馬上少年過ぐ (新潮文庫)

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  • Amazon.co.jp ・本 (416ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784101152240

感想・レビュー・書評

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  •  人物評伝短編集。
     表題作は、奥羽の雄に留まらざるをえなかった戦国武将、伊達政宗が遺した漢詩を基に、凄絶な半生と苦渋の感慨を綴る。
     死する前年に詠われた句に、窺われる寓意が沁みた。
     また、「重庵の転々」は、伊予吉田藩の初代藩主・伊達宗純に重用され、「山田騒動」の引き金となった医者・山田仲左衛門をモデルとしており、仙台藩の宗家から分かれた宇和島藩、さらに支藩の伊予吉田藩の経緯が詳しく述べられ、表題作と併せて奥行きが増す。
     他、越後長岡藩士・河井継之助、海援隊隊士・菅野覚兵衛、南画画家・田崎草雲、《賤ヶ岳の七本槍》の一人、脇坂安治(甚内)らが描かれる。
     知名度の低い人物を主軸に置いても、格調高く冷徹な筆致でもって、終始、読み手を惹き込む筆力の高さは流石の一言。

  • 司馬遼太郎氏の短編小説。
    図書館で借りた本は、1970年8月20日発行の第13刷ということで、現在の文庫本とどうやら構成が違っていたようだ。

    今回借りた本には、次の4編が収められているが、現在発行中の文庫本には、「慶応長崎事件」「英雄児」「喧嘩草雲」の3編がその前段に追加されているようだ。

    「馬上少年過ぐ」
    「重庵の転々」
    「城の怪」
    「貂の皮」

    「馬上少年過ぐ」は伊達政宗公の話。本書の中で、政宗公が晩年に自分の人生を振り返って詠んだ詩の説明がある。

    馬上少年過
    世平白髪多
    残躯天所赦
    不楽是如何

    馬上少年過ぐ
    世平らかにして白髪多し
    残躯天の赦す所
    楽しまずして是を如何にせん

    幼少期に疱瘡を患い片眼を失明しただけでなく、母親の愛情も薄かったようで、それゆえかこの物語の中でも、初陣で相手の子女までことごとくせん滅したり、勝利のためには父親の命さえ犠牲にする、非常にクールな政宗の一面が描かれていた。

    しかし一方で、詩心があり、才知に富む、あの三国志の曹操と比肩する武将であるとも記されていた。

    同時代に秀吉、家康がいたために天下こそ狙えなかったかもしれないが、東北の雄であることに疑いの余地はない。そんな政宗が晩年に、「わしの人生は・・・」と回顧している姿が目に浮かぶようだ。

    2話目の「重庵の転々」も伊達続きの話だった。南伊予(現在の宇和島)に土佐から流れてきた山田文庵という医者が、伊達家の分家の殿様の病気を治したことをきっかけに急速に力をつけていったが、次第に我欲を貪る結果となり反感をかって飛ばされるという話。

    その本筋の話よりも、宇和島に仙台伊達の分家ができた経緯の話のほうが興味深かった。

    3つのめの「城の怪」は豊臣秀頼の大阪城陥落後の城に出る幽霊退治の話といってよいのか。感想は特になし。

    最後の「貂(てん)の皮」は、面白かった。豊臣秀吉臣下の脇坂安治(甚内)の話。

    脇坂家に代々伝わる「貂(てん)の皮」は、脇坂家に幸運をもたらす存在であるようだ。「その貂(てん)の皮」が脇坂家の家宝となったのは、本編の主人公・脇坂甚内の一つのエピソードに帰する。

    甚内は、あの秀吉と柴田勝家の戦いである賤ケ岳の戦いの功労者とされる七本槍の一人とされているが、全く実が伴っていなかったようだ。言ってみれば、秀吉のエコヒイキであり、この戦いで最も軍功のあった福島正則からすれば「なんであいつが入っとんねん」「あいつと一緒にすな」という感じだ。

    この戦いに限らず、甚内は能力以上の出世をした人物で、それは「貂(てん)の皮」のおかげだというオチであると思う。

  • 久々短篇集。なぜだかタイトル作品の「馬上少年過ぐ」をモンゴルのお話だと思い込んでいたので、1本目の話に河井継之助が登場するとともにそうじゃないらしいことと短篇集であることに恥ずかしながら同時に気づいたという次第。実際のところ4本目である「馬上少年過ぐ」にたどり着き、冒頭部にてその題のままの詩句が紹介される下りに目を通した際には「街道をゆく」の南伊予・西土佐のみち編のお陰で「嗚呼、そちらのお話でした。」と反応することになった。早くも「街道をゆく」踏破の逆効果を感じつつある今日このごろ。

    『英雄児』
    今回の一時帰国で「峠」の前後編を揃え、その開始のタイミングを計っていた最中だけに、河井継之助の名を見た瞬間に「おっと、今のタイミングでこれを読むのはいかがなものか…。」と反応してしまったのであるが、短編でもあるということも手伝って「まぁダイジェスト版として楽しみますか」と切り替えた。結果は…果たして意図通り。よい助走ができたのではないかと。

    『慶応長崎事件』
    つい先日亀山社中を訪ねたばかりの者としてはそのタイムリーさについ興奮を隠せず。惜しむらくはあともう少しの時間をとって実際に浜まで歩いてみるべきであったこと。

    『喧嘩草雲』
    今になって思うことはシバさんがARTについて語るということは、剣術について語ることよりは信憑性が高いということ(笑) こんな語り口で紹介されたら誰だって田崎草雲の作品を一度は観てみたくなる。そしてここにひとり。

    『馬上少年過ぐ』
    よく考えてみるとその詩句が紹介されていたのは南伊予編だったのか、仙台編だったのか、はたまた両編においてであったのか記憶が定かではない。やはり読み返してみるしかなさげである。そして今さら大河も観たくなってきた。

    『重庵の転々』
    伊達藩ものとして続いているところがまたたのし。口惜しきは今回の旅では松山以南を断念したこと。そちらまで足を延ばしていれば良くも悪くも土佐までの行程を捨てることになったわけで、まさに本編のために伊予の気勢をいっそう深く感じるのに一役を担っていたであろう。

    『城の怪』
    司馬作品としては数少ないミステリーもの。「果心居士の幻術」がふと思い当たる。短編としては抜群の題材であり、嬉々として読ませてもらった。

    『貂の皮』
    このいわれについて無知であった自分がいたお陰ですっかり楽しませてもらった。「所詮三万石止まりの霊験よ」とはよく言ったもの。ふとこの物語の足跡をたどる旅なんてのも面白いかなと想像してみたが、渡海せねばならない部分があることに気づいて即自粛。

  • 短編集。ちょうど仙台に行ってきたところだったから馬上少年過ぐはタイムリーだった。

  • 元々「貂の皮」が読みたくて購入、いままで読んだ司馬短編のなかでもダントツ面白い。
    さて、主人公の脇坂甚内(安治)、徳川初期の豊臣系大名の生き残りにして、賤ヶ岳七本槍のひとり。
    特段の才はなく、只真面目で平凡な人物であったけれど、丹波の雄 赤井家に伝わる家宝「貂の皮」の霊験のお蔭か、大名として家名を永らえる基を作る。
    やはり、日本という国は、率直に才を示し過ぎると足元をすくわれるのか、「出る杭は打たれる」「能ある鷹は爪隠す」というけれど、「大事な処世術だな」と改めて感じた。
    ついでに書くと、関ヶ原では西軍に属しているにも関わらず、加増されている。藤堂高虎の曲芸よりも上をいっている。ほんとに「めでたい」というほかない。

  • ・幕末の長岡藩で非凡の才を発揮しつつも時勢を見極められずに散った河井継之助を描いた「英雄児」
    ・英国人殺害事件に関与した海援隊隊士菅野覚兵衛と佐々木栄を中心に幕末の日英関係を描いた「慶応長崎事件」
    ・江戸末期から明治初期を生きた、非凡の才を持った血気盛んな絵師、田崎草雲の生涯「喧嘩草雲」
    ・奥州の覇者正宗が歴史に残した足跡を、彼の持つ非凡な詩歌の才と共に描いた「馬上少年過ぐ」
    ・一介の町医者の身から伊予宇和島の命運を握るまでに栄達し、数奇な人生を送った山田重庵を描いた「重庵の転々」
    ・大阪の陣の後に武士になることを嘱望した大須賀満左衛門の奮闘を描く「城の怪」
    ・賤ヶ岳七本槍の武将として武名を轟かせた脇坂甚内(安治)の生涯を描いた「貂の皮」


    「英雄児」…長岡藩家老河井継之助
    情景は江戸古賀茶溪塾での、無隠鈴木虎太郎の出会いの場面である。未だ穏やかな江戸の空気が懐かしさを醸し出している。やがて継之助はその凄まじい才能を発揮して藩政を指導し、強大な長岡藩軍を作り上げ、凄惨な北越戦争を戦う。藩は焦土と化し、多くの民衆が斃れ、継之助もまた戦傷死する。その墓碑は幾度も毀たれたという。著者の評言『英雄というのは、時と置きどころを天が誤ると、天災のような害をすることがあるらしい。』に大いに首肯する思いがする。

    「慶應長崎事件」…土佐藩海援隊士菅野覚兵衛。
    慶應3年7月6日夜、長崎で起こった英海軍イカレス号水兵斬殺事件の顛末である(イカレス号事件)。嫌疑が海援隊に懸かった為、英国、幕府、土佐藩の三者が折衝したが、大政奉還直前の幕末の最も煮えつまった時期に当たり、『歴史はこの間、停止したといっていい。』という著者の評言通りの無用の摩擦であった。アーネスト・サトウの観察眼が非常に興味深い。

    「喧嘩草雲」…足利藩士田崎芸(絵師草雲)
    幕末の奇士の逸話である。喧嘩で鳴らした絵師草雲(梅溪)は、宮本武藏の画幅に出会い心を改めた。ところが幕末の風雲は彼を措かず、小藩足利戸田家一万石の宰相の様になってしまう。やがて戊辰戦争が始まるや、機知を以て藩を救う。乱世に生まれた者の変転を考えさせられる。

    「馬上少年過ぐ」…仙台藩主伊達政宗。
    奥羽の雄政宗の、主に少年期から、家督を相続する前後に焦点を当てて描く。奥州の土俗と、稀代の没個性人の父輝宗を詳しく描写し、その特異性を述べるが、表現や推察にやや筆が走り過ぎ、著者の作品群の中では異質な位置を占める。

    「重庵の転々」…伊予吉田藩家老重庵山田仲左衛門。
    伊予吉田藩分封直後に起こった所謂「山田騒動」の顛末である。重庵は史実では「文庵」。長曾我部牢人重庵は寒村の村医であったのが、次第に重んじられて遂には家老に迄栄達する。藩政改革に苛烈極まる施政を行い庶人の反動を受け、遂には元の重庵に戻り仙台で余生を送る。著者の云う『侍の家にうまれれば温和で無能であることがのぞましかった。最大の不幸は有能にうまれつくことであった』の言葉その儘に、泰平の世で無く、戦国・幕末等の乱世に生まれていれば稀代の英雄と成り得た人物であった。末尾に語られる著者の前に現れた仙台の老人の挿話が何とも不思議である。非常に秀逸な短編。

    「城の怪」…下総牢人大須賀万左衛門。
    元和偃武の後、松平忠明治下の大坂城下。仕官を夢見る牢人、仕官の望み得ないと思う足軽物頭、嘗て豊臣家に使えた女、の三者が織り成す江戸初期の市井の風景。

    「貂の皮」…龍野藩主脇坂安治。
    賤ヶ岳の七本槍の最年長者で、播州龍野5万5千石脇坂家は大名になった七本槍では唯一、維新まで家を保った。その馬印は世に珍しい雌雄一対の貂の毛皮の槍鞘である。此れに纏わる奇瑞と安治の数多い戦場往来の逸話を絡めて描くのだが、その中でも大変興味深い丹波の豪族、赤井悪右衛門直正から貂の皮を受け継ぐ有名な逸話は、残念ながら史実では無い。

  • 司馬遼太郎氏の短編集。短編とはいっても、一つ一つ重厚でとても丁寧に書かれている。
    他の長編のダイジェスト版のようになっている小説もあり、長編に取り組んでみたいが敷居が高いと思う人は、こういう短編集から読んでみるのもいいかもしれない(といってもやはり長編がおススメだが)。
    室町時代から江戸時代まで、必ずしも一番活躍したわけではない歴史の脇役に焦点があたっていて興味深い。本当に面白くて、寝食を忘れて読んだ。

  • 司馬遼太郎短編集。
    全部で7つの短編集なので、それぞれの内容と感想をかなり手短に。

    英雄児…頭が良過ぎる河合継之助の話。無隠の立場からみた継之助の生涯という感じ。「あの男にしては藩が小さすぎたのだ」という台詞がなんとも言えない。

    慶応長崎事件…海援隊と外人水兵の斬った斬らなかった話。坂本龍馬、アーネストサトウも出てくる。とにかく幕末の話なので、攘夷運動が盛んな時にこの事件は相当まずい。頭脳戦。

    喧嘩草雲…絵師の草雲の話。足軽の子だから足軽絵師。嫁のお菊が亡くなってから人が変わったようになり、穏やか草雲になった。名将であり絵師であった草雲。お菊はいい嫁だったんだなぁと、しみじみ。

    馬上少年に過ぐ…タイトルにもなっている。伊達政宗の幼少期中心の話。歌道に堪能だった政宗、疱瘡で片目が潰れてしまった政宗、母から愛されなかった政宗。奥州筆頭伊達政宗此処にあり!という感じ。

    重庵の転々…土佐人の医師、重庵の話。武道にも長け頭もキレるこの重庵は伊予人から土佐人ということだけで嫌われていた。家老にまで登りつめたが、結局医師になって仙台で余生を送るという。何とも言えない。

    城の怪…万左衛門の一目惚れから発展していく、乱心?な話。狐狸が城に出るという噂を聞き、退治しにいく。そこまではいいけど松蔵とのもや〜っとした感じ。かなり女は怖いなとつくづく。

    貂の皮…脇坂甚内の貂。野伏だった脇坂が、豊臣秀吉との出会いで賤ヶ岳の七本槍の1人として世間に注目されたけど。それは豊臣秀吉から貰った貂の皮の庇護では?という話。貂の皮の有り難さというか、貂の皮のおかげで此処までこれましたというか。

  • 2つの単行本から計7編を収録した本。河井継之助、イカルス号事件、田崎草雲、伊達政宗、山田文庵、脇坂安治+創作1編。
    山田事件は山田文庵に厳しい評価が多いが、文庵に寄り添ったないようになっているのが面白い。司馬遼太郎氏は四国の南側の空気感には割と厳しい目線が多い気がする。
    脇坂安治の貂の話は知らなかった(創作としても知らなかった)。安治の評価はなかなか手厳しいが、3万石の話なども興味深い。短編であっても、それぞれに司馬さんの思いが詰まっており、読み応えがあった。

  • 講談師見てきたように何とやらと言うが、本当に司馬遼太郎はその場にいたのか?というような描写力で、小説家としての才気を感じる。

    お気に入りは『喧嘩草雲』、『重庵の点々』、『貂の皮』。とくに貂の皮が好き。有りそうで無さそうな、無さそうで有りそうな、読んでワクワクする絶妙なラインの古潭を紡いでいる。一方で、『慶応長崎事件』はビックリするほどつまらない。題材が弱いし、龍馬含む登場人物に主人公性が無いし(誰が主人公なのかもよくわからない)、いまや史実ではないことが知られた歴史雑学のために話がしばしば脱線する。で、最後の段落で「なるべく資料にもとづいてこの事件を綴った」とか言ってる。なるほど、物語的なつまらなさは、これが歴史小説ではなく、歴史読本のつもりで書かれているからなのか、司馬史観に騙される人はこうして作られるのかと思った。言い過ぎか

    でも先に挙げた三編はめちゃめちゃ面白いので星五つだ!

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著者プロフィール

司馬遼太郎(1923-1996)小説家。作家。評論家。大阪市生れ。大阪外語学校蒙古語科卒。産経新聞文化部に勤めていた1960(昭和35)年、『梟の城』で直木賞受賞。以後、歴史小説を次々に発表。1966年に『竜馬がゆく』『国盗り物語』で菊池寛賞受賞。ほかの受賞作も多数。1993(平成5)年に文化勲章受章。“司馬史観”とよばれ独自の歴史の見方が大きな影響を及ぼした。『街道をゆく』の連載半ばで急逝。享年72。『司馬遼太郎全集』(全68巻)がある。

「2020年 『シベリア記 遙かなる旅の原点』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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