項羽と劉邦(中) (新潮文庫)

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  • Amazon.co.jp ・本 (448ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784101152325

作品紹介・あらすじ

叔父・項梁の戦死後、反乱軍の全権を握った項羽は、鉅鹿の戦いで章邯将軍の率いる秦の主力軍を破った。一方、別働隊の劉邦は、そのすきに先んじて関中に入り函谷関を閉ざしてしまう。これに激怒した項羽は、一気に関中になだれこみ、劉邦を鴻門に呼びつけて殺そうとするが…。勇猛無比で行く所敵なしの項羽。戦べただがその仁徳で将に恵まれた劉邦。いずれが天下を制するか。

感想・レビュー・書評

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  • 【感想】
    初挑戦の中国歴史小説の第2弾!
    上巻と変わらず、登場人物の多さや名前の読み方の難しさには辟易したが、、、ストーリーそのものは楽しんで読めた。

    タイトル通り、項羽と劉邦の違いについて書かれていた。
    上巻では仲間だったご両人だが、劉邦の裏切りによって関係が破綻、相対する関係となった。

    英雄さながらの勢いで邁進する項羽に対し、劉邦の平凡さというか生々しさが本当に面白い。
    己の平凡さや弱さ、また項羽の強さをしっかりと認識し、部下の容赦のない助言にも嫌な顔一つせずに信じて受け入れる劉邦は、項羽とは違った意味でトップとして優れているんだなと思った。
    トップという立場の人間なのに、こんなにも執着なく自身を客観的に卑下できるのは、やはりトップとして求められるニーズの一つだろう。
    運やツキと言えばそれまでだが、こんなトップだからこそ優秀な人材を獲得できたのかもしれない。
    現代でいうところのトップダウンが激しい項羽軍に対し、杜撰なぐらいアメが多めな劉邦軍。
    この群雄割拠の戦国でも、結局はこういった組織体制が功を奏するんだなぁ。

    何と言っても、出てくる登場人物一人一人ののキャラクターが立ちすぎている!!笑
    両将軍は勿論のこと、韓信・黥布・張良・随何、そして陳平。
    本当にみんな、クセがスゴイ!!笑

    最終巻である下巻が楽しみ。


    【あらすじ】
    叔父・項梁の戦死後、反乱軍の全権を握った項羽は、鉅鹿の戦いで章邯将軍の率いる秦の主力軍を破った。
    一方、別働隊の劉邦は、そのすきに先んじて関中に入り函谷関を閉ざしてしまう。
    これに激怒した項羽は、一気に関中になだれこみ、劉邦を鴻門に呼びつけて殺そうとするが……。
    勇猛無比で行く所敵なしの項羽。
    戦さ下手だが、その仁徳で将に恵まれた劉邦。
    いずれが天下を制するか?


    【ポイント】
    1.劉邦の長所
    劉邦は主将みずから鉾をふるって敵陣におどりこむという個人的戦闘力は持っていない。
    劉邦軍は流民や敗残兵を吸収しつつも、項羽軍のような圧倒的な膨張力は持たなかった。
    劉邦の長所は、劉邦という人間がつくりだしている幕営の空気が、なんともいえずいきいきしていることであった。
    人を包容し、ささいな罪や欠点を見ず、その長所や功績をほめてつねに処を得しめ、劉邦に接すると何とも言えぬ大きさと温かさを感じさせる。
    この大陸でいうところの「徳」という説明しがたいものを人格化したのが劉邦だった。

    2.劉邦の長所2
    功をたてた者への恩賞は惜しみなく与えた。
    寛容さと気前のよさという劉邦の特質は、劉邦一個の能無しを補ってあまりがある。
    肝心の戦のほうは一向にはかばかしくないのに、この一軍はつねに陽気で、ここにだけ陽が照っている具合でもあった。

    3.戦場で叩きに叩いて秦人の敗北感を徹底させる以外に、彼らの抵抗心を奪う方法がないと張良は見ていた。
    非戦闘員に対しては慰撫を、軍人に対しては打撃をという両面を徹底的に使い分けた軍略家はこれまでいなかったが、この方法が後世の模範となった。

    4.(秦を滅ぼしたのは、果たしておれだろうか)


    5.項羽は配下に官位や封土を与えるのに老婆が小銭を出し惜しみするように吝嗇であったが、一方劉邦の放漫さも世間では定評になっていた。
    劉邦は鼻くそをほじるように、「同じ都尉でも、楚の都尉は重く漢の都尉は軽いと思っているのだろう」と、声を上げて笑い出した。
    陳平は劉邦が世評をよく聴き知っていることに驚き、先刻の感想を胸のうちで取り消しつつ、(どうせ馬鹿だろうが、ただ馬鹿にするとひどい目にあいそうだ)というふうに思い直した。


    【引用】
    p6
    劉邦は抜群の偉丈夫であるという点ではかろうじて士卒たちを安堵させたが、しかし主将みずから鉾をふるって敵陣におどりこむという個人的戦闘力は持っていない。
    劉邦軍は流民や敗残兵を吸収しつつも、項羽軍のような圧倒的な膨張力は持たなかった。

    が、劉邦軍にも長所がある。
    劉邦という人間がつくりだしている幕営の空気が、なんともいえずいきいきしていることであった。
    人を包容し、ささいな罪や欠点を見ず、その長所や功績をほめてつねに処を得しめ、劉邦に接すると何とも言えぬ大きさと温かさを感じさせる。
    この大陸でいうところの「徳」という説明しがたいものを人格化したのが劉邦だった。

    言いかえれば、劉邦の持ち物はそれしかない。
    徳と侠以外にはどういう力も持っていないという点では、劉邦はやはり遊侠に近い。


    p41
    劉邦は、西進へのみちみち酈食其(れきいき)のような奇才の士をひろい、奇功をたてさせることによって勢力をふくらませた。
    功をたてた者への恩賞は惜しみなく与えた。
    寛容さと気前のよさという劉邦の特質は、劉邦一個の能無しを補ってあまりがあり、肝心の戦のほうは一向にはかばかしくないのに、この一軍はつねに陽気で、ここにだけ陽が照っている具合でもあった。

    ついでながら、酈食其が劉邦のために辣腕をふるうのは少し後のことになる。



    p69
    (張良、ええ加減にやめんか)
    劉邦はその執拗さが不愉快になったが、張良はかまわずに劉邦の手元から大小の部隊をむしり取っては次々に秦軍に向かわせ、突撃させた。
    戦場で叩きに叩いて秦人の敗北感を徹底させる以外に、彼らの抵抗心を奪う方法がないと張良は見ていた。
    非戦闘員に対しては慰撫を、軍人に対しては打撃をという両面を徹底的に使い分けた軍略家はこれまでいなかったが、この方法が後世の模範となった。


    p110
    (秦を滅ぼしたのは、果たしておれだろうか)
    劉邦はごくあっさりと、おれではないと思った。
    かえりみると、始皇帝の死後、大小の流民が次第に数を増していき、ついにはその一方の大親分として自分が存在するようになった。
    が、項羽の吸引力のほうが巨大で、人数では比較にならなかった。

    しかもその項羽が河北で秦の主力を引きつけておいてくれたおかげで、自分は河南に南下し、関中から入ることができた。
    功の九割までは項羽に帰せられるべきだということは劉邦にもよくわかっていたし、関中にまず入った自分を項羽が怒る気持ちも尤もだと声を上げてやりたいほどに、わかっている。

    (なにか、挙兵以来、宙に浮いてここまできたようだ)


    p118
    項羽はもはや劉邦を殺す気がなくなっていた。
    かれは劉邦の弁疏(べんそ)を信じたわけでなく、ろくに聞いていなかったし、憶えてもいない。
    項羽は本来、視覚的印象で左右された。
    体全体が、寒夜の病犬のようになってしまっている劉邦に、その本質を項羽なりに見てしまい、こんな憐れなやつをおれが殺せるかと思った。


    p155
    韓信は、自分を影のような人間だと思っている。
    さほどに生存欲はなく、まして出世欲などはない。といって厭世家ではなく、ただひたすらに自分の脳裏に湧いては消える無数の戦局を本物の大地と生命群をかりることによって実現してみたいということだけがこの世で果たしたい希望であった。


    p177
    劉邦は、国名を創った。
    「漢」と呼んだ。漢中王であったときその地域呼称にすぎなかった「漢」を、そのまま関中にまで持ってきたのである。


    p196
    劉邦とその軍は、東進した。
    劉邦の軍は、つかのまに56万になっていたのである。
    劉邦がかつて関中を去って漢中への桟道をたどったときは、3万しかなかった。この3万こそ、劉邦と運命を共にしようとする中核であるといっていい。
    関中に戻って中原に出るにあたり、かつての秦人を募り、これによって6万の兵になった。

    「敵を攻めるより、味方を維持する方が難しい」
    張良などは、統制のために肝胆を砕いた。


    p263
    「私は死を決している。漢王に対してでなく、九江王に対してです。」
    随何は、自分が黥布に説得しようとする外交上の内容よりも、まず使者としての自分の死骸の価値を説いたのである。
    話を聞けというだけでなく、話がつまらぬと思えば殺せ、私の死骸はあなたの楚に対する外交上、非常な価値を持つはずだ。

    話を聞いた黥布は、すぐさま随何と20人の使節団を呼ばせた。


    p264
    黥布は戦場では悪鬼のように強かったが、我が身の振り方となると、信じがたいほどに小心であった。
    そのくせ、大望がある。この男は、天下を望んでいた。
    漢と楚を激闘させて漁夫の利を得れれば、と思っていたが、黥布軍の唯一つ、そして致命的な欠点は、中立を維持できるための強大な武力を持っていないことだった。

    (この男は、利の計算に窮している)
    在来、随何は黥布のことを飢えた虎が肉を欲しがるように利を求め、利のためなら何をするかわからない男ととらえていた。
    が、黥布はその利の計算をしぬいた挙句、窮している。
    この男を随何の掌中に入れるには、利の話以外にない。


    p296
    「官位は何であったか?」
    「都尉でございます」
    「ああそれなら今日から都尉に任じよう」
    劉邦があっさりそう言ったとき、陳平は喜ぶよりも、何か大きな穴の中に吸い込まれるような恐ろしさを感じた。
    が、同時に劉邦の甘さを思った。
    項羽は配下に官位や封土を与えるのに老婆が小銭を出し惜しみするように吝嗇であったが、一方劉邦の放漫さも世間では定評になっていた。

    が、劉邦は鼻くそをほじるように、
    「同じ都尉でも、楚の都尉は重く漢の都尉は軽いと思っているのだろう」と、声を上げて笑い出した。
    陳平は劉邦が世評をよく聴き知っていることに驚き、先刻の感想を胸のうちで取り消しつつ、
    (どうせ馬鹿だろうが、ただ馬鹿にするとひどい目にあいそうだ)というふうに思い直した。


    p366
    陳平の奇術と周苛と紀信により、栄陽城の寿命が延び、劉邦や張良、黥布らは脱出に成功した。

  • 上巻より中巻の方が話が進み、面白かった!有名な鴻門の会も出てくるし。にしても項羽と劉邦は人間性が対極である。勇猛果敢だけれど若さゆえ突っ走りがちな項羽、知恵が回るけれど臆病、怖がりすぎな劉邦。敗走する際に我が子を何度も馬車から突き落とすって、その子らの親だろ!と。こんな臆病で怖がりな劉邦がこの後、どうやって漢帝国の開祖になるのか続きが楽しみ。因みに劉邦に降ってきた韓信、なかなかイケメンです!(笑)

  • 項羽と劉邦の対比が鮮やかだ。圧倒的な戦闘力と威圧感を示す項羽。圧倒的に戦下手で田舎の親父感満載の劉邦。しかし、子どもじみた項羽と人たらしの劉邦。自分の力を示し続けなければならない項羽に対し、人たらしの劉邦には様々な人が引き寄せられる。劉邦の身代わりとなり項羽を罵倒しながら焼き殺された紀信のエピソードなどその最たるものだろう。
    漢中に追いやられた劉邦がどのように反転し、関中に戻ってきたのか。ちゃんと描かれていないと思う。

  • 劉邦はなぜこんなにも人徳があるのか?不思議で仕方ない。

  • 漢文の授業でやった「鴻門の会」がついに!
    白文を読んだ後なので司馬遼太郎の臨場感あふれる書き方にさらに引き込まれました。

    紀信と周笴の最期がまさに壮士なり。
    2人ともかっこよかった…

  • 笵蔵が去るくだりを3回読んだ。
    老翁は、項羽に仕えたことを後悔はしなかったのだろうか。
    この時代の人々のあふれる感情は本当にドラマだ。
    ていうか、もう、究極のツンデレ紀信よ!

  • 司馬遼太郎氏の人物描写力は凄いですね。登場人物の人となりが瞼の裏にまざまざと思い浮かぶようです。
    劉邦と重臣たちとのかけ合いの場面もどっか滑稽で面白いです。
    張良、蕭何、夏候嬰、韓信・・とそれぞれ良い味出してます。彼ら一人一人と劉邦との関係も丁寧に描かれていて、楽しいです。中巻で最後の方に出てきた紀信はもっとも人間味が溢れているようなキャラクターで、役者冥利に尽きるというか、最高に美味です。泣ける!!切ない!!そんな人生もある・・!!

  • 秦帝国が滅亡したあとの話。先に関中に辿り着いた劉邦は関中王となり、項羽と敵対することとなる。元々敵対するつもりはなかったが劉邦の側近に函谷関を閉じれば関中は手に入ると唆されたことで項羽と争うこととなる。その後項羽に謝罪をし中国の山の中である漢、巴蜀に封じられることとなった劉邦はそこで挙兵し再び関中を制圧し漢王と名乗ることとなる。前回関中に入った際に、劉邦軍は秦の人たちに対して略奪をしておらず逆に項羽軍は掠奪強姦をしたことで秦の人たちは劉邦軍を歓迎することとなる。その後劉邦は項羽軍の本拠地である彭城を一度は占拠するも留守から戻ってきた項羽によって返り討ちに遭い劉邦は敗走し、滎陽にて籠城する。この敗走する場面で劉邦は自分の子供を馬車から投げ捨て車を軽くしようとするがあまりにも必死すぎる。
    最後籠城から抜け出すために同郷の紀信を影武者として項羽に降伏する間に劉邦は滎陽から抜け出し関中へと向かう。
    なんでもできる項羽に対して何もできない劉邦の対比が面白い。前者は有能な部下がいても重宝せず、身内を才能に関わらず信用していたため大事な軍師である范増が抜けてしまう。逆に後者は張良、韓信、蕭何と言った有能な人材をしっかり登用していく。何もできないのもどうかと思うが人を信じて適用するのも才能の一つか、

  • 【感想】
    「上」に続く筆者の常套構成方法として、パートを大きく2つに分け、それぞれに役割を持たせているように思う。

    1つが物語を進めるパートで、もう1つが新しい人物が登場するパートである。そして、どちらもそれぞれの良さがある。

    物語を進めるパートでは、無論話が進むため内容は濃ゆく、地図を確認しながら話を追ってゆくことになる。それだけ、ゆっくり読む必要もある。
    人物が登場するパートでは、新たに登場人物が登場するのであるが、登場するキャラ1人1人が非常に濃厚でノンフィクションではと思ってしまうほどだ。著者も本書内にて記しているが、それだけ当時の中国では様々な個性が認められていたのであろう。

    【要約】
    どちらが先に関中に入るかについて争う項羽と劉邦。劉邦は先に関中を手にしたあまり、つまらない抵抗を項羽に見せてしまい、彼の怒りを買うも鴻門の会にてどうにか乗り切る。その後、劉邦は一時漢に退くも、再び関中に戻り漢王国をつくる。その後項羽の虚をつき彭城を占拠するも、すぐに追い返され遁走。再び兵を集めて滎陽で1年籠城するもジリ貧により退却。(下巻に続く)

    【引用】
    p9
    この大陸でいうところの徳という説明しがたいものを人格化したのが長者であり、劉邦にはそういうものがあった。

    p10
    戦国の現出の先駆的な条件は、古代社会にくらべ、農業生産力が飛躍的にあがり、自作農が圧倒的に増え、ひとびとは農奴的状況から解放され、それをふまえての自立精神ができあがったということを見ねばならない。これによってアジア的な意味での個が成立し、この個の成立からさまざまな思想、発明が、沸くように出てきた。戦国前時代の春秋期をふくめて諸子百家がぞくぞくとあらわれ、中国思想史上、後代にもない絢爛とした時代を現出するのも、以上のような土壌に由来する。

    p18
    韓非子はいうまでもなく法家思想の大成者であったが、かれの思想とその国家学は韓の内部的現実の中からうまれたといっていい。

    p46
    諸子百家の時代から遥かにはへだらないこの時代にあっては、百家の思想はそれぞれ教団のような形で継承され、孔子を教祖とする儒教の教団も、そのうちのひとつにすぎず、後世のような中国的素養そのものにはなっていない。むしろ儒者は、他人の服装、容儀、行儀にやかましく、いちいち指摘する癖があったから、一般から煙たがれるか、嫌われる傾向があった。

    p57
    劉邦はただ、
    「おのれの能くせざるところは、人にまかせる」
    という一事だけで、回転してきた。

    →DMM の亀山さんと似ている。

    p67
    自己の意見を古わらじのように捨て、張良が十分に説明を終えないうちにとりあえず全軍に停止を命じた。

    p77
    お教えしなかったからこそ私の生命がいままで無事だったのでございます、もし申し上げていれば、趙高どのを信ずることあつい陛下は私をお殺しになったでしょう。

    p97
    秦政権そのものが罪人の製造機械のようなところがあった。

    p187
    戦いの基本は補給であり、いくら兵の進退に長じた将軍でも補給を思考の主要要素に入れなければしろうとにすぎず、しろうとの戦さ上手に戦争をやらせるととんでもない惨禍を味方に蒙らせてしまうことを蕭何はあらゆる人間と局面を見てきてよく知っていた。

    p369
    (この小僧の癖がはじまったわ)
    老范増は、もはや、そういう項羽を憎悪した。

    →爆笑

    p390
    この男は、このように惨烈な状況になってもそのけい室に婦人をたやしたことがない。

    【ハッシュタグ】
    #中国史
    #漢の建国史
    #リーダーシップ
    #儒家思想
    #法家思想
    #キャラの個性
    #難語習得

  • いよいよ、劉邦たつ!
    集う仲間たちとその死を乗り越えて、下巻に続く!

    この巻では、エピソードを入れながら、いろんな武将が出てくるよ。張良、韓信をはじめとして、陳平の某策、黥布裏切りのお話と紀信の身代わりのお話など、劉邦を取り巻く、個性豊かな人物が紹介されていきます。

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著者プロフィール

司馬遼太郎(1923-1996)小説家。作家。評論家。大阪市生れ。大阪外語学校蒙古語科卒。産経新聞文化部に勤めていた1960(昭和35)年、『梟の城』で直木賞受賞。以後、歴史小説を次々に発表。1966年に『竜馬がゆく』『国盗り物語』で菊池寛賞受賞。ほかの受賞作も多数。1993(平成5)年に文化勲章受章。“司馬史観”とよばれ独自の歴史の見方が大きな影響を及ぼした。『街道をゆく』の連載半ばで急逝。享年72。『司馬遼太郎全集』(全68巻)がある。

「2020年 『シベリア記 遙かなる旅の原点』 で使われていた紹介文から引用しています。」

司馬遼太郎の作品

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