項羽と劉邦(下) (新潮文庫)

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  • / ISBN・EAN: 9784101152332

感想・レビュー・書評

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  • 【感想】
    中国始皇帝死後の楚漢戦争期を舞台とした大作の最終巻。
    上巻の時からネタバレがあり、楚漢どちらの勝利で終わるかは明白であったが、結果よりも過程が本当に面白かった!!

    「項羽と劉邦」というタイトルにも表れているように、二人の対決というよりも人物像の対比が作中に詳しく描かれており、一言で言えば「勇猛な項羽」と「任侠・人間味あふれる劉邦」という人間性の対比が作中でたくさん触れられていた。
    中々の大作で、かつ登場人物も沢山いたので読了するのに難儀したが、個人的には初めての中国歴史小説だったのでとても新鮮味があって楽しめたなぁ。
    読み終わった後にWikipediaで概要確認したら、イイおさらいが出来た。

    前述したが、本作品は項羽と劉邦の人間性の違いがとても如実に表れていたような気がする。
    スペックで言えば、圧倒的に項羽や楚軍に遥かに分があった。
    ただ、劉邦には項羽にない「寛容さ」があった。
    項羽があれだけの実力をもってして中華を天下統一できなかったのは、やはり項羽のマネジメントに問題があったからのような気がする。
    カリスマ性はあるが、あまりにも厳しすぎる組織統制によって良い人材を沢山失った項羽。
    自身の低能さを誰よりも深く自認して、ドンブリ勘定というか放任主義というか、よく言えば寛容な「緩いマネジメント」で有能な部下を取り込むことに成功した劉邦。
    張良考案の「最後の大博打」含め、最後の勿論勝利を成したのには色んな要因があるだろう。
    だが結局天下を治めたのが劉邦という結果になったのは、部下を信じて然るべき役目を与えたり、また報酬を惜しまないことで部下のモチベーションを保ったという事が最大の要因だったのではないだろうか?

    単純に歴史小説として楽しめたのと同時に、組織のマネジメント論についても勉強になる1冊でした。


    【あらすじ】
    楚漢の天下争いは勝負がつかない。
    圧倒的な項羽軍の前に、穀倉のある山にのぼってこれと対峙する劉邦軍。
    やがて和議成って故郷に帰る項羽軍を劉邦は追撃し垓下に囲む。
    ある夜、包囲軍の中から楚の国の歌が湧き上がるのを聞いた項羽は、楚人はことごとく漢に降伏したかと嘆き、天が我を滅ぼしたことを知る。
    あらゆる人物の典型を描出しながら、絢爛たる史記の世界を甦らせた歴史大作。


    【内容まとめ】
    1.酈食其の言葉に対しての韓信の回答。
    「敬愛されるということは、要するに無害な人間として愛玩されるということではありませんか」と、笑って返した。
    韓信は忠誠心と利己心を持つ類の男ではなかった。
    それだけに、劉邦の忠誠な側近団に油断のならぬ男と見られている。

    2.「出来損ないの田舎任侠、沼沢のなかの泥ブナのような草賊の親分」
    劉邦も自認している彼の前半生。
    その経験で学んだことは、子分や兄弟分に対する「信」だった。

    劉邦は彼自身も自認しているところだが、元来自分で何をするということもできない男であった。
    若い頃から人々を連れて歩き、そういう連中がすべて事を運んできた。
    かといって、劉邦の不思議さは、いつの場合でも敵の顔の見える前線に身をさらし、人々の背後に隠れるということはなかったことである。

    項羽に対しても、項羽という猛獣に対し、自分自身を餌に相手の眼前にぶらさげ、それを咬もうとする項羽を奔命に疲れさせてきた。
    豪胆というよりも、平気でそれができるところに、配下の者たちが劉邦についてきた魅力があるのかもしれない。

    3.「力ハ山ヲ抜キ、気ハ世ヲ蓋(おお)フ」
    項羽が天下に誇示するところは勇であった。それだけに、敗けることを病的に嫌がった。
    戦術的勇者である項羽にすれば両城の食物を片付けるという迂遠な、あるいは戦略的なやり方よりも、劉邦という蝿そのものを叩き殺すというほうを好んだ。

    4.項羽軍の欠陥
    「解いてやれ」と、兵に命じ、すべての市民を自由にした。
    項羽は馬を行かせながら振り返って少年をほめた。
    ひるがえっていえば、項羽の幕僚にはこの少年程度の者もいなくなっていたのである。
    項羽は武において誰よりも優れていたことと、性格や価値判断において黒白が鮮明すぎるために、人々は項羽に畏伏するのみで、その言葉に逆らわなくなっていた。
    楚軍の見事な統制の一面、病的な欠陥があらわれはじめていた。

    5.「食人之食者死人之事(人ノ食ヲ食セシ者ハ、人ノ事二死ス)」
    食を分け与えられた者は、その人のために死すべきだ。
    「人」とは韓信の場合、劉邦であった。

    6.劉邦に対する張良の評価
    陛下は、御自分を空虚だと思っておられます。
    際限もなく空虚だと思っておられるところに、智者も勇者も入ることができます。
    そのあたりのつまらぬ智者よりも御自分は不智だと思っておられるし、そのあたりの力自慢の男より御自分は不勇だと思っておられるために、陛下の空虚の中で皆が気楽に呼吸することができます。それを徳というのです。
    さらに陛下は、欲深の者に対して寛容であられます。
    欲深どもは、陛下のもとで辛抱さえしておれば自分の欲を叶えてもらえると思って、漢軍の旗の元に集まっているのです。
    この連中が集まるというのも、徳というものです。


    【引用】
    p5
    ・酈食其(れきいき)と韓信のやり取り
    「お前さんには、規準というものがないよ。人としての生き方の規準、物の考え方、あるいは行動の仕方についての規準だ」
    「規準を学問という。規準のない人間は、人から信用されない。美でもない。美でなければ、人から敬愛されない」
    酈食其の言葉に対して韓信は、
    「敬愛されるということは、要するに無害な人間として愛玩されるということではありませんか」と、笑って返した。

    (この男の本質は、つまりは才能ということか)
    才能だけが独立し、目も鼻も理性も抑制力も持たずに丸い物体として谷を越え、山をかけのぼり、どこまでも転がってゆく何かではないか。
    韓信は忠誠心と利己心を持つ類の男ではなかった。
    それだけに、劉邦の忠誠な側近団に油断のならぬ男と見られている。


    p12
    ・「出来損ないの田舎任侠、沼沢のなかの泥ブナのような草賊の親分」
    劉邦も自認している彼の前半生。
    その経験で学んだことは、子分や兄弟分に対する「信」だった。
    味方の忠誠心の上に浮上している劉邦は信だけで立っており、信を失えば能も門地もない男はもとの塵芥に戻らざるを得ない。


    p20
    劉邦は奇策として、項羽に対し滎陽(けいよう)城の南方から刺激を試みた。
    項羽は驚き、(蝿のようなやつだ)と思った。
    無視しておけばよかった。しかし項羽はおどりかかって叩き潰さねば承知できず、いそぎ南下すべく陽城の囲みを解いた。
    作戦という冷厳な必要から項羽は行動しているのではなく、性格といって良かった。


    p45
    ・「力ハ山ヲ抜キ、気ハ世ヲ蓋(おお)フ」
    項羽が天下に誇示するところは勇であった。それだけに、敗けることを病的に嫌がった。
    戦術的勇者である項羽にすれば両城の食物を片付けるという迂遠な、あるいは戦略的なやり方よりも、劉邦という蝿そのものを叩き殺すというほうを好んだ。


    p67
    韓信軍を強奪した一事は、劉邦一代での唯一と言っていい鮮やかな芸で、劉邦の人間について考えるとき、不思議な印象がある。
    劉邦は彼自身も自認しているところだが、元来自分で何をするということもできない男であった。
    若い頃から人々を連れて歩き、そういう連中がすべて事を運んできた。
    かといって、劉邦の不思議さは、いつの場合でも敵の顔の見える前線に身をさらし、人々の背後に隠れるということはなかったことである。

    項羽に対しても、項羽という猛獣に対し、自分自身を餌に相手の眼前にぶらさげ、それを咬もうとする項羽を奔命に疲れさせてきた。
    豪胆というよりも、平気でそれができるところに、配下の者たちが劉邦についてきた魅力があるのかもしれない。


    p85
    斉王と田横(でんおう)も、ちりぢりに逃げるしかない。逃げるにあたり、斉王みずから酈食其を「この嘘つきめ」と罵った挙句、嘘でないなら韓信の来襲を制止してみろといった。
    酈食其は、「煮ろ」といった。
    「わしがあんたの前で述べた言葉はことごとく真実だ。あんたはわしの眼を見、言葉を聞いた。それねもなおわしという人間がわからずに煮ようとしている。つまりは腐った人間ということだが、そういう男に命乞いをするためにわしは韓信の陣営に行こうとは思わぬ。韓信はいいやつだ。それ以上に、このおれはいい士(おとこ)だ。」

    酈食其は煮られた。斉王も田横も戦わずして逃げ、斉は韓信によって占領された。


    p116
    「おどろけ。おびえよ」
    韓信は自分のまわりの親衛軍に命じた。韓信がかつて超軍に対して演じた芸であったが、関心を侮りきっていた竜且(りゅうしょ)は簡単にかかった。
    敵が半ば上陸したあたりで狼煙を上げ、土嚢の壁を一時に断ち切って水を奔流させ、竜且とその部隊は孤軍になった。
    竜且とその部隊をありったけの兵が囲み、けものを狩るようにして遠矢・近矢を射て竜且を討ち取った。


    p142
    「解いてやれ」と、兵に命じ、すべての市民を自由にした。項羽は馬を行かせながら振り返って少年をほめた。
    ひるがえっていえば、項羽の幕僚にはこの少年程度の者もいなくなっていたのである。

    項羽は武において誰よりも優れていたことと、性格や価値判断において黒白が鮮明すぎるために、人々は項羽に畏伏するのみで、その言葉に逆らわなくなっていた。
    楚軍の見事な統制の一面、病的な欠陥があらわれはじめていた。


    p192
    ・項羽と韓信
    「お受けできなくて残念なことである」と、結論から言ってしまった。
    項羽の使いである武渉も、相手のあまりの単純さに驚いた。
    「私は項王がきらいなのだ」
    「なぜお嫌いなのです」
    「わたしを用いなかったからです。」
    韓信は、自分が楚の軍営にいたとき、身分は郎中にすぎず、仕事といえば宿衛のときの番士にすぎなかった、といった。
    「進言、献策、一つとして用いられたことがない」
    「項王がお忙しかったからでしょう」
    「当時忙しかったのは、項王だけではない」
    敗者に近い漢王は、それ以上に多忙だった、と韓信が言う。

    「では漢王については、如何」
    「好きです。理由は、わたしを用いてくれたからです。士とは、そういうものだ。」


    p195
    「水に流せないのだ。忘れることができても、流すことはできない。過去というものが積み重なって、こんにちの韓信というものがある。流せということは、韓信そのものを流せということだ」


    p199
    「食人之食者死人之事(人ノ食ヲ食セシ者ハ、人ノ事二死ス)」
    食を分け与えられた者は、その人のために死すべきだ。
    「人」とは韓信の場合、劉邦であった。


    p206
    呂氏を中心とする勢力が韓信を排除しようとし、様々な策を弄した。
    この為、つねに針を含んだ衣服を着ているように韓信の状況を安定させなかった。
    韓信が思案のすえに謀反を企てた時は、それを成功させる条件はとっくの昔に去っていた。なかばであらわれ、捕らえられて斬刑に処されるのだが、
    「昔、カイ通(かいとう)がわしに説いた通りの結果となった。あのときあの男の言葉どおりにしておれば、こういう馬鹿なはめにはならずに済んだろう」といった。


    p255
    「項羽は大したものだ」
    劉邦は、張良をかえりみて言った。
    「わしはあの男に勝てなかったが、別に悔やんではおらぬ。あの男と百戦して命一つが不思議に保てたことだけがわしの幸運であり、開き直って言えば自慢のようなものだ。普通ならば、あの男にずたずたに引き裂かれてしまっている」
    「それは、陛下がご自分を強者だとお思いになったことがないからでございます」
    劉邦ははじめから自分を戦下手の弱者であると決め込んできたから、項羽に対して気負いたったことがない。戦いが不利になればすぐさま逃げた。張良は、それが劉邦の命を今まで保たせたもとだという。


    p256
    「陛下は、御自分を空虚だと思っておられます。際限もなく空虚だと思っておられるところに、智者も勇者も入ることができます。そのあたりのつまらぬ智者よりも御自分は不智だと思っておられるし、そのあたりの力自慢の男より御自分は不勇だと思っておられるために、陛下の空虚の中で皆が気楽に呼吸することができます。それを徳というのです」

    「さらに陛下は、欲深の者に対して寛容であられます。欲深どもは、陛下のもとで辛抱さえしておれば自分の欲を叶えてもらえると思って、漢軍の旗の元に集まっているのです。この連中が集まるというのも、徳というものです」
    「項王にはそのような徳はありませぬ。このため范増を失って今は謀臣がなく、また韓信ほどの大器の才を見抜けず、脱走させてしまっています」


    p262
    「待つ?待って何になる。待てば項王に勝てるというのか?」
    張良の顔を落ち葉がかすめた。
    「待ったところで仕方がないか」
    陳平の声は、力がない。

    「張良さん、あなたはこの追撃戦にいい見通しがあるのか?」
    「ない」
    張良が立ち止まって、正面から陳平の目を見た。

    陳平は張良の温雅で淡泊な性格が好きだったし、物事を計画するにあたって歯がゆいほどに慎重であることもよく知っている。
    その男が、負ければすべて失うという一か八かの大博打を打とうというのである。
    「成算はないが、将来へゆけばいよいよなくなる。項王が楚の地に帰って兵馬を休めた後、戦力を充実させる。おそろしいばかりの力になるだろう」
    それに項王は若く、漢王はすでに老の坂にさしかかっている。待つという時が味方するのは項王のほうで、漢王のほうではない。

    「今まで漢王は物事を積み上げてきた。戦えば負けつつも外交に力を用い、天下の弱者、不平家、欲深者を洩れなく連携し、それらによってようやく項王と互角で戦えるまでになった。今が漢軍の力の絶頂だろう」

  • 上、中、下巻あるけれど是非。
    10年以上前に初めて読んで、2、3年前にもう1回読んで普通に面白かった。
    たぶんいつか、また読みそう。

  • 百戦錬磨の項羽は猛者、猛者以外の何者でもない。本文で覇王と度々言われていたがまさに、その通り。に対して、百戦百敗の劉邦なのだが優れた家臣の多い事。この人の人徳だな。その家臣がいたから、天下取りが現実したんだろう。日本の戦国時代でも、豊臣秀吉がそうであったように。項羽が最後に唄った楚歌、命果てる瞬間は呆気なく悲しかった。

  • 項羽と劉邦を読み始めた時はなかなか入り込めなかったが、下まで読むとなかなかおもしろかった!水を上手く使う韓信がさすがだなあと思った。最後まで勝ちという勝ちを経験しない劉邦が、なぜか最後に項羽に不思議にも勝ってしまう、というか項羽がいつのまにか負けたことについて、負けを恐れないものというのはやはり強いのだと思った。最後の項羽の詩は高校のときに勉強したが、あらためてその詩の背景を知ることができて興味深かった。

    • theamaries1994さん
      みどりさん、初めまして。フォローありがとうございます。
      僕の大学の卒論のテーマが「項羽と劉邦」でした。卒論を書く時にこの本も読みました。
      あ...
      みどりさん、初めまして。フォローありがとうございます。
      僕の大学の卒論のテーマが「項羽と劉邦」でした。卒論を書く時にこの本も読みました。
      あれから四半世紀近く経ち、内容もほとんど忘れてしまいましたが、みどりさんのコメントを見て懐かしくなってコメント書いてしまいました。失礼しました。
      2021/03/16
  • 項羽と劉邦どちらも生きる道はないのかと読みながら常々思ったが、項羽のプライド的に勝つか負けるかしかないのだと思った。最後は項羽に同情してしまい、悲しくなったが、あれだけたくさんの人を残虐的に殺した罰なのだと自分に言い聞かせて納得させた。

  • 張良が劉邦に言った「『百敗の上にもう一敗を重ねられたところで、何のことがありましょう』」が衝撃的で笑ってしまった。

    ↑この言葉は広武山でのにらみ合いのあと、項羽と劉邦が和睦し、約束を破って項羽を後ろから襲おうという所

    遂に読み終わった。司馬遼太郎さんは、劉邦や項羽の人柄をしっかり把握しており、両人がとった行動を性格に基づいて説明してくれるのがありがたかった。

    劉邦が項羽に勝てたのは、運もあったかもしれないが、自分自身が全くの無知であることを知っていることが大きいと思った。
    自分自身が無知であるから、素晴らしい能力を持った人に対して、素直に話を聞くことができた。
    その素直さが項羽に勝っていたから、劉邦は天下を取れたのだと思う。

  • 項羽の最期が切ない。でも上司にするなら劉邦の方がいいかな。

  • 項羽と劉邦の最終決戦までを描いている。韓信における蒯通や劉邦における候公のように自分自身で活躍するというよりも主人をもって覇者にさせようとし、言葉で天下を取ろうとする士の活躍が描かれてた。この時期の日本はまだ稲作も伝わってないのに隣の中国では高度な文明が起きていたのが伝わる。最後項羽が漢軍を一人で薙ぎ倒す描写は痺れた。強すぎた故に周りの才能に気づかずまた重宝しなかったことで劉邦に負けてしまったのか、

  • 運と仁徳で天下を取った劉邦。
    能力が高いだけでは、大きなことは成し遂げられないのだろう。

    個人的には、政治は全くダメだけど、軍事能力は抜群の韓信が興味深かった。
    政治が苦手なら、外交は有用な部下に任せるべきなのな。

    堕ちてゆく項羽を見るのは、なかなか切なかった。

  • ようやく漢と楚の闘いに決着がつく。個人の武に頼り、戦略と兵站を軽視した項羽が亡びたのは必然といえば必然。戦下手だったが故に戦略と兵站に注力した劉邦は、今日的にも参考になるのではないか。
    それにしても、漢と楚の力関係が逆転し、いわゆる四面楚歌の状況に至る過程がさらっと描かせているのが残念。もう少しドラマチックに描けなかったのか。それが司馬遼太郎的ではあるが。

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著者プロフィール

司馬遼太郎(1923-1996)小説家。作家。評論家。大阪市生れ。大阪外語学校蒙古語科卒。産経新聞文化部に勤めていた1960(昭和35)年、『梟の城』で直木賞受賞。以後、歴史小説を次々に発表。1966年に『竜馬がゆく』『国盗り物語』で菊池寛賞受賞。ほかの受賞作も多数。1993(平成5)年に文化勲章受章。“司馬史観”とよばれ独自の歴史の見方が大きな影響を及ぼした。『街道をゆく』の連載半ばで急逝。享年72。『司馬遼太郎全集』(全68巻)がある。

「2020年 『シベリア記 遙かなる旅の原点』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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