花神 (中) (新潮文庫)

  • 新潮社 (1976年9月1日発売)
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  • 本 ・本 (512ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784101152189

感想・レビュー・書評

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  •  「維新の十傑」の1人である大村益次郎は、改名するまでの期間を村田蔵六と名乗っていた。「蔵六」という熟語は、亀が手足を甲羅の中にしまって閉じ籠る様子を指す言葉であるようだが、これほど村田蔵六という人物を的確に表す言葉は他にないだろう。攘夷思想によって殺気立つ長州藩に仕えながらも、政治活動には興味を示さず、ひたすら蘭方書を読み漁る村田蔵六という人物は、同藩の士にとっても奇怪な人物として写ったに違いない。そんな蔵六が、後に木戸孝允と名乗る桂小五郎の指名を受けて長州藩の軍事統括を担うことになる。蔵六が大村益次郎として幕軍との戦争に挑むのは本作(中巻)以降である。
     最後に、幕長戦争に臨むにあたって長州藩が作成した日本初の「革命宣言書」について。蔵六が書いた印象的な文章についてまとめておく。

    「東人(幕府)は病気だ」
    中略
    「防長(長州)は、医師である」
    以下、原文。
    「今日の事は、人身に疾病ある如く、人心は国家な 
    り。疾病は東人なり。医師は防長なり」
    「医師に任せ、すみやかに病根を御絶ち遊ばされず候
    ては、他日再発」
    「再発候節、病人、元気衰え、快気むつかしく存じ奉り候」

    医学の徒でもある蔵六らしい「革命宣言」である。

  • 尊王攘夷の大狂気に乱舞する長州藩士の「蛤御門の変」での惨敗、四カ国連合艦隊に降伏、幕府の追撃(長州征伐)が迫るなか、潰滅寸前の長州藩の雇われ学者・大村益次郎の生涯を中心に描かれた幕末歴史小説。桂小五郎の推挙により軍務大臣に抜擢された蔵六が、新式のライフル銃(ミニエ-銃)を装備した百姓兵を指揮し、圧倒的兵力を誇る幕軍と対峙する怒濤の起死回生篇。下関でのイネ(シーボルトの娘)との再会、亀山社中の坂本龍馬、井上聞多、伊藤俊輔らとの交流をとおしてみる、德川幕藩体制の崩壊目前の歴史ドラマに息をのむ!

  • 中巻。
    故郷・長州に戻った村田蔵六(大村益次郎)。ただ攘夷を掲げ天下を騒がす長州藩の特質に頁が多く割かれているため村田の登場は少ない。
    しかし、訳のわからない藩である。高杉ら奇兵隊によって上士層の保守派を破りクーデターによって藩論を尊王攘夷・討幕に変え、攘夷を叫んで下関で外国船を砲撃し、京で長州派の公家を担ぎ出して討幕運動。そこから幕府に目を付けられ、薩摩と会津によって京から追い出される。外国船砲撃の報復で四国艦隊に下関を占領され(馬関戦争)、禁門の変で薩摩と会津に敗れ長州征討が下り、あっという間に朝敵に。ぼろぼろの長州に再び幕軍が迫る。四方に敵を作り、それでも「攘夷!」と叫ぶ長州。
    その狂信さと思想性のせいで、東北諸藩からは「長州は気でも狂ったのか」といわれる始末だが、表向き攘夷を掲げても、井上聞多(のちの井上馨)と伊藤俊輔(のちの伊藤博文)ら若者5人を欧米に留学(という密航)させたしたたかさと、身分に関係なく農民・町民から兵を作りあげた柔軟さは、やはり封建社会のなかでは特異な藩だったようで。

    で、桂小五郎というバランス感覚に優れた政治家の推挙で藩の軍務大臣に抜擢される村田蔵六。
    蘭学で培った語学力を生かし、海外の兵学書で学んだ洋式軍事をもとに農民・町人たちに洋式銃を持たせ教練し、四方から長州に押し寄せる幕軍と対峙させる(四境戦争)。これに村田は勝っちゃうから凄いよね。
    もちろん徳川の泰平の世で幕府側の武士が弱かったこともあるが、洋式銃の威力と村田の戦術が功を奏して幕軍を打ち破るところに、大村益次郎の天性の軍事的才能があるというのが司馬の評価。
    軍事の才能は努力でどうにもならず天性のものというが、カエサルもナポレオンもそうだし、大村益次郎もそうだったのかな。しかし、正直、ここのくだりは作家の想像もあるだろうが、戦場の実践経験も指揮もない村田が本だけで学んで戦争してこんなに上手くできるんけ?と疑問に思った。いや、それほど凄くて読んでもピンとこない。

    長州藩を軸に日本中に渦巻いた「攘夷」という言葉。自分なりに「ナショナリズム」という情念に置き換えながら読み進めた。
    著者は、長州の攘夷に福澤諭吉の開明主義を対比させて論じているが開明主義では明治維新はできなかった。既成秩序を打ち壊し国を統合させる膨大なエネルギーは攘夷(ナショナリズム)からしか生まれず、それをどう利用するか、あるいはできるかが、当時の政治指導層の課題だったという。攘夷という情念は村田蔵六のなかにも生きている。
    対外的危機意識が国内変革への契機になる、というのが日本の歴史で反復される形だが、「攘夷」はただ単に外国を打ち払え、と叫ぶ大衆の排外衝動ではないところに幕末史の複雑さと妙があるのでしょう、きっと。

  • 靖国神社に銅像の立つ大村益次郎の伝記。
    司馬作品のなかでも群を抜いて面白く、息つく隙が無いほどだ。
    惜しむらくは、戦闘における地図と配置図という配慮がないこと。
    本作は戦略、攻略論の様相が色濃いため、塩野七生作品のように図解が必須であり、その欠落が残念である。

  • 百姓の村田蔵六が医者から軍隊の総司令官にまでなってしまうという出世物語。
    難しい内容のため、何度も心折れたが、なんとか中を読み終えた。
    蔵六は、サイコパス的なところがあるが、賢くてすごい。冷静に物事を判断する能力がうらやましい。

  • 蔵六の生き方が痛快と言えば痛快。そういう人物像を引き出す司馬遼太郎の語り口はさすがのレベル

  • 堪えることの意味や内容、あるいは理屈などはない。元来、人間の行為や行動に、どれほどの意味や内容、あるいは理屈が求められるであろう。なぜ親に孝であり、なぜ君に忠であるのか、と問われたところで、事々しい内容などはない。うつくしい丹塗りの椀の中に、水を満たそうと飯を盛ろうと、また空でそこに置こうと、丹塗りの椀の美しさにはかわりがないのである。孝や忠は丹塗りの椀であり、内容ではない。蔵六は堪えしのぶことによって、自分のなかに丹塗りの椀をつくりあげている。丹塗りの椀の意味などは考えておらず、ただ自分は丹塗りの椀でありたいとおもっているだけである。

    「学問は、したくてするものです。学問であれ遊芸であれ、人間の諸道は、たれのためにするというものではない。自己のためでもない。ただせざらんと欲してもしてしまうという衝動が間断なくおこるという生れつきの者がついに生涯学問をやりつづけてゆくということであり、それ以外になんの理屈もつけられませぬ。…」

  • 中巻読了。
    上巻は上巻で、医学と蘭学を求めぬく村田蔵六の魅力を知ることができたが、中巻ではさらに軍師としての村田蔵六改め大村益次郎の魅力をガッツリ味わうことができました。

    この調子で行けば、上巻・中巻の魅力をひっくるめて、下巻ではのめり込まざるを得ないだろうと嬉しい覚悟をしています。

    蔵六とは亀の意味だそうで、亀は頭、手足、尾の六つを甲羅(蔵)にしまうというようなことが書かれていましたが、この中巻では閉じ込めていたものをニョキっと解放したという感じがします。

    江戸では高待遇で処せられていた蔵六は、なんともこだわりが強いというか、出身の長州に帰ることに執着しました。江戸とは比べ物にならない低待遇の雇士として長州へ戻ることを選択しましたが、この選択が結果として彼の人生をとてつもない方向へ導いていくのですね。

    片田舎の村医の息子がまさか軍の総司令官になるとは、自分でも予想できなかったことでしょうね。

    彼をこの人生に導いた重要な人物が桂小五郎ですね。この巻を読んで、桂の人物に改めて魅了されました。ぜひ次は桂小五郎の本を読んでみたいと思いました。

    このころの幕府、そして長州藩、会津藩、薩摩藩のそれぞれの動きの活発化を経て、中巻最後は巨大幕府軍とたった一藩で戦う長州藩の戦いぶり、なかんずくその長州軍の総司令官として指揮をとる大村益次郎の軍師としての采配が圧巻ですね。兵器と兵法を究めた男の緻密な戦略!

    しかもその総司令官のかっこうが、百姓笠をかぶり、ユカタに半袴、腰に渋ウチワをぶら下げて、馬に乗れず、剣も使えずと来たものだから、その風貌と才能のギャップがなんともおかしいというか、逆に「渋すぎる~」と叫びたくなります。


  • キーワードは

    「戦術のみを知って
    戦略を知らざる者は
    ついに国家をあやまつ」

    シーボルトの娘
    イネにも会いたいな

    やっと蔵六の実力を知った長州、桂が蔵六を呼び戻す
    天皇を担いで幕府転覆を失敗、みな長州に逃げる
    幕府は長州を攻めようとするが、やる気ない藩が続出
    近隣の藩は長州に同情 農民も農民主体の長州軍が応援された 山陽でふんばり 浜田では城を陥落させる

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著者プロフィール

司馬遼太郎(1923-1996)小説家。作家。評論家。大阪市生れ。大阪外語学校蒙古語科卒。産経新聞文化部に勤めていた1960(昭和35)年、『梟の城』で直木賞受賞。以後、歴史小説を次々に発表。1966年に『竜馬がゆく』『国盗り物語』で菊池寛賞受賞。ほかの受賞作も多数。1993(平成5)年に文化勲章受章。“司馬史観”とよばれ独自の歴史の見方が大きな影響を及ぼした。『街道をゆく』の連載半ばで急逝。享年72。『司馬遼太郎全集』(全68巻)がある。

「2020年 『シベリア記 遙かなる旅の原点』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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