- 本 ・本 (560ページ)
- / ISBN・EAN: 9784101152196
感想・レビュー・書評
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動乱の幕末期に忽然と現れ、第二次長州征伐で幕軍の戦意を喪失させ、討幕軍総司令官として彰義隊を駆逐した村田蔵六こと大村益次郎は、「勝って当然」と勝ち戦に無頓着、誰彼問わず不愛想、孤独に徹し〝田舎医〟で〝技術屋〟として〝我ハ一個ノ機械ナリヤ〟と自嘲する、時代が要請した稀に見る特異な人物を描く圧巻の憂愁編。西郷隆盛が独走する西南戦争を予見し、京都での対戦準備の最中、刺客に襲われてしまう。知らせを受けて駆けつけたシーボルト・イネが臨終まで付き添った記述と併せ、木戸孝允や勝海舟らの賞賛と敬服の念が湧き上がる。
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坂本龍馬の仲介で薩摩藩と手を結んだ長州藩。蛤御門の変では敵だった両藩は討幕を掲げ手を結び京へ上る。江戸幕府の世が終わると誰も予想していなかったが、鳥羽伏見の戦いで形勢は薩長に傾く。
明治維新へのターニングポイントがこの鳥羽・伏見の戦いで、諸藩が「ひょっとして・・」と思わせた衝撃があった。この時期の課題が大政奉還を行った徳川慶喜の処遇。死刑に、という声もあったそうだが、西郷と桂による助命運動により、慶喜は明治の世を生きることになる。
そして西郷と勝海舟による江戸無血開城。内乱になれば欧米の介入を招くかもしれず、日本は清のように植民地化されてしまう、という危機感のもと江戸っ子・勝さんの西郷どんの話し合い。双方の知略と政略がダイナミックで格好いい。
この頃、桂が再び大村を呼ぶ。薩長連合内における緩衝役として、または、偉いのか偉くないのかよく分からない新政府の軍務大臣としてその任に就いた。形の上では討幕軍総司令官である。東へ東へと新政府軍は日本を征圧していく。戊辰戦争を現場で指揮したひとりに土佐の板垣退助がいるが、総司令官である大村益次郎は江戸にいる。薩長肥土の雄藩連合体の新政府軍では兵が足りない。そもそも金がない。
これでよく勝ったと思うが、ここでも大村が頑張る。
現場から「武器と兵を補充してほしい」と懇願される。大村はじっと目を閉じて沈黙したあと一言「それはできません」。なぜだ!と食い下がる士官。大村はいう。洋式銃などの武器数と銃の飛距離、人員と行程を計算すれば、いまの編成で充分であると理詰めで説明する。
「これでできぬならあなたが無能か、軍資金を隠して私腹を肥やしている証拠です」と大村。
云われた士官は激高し、ここで腹を切る!と騒ぐが大村は取り合わない。「話がわからんなら、担当変えるから」とつれない。
このつれなさは昔から。周防の村医者時代、患者から「今日は暑うございますね」と挨拶されたら、「夏だから当たり前です」と大村は答えたという。不愛想なので人気がなかったが総司令官になっても同じ。新政府内でも「なんだアイツ」と人の感情を逆撫でする言動が多い。特に薩摩の海江田信義とは反りが合わなかったようで。結局、この因縁がきっかけで大村の最後が決まってしまう。とにかく超合理主義者。他人の感情の機微に疎い。というか興味がない。
長州藩出身者からも「なんだよ、あいつ」と思われつつも、軍事は大村さんに任せましょうと新政府内で調整したのが薩摩の西郷隆盛。ここの件は西郷どんの器の大きさと人間性が感じられるエピソード。西郷どん。。
ただ戦略家としての大村益次郎の才は天性のものでこのときも存分に輝く。兵員を緻密に使いこなす戦術の綾と戦場で計算外のことが起きたら「さっさと逃げなさい」とあっけらかんと指令できる合理性。戦争だから予想外なことが起きる。そのときは無理をしない。無駄に武器・人員を消耗するより逃げて力を温存し計算し直したほうがよい。(昭和の軍人に聞かせたい言葉である)
上野寛永寺を拠点にした彰義隊と新政府軍が戦った上野戦争が大村の名を歴史に刻んだ有名な戦だろう。佐幕派の部隊として結成された彰義隊は江戸へ下った薩長連合軍に徹底抗戦し、江戸中で新政府派の兵を斬りまくった。ずいぶん彰義隊をただの無法者集団として描いているところに司馬の悪意を感じるが。
ここで新政府が彰義隊に敗ければ江戸の人心が離反する。新国家の正統性が疑われる。絶対に敗けられない戦いを前に大村はどうしたか。刀や火縄銃という前近代的な武器をもち、規律も軍律もない烏合の衆である彰義隊相手に洋式軍が勝つことは簡単。課題は別にあった。
大村がなにより心がけたのが江戸を火の海にしないこと。現在の東京のように当時の江戸も人口密集。だが、家屋のほとんどが木造。ぼやが大火事になり、あっという間に大火災となる。死者が増え、戦いが長引けば江戸は焦土になる。これだけは避けねばならない。だから決戦は短期で素早く終わらせること。
大村は過去に起きた江戸の大火の歴史を徹底的に調べる。特に明暦の大火を調べ、風の方向と火の広がりと早さ、罹災家屋、死者数、火災の条件など詳細な情報を頭に叩き込んだ。その上で江戸の地図を印刷し各部隊に配布、火消し部隊まで作り火事に備えた。上野攻撃日は大雨の翌日。なおかつ昼。夜襲だと彰義隊員たちが闇に紛れて街に散り江戸に火をつける恐れがあるから夜の攻撃は避ける。当日も小雨が望ましい。家屋にたっぷりと水を含んでいる条件を整え防火に備えた。ドラマや絵巻で上野戦争が雨とともに描かれる理由がここにある。
そして条件が整った1868年(慶應4年)7月4日。上野寛永寺へ総攻撃。ここで活躍したのが肥前佐賀藩のアームストロング砲。ただ、藩主の鍋島閑叟は「海戦ならともかく威力があり過ぎるから内乱で人を殺傷したくない」とこの兵器の使用に賛同しなかったという。
本郷台に据えられたアームストロング砲が火を吹き、砲弾は不忍池を飛び越え、彰義隊が拠る山内の建物を破壊し炎上させた。彰義隊は壊滅。大村は江戸城内で上野方面から黒煙が盛んに上がる様をみて、勝利を確信・確認する。結局、上野戦争は1日で終結した。大村の知略がはじき出した結果か。
反乱を鎮め、明治の世に変わった。でも大村は立身出世を望まない。やはり適塾の教えと血が流れていたのだろうか。この頃、大村は西南戦争をどこまで予見していたか分からないが、いずれ九州から足利尊氏が現れる、と云うほど先を見通していた。
しかし、近代兵制を整えるため京阪の練兵場と兵器工場の視察のついでに京に立ち寄った茶屋で、不平士族や浮浪人たちに暗殺されてしまう。
大村の死の8年後に西郷が死ぬ。
超合理主義者・大村益次郎は仕事に没入し自分を機能化させることでひとつのシステムを作り上げた。彼が死んでも残ったのは仕事だけで存在の痕跡はない。無であったところに大村という男の不思議がある。と司馬は物語を結んでいる。なんとも言い得て妙だ。
「花神」とは花咲爺さんのこと。日本津々浦々に近代という花を咲かせ歩いた男という謂いで、タイトルが「花神」。ずいぶんと駆け足で時代を駆け抜けた花咲爺だったというお話でした。 -
三巻で1400頁
三週間ほどかかった
あまり人には言わないたちだが
この本は読んだ方がいい
主人公は村田蔵六
後の大村益次郎
蔵六は司令官となり京都を制圧
江戸を攻めるが、民衆に被害が無いよう、大火事にならないよう、風向きや雨の後などを考慮
夜明けから始め夕方には決着を着けようと
奥州に散った幕府軍を追う
蔵六は西郷が反乱を起こすと予感し大坂に火薬庫や兵士訓練所を建設するたも京に戻るが、海江田の陰謀により刺客に狙われ致命傷を負う
横浜からイネは看病にくるが、妻琴は来ない?墓は故郷
蔵六の手紙やメモが奇跡的に残っていたのは、琴らが障子の裏紙にその手紙などを使っていたため偶然見つかったそうな
素晴らしい -
解説
「蔵六というのは不思議な人で、自ら地位や栄達を求めない。」
まさに自らを世の中に機能化してそれ以上を求めない、私心を捨てている大村益次郎をよく言い表した言葉だと思う。それはP.486の豆腐と国家の話にも現れている。
時代が彼を押し出したに過ぎないのだろう。適塾に始まり、彼を登用した宇和島藩、幕府、そして長州藩。自分が求められるところに行き、そこで自分を機能化させ、最後には新政府軍の基礎を作るに至った。才能だけでなく、人との出会い、運命とは分からないものだと思った。 -
明治維新を推し進め、日本国を変えようとした蔵六や大久保利通のような人物が、軽挙妄動にはしる凶徒らに暗殺されてしまったということに関心を持ちました。社会の変革期には、悪い方向に振り切れてしまう人物も現れるのでしょう。
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司馬さんの他の幕末物で出てくる場面が、当然沢山再登場するわけだけど、異なるアングルからなので、全く飽きることなく、あっという間に読めました。
大村益次郎のような人は普通嫌われるもので、事実その通りだったようですが、私はこういう人好きです。 -
下巻読了。
さすが、司馬さんの幕末モノ。
西郷さんや、坂本さん、高杉さん等のようなスター性のあるキャラとは程遠い、大村益次郎(村田蔵六)さんという地味キャラが主人公でも、こんなに面白く読ませてしまうとは。。。
蔵六さんは、どんな時でも自分軸を貫き、淡々と軍の総司令官としての仕事をこなし、見事に倒幕軍を勝利に導きます。
ただ、あまりに合理主義で、コミュ障的な無愛想さが祟って人の恨みを買ってしまい、命を狙われてしまう訳で。
襲われて大ケガしても、医者だけに、冷静に自分で手当てしまうところがまた(笑)。
ケガ療養中に、イネさんが駆けつけてくれて、良い方達に囲まれての終盤だったのが救いです。
著者プロフィール
司馬遼太郎の作品





