峠 (上巻) (新潮文庫)

著者 : 司馬遼太郎
  • 新潮社 (2003年10月1日発売)
4.04
  • (291)
  • (205)
  • (231)
  • (12)
  • (2)
  • 本棚登録 :1899
  • レビュー :168
  • Amazon.co.jp ・本 (511ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784101152400

峠 (上巻) (新潮文庫)の感想・レビュー・書評

並び替え:

表示形式:

表示件数:

  • 河井継之助の一生を描く。
    「原理」という単語がよく出てくるが、この「原理」を追求すべく生きたのが継之助。
    なんのために勉学をするのか、なんのために遊学するのか、その目的が非常に明確で、惹きつける。

  • 司馬遼太郎の長編作品は、2012年の1月に読んだ「項羽と劉邦」以来。おおよそ4年ぶりの長編作品として手に取った本書は、期待以上の素晴らしい作品でした。上中下の全3巻。

    本書の主人公は、越後長岡藩牧野家の家臣である河合継之助。「北国は、損だ」としみじみ思う継之助は、類い稀な先見性と並外れた器量の持ち主であります。上巻では、人物としての継之助が描かれる場面がチラホラ。こういう人物描写は、司馬遼太郎作品の大きな魅力のひとつかと。気に留めた描写をいくつか抜粋。

    「継之助は、色のあわい、鳶色の瞳を大きくひらいていった。人間はその現実から一歩離れてこそ物が考えられる。距離が必要である、刺激も必要である。愚人にも賢人にも会わねばならぬ」
    「人間万事、いざ行動しようとすれば、この種の矛盾がむらがるように前後左右にとりかこんでくる。大は天下の事から、小は嫁姑の事にいたるまですべてこの矛盾にみちている。その矛盾に、即決対処できる人間になるのが、おれの学問の道だ」
    「志の高さ低さによって、男子の価値がきまる」「男子の生涯の苦渋というものはその志の高さをいかにまもりぬくかというところにあり、それをまもりぬく工夫は格別なものではなく、日常茶飯の自己規律にある」
    「武士とは、精神の美であるという。しかもその美は置物の美ではなく、骨っぷしのたしかな機能美でなければならない」

    そんな継之助ですが、幕末の大きな奔流には勝る術がなく、ついに押し流されてしまいます。これは、彼が拠点とする越後の国が時代の主流である江戸や京から離れているからかもしれません。しかし、時代に飲まれたとはいえ、彼の魅力が落ちるわけではありません。下僕に自らの棺をつくらせ、庭に火を焚かせ、病床から顔をよじって終夜それを見つめ続けた孤高の精神は、物語の最後に至るまで読者を魅了し続けるのでした。

    さて、本書を読み終えて改めて感じるのは、継之助という人物の捉え難さです。物語の前半では、継之助は既存の考えに縛られず自由闊達に思想をめぐらす人物として描かれています。開明論者であり、「士農工商はやがて崩壊する」、「武士の時代は滅びる」といった発言からも、非常な先見性を感じられます。ところが、越後長岡藩の主導者として藩政を任せられる立場になると、継之助の自由人らしい言動はどこか影を潜めます。そして、結果的に幕府側に立つことになった継之助は、官軍と北越戦争を繰り広げ、そして自藩もろとも滅んでしまう。どうも前半の自由人である継之助と、後半の主導者としての継之助は、同じ人物でありながら矛盾を感じてしまうのです。
    本書解説を借りると、「この矛盾に対して、司馬氏が見出した解答は河井の武士道倫理であった」とのことで、「自由人である河井継之助はいろいろなことを思えても、長岡藩士としての彼は、藩士として振舞わなければならない、そういう立場絶対論といったふうの自己規律、または制約が、河井の場合には非常に強烈だったろうと思うんです」と司馬遼太郎の文章を引用しつつ、解説しています。たびたび、継之助は「立場がひとをつくる」といったような発言をしていましたが、継之助の志を保つ自己規律には、もしかしたら「立場」という要素が含まれていたのかもしれません。そして、藩の主導者という立場となった継之助は、武士道倫理、すなわち侍として生きることに決めたのかもしれません。

    侍の終焉を予期した継之助が、侍として世を去る描写は、決して皮肉なものではなく、「私はこの『峠』において、侍とはなにかということを考えてみたかった」との著者あとがきのとおり、「いかに美しく生きるか」という武士道倫理のあらわれなのでしょう。

  • 幕末の越後長岡藩の藩士・河井継之助の生涯を描いた作品。初、司馬遼太郎!
    おもしろい!!
    幕末の歴史がすごくよく分かる。
    なぜ今まで読まなかったんだろう・・・
    八重の桜、花燃ゆ、篤姫(こちらは小説も)、あさが来たと、幕末〜明治が舞台の作品をいろいろ観て読んで、すっかり幕末ブームで、河井継之助記念館にも行ったのに、なぜ峠を読んでいなかったんだろう!!
    徳川幕府の終焉と明治維新って、日本にとって大きな大きな転機だったということが、今のわたしたちにはよく分かるし、きっと当時の人たちも、渦中にいるときはただただ驚いていたけど数年たって、ああすごいことが起こったんだな・・・と気付いたのだろうけど、事が大きくなる前に、どれだけの人が「こりゃ国の一大事だ」と気付けたのだろうか。自分がどういう立場で何をするべきか。それに気付くことってすごく大切なのだけど・・・それは、勤勉である、正直である、信頼がある、とは全く別の話。
    震災があって、テロがあって、紛争、ミサイル、貧困、さまざまな問題があるいまの日本は、世界は、「渦中」なのかどうか。
    数年後、数十年後、「いま」がどう語られるのか。
    それに気付けているのだろうか。
    私はどうすればいいのだろうか・・・
    とまあ、そこまで大きな問題じゃなくても、
    社会での立場 とか 家庭での立場 とか
    置き換えて考えることは様々できるなあと思った。
    ビジネスや暮らしのハウツー本を読むより歴史の本読んだほうがよっぽど腑に落ちるわー。
    まだ、上ですけど(笑)
    まだ、何も起こってませんけど(笑)
    中も下も楽しみだ・・・

  • 下巻まで読了。3週間くらいかな。

    上巻は退屈なほど。でもだからこそ、後半の彼の行動にもついていけるのだろうなあ。

  •  顔を少しあげ、谷の向こうの天を見つづけている。吉沢の存在を無視していた。この男の知的宗旨である陽明学の学癖のせいか、つねに他人を無視し、自分の心をのみ対話の相手にえらぶ。たとえば陽明学にあっては、山中の賊は破りやすく心中の賊はやぶりがたし、という。継之助はたとえ山中で賊に出遭うことがあっても、賊の出現によって反応するわが心のうごきのみを注視し、ついでその心の命ずるところに耳を傾け、即座にその命令に従い、身を行動に移す。賊という客体そのものは、継之助にあっては単なる自然物にすぎない。
     吉沢の存在も、自然物である。いわば、そのあたりの樹木や岩とかわらない。
     眼前に難路がある。これも、継之助の思考方法からみれば山中の賊であろう。継之助は、難路そのものよりも、難路から反応した自分の心の動揺を観察し、それをさらにしずめ、静まったところで心の命令をきく。
    (その心を、仕立てあげにゆくのが、おれの諸国遊歴の目的である)

     武士にとって最高のモラルはいさぎよさということであり、この道徳美は自分が武士であるかぎりまもらねばならぬ。この場合、家や家禄やわが身のいのちを目方にはかって行動をきめるようでは武士が立たず、その原則から考えれば、ぬく手もみせず肥かつぎの首をはねるべきであろう。
     が、そうもいかぬ。別に、それとおなじ重さの原則がある。百姓のいのちということである。当然、人間の本然のあわれみという惻隠の情というのがおこるべきであり、この情こそ仁の基本であると儒教はおしえている。武士の廉潔をまもるか、惻隠の情という人間倫理の原理にしたがうべきか、その両原則がたがいに相容れぬ矛盾としてそそりたっているだけに、この場合の判断が容易にできぬ。
    「人間万事、いざ行動しようとすれば、この種の矛盾がむらがえるように前後左右にとりかこんでくる。大は天下の事から、小は嫁姑の事にいたるまですべてこの矛盾にみちている。その矛盾に、即決対処できる人間になるのが、おれの学問の道だ」
     と、継之助はいった。即決対処できるには自分自身の原則をつくりださねばならない。その原則さえあれば、原則に照らして矛盾の解決ができる。原則をさがすことこそ、おれの学問の道だ、と継之助はいう。それが、まだみつからぬ。
    「だから、おれには、たとえ汚物をかけられても、斬るべきか、生かすべきか、まだわからぬ」

     説明が、むずかしい。
     継之助はかれ自身、自分を知識主義ではないとおもっている。
    ーー知識など、生き方のなんの足しにもならない。
    という側の信者であった。漢学を学ぶにあたっても万巻の書を読もうとせず、博覧強記を目標ともしなかった。知れば知るほど人間の行動欲や行動の純粋が衰弱する、という信条をもっている。どの藩にもいるあの知識のばけもののような儒者どもをみよ、と継之助は平素おもっている。それら、行動精神のない知識主義者をこの男は、
    ーー腐儒
    とよんでいた。
     継之助の知りたいことは、ただひとつであった。原理であった。
     歴史や世界はどのような原理でうごいている。自分はこの世にどう存在すればよいか。どう生きればよいか。
     それを知りたい。知るにはさまざまの古いこと、あたらしいこと、新奇なもの、わが好みに逆くもの、などに身を挺して触れあわねばならぬであろう。だからスイス人の招待を承諾した。

    「いったい、なぜ」
    と、継之助はことばをあらため、話題をするどくした。和泉式部はなぜそのように男遍歴をしたのか、ということであった。なぜか、なぜだろう、というのは、この男の思考癖である。ちょっと幼児のようだ。
     これには織部は当惑した。
    「なぜ……?」
     と、つぶやいた。こまるな、とおもった。そうきまじめにひらきなおられてはこまるのである。和泉式部は男が好きでたまらない、それだけのことではないか。なぜもなにもないであろう。
    「なにか、やむにやまれぬわけがあったのでありましょうな」
     継之助は自分のいまの遍歴におもいあわせているのである。
    むろんこの男は式部について勘違いをしている。和泉式部はあの歌ーー暗いところから暗いところへゆく人間のはかなさをせめては照らしてくれ山の端の月ーーという意味の歌を、ひどく深味のある厭世哲学あらわれかとおもい、その根源を知りたいとおもった。
     が、織部はこまった。この種の厭世趣味は平安朝の貴族たちのいわば美的生活の塩味のようなものであり、それほどめくじらを立てて考えこむほどのものではない。
    ーー式部は王朝貴族のたれもがそうであったように享楽主義でした。
    という意味のことを織部はいった。現世を謳歌し、性のたのしみを香しいものとして嘆美するためには厭世主義ーーいのちはこの世だけのもの、楽しまばやーーという、いわば慢性のやけっぱち精神がうらうちされていなければ享楽が美しさと輝きをおびて来ない、式部の場合もそういうことではなかったでしょうか、と織部は小くびをひねりながらいった。

    「おのれの好むところのみをおこない、好まざるところをおこなわず、ひたすらに避ける、という河井氏の態度や生き方はどうでありましょう」
    「人の一生はみじかいのだ。おのれの好まざるところを我慢して下手に地を這いずりまわるよりも、おのれの好むところを磨き、のばす、そのことのほうがはるかに大事だ」
    「怠け者の耳に入りやすいお言葉ですな。それでは、良薬ハ口ニニガシ、とか、艱難ナンジヲ玉ニス、という諺はどうなります」
    「貴公は、諺で生きているのか」
    と、継之助はふしぎそうに相手の顔をながめた。そういう人間の単純さのほうに興味をもったらしい。
    「いくつくらいの諺を、頭にのせて生きている。二十ほどか。それとも百もあれば安心するのか」
    「ばかな」
    相手は怒りだした。しかし継之助はしゃらりとした顔で、
    「諺なんざ、死物だぜ。世界中の諺を万とあつめたところで、どうにもならぬ」
    「話は百姓仕事のことです。諺のことではありませぬ。なぜ先生の開墾を手伝われませぬ。それでは方谷先生を愚弄していることになる。ーーいったい」
    と、若い内弟子はひらきなおった。
    「河井氏は方谷先生を尊敬なさっているのでありますか」
    「あたりまえだ。尊敬もせずにはるばる越後から来れるか。しかしながら尊敬するのあまり、おれのきらいな百姓仕事まで手伝うとなれば、これはおべっかさ。尊敬はあくまで醇乎たるべきものであり、おべっかがまじっては相成らぬ」

     ちなみに、日本人はずいぶんの昔から身につけている思考癖は、
    「真実はつねに二つ以上ある」
     というものであった、これは知識人であればあるほどはなはだしい。
     たとえば、
    「幕府という存在も正しくかつ価値があるが、朝廷という存在も正しくかつ価値がある」
     そういう考え方である。神も尊いが仏も尊い。孔子孟子も劣らず尊い。花は紅、柳はみどりであり、すべてその姿はまちまちだがその存在なりに価値がある、というものであった。
     一神教を信じている西洋人ならばこれをふしぎとするであろう。かれらにすれば神は絶対に一つであり、自然、心理も真実も一つでなければならない。
     が、日本人は未開のころから、山にも谷にも川にも無数の神をもっていた。どの神もそれぞれ真実であったが、そこへ仏教が渡来して尊崇すべき対象がいよいよふえた。さらに儒教がそれにくわわり、両手にあまるほど無数の真実をかかえこみ、べつにそれをふしぎとしなかった。
     しかも無数の矛盾を統一する思想が鎌倉時代にあらわれた。禅であった。
     禅は、それらの諸真実を色(現象)として観、それらの矛盾は「それはそれで存在していい」とし、すべてそれらは最終の大心理である「空」に参加するための門であるにすぎない、だから意に介する必要はない、とした。
     右は物の考え方のうえでのことだが、現実の暮らしのなかでも日本人は多神教的な気楽さとあいまいさを持ってきた。
    たとえば幕府や諸藩の役職は、かならず同一職種に二人以上がつく。江戸の施政長官である町奉行は南北二人存在し、二人が交代で勤務する。大阪の町奉行も東西二人であった。すべてが二人以上であり、その点で責任の所在がどこかでぼやかされていた。
     公務のための使者というのもつねに二人であり、二人でゆく。このため、幕末にオランダに留学した幕府の秀才たちは、むこうで子供からさえ軽蔑された。
    「日本人はいつも二人で歩く」
     それがよほどめずらしかったのであろう。そういうからかいの唄まで出来、子供たちは日本人のあとからついてきて囃したてた。
     が、継之助はこの点で異風であった。
    「御老中にお就きあそばすことは長岡藩の自滅を意味します。断乎、なりませぬ」
     と、殿様の忠恭に説きつづけるのである。
     忠恭は最初、
    (へんなやつだ)
    とおもっていたが、次第に接触するにつれてその論旨が高層建築のように土台があり、力学があり、層々として組まれていてもゆるがないものであることを知り、その「断言」に惚れるようになった。ついで継之助のことばの絶対的な響きに一種の信仰を感ずるようになり、
    (他の者はあいまいである。継之助は頼りになる)
    と思い始めた。

  • 上中下巻読了。越後長岡藩士、河井継之助のお話し。継之助がとても魅力的で読んでいる間は片時も手放せず、あっという間に読める。頭のキレル人はあたたかくて優しい。

  • 17/10/7読了

  • 河井継之助のことを全然知らずに読む。
    薩長土側(クーデター側)を痛快に書いた作品群とは異なり、政権側(但し末端)の視点の本作は、大企業に勤める組織人として感情移入しやすく、大変おもしろい。主人公の顛末を知らないだけに中下を読むのが楽しみ。

  • 特に深いものはないかな。紹介程度。これから何かをして行くだろうなーぐらいの感じ。

  • 久しぶりに痛快な、作品を読んだ。幕末だから、活躍できたともいえるが、先を見る力が尋常ではない。最近の売れ筋の本と比べると凄く楽しめる作品。主人公の継之助を私が、全く知らなかったから、余計楽しめたのだろう。

全168件中 1 - 10件を表示

峠 (上巻) (新潮文庫)のその他の作品

峠 (上巻) (新潮文庫) 文庫 峠 (上巻) (新潮文庫) 司馬遼太郎
峠(上)(新潮文庫) Kindle版 峠(上)(新潮文庫) 司馬遼太郎

司馬遼太郎の作品

この本を読んでいる人は、こんな本も本棚に登録しています。

有効な左矢印 無効な左矢印
司馬 遼太郎
有効な右矢印 無効な右矢印

峠 (上巻) (新潮文庫)を本棚に登録しているひと

ツイートする