大勢むらがっておりまする』と報告する。ただ大勢では分からぬ。そういう時は『侍が何十人、足軽が何百人』という報告をすべきだ」
→信長が家臣に指示した言葉。これは現代の仕事にも言える。具体的な数字を絶えず意識して判断しなければいけない。「来客者が多かった」「請求書が山ほど溜まっている」などというよりも、その中身の数字を把握すべきなのだ。
・「むずかしい大将じゃと人は言うが、なんの一つ鍵がある。この大将を好いて好いて好きまくって、その方角からのみひとすじにあたっていけば、以外に人情脆いところがある」
→信長の家臣:佐久間七郎左が信長を評した言葉。苦手な上司などと関わりを持たねばならない場合、こんな接し方、攻め方もあるのだ。
・「くだらぬ双六だったと思うか。人の世はたいていそんなものさ。途中、おもしろい眺めが見られただけでも儲け物だったと思え」
→道三晩年の言葉である。虚無感の中にあって実利的な、道三らしい人生観である。
・「ともかく若い間は行動することだ。めったやたらと行動しているうちに機会というものはつかめる」
→道三が光秀に語った言葉。行動の大切さが凝縮された言である。 -
名前が道三に変わって、私たちの大好きな庄九郎とは別人に思えるけれど、道三の最期には泣きました。
蝮を連れて帰る、という信長のひとことが素敵すぎる。
光秀は、うーん、あんまし面白くない。
そら失敗するさ、くらいで。
半兵衛は面白い。
庄九郎はチェーザレ、信長はナポレオンと比較しているところも独創的でいいですね。
次が最終巻です。
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