花神(中) (新潮文庫)

  • 新潮社 (1976年9月1日発売)
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Amazon.co.jp ・本 (512ページ) / ISBN・EAN: 9784101152189

みんなの感想まとめ

幕末を舞台に、村田蔵六の成長と彼を取り巻く人々のドラマが描かれています。朴訥ながらも信念を貫く蔵六の姿勢が際立ち、彼の周囲の人物たちとの関係が物語に深みを与えています。特に、イネとの再会シーンでは蔵六...

感想・レビュー・書評

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  • 村田蔵六という人物像を際立たせるかのように、周辺の人物の動きが描かれていました。幕末のことをよく分かっていないので、勉強になります。

    朴訥で地味だけれど、自分の信念を曲げず突き進んでいく蔵六。いいなあと思いました。

    でも、イネと蔵六の再会の場面では、女心に気づかない蔵六の態度がもどかしかった。
    本当は気づいていても、態度で示さないと分からないよー( ̄^ ̄)
    蔵六の立場や性格を考えればしょうがなかったのかな、それにしても・・・
    イネが病理学の講義を蔵六にした5日間は、2人にとって、生涯忘れえぬキラキラした時間であったと想像します。

    桂小五郎の人を見抜く目があったことにより、蔵六は表舞台にたつことができました。後半の幕府との戦いの場面では、蔵六の戦術はあっぱれとしか言いようがなく、拍手を送りたい気持ちです。

    下巻で、イネとまた会えるといいなあと期待してしまいます。

  • あ〜中巻も楽しかったなぁ。村田蔵六からついに大村益次郎へ!幕末の長州の動きがよくわかる。高杉晋作とか、桂小五郎から見る世界とは全くの別世界。
    最後の下巻も楽しみ。

    司馬遼太郎を読み始めると、読むのに数日かかってしまうのが悩み。だからといって、同時並行で違う本を読み始めると、なかなか司馬遼太郎の世界観にすぐ戻って来れない感じがするし。やっぱり読むスピードを上げるしかない。

  •  「維新の十傑」の1人である大村益次郎は、改名するまでの期間を村田蔵六と名乗っていた。「蔵六」という熟語は、亀が手足を甲羅の中にしまって閉じ籠る様子を指す言葉であるようだが、これほど村田蔵六という人物を的確に表す言葉は他にないだろう。攘夷思想によって殺気立つ長州藩に仕えながらも、政治活動には興味を示さず、ひたすら蘭方書を読み漁る村田蔵六という人物は、同藩の士にとっても奇怪な人物として写ったに違いない。そんな蔵六が、後に木戸孝允と名乗る桂小五郎の指名を受けて長州藩の軍事統括を担うことになる。蔵六が大村益次郎として幕軍との戦争に挑むのは本作(中巻)以降である。
     最後に、幕長戦争に臨むにあたって長州藩が作成した日本初の「革命宣言書」について。蔵六が書いた印象的な文章についてまとめておく。

    「東人(幕府)は病気だ」
    中略
    「防長(長州)は、医師である」
    以下、原文。
    「今日の事は、人身に疾病ある如く、人心は国家な 
    り。疾病は東人なり。医師は防長なり」
    「医師に任せ、すみやかに病根を御絶ち遊ばされず候
    ては、他日再発」
    「再発候節、病人、元気衰え、快気むつかしく存じ奉り候」

    医学の徒でもある蔵六らしい「革命宣言」である。

  • 尊王攘夷の大狂気に乱舞する長州藩士の「蛤御門の変」での惨敗、四カ国連合艦隊に降伏、幕府の追撃(長州征伐)が迫るなか、潰滅寸前の長州藩の雇われ学者・大村益次郎の生涯を中心に描かれた幕末歴史小説。桂小五郎の推挙により軍務大臣に抜擢された蔵六が、新式のライフル銃(ミニエ-銃)を装備した百姓兵を指揮し、圧倒的兵力を誇る幕軍と対峙する怒濤の起死回生篇。下関でのイネ(シーボルトの娘)との再会、亀山社中の坂本龍馬、井上聞多、伊藤俊輔らとの交流をとおしてみる、德川幕藩体制の崩壊目前の歴史ドラマに息をのむ!

  • 靖国神社に銅像の立つ大村益次郎の伝記。
    司馬作品のなかでも群を抜いて面白く、息つく隙が無いほどだ。
    惜しむらくは、戦闘における地図と配置図という配慮がないこと。
    本作は戦略、攻略論の様相が色濃いため、塩野七生作品のように図解が必須であり、その欠落が残念である。

  • 中巻。
    故郷・長州に戻った村田蔵六(大村益次郎)。ただ攘夷を掲げ天下を騒がす長州藩の特質に頁が多く割かれているため村田の登場は少ない。
    しかし、訳のわからない藩である。高杉ら奇兵隊によって上士層の保守派を破りクーデターによって藩論を尊王攘夷・討幕に変え、攘夷を叫んで下関で外国船を砲撃し、京で長州派の公家を担ぎ出して討幕運動。そこから幕府に目を付けられ、薩摩と会津によって京から追い出される。外国船砲撃の報復で四国艦隊に下関を占領され(馬関戦争)、禁門の変で薩摩と会津に敗れ長州征討が下り、あっという間に朝敵に。ぼろぼろの長州に再び幕軍が迫る。四方に敵を作り、それでも「攘夷!」と叫ぶ長州。
    その狂信さと思想性のせいで、東北諸藩からは「長州は気でも狂ったのか」といわれる始末だが、表向き攘夷を掲げても、井上聞多(のちの井上馨)と伊藤俊輔(のちの伊藤博文)ら若者5人を欧米に留学(という密航)させたしたたかさと、身分に関係なく農民・町民から兵を作りあげた柔軟さは、やはり封建社会のなかでは特異な藩だったようで。

    で、桂小五郎というバランス感覚に優れた政治家の推挙で藩の軍務大臣に抜擢される村田蔵六。
    蘭学で培った語学力を生かし、海外の兵学書で学んだ洋式軍事をもとに農民・町人たちに洋式銃を持たせ教練し、四方から長州に押し寄せる幕軍と対峙させる(四境戦争)。これに村田は勝っちゃうから凄いよね。
    もちろん徳川の泰平の世で幕府側の武士が弱かったこともあるが、洋式銃の威力と村田の戦術が功を奏して幕軍を打ち破るところに、大村益次郎の天性の軍事的才能があるというのが司馬の評価。
    軍事の才能は努力でどうにもならず天性のものというが、カエサルもナポレオンもそうだし、大村益次郎もそうだったのかな。しかし、正直、ここのくだりは作家の想像もあるだろうが、戦場の実践経験も指揮もない村田が本だけで学んで戦争してこんなに上手くできるんけ?と疑問に思った。いや、それほど凄くて読んでもピンとこない。

    長州藩を軸に日本中に渦巻いた「攘夷」という言葉。自分なりに「ナショナリズム」という情念に置き換えながら読み進めた。
    著者は、長州の攘夷に福澤諭吉の開明主義を対比させて論じているが開明主義では明治維新はできなかった。既成秩序を打ち壊し国を統合させる膨大なエネルギーは攘夷(ナショナリズム)からしか生まれず、それをどう利用するか、あるいはできるかが、当時の政治指導層の課題だったという。攘夷という情念は村田蔵六のなかにも生きている。
    対外的危機意識が国内変革への契機になる、というのが日本の歴史で反復される形だが、「攘夷」はただ単に外国を打ち払え、と叫ぶ大衆の排外衝動ではないところに幕末史の複雑さと妙があるのでしょう、きっと。

  • 蔵六の生き方が痛快と言えば痛快。そういう人物像を引き出す司馬遼太郎の語り口はさすがのレベル

  • 百姓の村田蔵六が医者から軍隊の総司令官にまでなってしまうという出世物語。
    難しい内容のため、何度も心折れたが、なんとか中を読み終えた。
    蔵六は、サイコパス的なところがあるが、賢くてすごい。冷静に物事を判断する能力がうらやましい。

  • いよいよ村田蔵六(後の大村益次郎)が動乱の次代に出現!人情に忖度がない奇人で異相のためか医師として働いても患者が来ないという凡夫なら世に憤慨しそうだが、マイペースなところがこの人の持ち味。この人に軍事の才能を見出した桂小五郎の慧眼はさすが維新の三傑の1人と言いたい。更に言えば本の知識がメインで軍事成果を挙げた大村益次郎は凄い。


  • キーワードは

    「戦術のみを知って
    戦略を知らざる者は
    ついに国家をあやまつ」

    シーボルトの娘
    イネにも会いたいな

    やっと蔵六の実力を知った長州、桂が蔵六を呼び戻す
    天皇を担いで幕府転覆を失敗、みな長州に逃げる
    幕府は長州を攻めようとするが、やる気ない藩が続出
    近隣の藩は長州に同情 農民も農民主体の長州軍が応援された 山陽でふんばり 浜田では城を陥落させる

  • 薩摩藩の軍師とも言うべき伊地知正治も認めた大村益次郎。豆腐で晩酌するくらい豆腐が好きだったようだ。

    幕軍が攻めてきた辺りまで。

  • 幕軍との「四境戦争」において、村田蔵六の指揮により、勝利する、長州軍。
    関ケ原の戦い方と変わらない古色蒼然とした幕府軍の戦い方の表現が面白かった。
    歴史の表舞台へと立った、蔵六。その勢いは下巻へと続く。
    下巻も楽しみ。

  • 明治維新の長州藩の雰囲気がつたわってくる。村田蔵六は中国春秋時代の孫武のような思考をするんだなぁ。それにしても司馬先生の知識量と詩情豊かな表現力にはいつも驚く。

  • 再読中。長州藩の所属に戻った蔵六は、江戸は麻布の長州藩邸で蘭学塾を開き教えていたが、時代はいよいよ沸騰、京都で暗躍しすぎた長州藩追い落としのために薩摩と会津が手を組み、文久3年、八・一八の政変が勃発、七卿が長州へ落ち、長州人たちは続々と帰国することに。江戸の蔵六もついに塾を閉め、妻の待つ長州へ帰国する。しかし1年後さらに長州藩は禁門の変をやらかし、外国船砲撃の報復もうけ四面楚歌状態に。

    蔵六はあくまで技術者であり、元が百姓の村医者のため藩からの扱いも悪い、過激な志士連中と交わるのが苦手ゆえ、この時期全く政治的なことには関わっていない。彼と藩を繋ぐ唯一の存在が桂小五郎。しかし桂は禁門の変以降行方をくらましている。藩内では佐幕党が一時的に主導権を握っていたが、高杉晋作のクーデターで逆転。高杉も桂の帰還を待ちわびているが、誰も桂の行方を知らない。その桂が、ただ一人、蔵六に居所を知らせてくる。

    とかく過激な志士たちとの交わりを嫌い、技術者らしく冷静頑固一徹で無愛想な蔵六が、自分の中にこんな激情があったのかと思うほど、桂からの信頼にだけは大感激するところが興味深い。

    司馬さんの幕末ものはほとんど読んだつもりだけれど、個人的に、司馬さんはあんまり桂小五郎のことは好きじゃないんだろうなという印象を常に受けてきた。竜馬や高杉、西郷といった英雄豪傑痛快男児を描くことがやはり歴史ものの醍醐味で、桂小五郎のような真面目な官僚タイプは、主人公にはならないんだろうなと。ただ、後年の作品になればなるほど、司馬さんの書く桂小五郎の評価は上がっていってるような印象もあり、やはり詳しく調べていくうちに色々見直された部分があったのだろう。

    もちろん大村益次郎にとって桂小五郎の存在が重要であることもあるだろうけど、本作では司馬作品の中でこんなに桂さんのことを褒められたことはないんじゃないかと思うくらい好意的に描かれていて木戸クラスタとしては嬉しい限り。(とはいえ後半になるにつれちょいちょいディスられたりもしてるので結局やっぱりそれほど桂小五郎は好きじゃなかったんだろうけどさ)とにかく、他人のために感情的になることのほぼない蔵六が、桂小五郎に会うためならハカマをたくしあげて駆けに駆けてしまうくだりは胸アツ。

    閑話休題。こうしていよいよ蔵六は長州藩の中枢に重要人物として躍り出ることになる。幕府の第二次長州征伐に備えて軍備を強化、軍制改革に乗り出し、その間、桂小五郎のほうは京都で薩長同盟を締結、高杉晋作は海軍総督を任されているので、陸軍のほうはもっぱら蔵六の仕事。この時期、正式に長州藩の士分として認められ大村益次郎を名乗るようになる。そしてついに幕軍が攻め込んできて四境戦争が始まる。

  • 堪えることの意味や内容、あるいは理屈などはない。元来、人間の行為や行動に、どれほどの意味や内容、あるいは理屈が求められるであろう。なぜ親に孝であり、なぜ君に忠であるのか、と問われたところで、事々しい内容などはない。うつくしい丹塗りの椀の中に、水を満たそうと飯を盛ろうと、また空でそこに置こうと、丹塗りの椀の美しさにはかわりがないのである。孝や忠は丹塗りの椀であり、内容ではない。蔵六は堪えしのぶことによって、自分のなかに丹塗りの椀をつくりあげている。丹塗りの椀の意味などは考えておらず、ただ自分は丹塗りの椀でありたいとおもっているだけである。

    「学問は、したくてするものです。学問であれ遊芸であれ、人間の諸道は、たれのためにするというものではない。自己のためでもない。ただせざらんと欲してもしてしまうという衝動が間断なくおこるという生れつきの者がついに生涯学問をやりつづけてゆくということであり、それ以外になんの理屈もつけられませぬ。…」

  • 中巻読了。
    上巻は上巻で、医学と蘭学を求めぬく村田蔵六の魅力を知ることができたが、中巻ではさらに軍師としての村田蔵六改め大村益次郎の魅力をガッツリ味わうことができました。

    この調子で行けば、上巻・中巻の魅力をひっくるめて、下巻ではのめり込まざるを得ないだろうと嬉しい覚悟をしています。

    蔵六とは亀の意味だそうで、亀は頭、手足、尾の六つを甲羅(蔵)にしまうというようなことが書かれていましたが、この中巻では閉じ込めていたものをニョキっと解放したという感じがします。

    江戸では高待遇で処せられていた蔵六は、なんともこだわりが強いというか、出身の長州に帰ることに執着しました。江戸とは比べ物にならない低待遇の雇士として長州へ戻ることを選択しましたが、この選択が結果として彼の人生をとてつもない方向へ導いていくのですね。

    片田舎の村医の息子がまさか軍の総司令官になるとは、自分でも予想できなかったことでしょうね。

    彼をこの人生に導いた重要な人物が桂小五郎ですね。この巻を読んで、桂の人物に改めて魅了されました。ぜひ次は桂小五郎の本を読んでみたいと思いました。

    このころの幕府、そして長州藩、会津藩、薩摩藩のそれぞれの動きの活発化を経て、中巻最後は巨大幕府軍とたった一藩で戦う長州藩の戦いぶり、なかんずくその長州軍の総司令官として指揮をとる大村益次郎の軍師としての采配が圧巻ですね。兵器と兵法を究めた男の緻密な戦略!

    しかもその総司令官のかっこうが、百姓笠をかぶり、ユカタに半袴、腰に渋ウチワをぶら下げて、馬に乗れず、剣も使えずと来たものだから、その風貌と才能のギャップがなんともおかしいというか、逆に「渋すぎる~」と叫びたくなります。

  • 中巻読了。

    藩ぐるみで暴走を始める長州藩の中で、淡々と己の役割をこなしていく蔵六さん。
    医者で、翻訳者でもある彼ですが、さらに軍略家としての才能も開花させていきます。
    まさに、時代は風雲。下巻の展開が楽しみです。

  • 異端の英雄物語であり、幕末明治の歴史噺であり、悶絶のムズキュンラブストーリー。

    「花神」(上・中・下)まとめた感想メモ。

    司馬遼太郎さんの長編小説。1972年発表。
    主人公は大村益次郎(村田蔵六)。

    大村益次郎さんは、百姓医者の息子。
    百姓医者として勉学するうちに、秀才だったので蘭学、蘭医学を修めているうちに、時代は幕末に。
    いつの間にか、蘭学、蘭語の本を日本語に翻訳できる才能が、時代に物凄く求められる季節に。
    だんだんと、医学から離れて、蘭語の翻訳から軍事造船などの技術者になっていきます。

    大村さんは、長州藩の領民で、幕末に異様な実力主義になった藩の中で、桂小五郎に認められて士分に。そして、幕府との戦いの指揮官になってしまいます。

    と、ここまでが随分と長い長い歳月があるのですが、ここからが鮮やかに「花を咲かせる=花神」。

    戦闘の指揮を取ってみると、実に合理的で大胆。決断力に富んで見通しが明晰で、連戦連勝。

    連戦連勝に生きているうちに、志士でもなんでもないただの百姓医者の蘭学者が、西郷隆盛まで押しのけて、倒幕革命軍の総司令官になってしまいます。

    そして、連戦連勝。

    中でも、「江戸の街を火だるまにせずに、どうやって彰義隊を討滅するか」という難題への取り組みは、本作のハイライトと言っていい爽快さ。

    誰も予想もしなかった速さで内戦が終わってしまう。

    ところが、あまりの合理主義から、「近代国家=国民皆兵=武士の特権はく奪」へと駒を進める中で、狂信的な武士たちの恨みを買って。
    明治2年に暗殺されて死んでしまう。

    でも、明治10年の西南戦争に至るまでの道のりは、全て御見通しで対策まで打ってしまっていた...。

    という、何とも不思議で無愛想で、ひたすらに豆腐だけが好物だった地味なおじさんのおはなしでした。

    #

    この小説、地味な主人公ながら、司馬遼太郎さんの長編小説の中でも、片手に入るくらいの完成度、面白さだと思います。

    ひとつは、主人公の魅力がはっきりしている。何をした人なのか、どこがハイライトなのかはっきりしている。

    前半の地味で恵まれない人生が、そのまま後半のきらびやかな活躍の伏線になって活きている。

    そして、大村益次郎さんという無愛想なおじさんの、ブレないキャラクター造形。

    狂信的なところが毛ほどもなく、合理主義を貫きながらも和風な佇まいを崩さず、見た目を気にしないぶっきらぼうさ。

    政治や愛嬌や丸さと縁が無い、技術屋のゴツゴツした魅力に、司馬さんがぐいぐいと惹かれて、引かれたまま最後まで完走してしまったすがすがしさ。

    ただ惜しむらくは、桂小五郎、坂本竜馬、西郷隆盛、高杉晋作、徳川慶喜、岩倉具視、大久保利通...などなどの、議論と外交と政治とけれんと権力の泥の中で、リーダーシップを発揮した人たちの、「裏歴史」「B面の男」というのが持ち味なので。A面の物語をなんとなく知っていないと、B面の味が深くは沁みてこないだろうなあ、と思いました。
    そういう意味では、新選組を描いた「燃えよ剣」や、竜馬と仲間たちを描いた「竜馬がゆく」くらいは読んでから読まないと、勿体ないんだろうなあ。


    #

    それから、この作品が秀逸だったのは、司馬さんには珍しく、恋愛軸が貫かれてとおっています。
    シーボルトの遺児・イネというハーフの女性との恋愛。これが、9割がたはプラトニックな、「逃げ恥」真っ青のムズキュンなんです。
    「村田蔵六と、イネのラブストーリー」という側面も、がっちりと構成されていて、隙がない。これはすごいことです。
    司馬遼太郎さんの長編小説は、ほとんどが恋愛軸を序盤で売るくせに、中盤以降、興味が無くなるのかサッパリ消えてなくなる、というのが定番なので...(それでも面白いから、良いのですけれど)。

    (恐らく、30年以上ぶりの再読でした)

  • 20250716

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著者プロフィール

司馬遼太郎(1923-1996)小説家。作家。評論家。大阪市生れ。大阪外語学校蒙古語科卒。産経新聞文化部に勤めていた1960(昭和35)年、『梟の城』で直木賞受賞。以後、歴史小説を次々に発表。1966年に『竜馬がゆく』『国盗り物語』で菊池寛賞受賞。ほかの受賞作も多数。1993(平成5)年に文化勲章受章。“司馬史観”とよばれ独自の歴史の見方が大きな影響を及ぼした。『街道をゆく』の連載半ばで急逝。享年72。『司馬遼太郎全集』(全68巻)がある。

「2020年 『シベリア記 遙かなる旅の原点』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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