新史 太閤記(上) (新潮文庫)

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  • Amazon.co.jp ・本 (560ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784101152103

感想・レビュー・書評

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  • 豊臣秀吉の逸話と言えば色々あるが、それを凝縮して描かれている。国盗り物語などとを読むと、順番はどちらでもよいが、知識や内容が繋がり初めて余計に面白い。

    農民の出など色々とあるが、このように分かりやすく、読みやすい物語となると歴史がより一層面白く感じるのではないか。

  • 【感想】
    天下人・豊臣秀吉の人物史。
    豊臣秀吉の生き方は、現代でも十分に通用する処世術だと思う。

    愛嬌があり、人に可愛がられやすい。
    敵を作らない。
    人が嫌がることを率先して行なう。
    長期的な視野を持ち、見返りを求めない。

    もちろん秀吉はただのバカではないし、また都合のいいだけの人間ではなく、先を見据えて日々生きている。
    言動ひとつとっても充分に頭の中で考えた上で慎重に行いつつ、その雰囲気を周りに気づかせない。
    古今東西、自分の意見を通すことに必死な人間が多い中、「猿」の処世術は遅咲きになるだろうが、必須なテクニックであると思う。

    物語の終盤で、合理・完璧主義の信長と猿の差が如実に表れていき、信長の限界に猿自身が気づく場面があった。
    人は理屈だけでは動かない。
    入念な準備と、愛嬌と、柔和さなどを持ち合わせて行動する大切さに気付いた1冊でした。


    【あらすじ】
    日本史上、もっとも巧みに人の心を捉えた“人蕩し"の天才、豊臣秀吉。
    生れながらの猿面を人間的魅力に転じ、見事な演出力で次々に名将たちを統合し、ついに日本六十余州を制覇した英雄の生涯を描く歴史長編。
    古来、幾多の人々に読みつがれ、日本人の夢とロマンを育んできた物語を、冷徹な史眼と新鮮な感覚によって今日の社会に甦らせたもっとも現代的な太閤記である。


    【内容まとめ】
    1.尾張の地形による国民性
    道路が多く、水路も多い。自然の勢いで商業が発達してゆく。
    また、地勢的に商売しやすいため、人間が利にさとくなり、投機的になる。

    2.猿は、恩賞において侍ではなく商人である。
    新恩を頂戴して信長に損をかけた以上、敵地を少なくとも千貫は切り取り、信長の出費をゼロにしつつ頂いた500貫分を信長に儲けさせなければならぬ。
    信長から禄という資本(もとで)を借り、その資本によって信長を儲けさせることのみ考え続けた。

    3.「わしは人を裏切りませぬ。人に酷うはしませぬ。この二つだけがこの小男の取り柄でございますよ。」
    猿は人懐っこく、かつ信義にあつい。
    人懐っこさと信義のあつさは猿の魅力であり、最も重要な特徴である。
    もし猿に人懐っこさと信義のあつさがなければ、おそるべき策略・詐欺・陰謀の悪漢になったであろう。
    ところがそれらの悪才を猿は、その天性の明るさと信義の厚さという二点の持ち前を持って、物の見事に美質に転換させていた。

    4.「智恵がある者は心術がつねに清々しくあらねばならぬと常々自分に言い聞かせている。俺には毒気がないぜ」
    猿は自戒していた。一歩誤らぬために猿にはタブーがあった。家中の侍の批評をしないことである。

    5.人々は猿が信長をあやすと嫉んだが、あやしているつもりなどない。
    信長は史上類を見ないほどに人間に騙されない男であった。
    猿は騙すあやすの手を用いているつもりはなく、ただ心魂をこめて信長のよき道具になろうとしているにすぎなかった。
    また、それ以外の雑念がなさそうなことを、誰よりも信長が見抜いていた。

    猿が天下に対し別念を起こすに至るのは、信長の死後のことである。


    【引用】
    p13
    三河には、徳川家康とその家臣団の気風で代表されるような「三河気質」というものがある。
    極端な農民型で、農民の美質と欠点を持っている。
    律儀で篤実で義理にあつく、戦場では労をおしまず命をおしまず働く。
    着実ではあるが、逆に言えば、投機がきらいで開放的ではなく冒険心に乏しい。印象としては陽気さがない。

    が、隣国の尾張はまるで違う。地形が違うのである。
    道路が多く、水路も多い。自然の勢いで商業が発達してゆく。
    また、地勢的に商売しやすいため、人間が利にさとくなり、投機的になる。


    p62
    「猿殿は、なにになりたいの?」
    「何にでもよい。俺の夢は、いつでも腰の袋に永楽銭が二十枚も入っていて、友だちが飲みたいといえば即座に振舞ってやり、食いたいといえば躊躇いなく奢ってやれる身分になりたいことだ」
    「つらつら思うに…人に奢ってやるほどの快事はないような気がする」


    p178
    猿は、いかに美人であっても自分と同列の家の娘やそれ以下の階級の娘には何の魅力も感じない。
    この心情は、猿の出生の卑しさに繋がるであろう。
    加えて猿の向上心の激しさや、憧憬心の強さをも表していた。


    p212
    「殿様に御損をかけた。倍の千貫は稼ぎ取らねばならぬ」
    侍の常識から見れば、ひどく滑稽な思想であった。
    普通の家士なら、功名をたてて禄を得ればそれだけで侍の名誉をあげたとして自足するところであり、そういうことで主従関係は成立している。

    しかし猿は、この点において侍ではなく商人である。
    新恩を頂戴して信長に損をかけた以上、敵地を少なくとも千貫は切り取り、信長の出費をゼロにしつつ頂いた500貫分を信長に儲けさせなければならぬ。

    猿は信長から禄という資本(もとで)を借り、その資本によって信長を儲けさせることのみ考え続けた。


    p226
    ・竹中半兵衛との面談にて
    信長が英雄であるかどうかはわからない。
    ただ信長は、おそろしく仕事好きで、家来についても仕事をする者のみを好み、家来を愛憎したりすることをせぬ。
    能ある者を好み、その好む度合いは馬を愛するよりも甚だしい。


    「私は信長を嫌っている。足下は信長が士を愛するといわれるが、あの態度は愛するというより士を使っているだけだ。」
    「貴殿ほどのお人のお言葉とは思えませぬ。愛するとは、使われることではござらぬか?」

    なるほど、そうであろう。
    士が愛されるということは、自分の能力や誠実を認められることであろう。
    理解されて酷使されるとことに、士の喜びがあるように思える。


    p257
    「わしは人を裏切りませぬ。人に酷うはしませぬ。この二つだけがこの小男の取り柄でございますよ。」
    猿は人懐っこく、かつ信義にあつい。
    人懐っこさと信義のあつさは猿の魅力であり、最も重要な特徴である。

    そのくせ、猿は調略の名人というべき才能の持ち主なのである。
    もし猿に人懐っこさと信義のあつさがなければ、おそるべき策略・詐欺・陰謀の悪漢になったであろう。
    ところがそれらの悪才を猿は、その天性の明るさと信義の厚さという二点の持ち前を持って、物の見事に美質に転換させていた。


    p293
    (佞臣とおれとは、きわどい差だ)
    だから、自戒していた。一歩誤らぬために猿にはタブーがあった。家中の侍の批評をしないことである。

    「智恵がある者は心術がつねに清々しくあらねばならぬと常々自分に言い聞かせている。俺には毒気がないぜ」

    単純な利家は、猿の心の朗らかさに酔ってしまい、内心感心し、あとで人にも言いふらした。
    「あの男を憎むは憎み損よ、憎めば憎むほど無邪気によろこぶわ」と。
    人も呆れ、あまり悪口を言わなくなった。


    p350
    猿は、信長を研究しぬいていた。
    信長は、部将どもが独断専行することを憎み、かつ同時に、独断専行せぬことを憎む。
    問題によっては相談せずに事を運んでしまい、問題によっては信長にしつこいほど指示を仰いでその厳重な指揮下で動く。

    人々は猿が信長をあやすと嫉んだが、あやしているつもりなどない。
    信長は史上類を見ないほどに人間に騙されない男であった。
    猿は騙すあやすの手を用いているつもりはなく、ただ心魂をこめて信長のよき道具になろうとしているにすぎなかった。

    また、それ以外の雑念がなさそうなことを、誰よりも信長が見抜いていた。
    猿が天下に対し別念を起こすに至るのは、信長の死後のことである。


    p522
    (信をうしなえば、天下が取れぬ)
    というのが、藤吉郎の持論であった。
    ただでさえ織田家の独善と功利性が不評判になっているのに、またまた悪例をつくって天下に喧伝されてしまえば、このあとどんな事態が起こるかわからない。

    そもそも、官兵衛が苦心して仕上げた播州における懐柔外交が一挙に崩れたのは、豪族たちのなかにひろがっていた織田家に対する不信感であった。

    (…これが、この)
    と、肚のなかで不逞のことを思った。
    これが信長という天才の限界ではないか、ということだ。
    この天才は戦略的功利性のみを貴しとし、重視し、心配りを常に軽視し続けている。

  • 太閤秀吉さんは明智光秀を討つまでが大好きな私にはこの上巻はたまらない展開でした。さて晩節が多少辛い展開になるかと思いますが、司馬さんはどう書くんだろう?と期待しつつ下巻に向かいます。

  • ☆☆☆2011年11月レビュー☆☆☆

    容貌醜悪、卑しい出自・・・
    コンプレックスの塊のような秀吉が
    凄まじいまでの努力と優しさによって出世してゆく『太閤記』という読み物は日本が世界に誇る文学作品だが
    本書は司馬氏が独自の『秀吉』を描く。
    各国を放浪し、苦労しながらも信長に拾われ才能を発揮。全力で仕事をこなしていく秀吉の姿に心打たれる。
    金ヶ崎の退却戦のシーンがもっとも印象に残った。
    仲間を逃がすために自ら犠牲になろうとした秀吉の覚悟の大きさを見事に描ききっていると思う。
    人たらしと言われたその力を生かし、敵をどんどん味方に引き込む彼の魅力もよく伝わってくる。
    この作品もまた、読む人に元気を与える名作。


    ★★★2019年1月★★★

    久しぶりに読んだ。
    木下藤吉郎の若い頃。
    悲惨な時代を知るがために必死に働く姿が胸を打つ。
    「奉公を商っている」
    つまり、使われるのでなく一人の個人として「奉公」というものを請け負っている。
    この姿勢は素晴らしいと思う。
    僕も一つ一つの仕事を「請け負っている」という思いで日々頑張りたいものだ。

    藤吉郎は、その悲惨な前半生にも関わらず、いつも前向きで明るい。人を殺すのを好まず、調略で戦争を片付ける。戦国時代にあって、稀有の優しさを持った男だからこそ、天下を取ることができたのだろう。

  • 勧められてなんとなく読み始めた一冊でした。テンポ良く、描写も伝わりやすくて、読んでいくうちにのめり込んでしまい、最後まで楽しめました。

    • きむさん
      私もお客さんから勧められて読んでみました。登場人物が生きていて、臨場感がありますよね
      私もお客さんから勧められて読んでみました。登場人物が生きていて、臨場感がありますよね
      2022/06/25
  • めちゃくちゃおもしろい。(2003.1.14HPの日記より)
    戦国の命がかかっていた時代の、各人の真剣な生き様に心打たれる。真剣に生きているか、覚悟して生きているかを問われているように思う。そして秀吉のような思いやりと気概を持って生きているか、氏の傑作「俄」に続く素晴らしい教えが書かれている。(2003.1.19HPの日記より)
    ※2002.12購入@読書のすすめ
     2003.1.14読書開始
     2003.1.19読了
     4回読了

  • 小説とはいえ、あまりよくわかっていない、世に出る前の藤吉郎をそれらしく描いている箇所が面白かった。多分事実もこうだったんだろうと思わせる。そして信長の元どんどん出世するさまは、さすがの司馬節、納得感がある。

  • 文庫版。秀吉の人間味ある半生がつづられ、元気を貰える。言い回しが古く固く感じ、読みにくい漢字もあったが、人生の生き方の一助にもなりそう。天下統一までの話で、晩年の話が少なかったのが残念だった。【満足度85点】

  • 昔々の某N局の大河ドラマ、若かりし頃の緒形拳が猿を、高橋某(うる覚え)という役者が織田信長を演じたのを観たのが、最初の太閤記との出会い。草鞋取りの猿が、信長の草鞋を胸に抱いて温めておいたのを信長に認められ、信長に可愛がられるようになり、出世して天下統一する筋書きで、その草鞋のエピソードがとても印象的だったのに、この小説にはそのシーンは無い、ということを初めて知った。名シーンだった、と昔の記憶で思うけれど、人蕩しの天才と、人間であれ道具であれ、性能重視、その性能を気の済むまで試したい信長のエピソードとしては、小説のほうが流石だ。でも、テレビでは放送出来ないよなぁ、あんなシーン…。
    『毛利家の秘宝』展に行った時に、秀吉の直筆の手紙があった。学問でも美術でも才を極めている毛利家の人々の筆と違い、秀吉の文字は平仮名ばかり、文章も拙く、基礎学力の有無というのはちょっとしたことで表に出てしまうので怖い、と思う反面、それを補ってなお人の心を掴む文章の典型でもあると思った。
    司馬遼太郎は、そういった資料や実際に足を使って調べ、感じた事柄から歴史上の人物に肉付けをしていき、生き生きとした人間像を作り上げ、まるでそれが史実のように再現していくのだから、改めて凄いと思った。
    下巻に続く。

  • 言うまでもなく、戦国期にジャパニーズドリームを達成した豊臣秀吉を描いた小説である。下層階級の貧窮庶民から日本一の権力者にまで這い上がった例は秀吉をおいて他は知らない。私が好きな戦国武将の一人である。本書は父親の本棚に並んでいたものの、中々読む機会に恵まれていなかったのだが、友人のタナべっちが「処世術を学ぶには最適!」と絶賛していたため実家から拝借したものである。
    内容は…、最高に面白い。勿論、脚色された部分もあるのだろうが、秀吉の「人たらし」な面、信長の有能な部下である姿を存分に描いており、ものの考え方も大いに勉強になるものだった。

    以下に、印象に残ったフレーズを紹介したい。

    ・猿(秀吉)は分かり切ったことがあっても、「いかがつかまつりましょう」といちいち信長から知恵を仰いだ。信長はこういう猿が、たまらなく可愛い。
    →上司が気難しい信長にはこの方法が一番効くというのを知っているからであろう。上司によっては、自分自身で判断して行動することをよしとする者もいるが、信長はそうではない。部下であっても出過ぎた者が嫌いな信長の場合は、こうした手法が有効なのだろう。上司によって態度・手法を変えるというのはあながち間違いではないということだ。

    ・諸事、物よろこびの激しい男である。というより、ひとから好意を受けた時、思い切って喜ぶのがこの小男の流儀であった。
    →これは私も幼少から実践している。単なるオーバーアクションなのだが。好意を授けた側にとっては、アクションが小さいよりも大きい方が気持ちの良いものだ。もちろん、大袈裟でなく自然に、という条件付きなのだが。

    ・小僧(秀吉)は落胆した。が、絶望はしない。絶望するには小僧はあまりにも企画力に富みすぎていた。あっという間に次善の策を考えつく能力があって、ついに生涯、失望の暗さを感じたことがない。
    →これは見習いたい。絶望しても前に進まない。頭を切り替えて次なる策を考え、希望を持てば良いのだ。

    ・一貫文を路用に使えば自然になくなるが、物を商うかぎり銭は永久になくならない。
    →なるほど、経済・商売の原理というものである。秀吉は針を売り歩いて目的地に向かうのだが、その売り上げにより旅費を賄ったのだ。この点、誰かが雑誌で主張していた「住宅ローンで自宅を購入して自分でそこに住んでしまうより、賃貸アパートを購入して賃借人から家賃をとったほうが儲かる」に通ずるところがある。

    ・「われら奉公人は、旦那に得をさせるためにある。旦那にはいちずに儲けさせよ。主人に得をさせるのが自分の器量であり、誇りである。わしは奉公人根性はもたぬ。わしは奉公を商うとるのよ」
    →まさに従業員・部下の鑑である。近年は労働力の流動化により愛社精神も薄くなった現代の労働者で、会社に得をさせるためにいちずに働く者はどれだけいるだろうか。また、後段は現代に言いかえれば「わしはサラリーマン根性はもたぬ。わしは使われているのではなく、サラリーマンという商売を請け負っているのよ」となるのだろうか。いずれにせよ僻み根性のかけらもない。同じ働くならこうありたいものだ。しかし、この方向性がサービス残業などの労働者搾取に利用されてしまうという面もあるが…。

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著者プロフィール

司馬遼太郎(1923-1996)小説家。作家。評論家。大阪市生れ。大阪外語学校蒙古語科卒。産経新聞文化部に勤めていた1960(昭和35)年、『梟の城』で直木賞受賞。以後、歴史小説を次々に発表。1966年に『竜馬がゆく』『国盗り物語』で菊池寛賞受賞。ほかの受賞作も多数。1993(平成5)年に文化勲章受章。“司馬史観”とよばれ独自の歴史の見方が大きな影響を及ぼした。『街道をゆく』の連載半ばで急逝。享年72。『司馬遼太郎全集』(全68巻)がある。

「2020年 『シベリア記 遙かなる旅の原点』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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