- 本 ・本 (592ページ)
- / ISBN・EAN: 9784101152226
感想・レビュー・書評
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徳川家康の緻密な戦略に翻弄される豊臣勢。
滅びゆく姿に物悲しさを感じました。
武将たちが保身や義理人情に振り回されている姿は、現代に通じるものがあると思いました。
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大阪夏の陣。
家康の話と言うよりそれぞれの諸将たちなど全体像です。
真田幸村など魅力的な人物たくさん。
小幡勘兵衛、壇団右衛門なども。
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城塞とは大阪城のことを指すわけで、難攻不落と言えるものかもしれない。物理的な城を指す一方で、大阪の陣の戦いの中にあっても、何か浮世離れしている秀頼の周りの茶々含めての女性衆の考え、秀頼に対しての振る舞いなどが、理解するのに不落という城塞のように思える。
上中下と久々に超長編を読んだ。
よく考えると、こんなふうに文庫本で1800ページ近い小説を書ける作家は今の時代、早々いないだろうと思う。
司馬先生の徳川家康シリーズはまだ半分以上読んだだけ、ここからは遡るように覇王の家(下)、関ヶ原と呼んでいこうと思う。 -
日本最大の城郭であった大坂城は本丸だけの裸城となり、夏の陣での決戦は籠城叶わず、数十万の家康軍を相手に討ち死にする他に手だてがありませんでした。秀頼公の出陣という最後の望みが絶たれ、家康本陣への斬り込んだ真田幸村らの壮絶なる無念の最後が、戦国の世に終わりを告げる一幕として語り継がれてゆく悲劇の歴史に思いを馳せながら『城塞』を閉じることと相成りました。 なお蛇足ながら、大阪城落城を見届けて早々と大坂を去った家康は、翌年(1616年)の4月、駿府にて75歳の生涯を閉じました。
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大阪の夏の陣での攻防が描かれる。攻める側と守る側のそれぞれのドラマが繰り広げられる。登場人物は多いがそんなに混乱することもなく読み進めることができた。
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新潮文庫で全3巻。
徳川家康のあまりの悪人っぷりにげっそりして、なかなか読み進むことができなかった本。
敗戦の色濃い大阪方にありながら、天賦の才というべき戦巧者であり、最後まで家康に肉迫した真田幸村。健気です。敗北は認めているが、最後まで戦うことを諦めない。機会が訪れることを諦めない。それは戦の勝利ではない。家康一人を討つことだ。純粋なのか。執念なのか。
しかしこの小説の主題は幸村ではない。軍師の小幡勘兵衛でもない。家康でも、淀君でもない。燃え落ちる大阪城に象徴される天下人たちの夢の終焉だろう。信長や秀吉、彼らを頂点に連なる男たちが興亡を繰り広げてきた,戦国の世の最期の姿を記録した物語なのだ。
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同じ司馬遼太郎作品の「関ヶ原」を読了後、その後の"大阪の陣"をテーマにしたこの作品も気になり購入した。
この作品の中でも、「関ヶ原」と同じく徳川家康の緻密で計画的な戦略が"犯罪的"とまで描写されていたり、また大阪方の秀頼や淀殿、大野治長らの描かれ方も時に批判的な印象を受けた。
彼らのとった行動や戦略は、後世の我々から見れば批判したくなるようなものもあるけれど、それはあくまで結果論であり、当時彼らの置かれた立場や状況、それまでに生きてきた環境などを考慮すると、そこにはそれぞれの"正義"や"情熱"があったのではないかと感じた。
常に表面に見える情報だけに惑わされず、その背景にも目を向け本質を捉えること、"正義"とは一体何なのか、改めて考えさせられた作品でもあった。 -
色々と考えされられる作品でした。
大坂の陣では家康が悪役のように描かれますが、この戦争なくしては社会基盤は固まらず、戦乱の社会が続いたと思います。その意味では家康を単純に悪とは見れないと感じました。
その一方で家康の行いが「善」とは言い難く、大義名分が立てば何でも許されるのか?という疑問や、泰平の世のために大坂方の犠牲はやむを得なかったのか?という疑問を持ちました。
また大坂城に集まった牢人衆も考えされる存在でした。最期まで自分の生き様を貫いて散る姿には感銘を受けましたが、個人的には判官贔屓な面もあると感じました -
売却済み
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