真田太平記 (八) 紀州九度山(新潮文庫)

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  • Amazon.co.jp ・本 (626ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784101156415

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  • 2017.3.27
    九度山に謹慎となった、真田親子。家康が着々と権力を確立していく。

  • 名文を引用します。

    うなずいた五郎右衛門が、にっこりと笑った。
    それは、春の陽を受け、凪わたった海原を海原をおもわせるような微笑であった。
    このときの柳生五郎衛門の笑顔を、滝川三九郎は生涯、忘れなかった。(新潮文庫181ページ)

  •  蟄居生活が10年にもなろうとする真田父子。無為の毒に侵されそうになるが、これを打ち破るのは戦乱の匂いなのか。
     家康上洛・秀頼上洛という二条城会見を目前に控え、今まさに昌幸の命の炎が消えゆかんとする。

     年齢を経てからのお江の魅力と、幸村との交情の美も際立つ本巻。

  • 関ヶ原後の戦後処理が描かれる(8)。
    本多忠勝の凄み、加藤清正の有能が強調されてるけど、一番は山中大和守だなぁ。時代は「狡兎死して走狗烹らる」情勢に移りつつあるのだけれど、甲賀の頭領は流石なのだ。

  • 関ヶ原の後、高野山で静かにその時を待つ真田昌幸、幸村。
    この二人の様子は、ほとんど描かれずに、草の者たちの奔走などが中心だ。
    家康の力が大きくなる中、最後のチャンスと覚悟を決めるお江たち。

    それにしても山中で静かに時を待つなんぞ、精神的にさぞ滅入ることだっただろう。

  • 関ヶ原の戦いで敗れ、逼塞の日々。

  • この巻は真田昌幸、幸村ともに九度山に蟄居していたため、動きは少ない。その分草のものの動きが目立つ。著者はお江のことを生き生きと描きたいのか、最初からずっと登場していて輝きは失せていない。只、大和守俊房も含めて皆年をとっていき動けなくなっていくのはしょうがないのか?彼らがいるからこそ武将たちは戦ができる。土木と建築の名人、戦の名人である加藤清正はすごい人だと思う。彼の築いた熊本城が今回の地震で倒れたのは何とアンラッキーなことか。真田氏はずっと雌伏しているが次はどうなるのか?お江は家康を襲うのか気になる。

  • 耐える時

  • 兄信幸の義父本多忠勝の懇願により、家康の赦しを得、真田親子は高野山の九度山に追われた。関ヶ原の戦後、家康の勢力は圧倒的に。真田親子の世に出る機会も小さくなっていく。2016.1.30

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著者プロフィール

大正十二(一九二三)年一月二十五日、東京市浅草区聖天町生まれ。昭和十(一九三五)年、下谷区西町小学校卒業、株式仲買店勤務。昭和十四年より三年ほど証券取引所にあった剣道場へ通い、初段を得る。旋盤機械工を経て昭和十九年、横須賀海兵団入団。敗戦の翌年、東京都職員として下谷区役所の衛生課に勤務。昭和二十三年、長谷川伸門下に入る。昭和二十五年、片岡豊子と結婚。昭和二十六年、戯曲「鈍牛」を発表し上演。新国劇の脚本と演出を担当する一方、小説も執筆。昭和三十年、転勤先の目黒税務事務所で都庁職員を辞し、作家業に専念。昭和三十五年、『錯乱』で直木三十五賞受賞。『鬼平犯科帳』『剣客商売』『仕掛人・藤枝梅安』の三大シリーズや『真田太平記』等、数々の小説で人気を博す一方、食や映画、旅に関する著作物も多く上梓した。受賞歴はほか吉川英治文学賞、大谷竹次郎賞、菊池寛賞等。平成二(一九九〇)年五月三日、入院していた東京都千代田区神田和泉町の三井記念病院で死去。小社では同じく単行本未収録のエッセイ集『一升桝の度量』(二〇一一)と初期戯曲集『銀座並木通り』(二〇一三)を刊行している。

「2022年 『人生の滋味 池波正太郎かく語りき』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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