- Amazon.co.jp ・本 (487ページ)
- / ISBN・EAN: 9784101158396
作品紹介・あらすじ
出会いは、1961年の夏。四角い顔に細い目のその男は、33歳。NHKのドラマで全国区の人気者になる寸前。僕は28歳で、小説を書き始めていた。"芸"への強い興味だけでつながっているような、奇妙な関係。底知れぬ凄みを示したかと思えば、なんともいえないおかしみも持っていた彼はやがて、"寅さん"となった-。虚構に殉じた男の若き日の素顔を丹念に浮かび上がらせる、実感的人物伝。
感想・レビュー・書評
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寅さんこと渥美清が、寅さんになるまでの話。
渥美清=寅さん 誰もが思い浮かべるこのイメージを、ある意味壊している本。
俳優・渥美清は批評家や観客の評判を非常に気にする。出来上がった作品を試写室で観ずに、必ず一般の劇場で観て、観客の反応をみる。芸に対する貪欲さもあるが、どちらかというと向上心というよりは評判を気にしているようなところがる。
人気の役者に対しては強烈なライバル心を燃やす。というかダメ出しばかりする。フランキー堺なんかはけちょんけちょんに言う。見下している。自分のほうが実力は上なのにとやっかむ。
寅さんからはあまりイメージできない、俳優としての貪欲さが随所にみられる。
脇役の配役でも、前に前にと出てくる。アドリブ連発で主役を飲み込もうとする。時には映画そのものをぶち壊すようなことをしてでも、自分を前に出す。
どうも寅さんのようなおおらかさがない。ギラギラとして、チャンスを伺っている。狡猾な面もみえる。
そんな渥美清が寅さんという役を与えられたばかりに、実は渥美清の役者としての可能性を限定してしまったんじゃないかと、と著者は考える。
寅さんの撮影中に暴走族が現場に乱入してきて、撮影が中断したとき、スタッフが右往左往して何もできなかったのを横目に、渥美清はその青年たちを呼び寄せて、ドスの利いた声で何やら諭した。渥美の凄味にビビった青年たちは、去っていった。寅さんだから、有名人だからということで青年たちは去ったのではなく、渥美清にビビって逃げたのだ。
著者の前でぽつっと漏らした 「俺も前が前だからな」という言葉の真偽は不明だが、その筋の世界にいたとしても不思議はない凄みが渥美にはあった。
渥美清を評して樹木希林もこんなことを言っている。
「寅さんがヒットしなかったら、もっと深い悲しみや喜びを表現した俳優になっていたでしょうね」
(渥美清没後20年 寅さんの向こうに 週刊朝日MOOK より引用)
寅さんは渥美清の一面でしかない。
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渥美清の自伝ではない。あくまで、筆者と渥美清との交流を軸とした随想録ともいうべき作品である。
序盤は、往年のコメディアンとの関わりあいの場面が多く、とっつきにくかったが、さすがに「男はつらいよ」(テレビ版)あたりから、スムーズに読めた。
「男はつらいよ」はやがて映画化され、通算48作という空前絶後のシリーズ作となるわけだが、果たしてこれが渥美清にとってはどうだったのだろう。
このあたりは筆者は辛辣である。渥美清は強烈な上昇志向の持ち主だったという。「男はつらいよ」で、ある意味「天下を取った」のだが、逆に失ったものも多かったのではないだろうか。
晩年の描写は、読んでいて辛いものがあった。
謎の多い人物だったという。そんな渥美清、いや田所康雄の人間性を筆者なりに浮かび上がらせた秀作である。 -
パートナーに薦められて読んでみた。「寅さん」映画は数本しか観たことがないけど、渥美清って、人を笑わせる演技をしていても、どこか冷めてるというか、目は笑っていないというのをいつも感じていた。改めて全部観たいと思った。でも、「寅さん」だけじゃない渥美清がここには描かれていて、虚像化する「寅さん」との葛藤がよく伝わってきた。それと、文章というか著者の渥美清に対する突き放し方が淡々としていて、情緒的じゃないところがまたよかった。
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本書を読むきっかけになったのは、最近初めて「男はつらいよ」を最初から最後まで見たことによる。案外面白いと感じた(年を取ったせいかもしれない)。
作品のヒロインは昨年亡くなった大原麗子さんだ。
本書を読んで感じたのは、「男はつらいよ」シリーズが延々と続いたため、彼(渥美清さん)は演じる幅が大いに制限されてしまったのだなということ。もし制限されなければ、もっと役者として大成できたのではないか。
「男はつらいよ」が長寿シリーズになったので松竹に利益をもたらしたが、果たして役者としての彼はそれでよかったのだろうか。彼は若いころに大病し、体は丈夫ではなかったが。
「男はつらいよ」最後の作品、48作目のメイキング(「NHKのドキュメント」)が本になっている。
内容が本文に参照されているが、読んでて非常に痛ましく感じた。