- 本 ・本 (544ページ)
- / ISBN・EAN: 9784101156385
感想・レビュー・書評
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秀吉が亡くなり天下の行方が混沌としてきました。
真田家の行く末は。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
【再々読】
血沸き肉躍る!!
秀頼誕生 ― 真田太平記㈤
2011.02発行 大活字文庫の真田太平記㈤第1巻~第3巻。
上信州にまたがる真田家の領地を守るため、真田昌幸、長男・信幸、次男・幸村の活躍の物語です。
第1巻
豊臣秀吉に子息・秀頼が誕生しました。真田昌幸は、長男・信幸と一緒に秀吉亡き後は徳川家康を頼みにして行く方針でしたが、秀吉の血を分けた子が生まれたからには、昌幸は、秀吉亡きのちも豊臣家を支持して行く方針に変わり、信幸とは、将来の進むべき道が違う事となりました。
第2巻
秀吉が亡くなりました。家康は、秀吉と取り交わした約束を無視して伊達政宗、福島正則、蜂須賀家政の3家と婚姻の約束を結びと独断で事を進めます。これに石田三成が詰問するが家康は、のらりくらりとかわしていきます。
向井佐平次の息子・佐助15才が、真田忍びとして戦列に加わる日が近づいて来ました。
第3巻
家康は、自身が天下の主になるべく、大阪の豊臣秀頼を立てつつ豊臣家の家臣団を分裂させて行きます。そして、石田三成が自滅するように謀っていきます。とうとう三成は、加藤清正、福島正則などから逃げるため家康を頼り、全ての官職を失って佐和山城に帰ることとなります。
佐助は、真田の草の者として、佐和山に近い長曾根の忍び小屋にて佐和山城の見張りにつきます。
【読後】
秀頼の誕生、秀吉の死亡、前田利家の死亡、そして、家康の動きが早くなってきています。
まさに第5巻は、激動の時代の前夜といった感のある巻です。
あとに真田十勇士として幸村と共にする猿飛佐助が、真田忍びとして動き出します。これからが楽しみです。
【音読】
誤嚥防止のために、大活字文庫「真田太平記」で音読を6月27日から行っています。
舌を噛み、舌の先に出来た口内炎が大きくなり食事もままならなくなり何回か中断しましたが、何とか継続しています。
大活字文庫「真田太平記㈤」の底本は、新潮文庫です。このため登録は「真田太平記㈤ (新潮文庫) 」で行います。
10月3日~17日で新潮文庫の真田太平記㈤に相当する。大活字本の真田太平記㈤第1巻~第3巻を、音読で読み終りました。
2020.10.17読了 -
何かと二項対立的な回だったな。
秀頼と秀次、猫田とお江、角と佐助、文治と武断。
まあ物語ってそういうものって言えばそうなんだけど、対立が目立つ印象だった -
秀吉が亡くなり、利家も亡くなった。
いよいよ家康の天下が近づく中、佐平次の息子佐助が草の者として育つ。
36冊目読了。
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5巻秀頼誕生
豊臣家に生まれる命と、失われる命。
昌幸は秀吉がお気に入りです。
秀吉の息子の鶴丸君が生まれますが、幼くして亡くなります。
昌幸は「惚れた男の天下は短い」と嘆き、豊臣の天下を諦め、今後は徳川に着くと真田家の意思が一致します。
秀吉の朝鮮出兵は泥沼化。
その数年後にまたしても男児、のちの秀頼が生まれます。
昌幸の秀吉贔屓心がまた首をもたげます。
しかし豊臣家を支えてきた秀吉の弟秀長、秀吉の母なか、秀吉の甥秀勝、秀保が亡くなります。
そして秀吉の跡継ぎとされていた関白秀次の自害。
秀吉はただただ秀頼の行く末に心を痛めますが…豊臣家は内部から崩れかけています。
そして秀吉も衰えて生涯を終えます。
「五人の大老たちよ
秀頼のことを、くれぐれも、たのみまいらせる。たのむ、たのむ。
自分は間もなく死ぬるが、まことに、名残おしいことじゃ。
秀頼が大きくなり、立派に豊臣家のあるじとなるよう、たのみまいらせる。
このほかには、おもい残すことはない。
八月五日
秀吉
いへやす(※家康)
ちくぜん(※前田利家)
てるもと(※毛利輝元)
かげかつ(※上杉景勝)
ひでいへ(※宇喜多秀家)
まいる」
この遺言は亡くなる直前に残したもので、
有名な辞世の句の
「つゆと落ちつゆと消えにしわが身かな なにはの事もゆめの又ゆめ」
は死の数か月前の醍醐の花見のあとに詠んだものとしています。
天下人に登りつめた秀吉が辿り着いた達観の境地としてこの辞世の句は秀吉の評価を高めていると思うのですが、
私にはどうも秀吉の最晩年の未練と怯えの様子とこの達観さが一致せず…。
事前に作っておいたとしてもやはり最晩年の様相と、この辞世の句がイマイチ一致しない。。
ある作家の考察で「祐筆の代筆だろう。秀吉はこのような句を詠める心境ではなかった」と書いていたけれどそっちの方がわかる。
さて。
この時昌幸53歳、信幸34歳、幸村33歳、向井佐平次36歳。
壺谷又五郎は50歳くらいでお江さんは41歳くらいかな。徳川からの嫁を迎えた信幸と、秀吉贔屓の昌幸の関係はそっけなくなっています。
信幸の家臣として重要な人物として鈴木右近がいます。秀吉による小田原攻めの発端となった名胡桃城城主鈴木主水の息子です。名胡桃城が真田に戻ってからは城主に推挙されますが、右近は信幸の部下となることを望みます。
鈴木右近と信幸はこの先長い長い長い主従関係を築いていきます。
そして昌幸父子のアドバイザー的存在、昌幸の叔父の矢沢頼綱が亡くなります。
年と共にさらに頑強に皮肉になって行く頼綱は病床で
「これよりは重苦しゅう思案なさるまい。真田の家ひとつ、天下にあってもなくとも、どうでもよいと、いまこそ、それがしは分かり申した」と嘯きます。
秀吉が自分の息子による天下体制をただただ憂いてこの世に無念を残した無残な心情とは対照的となります。
しかし読者としては、たしかに「あってもなくても歴史は大きく変わらない」人物が動かした歴史というのはかなり面白いのですけれどね。 -
秀頼が誕生し、秀吉が没する。
朝鮮出兵を端に発した加藤清正等武断派と石田三成等文治派の対立が深まるり、三成は家康に助けを求めた結果佐和山で蟄居することになった。
晩年の秀吉が哀れ。
どのように権勢を得ていても老いるという事は哀しく酷い。 -
#3390ー60ー213
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前田利家の最後が、とても勿体なくそして夫婦のやり取りに少しくすっとできたました。確かにあと5年あれば何かが違ったかもしれない。でもそれは変えられない事なので。秀頼誕生で今が変わったのかもしれないし、結果は大きく変わらなかった気もするし。でも、当時の人達の命運は相当大きく変わったであろう、と思うので一人の命の重みを感じた読後でした。続きも楽しみ。
著者プロフィール
池波正太郎の作品





