散歩のとき何か食べたくなって (新潮文庫)

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  • 新潮社
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本棚登録 : 973
レビュー : 103
  • Amazon.co.jp ・本 (264ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784101156101

感想・レビュー・書評

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  • 時代を感じる食エッセイ。
    なにか食べたくなります。
    読むときは、お酒とおいしいおつまみが欲しいです。

  • 2008年06月03日 22:02

    今まで読んできた食をテーマにしたエッセイの中で、唯一苦手です。

    一話目から若干いやな感じはしてた。
    三話目ぐらいで判明。懐古主義もいいとこ。

    ・昔はよかった
    ・貧しくても、客にも店にも心があった
    ・心があったからおいしかった
    ・店主のこだわりがあった
    ・今は(頑固店主とは別の意味で)客に対して偉そうな店が増えた。食わせてやってると思ってる
    ・・などなど


    うん、わかったよ!!
    昔は心があってよかったね!
    でもおいしかったのは心のおかげじゃなくて、君が貧乏で飢えてたからだと思うよ!
    食べ物屋だけじゃなくて、読者に対して「読ませてやってる」って思ってる作家もいるよね!誰とは言わないけど!

    って感じで本棚の奥に行きました。

  • 初めて読んだ池波作品はこの本だった。当時の彼氏に会いに、一人で京都に向かう新幹線の中で読もうと思って、父の書棚から適当に借りた気がする。
    その時はまだ父と池波さんに手紙のやり取りがあったのは知らなかった。

    20代になってばかりの私にはなかなか行けないようなお店ばかりで、でも描写がとてもおいしそうで、大人って羨ましいなぁと思った。
    最近読んでいないけれど、自分も大人になった今なら、すでに足を運んだお店もあるかしら。

  • この店で出す酒の肴、鮨のありように、私は、その〔こころづかい〕を感ずる。ではその〔こころづかい〕の実態が、どのようなものかということを文字にしてあらわしてしまっては、かえって味気ないことになるだろう。

    行って、食べて、勘定をはらってみれば、だれの目にも舌にも、たちどころにわかることだ。

    美食家である池波正太郎、この人は、具体的な”味”について、ほとんど言及しない。それなのに読むと不思議と涎が口を満たしていく。まるで、素晴らしいにおいのただようお店の奥まで案内をして、「さぁ、味わうのはお前さん自身なんだから。」と言わんばかりだ。

  • 昭和の時代が色濃く濃厚に香る本です。いつか各々の店に行ってみたいけれど、かなわぬ夢なのでしょう。

  • 俗に池波正太郎のファンには三種あるという。言わずもがな時代小説ファン、映画のファン、そして食べ物のファン。私はどれにも属さないが、それは池波正太郎の全ファンが好きでないからである、という全方位に嫌味たらしい理由からくるものでもある。

    それでもこの表紙カバーはあまりに魅力的だし、タイトルの軽妙さはどうか。この中におさめられている「行ってみたいなあ」と心ならずも思った店は食べログで検索すると今でもちゃんと残って☆4つ近くをとどめている。
    私がなぜ池波ファンを好かないか。それはこのエッセイの中にちゃんと作者自身の言葉で記されている。
    「新しいものは何かというと、それは、だれもが知りつくしている味気ないものなのである」

    御大にも小学校を出、初めて知る、初めて足を運ぶ店はわくわくしたろう。それは「誰もが知りつくしている」ものではない。
    30年、40年通いつめる店であっても必ず最初の一日はあったはずだ。
    時代が変わるのではない。自分が変わったのだ。歳を取ったのだ。
    若い者に同じ立ち位置を押し付けてはいけない。

    だから自分の足で、自分の年月でそれを筆にのせてきた文豪の尻馬に乗り、
    ただ読んだだけで我もこそは池波の目でその店を見るのだというファンを私はどうしても好きになれない。
    2020年の今でも残る、愛する作家の愛した店を訪れるのならばファンなどと名乗るのはおこがましいぜ。
    すみっこに座って燗酒一本やって、恥ずかしそうにお愛想を頂戴するのが立場ってもんだ。

    とかたくなに思うのはやっぱり私は池波文学に向いていないのだな。本当に楽しく読ませて頂きました。浅草の金寿司に行くときはすみっこでいたたまれない一見になりたい。

  • 大好きな本

  • 各地の名店ズラリ
    池波正太郎は、行きつけの店についてエッセイで結構書いています。これまで読んだものでは、都内の行きつけや大阪・京都などの関西方面が中心でしたが、本書ではそれにとどまらず横浜や名古屋、滋賀、信州など幅広く書かれています。

    作家さんて部屋に篭ってずーっと原稿用紙と向き合っているイメージが強かったのですが、池波正太郎は本当に色んな所に出かけていて、それで作品を書き上げるというのは凄いなぁと思いました。
    いや、色んな所に出かけるからこそ、刺激を受け作品が生まれる、のかもしれませんね。

    江戸時代の残り香
    本当に色んな所で色んな店に入っていますが、共通しているのは昔の香りが残っているお店です。
    昔から変わらぬ店構えや座敷、横浜だったら異国情緒溢れる店内、そして店員の仕事に対する真摯な姿勢。そういうものが残っているお店が池波正太郎にとっての名店なのでしょう。無論、料理が美味しいのは当然ですが。

    このエッセイは私が生まれた頃に書かれたようです。ざっくり言って40年程前になります。その時点で、東京の変貌を嘆いておられました。京都についても、その更に10年程前の段階で”古き良き京都を見られるのは今のうち”と思っていたようです。

    変貌のターニングポイントとして東京オリンピックが挙げられています。東京は、関東大震災や戦争で町並みはかなり変わったと思いますが、戦前かろうじて残っていた江戸の香りが戦争でほぼ無くなり、東京オリンピックで江戸時代からあった掘割を埋め立てたりビルを建てたりしたあたりでトドメが刺されたのでしょう。

    現在の、ショッピングモールやシネコンが乱立している都内を見たら何と評するでしょうね。
    それに近いことが書かれていますので、興味あったらぜひ。

  • 図書館へ行った際、気になるCDのタイトルだったので借りてみました。なので、これは目で読んだのではなく、耳で聴いてみての感想になります。

     この本は、その場所に関する過去、現在を食べ物にまつわる思い出とともに書き記したものです。
     時間にして13~15分くらいの話が20くらい収録されていました。
     主に東京の話が多いですが、他にも京都や横浜、名古屋やフランスなどの話が書かれています。

     全体を通して思ったことは、こんなにも食べるという行為に対して想いを巡らせる人がこの世界にはいるのだな、ということです。
     自分自身がそれほど食に関心がないせいなのか、自分は食べるという行為に対して特別何かを考えたことはなかったと思います。そういった点でもある意味で斬新でした。
     池波正太郎さんにとっては、一貫して楽しみであり、子どもの時分には大人を気取る行為であり、思い出のワンシーンなんだな、と感じられました。それは、単純に食べ物としての料理でなく、人との思い出がつまった大切な記憶なのだと。
     
     たまたま一緒に聴いた家族は、「美味しそうなんだけど、今の東京がよっぽど気に入らないんだろうか」といったような言っていました。確かに自分も何度もそういった内容を聴いた気がしたのでそういう気はしました。でも、好きだった故郷の街がその名残を残さず変貌していけば、誰でも似たような気持ちを少なからず持つのではと思い、そこまで気にはなりませんでした。
     それよりも、どのような料理をどのような状況で食べたかを詳細に書かれたシーンを連続で聴いていると、あまり食に関心のない自分でもお腹がすいてきてたまりませんでした。

     昔の情景を頭に浮かび上がらせ、今の自分には自然と食欲を呼び起こしてくれる、良いエッセイだったと思います。

  • 古き良きを感じさせる食エッセイ

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著者プロフィール

1923年東京浅草生まれ。60年「錯乱」で直木賞受賞。77年「鬼兵犯科帳」「剣客商売」「仕掛人藤枝梅安」の三シリーズで吉川英治文学賞を受賞した。90年没。

「2017年 『西郷隆盛 新装版』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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