峠(上) (新潮文庫)

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  • Amazon.co.jp ・本 (512ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784101152400

感想・レビュー・書評

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  • 大好きな作品。

  • 映画『峠 最後のサムライ』公式サイト 6月17日(金)公開
    https://touge-movie.com/

    司馬遼太郎 『峠〔上〕』 | 新潮社
    https://www.shinchosha.co.jp/book/115240/

  • 長岡藩士、河井継之助の物語。

    なんとしても江戸へ出府し、諸国を遊歴したいと望む継之助は、牧野家の首席家老稲垣平助に、毎日毎日しつこくその許しを請いに行く。何度あしらわれようとも、目的を果たすまで通い続け、ついに根負けさせて許しを得る。

    雪深い越後長岡から、江戸へ出るのに、春までまたずにわざわざ雪の中を一人出発する。

    世は朱子学が盛んであるというのに、彼だけは陽明学を行動の規範とする。

    上中下の三巻のうちの上巻冒頭の描写では、偏屈者のにおいが濃厚(笑)。そういうわけでネットで顔写真の画像を検索してみたところ、思わずうなづいてしまった。

    小説の中でも大変な自信家である。そしてまた強気である。相手が誰であろうと自分の主張を曲げることはまずない。また相手を睥睨するような性格も見え隠れし、手放しでは好きになれないタイプだ。

    しかし、その実行力は非常に優れていると感じる。これも陽明学をよりどころとしている一つの表れのようだ。

    上巻では、江戸へ出て古賀謹一郎の私塾に学び、それに飽きたりず備中松山藩の山田方谷のもとへ旅立つ河井が描かれている。彼は自ら人を求めていく。

    横浜では、当時の通訳の第一人者福地源一郎との接点を作り、時世の情報を収集する。また、方谷訪問の道中に偶然出会った吉田松陰門下の吉田稔麿と対話し、美濃では大垣の財政再建で名をあげている小原鉄心を訪れ、また恩師・斎藤拙堂に会いにいく。

    「拙堂先生は学者であり能吏であるが、おしむらくは思想がない。思想がないがため、将来を予言することはできぬ」と師に対しても手厳しい。が、師を超えようとする素直な思いであろうとも思える。

    桜田門外の変で大老井伊直弼が暗殺され、幕府の勢力が衰えていく時勢の中で、徳川三河系列の越後長岡藩の将来を見すえる継之助が、徐々に頭角を現してきた。

  • ▼「峠」(上中下全三巻)、司馬遼太郎。初出1966-1968、新潮文庫。幕末に越後長岡藩の家老として官軍相手に「北越戦争」を演じた河合継之助の話。個人的には数十年ぶりの再読。

    ▼司馬遼太郎さんの文章は多岐に渡って今でも商品化されていて。代表的な長編小説から短編小説集、いわゆるエッセイから、「歴史地理コンセプトエッセイ」的なもの、それから対談集に講演集…。全部は読めていませんし、再読も楽しい。司馬遼太郎さんの文章を読む、というのは最早個人的にはライフワーク…いや、というか生活習慣になっています(笑)。

    ▼何かのエッセイ的なものを読んでいて、司馬さんが自作を語る中で「”峠”はけっこう自信作だし好き」みたいなことを書いていたんです。そして電子書籍でセールのときに買っていて読んでいなかった。ので、手に取りました(電子だけど)。

    ▼発売当初、物凄いベストセラーになったそうですね。面白いですから。なんだけど、幕末に活躍したとはいえローカルな主人公だし、そんなに華々しい活躍無く敗北死してしまう。主人公は割と地味ですね。(竜馬とか西郷とか晋作とかに比すれば)

    ▼ちょこっと「胡蝶の夢」とか「花神」とかにも似ています。個人的にはどちらも凄く好きな作品。何が似ているかというと主人公が「自分探し的なさまよい方」をしている時間帯が長いこと。河合継之助さんが、言って見れば歴史の現場に躍り出てくるのは、確か中巻の後半からだったような(いや、下巻からだったかも)。それに、河合継之助がじゃあ「何を成したのか」というと、そんなに日本に刻まれるようなスケールのことは、何一つしてないんです。

    ▼でも、面白い。だから小説としては非常に上手く出来ていると思いました。河合継之助という人物が(厳密に言うと、「司馬遼太郎解釈版:河合継之助」ということですけれど。小説ですから)、変人である。自己完結しているし、平気で矛盾もしている。そして最終的に「長岡藩のために生きる長岡藩の家来」という非常に小さな(こんな長い司馬遼太郎作品の主人公としては、非常に小さい)テーマの中で峻烈に人生を終わらすわけです。

    ▼その人生の主題への拘り方を、滑稽に愛情豊かに描きます。そして主人公の周りが如何に、もっと大きなうねりの中で流れているかを描きます。それでいて主人公の「大きな流れに入らないもどかしさ」が上手く描かれていて、下巻で彼が「動き始める」ときに、マキノ雅弘のやくざ映画で終盤に高倉健さんが殴り込みにでかけるようなカタルシスがあります。

    ▼その、自分で設定した人生の主題を完遂する美意識みたいなものが、司馬さんの考える「描いてみたかった”侍”」だったんでしょう。鎌倉時代や戦国時代の”武士”とは異なる、江戸時代を経て幕末~明治の25年間くらい(黒船来航から西南戦争まで)の間、日本史を燦然と(あるいは不気味に)彩った、"サムライ”というのは、知れば知るほど他に例がない気がします。300年の泰平の中で観念的に醸成されてしまった、一種非常に”知的な蛮族”とでも言いますか…(もちろんそれは、所謂”武士階級”の中でも10%くらいだったでしょうけれど)。

  • 河井継之助の一生を描く。
    「原理」という単語がよく出てくるが、この「原理」を追求すべく生きたのが継之助。
    なんのために勉学をするのか、なんのために遊学するのか、その目的が非常に明確で、惹きつける。

  • 流石でございます。
    司馬先生。

    読み出したら止まらない。
    夜が明けてしまいました。

  • 登場人物が多く、情景が変わっていくので読むのに骨が折れるが、面白い。
    倒幕寸前の時代に、日本を周遊して知識を得ている河井継之助。女郎を愛し、何でも思ったことはすぐ行動し、好きなことはとことん突き詰めるタイプのかなり独特な人物だが、こんな人だったからこそ、激動の時代に藩主に助言できたのだろうと思った。
    でも、この人の助言を聞こうと思わせる背景(父や義兄の活躍?)がすごいなあと思った。
    すごい人の裏にはそれを支えたすごい人がいたのかもしれない。

    初めはよくわからなかったが、読んでいくうちに面白くなっていく。

  • 司馬遼太郎の長編作品は、2012年の1月に読んだ「項羽と劉邦」以来。おおよそ4年ぶりの長編作品として手に取った本書は、期待以上の素晴らしい作品でした。上中下の全3巻。

    本書の主人公は、越後長岡藩牧野家の家臣である河合継之助。「北国は、損だ」としみじみ思う継之助は、類い稀な先見性と並外れた器量の持ち主であります。上巻では、人物としての継之助が描かれる場面がチラホラ。こういう人物描写は、司馬遼太郎作品の大きな魅力のひとつかと。気に留めた描写をいくつか抜粋。

    「継之助は、色のあわい、鳶色の瞳を大きくひらいていった。人間はその現実から一歩離れてこそ物が考えられる。距離が必要である、刺激も必要である。愚人にも賢人にも会わねばならぬ」
    「人間万事、いざ行動しようとすれば、この種の矛盾がむらがるように前後左右にとりかこんでくる。大は天下の事から、小は嫁姑の事にいたるまですべてこの矛盾にみちている。その矛盾に、即決対処できる人間になるのが、おれの学問の道だ」
    「志の高さ低さによって、男子の価値がきまる」「男子の生涯の苦渋というものはその志の高さをいかにまもりぬくかというところにあり、それをまもりぬく工夫は格別なものではなく、日常茶飯の自己規律にある」
    「武士とは、精神の美であるという。しかもその美は置物の美ではなく、骨っぷしのたしかな機能美でなければならない」

    そんな継之助ですが、幕末の大きな奔流には勝る術がなく、ついに押し流されてしまいます。これは、彼が拠点とする越後の国が時代の主流である江戸や京から離れているからかもしれません。しかし、時代に飲まれたとはいえ、彼の魅力が落ちるわけではありません。下僕に自らの棺をつくらせ、庭に火を焚かせ、病床から顔をよじって終夜それを見つめ続けた孤高の精神は、物語の最後に至るまで読者を魅了し続けるのでした。

    さて、本書を読み終えて改めて感じるのは、継之助という人物の捉え難さです。物語の前半では、継之助は既存の考えに縛られず自由闊達に思想をめぐらす人物として描かれています。開明論者であり、「士農工商はやがて崩壊する」、「武士の時代は滅びる」といった発言からも、非常な先見性を感じられます。ところが、越後長岡藩の主導者として藩政を任せられる立場になると、継之助の自由人らしい言動はどこか影を潜めます。そして、結果的に幕府側に立つことになった継之助は、官軍と北越戦争を繰り広げ、そして自藩もろとも滅んでしまう。どうも前半の自由人である継之助と、後半の主導者としての継之助は、同じ人物でありながら矛盾を感じてしまうのです。
    本書解説を借りると、「この矛盾に対して、司馬氏が見出した解答は河井の武士道倫理であった」とのことで、「自由人である河井継之助はいろいろなことを思えても、長岡藩士としての彼は、藩士として振舞わなければならない、そういう立場絶対論といったふうの自己規律、または制約が、河井の場合には非常に強烈だったろうと思うんです」と司馬遼太郎の文章を引用しつつ、解説しています。たびたび、継之助は「立場がひとをつくる」といったような発言をしていましたが、継之助の志を保つ自己規律には、もしかしたら「立場」という要素が含まれていたのかもしれません。そして、藩の主導者という立場となった継之助は、武士道倫理、すなわち侍として生きることに決めたのかもしれません。

    侍の終焉を予期した継之助が、侍として世を去る描写は、決して皮肉なものではなく、「私はこの『峠』において、侍とはなにかということを考えてみたかった」との著者あとがきのとおり、「いかに美しく生きるか」という武士道倫理のあらわれなのでしょう。

  • 司馬小説の醍醐味は人物の新発見にある

  • 幕末、長岡藩の河井継之助の話。
    上巻は静かに進む。風雲時を告げる中巻へ。

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著者プロフィール

司馬遼太郎(1923-1996)小説家。作家。評論家。大阪市生れ。大阪外語学校蒙古語科卒。産経新聞文化部に勤めていた1960(昭和35)年、『梟の城』で直木賞受賞。以後、歴史小説を次々に発表。1966年に『竜馬がゆく』『国盗り物語』で菊池寛賞受賞。ほかの受賞作も多数。1993(平成5)年に文化勲章受章。“司馬史観”とよばれ独自の歴史の見方が大きな影響を及ぼした。『街道をゆく』の連載半ばで急逝。享年72。『司馬遼太郎全集』(全68巻)がある。

「2020年 『シベリア記 遙かなる旅の原点』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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