新史太閤記 (上) (新潮文庫)

  • 新潮社 (1973年5月29日発売)
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本 ・本 (560ページ) / ISBN・EAN: 9784101152103

感想・レビュー・書評

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  • 上巻は秀吉の幼い頃からはじまり、「猿、猿」と呼ばれながら、どんどん頭角をあらわしていく様子が描かれています。

    信長と秀吉のやりとりの面白さ(お互いの腹の探り合い)が際立っていました。秀吉が信長に仕え始めたころなんて、かなり激しいコントのよう!自分の出自や容姿へのコンプレックスも、生きる強さに変えてしまう秀吉に圧倒されてしまいます。親ガチャという言葉がありますが、秀吉が知ったら一喝されそうです。苦労人ゆえの人間味ある人物像が、これでもかというほど描かれていました。

    秀吉は、出会う人々の良さを見抜き、しかも良いものを盗みとることの才能が卓越していると思いました。信長は、やはり怖いなあという感じです。司馬遼太郎さんの『秀吉愛』を感じました。

  • 豊臣秀吉のやり手感が凄いです。人たらしで憎めない1面もあったり、天下を取る人はやはり魅力があるのですね。

  • 歴史小説の大家による太閤記。多分当時で地頭が1番良い人。徒手空拳から大成功を収めた人となると北条早雲、斎藤道三辺りが有名だが早雲は良い家柄の人で道三は親子2代の話なので本当の無名から成り上がったのはこの人のみとなる。
    商人の発想で武士の世界に入り信長に殴られながらも真意を読み取りその時に出せる最善の行動を取るという小説とはいえ恐るべき人物である。ただ陽気なだけでなく心の暗部も描写されているのは良かった。山田風太郎先生の『妖説太閤記』と異なり王道的な雰囲気だが単なる礼賛記にしていないのは共通しているように思う。

  • 豊臣秀吉の逸話と言えば色々あるが、それを凝縮して描かれている。国盗り物語などとを読むと、順番はどちらでもよいが、知識や内容が繋がり初めて余計に面白い。

    農民の出など色々とあるが、このように分かりやすく、読みやすい物語となると歴史がより一層面白く感じるのではないか。

  • 【感想】
    天下人・豊臣秀吉の人物史。
    豊臣秀吉の生き方は、現代でも十分に通用する処世術だと思う。

    愛嬌があり、人に可愛がられやすい。
    敵を作らない。
    人が嫌がることを率先して行なう。
    長期的な視野を持ち、見返りを求めない。

    もちろん秀吉はただのバカではないし、また都合のいいだけの人間ではなく、先を見据えて日々生きている。
    言動ひとつとっても充分に頭の中で考えた上で慎重に行いつつ、その雰囲気を周りに気づかせない。
    古今東西、自分の意見を通すことに必死な人間が多い中、「猿」の処世術は遅咲きになるだろうが、必須なテクニックであると思う。

    物語の終盤で、合理・完璧主義の信長と猿の差が如実に表れていき、信長の限界に猿自身が気づく場面があった。
    人は理屈だけでは動かない。
    入念な準備と、愛嬌と、柔和さなどを持ち合わせて行動する大切さに気付いた1冊でした。


    【あらすじ】
    日本史上、もっとも巧みに人の心を捉えた“人蕩し"の天才、豊臣秀吉。
    生れながらの猿面を人間的魅力に転じ、見事な演出力で次々に名将たちを統合し、ついに日本六十余州を制覇した英雄の生涯を描く歴史長編。
    古来、幾多の人々に読みつがれ、日本人の夢とロマンを育んできた物語を、冷徹な史眼と新鮮な感覚によって今日の社会に甦らせたもっとも現代的な太閤記である。


    【内容まとめ】
    1.尾張の地形による国民性
    道路が多く、水路も多い。自然の勢いで商業が発達してゆく。
    また、地勢的に商売しやすいため、人間が利にさとくなり、投機的になる。

    2.猿は、恩賞において侍ではなく商人である。
    新恩を頂戴して信長に損をかけた以上、敵地を少なくとも千貫は切り取り、信長の出費をゼロにしつつ頂いた500貫分を信長に儲けさせなければならぬ。
    信長から禄という資本(もとで)を借り、その資本によって信長を儲けさせることのみ考え続けた。

    3.「わしは人を裏切りませぬ。人に酷うはしませぬ。この二つだけがこの小男の取り柄でございますよ。」
    猿は人懐っこく、かつ信義にあつい。
    人懐っこさと信義のあつさは猿の魅力であり、最も重要な特徴である。
    もし猿に人懐っこさと信義のあつさがなければ、おそるべき策略・詐欺・陰謀の悪漢になったであろう。
    ところがそれらの悪才を猿は、その天性の明るさと信義の厚さという二点の持ち前を持って、物の見事に美質に転換させていた。

    4.「智恵がある者は心術がつねに清々しくあらねばならぬと常々自分に言い聞かせている。俺には毒気がないぜ」
    猿は自戒していた。一歩誤らぬために猿にはタブーがあった。家中の侍の批評をしないことである。

    5.人々は猿が信長をあやすと嫉んだが、あやしているつもりなどない。
    信長は史上類を見ないほどに人間に騙されない男であった。
    猿は騙すあやすの手を用いているつもりはなく、ただ心魂をこめて信長のよき道具になろうとしているにすぎなかった。
    また、それ以外の雑念がなさそうなことを、誰よりも信長が見抜いていた。

    猿が天下に対し別念を起こすに至るのは、信長の死後のことである。


    【引用】
    p13
    三河には、徳川家康とその家臣団の気風で代表されるような「三河気質」というものがある。
    極端な農民型で、農民の美質と欠点を持っている。
    律儀で篤実で義理にあつく、戦場では労をおしまず命をおしまず働く。
    着実ではあるが、逆に言えば、投機がきらいで開放的ではなく冒険心に乏しい。印象としては陽気さがない。

    が、隣国の尾張はまるで違う。地形が違うのである。
    道路が多く、水路も多い。自然の勢いで商業が発達してゆく。
    また、地勢的に商売しやすいため、人間が利にさとくなり、投機的になる。


    p62
    「猿殿は、なにになりたいの?」
    「何にでもよい。俺の夢は、いつでも腰の袋に永楽銭が二十枚も入っていて、友だちが飲みたいといえば即座に振舞ってやり、食いたいといえば躊躇いなく奢ってやれる身分になりたいことだ」
    「つらつら思うに…人に奢ってやるほどの快事はないような気がする」


    p178
    猿は、いかに美人であっても自分と同列の家の娘やそれ以下の階級の娘には何の魅力も感じない。
    この心情は、猿の出生の卑しさに繋がるであろう。
    加えて猿の向上心の激しさや、憧憬心の強さをも表していた。


    p212
    「殿様に御損をかけた。倍の千貫は稼ぎ取らねばならぬ」
    侍の常識から見れば、ひどく滑稽な思想であった。
    普通の家士なら、功名をたてて禄を得ればそれだけで侍の名誉をあげたとして自足するところであり、そういうことで主従関係は成立している。

    しかし猿は、この点において侍ではなく商人である。
    新恩を頂戴して信長に損をかけた以上、敵地を少なくとも千貫は切り取り、信長の出費をゼロにしつつ頂いた500貫分を信長に儲けさせなければならぬ。

    猿は信長から禄という資本(もとで)を借り、その資本によって信長を儲けさせることのみ考え続けた。


    p226
    ・竹中半兵衛との面談にて
    信長が英雄であるかどうかはわからない。
    ただ信長は、おそろしく仕事好きで、家来についても仕事をする者のみを好み、家来を愛憎したりすることをせぬ。
    能ある者を好み、その好む度合いは馬を愛するよりも甚だしい。


    「私は信長を嫌っている。足下は信長が士を愛するといわれるが、あの態度は愛するというより士を使っているだけだ。」
    「貴殿ほどのお人のお言葉とは思えませぬ。愛するとは、使われることではござらぬか?」

    なるほど、そうであろう。
    士が愛されるということは、自分の能力や誠実を認められることであろう。
    理解されて酷使されるとことに、士の喜びがあるように思える。


    p257
    「わしは人を裏切りませぬ。人に酷うはしませぬ。この二つだけがこの小男の取り柄でございますよ。」
    猿は人懐っこく、かつ信義にあつい。
    人懐っこさと信義のあつさは猿の魅力であり、最も重要な特徴である。

    そのくせ、猿は調略の名人というべき才能の持ち主なのである。
    もし猿に人懐っこさと信義のあつさがなければ、おそるべき策略・詐欺・陰謀の悪漢になったであろう。
    ところがそれらの悪才を猿は、その天性の明るさと信義の厚さという二点の持ち前を持って、物の見事に美質に転換させていた。


    p293
    (佞臣とおれとは、きわどい差だ)
    だから、自戒していた。一歩誤らぬために猿にはタブーがあった。家中の侍の批評をしないことである。

    「智恵がある者は心術がつねに清々しくあらねばならぬと常々自分に言い聞かせている。俺には毒気がないぜ」

    単純な利家は、猿の心の朗らかさに酔ってしまい、内心感心し、あとで人にも言いふらした。
    「あの男を憎むは憎み損よ、憎めば憎むほど無邪気によろこぶわ」と。
    人も呆れ、あまり悪口を言わなくなった。


    p350
    猿は、信長を研究しぬいていた。
    信長は、部将どもが独断専行することを憎み、かつ同時に、独断専行せぬことを憎む。
    問題によっては相談せずに事を運んでしまい、問題によっては信長にしつこいほど指示を仰いでその厳重な指揮下で動く。

    人々は猿が信長をあやすと嫉んだが、あやしているつもりなどない。
    信長は史上類を見ないほどに人間に騙されない男であった。
    猿は騙すあやすの手を用いているつもりはなく、ただ心魂をこめて信長のよき道具になろうとしているにすぎなかった。

    また、それ以外の雑念がなさそうなことを、誰よりも信長が見抜いていた。
    猿が天下に対し別念を起こすに至るのは、信長の死後のことである。


    p522
    (信をうしなえば、天下が取れぬ)
    というのが、藤吉郎の持論であった。
    ただでさえ織田家の独善と功利性が不評判になっているのに、またまた悪例をつくって天下に喧伝されてしまえば、このあとどんな事態が起こるかわからない。

    そもそも、官兵衛が苦心して仕上げた播州における懐柔外交が一挙に崩れたのは、豪族たちのなかにひろがっていた織田家に対する不信感であった。

    (…これが、この)
    と、肚のなかで不逞のことを思った。
    これが信長という天才の限界ではないか、ということだ。
    この天才は戦略的功利性のみを貴しとし、重視し、心配りを常に軽視し続けている。

  • 太閤秀吉さんは明智光秀を討つまでが大好きな私にはこの上巻はたまらない展開でした。さて晩節が多少辛い展開になるかと思いますが、司馬さんはどう書くんだろう?と期待しつつ下巻に向かいます。

  • ☆☆☆2011年11月レビュー☆☆☆

    容貌醜悪、卑しい出自・・・
    コンプレックスの塊のような秀吉が
    凄まじいまでの努力と優しさによって出世してゆく『太閤記』という読み物は日本が世界に誇る文学作品だが
    本書は司馬氏が独自の『秀吉』を描く。
    各国を放浪し、苦労しながらも信長に拾われ才能を発揮。全力で仕事をこなしていく秀吉の姿に心打たれる。
    金ヶ崎の退却戦のシーンがもっとも印象に残った。
    仲間を逃がすために自ら犠牲になろうとした秀吉の覚悟の大きさを見事に描ききっていると思う。
    人たらしと言われたその力を生かし、敵をどんどん味方に引き込む彼の魅力もよく伝わってくる。
    この作品もまた、読む人に元気を与える名作。


    ★★★2019年1月★★★

    久しぶりに読んだ。
    木下藤吉郎の若い頃。
    悲惨な時代を知るがために必死に働く姿が胸を打つ。
    「奉公を商っている」
    つまり、使われるのでなく一人の個人として「奉公」というものを請け負っている。
    この姿勢は素晴らしいと思う。
    僕も一つ一つの仕事を「請け負っている」という思いで日々頑張りたいものだ。

    藤吉郎は、その悲惨な前半生にも関わらず、いつも前向きで明るい。人を殺すのを好まず、調略で戦争を片付ける。戦国時代にあって、稀有の優しさを持った男だからこそ、天下を取ることができたのだろう。

  • 勧められてなんとなく読み始めた一冊でした。テンポ良く、描写も伝わりやすくて、読んでいくうちにのめり込んでしまい、最後まで楽しめました。

    • きむさん
      私もお客さんから勧められて読んでみました。登場人物が生きていて、臨場感がありますよね
      私もお客さんから勧められて読んでみました。登場人物が生きていて、臨場感がありますよね
      2022/06/25
  • 藤吉郎(羽柴秀吉)を主人公に物乞いから信長に使える大将へと成り上がっていく戦国物語。

    出てくる登場人物が本当に濃いキャラクターばかりで戦国時代をリアルに描かれている。
    猿と呼ばれた秀吉がどんな人物であったか、
    信長の事をどれほど思っていたか、
    竹中半兵衛、黒田官兵衛、才覚ある武将を登用し、人の心を掴む人たらしという才能を思う存分発揮し、朝鮮攻略という大志を抱いて激しい時代を生き抜く様をありありと描いた大作。

    下巻への期待も込めて星4つにします。

  •  秀吉の前半生に持っていたであろう天性の明るさを十二分にまで描き、その出世していく姿に対して、小説の力で見事なまでに面白さを加味しているところに、加速度的にのめり込ませられた。
     当時としては、現代よりも当然として自身の能力よりも重要視されている家柄などのことに加えて、自身のコンプレックス(猿顔、血筋、身体能力等)をいかに単純に逆転していくかといったものでなく、あまり描き過ぎていないところがいいのかも知れない。
     それ故に人たらしは何処か納得はするものの、真似のできない、捉えどころのない秀吉自身しか有せない、個性(とでもいいのか)と浮かび上がる。
     下巻に秀吉の影がどの様に濃くなるか、気になるところではある。

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著者プロフィール

司馬遼太郎(1923-1996)小説家。作家。評論家。大阪市生れ。大阪外語学校蒙古語科卒。産経新聞文化部に勤めていた1960(昭和35)年、『梟の城』で直木賞受賞。以後、歴史小説を次々に発表。1966年に『竜馬がゆく』『国盗り物語』で菊池寛賞受賞。ほかの受賞作も多数。1993(平成5)年に文化勲章受章。“司馬史観”とよばれ独自の歴史の見方が大きな影響を及ぼした。『街道をゆく』の連載半ばで急逝。享年72。『司馬遼太郎全集』(全68巻)がある。

「2020年 『シベリア記 遙かなる旅の原点』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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