この土の器をも―道ありき第二部 結婚編 (新潮文庫)

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  • Amazon.co.jp ・本 (288ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784101162041

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  • 三浦綾子氏の自叙伝三部作の第二部。本作品は処女作『氷点』が朝日新聞小説の大賞を受賞するまでを描き、主に三浦綾子氏と夫である光世氏との旭川での生活が描かれている。

    信仰に生きて穏やかに慎ましやかに日々を送る2人の姿が印象的だ。夫婦とも長く病に臥しており光世氏35歳、綾子氏37歳での晩婚であったが、ゆえに平穏な日常に感謝する姿が意味合いを帯びてくる。綾子氏自身はとても社交的で自身で雑貨店を開業し成功させる当時の女性像とは一線を画すほど活動的な方であったようだが、13年という病そして大切な人々との別れと聖書との出会いが「生きる」ことの真剣さを綾子氏にもたらしたのであろう。光世氏が度々語る「神が与えてくれる」という言葉、真摯に人生と向き合う大切さを教えてくれる。

  • 第一部から第三部と3冊の文庫本が在る。その中の第二部である。少し前に第一部を読了していて、「続き」に相当する部分も多い訳で、興味深かった。
    美瑛を訪ねた際に、十勝岳の噴火災害の経過ということで話題になる小説の『泥流地帯』を手にしてみて、三浦綾子作品に関心を抱くようになった。何作かに触れた中、その来し方を綴った内容の『道ありき』が佳かったとする知人の感想を聞き、比較的短い期間で本作に触れる機会を設けてみた。『泥流地帯』について聞いてから手にする迄にはかなりの時日を要したと思うが、『道ありき』については何時迄も放置せずに、聞いてから然程の時日を経ずに手にしたのだった。
    『道ありき』は、三浦綾子の自伝と言われている。が、作品を読む中では「小説を発表し、作品が好評を博して名を成した主人公が、御自身の来し方を振り返っている物語」という「純粋な小説」というような感も抱く。そういう雰囲気が好いように思った。
    第一部では、戦前に就いていた小学校教員の仕事から退いた戦後に病を得てしまい、婚約を破棄して療養生活に入り、そうした中での様々な出会いを経験して来た様子が綴られる。そして障害の伴侶となる三浦光世と出会い、「病気がよくなったら…」と申し出を受け、何年も経って結婚をした。
    この第二部では、結婚をした後の暮らし振りと、「小説家 三浦綾子」が世に出る契機となった『氷点』を綴って新聞社の懸賞に応募し、入選する迄の時期を振り返っている。
    長く療養生活の中に在って、外を歩き廻っていないので、外に出れば眼に留まったモノに一つずつ感銘を受けて「あれ!」と感嘆して、傍らの「ミコさん」に話し掛ける綾子である。その「傍らに話し掛ける人が在る」ということの「歓び」が溢れている様子が凄く強く感じられた。
    現代の言い方では「1K」というような感じになると思うが、1部屋に台所や御手洗が在るという小さな家に三浦夫妻は暮らし始める。そういう中で、以前から縁や交流の在った人達との間で、新たに出会った人達との間で色々な出来事が重ねられる。やがて家主の都合も在って、夫妻は移転を余儀なくされる。そして色々と経過が在って、思い切って小さな家を建て、綾子は家で雑貨店を営むようになって行った。
    そういうような経過が、夫妻が詠んだ短歌も交えながら綴られる。三浦綾子は短歌の同人誌に参加して作品を発表するようなことは続けていた。そして雑誌の募集に応じて綴ったエッセイが誌面に掲載されたという経過も在った。が、特段に「文学的履歴」という程のモノは無かった。文学の世界では無名な、客観的に言って「旭川の雑貨店のおばちゃん」という以上でも以下でもなかった。そこから思い立った小説を綴り、「12月31日消印」という締切だったので、その日に郵便局へ走って懸賞に応募した。それが入選した訳だ。
    本作を読み進めると、御夫妻や身近な人達の来し方に纏わる挿話が色々と出ていて、「あの作品の、あの人物の設定に反映?」というような内容も在り、そういう「小説作品のバックステージを観る」という面白さも在るかもしれない。
    しかし、そういうこと以上に心動かされるのは「御夫妻の生き様」というような事柄だと思う。『道ありき』という題名そのものに様々な意味合いは込められていると思うが、自身が感じるのは御夫妻が生きる“道”を見出して、歩んで来た“道”の途中で少し振り返っているというような様子だ。長い病気療養を経て、何事にもとにかく熱心な綾子と、彼女を包み込むように傍らに在る光世の御夫妻、互いに「傍らに話し掛ける人が在る」ということを「生きる歓び」のようにしている生き様と感じられた。
    出会い、紐解くことが叶って善かったと強く感じた作品であった。広く御薦めしたい。

  •  三浦綾子氏の自伝の第2部である。

     結婚後、雑貨店を開き、小説「氷点」が入選するまでの話。

     充実した結婚生活を送りながら、小説を書き、雑貨店をきりもりする彼女は、夫に色々と話をしながら、時には反対されながらも自分の意志を通しながら、生活を送る。そんな中でも夫はキリスト教の信徒としてどう生活・行動すべきかの軸はぶらさない。ただ、キリストのみを信じ、信じたら疑わないのである。

     ある時、彼女が夫のお気に入りの背広をクリーニング屋に出し、それを店員が盗んで逃げたといわれる。彼女でも誰でもそう思うと思うが、弁償してもらおうと彼女は夫に言う。その時、夫は彼女をたしなめるのである。「綾子は聖書を読んでいるか。聖書にはなんと書いてある。許してやれと書いてあるだろう。いいかい、綾子、許すと言うことは、相手が過失を犯したときでなければ出来ないことなんだ。何の過ちも犯さないのに、許してやることは出来ないだろう。だから許してやりなさいよ。弁償せよ、などとは決して言ってはいけない。」人を許し、人を受け入れることは、人間誰しも容易に出来ることではない。結婚と言うものも、二人の人間が、お互いに全面的に相手を受け入れなければ成り立たないものではないか。すべてを許しあうのが結婚生活でなければならないと彼女はその時思ったのである。

     姦淫の場で捉えられた女を人々がキリストの元に連れてきたときのキリストの言葉で「あなた方の中で罪の無いものが、まずこの女に石を投げつけるがいい」と言った。当時、ユダヤでは、姦通した者は石で殺せという律法があったのだ。ここで、このキリストの言葉を聴いて、人々は一人去り、二人去りして、ついには全部去ってしまったという。本当に自分を罪ある者と思うなら、人を裁くことは出来ない。責める事は出来ない。

     彼女が物を書くについて、重要なきっかけを作ってくれた牧師に、中嶋正昭牧師と言う方がいる。その方は結婚式で司式をしたが、「結婚式をしたからといって、直ちに夫婦になったとはいえない。夫婦とは一生かかって努力しあってなるものである」と言われた。また、人間は一人では生き得ないこと、夫婦だけでいくら愛し合っていても、人の助け無しには生きてゆけないこと。上のクリーニングの話もそうであるが、「聖書の言葉は、自分の問題をひっさげて読まねばならぬ」と言う。

     また、五十嵐健治先生というクリーニング白洋舎の創立者も信徒であったが、彼女はその方とも繋がりもあり、貴重な手紙を頂いている。「人間は恵まれるときはいちばん警戒を要するときです。」と。徒然草に木登り名人の話が出ている。弟子が高いところに登っているときは、名人は黙って見ていた。だが、低い所に降りてきて、地上に近くなったときに、危ない、危ないと声をかけた。見ていた人が不思議がって尋ねると、危険なところでは、注意されなくても、自分で気をつける。けがは容易なところでする。というような返事であった。病人でも、悪いときは自分で大事にするが、治りかけはつい油断して、死んだり悪化したりする人がいるものだ。車も危険な山道より、直線で事故を多く出したりする。

  • 三浦綾子先生の自伝、「道ありき」に次ぐ第二弾。
    結婚後の生活が書かれています。

    この方の作品はどれも背筋が伸びる思いがします。
    先生はもちろん、旦那様もとてつもなく素晴らしい方のようで……
    その信仰の部分で全ての選択に賛同できたわけではありませんが、ご夫婦の真摯に生きようとする様からは多くを学べると思います。
    また、小説「氷点」執筆時のエピソードなどもあり、興味深く読むことができました。

  • 第二部主要寫結婚生活,夫妻兩人都體質病弱,但完全沒有因此而陰沉,家中還是來客絡繹不絕。作者也寫到搬家蓋新房,與開始經營雜貨店,最後決定投稿朝日新聞的徵選小說,到冰點中選的故事。雜貨店都快忙不過來還要每天寫作(在這之前沒寫過小說),也煩惱父親賣掉自己的家還有負債(作者之前漫長的療養生活但家人從來沒有指責她的病很燒錢),想替父母蓋新家。作者丈夫因為神與聖經的話始終堅信會當選,一樣照辦差點忙不過來的兒童聖誕節。年底投稿之後新的一年三浦得了急性肺炎作者又跌倒受傷,夫妻兩人並排著枕頭躺著休養的一年,但在這一年中選。事情果然如三浦所說的,孝順父母的錢上帝會給他們。「綾子、神は、わたしたちが偉いから使ってくださるのではないのだよ。聖書にあるとおり、吾々は土から作られた、土の器にすぎない。この土の器をも、神が用いようとし給う時は、必ず用いてくださる。自分が土の器であることを、今後決して忘れないように。」

    基督徒的家庭風骨與情誼令人欽羨。而像三浦如此地信仰堅定也絕非易事,特別還是病弱的身分。上帝確實使用他們展現了奇蹟。

  • 評価を下すような内容ではないですが
    前作の「道ありき」と比べると緩やかなペースで
    夫婦の愛を中心に描かれています。

    三浦綾子さんというよりも、夫の光世さんの誠実さや真摯な思想を感じる事ができました。
    人生自体が小説のようで、読んでいて身の引き締まるような思いでした。

    病気や生活の多忙さの中で
    文筆活動をするバイタリティに脱帽。
    信仰的使命感が無いとなかなか出来る事では無いと思いました。

  • 〈この直後東京から、ペンフレンドの木村美和子さんが訪ねて来られた。 彼女は物理学者で、わたしたちと同じキリスト者だった。 北大でひらかれた学会に出席のため札幌に来、その足を旭川まで伸ばしてくださったのだ。 わたしが土地を借りたことを告げると、そこを見せてくれと彼女は言った。 言われるままに、 わたしは案内した。 彼女はわたしの土地の前に立ち、 真実こめて祈ってくれた。 「三浦さんご夫妻が、 この土地 で、 神の栄光を現わすことができますように。 神様どうかお二人を御祝福ください」 今も彼女の真実な祈り が、時折り耳に鮮かに甦えることがある。 この祈りは、わたしの生涯忘れることのできない祈りの一つである。〉p125

    他者のために真実に祈ることができる人がいる、そのことに深い驚きを覚えた一節。


    〈七月十一日水曜晴無事勤めた。 毎日無事勤められるのは幸福だ。 祈りの時間も幸福だ。〉p128

    境地。どうやったらこの境地に達することができるのだろうか。

  • 30代後半で初めて結婚して小さい家に住むことになった2人の幸福感あふれる日々が、読者にも平安な気持ちをもたらしてくれる。幸福感とは、甘い新婚生活ではない、2人とも病弱でしかも、経済的に貧しい中での、日々の神への祈りと感謝に満ちた生活である。いろいろな幸福とは言えない人生へ歩んでしまっている知人との再会が、著者にとっても心の痛みになっているが、「結婚」に対する誤った姿勢がそのことを招いていることを著者ははっきりと感じている。後段は雑貨店を始めるに至った経緯、そしていよいよ朝日新聞懸賞小説への応募と1964年7月10日の1位入選発表への劇的なクライマックスへ。そこでの夫・光世氏の冷静な感謝の姿勢と、「土の器を神は必ず用いてくださる。自分が土の器であることを決して忘れないように。」と語った言葉は感動的な締めくくりだった。

  •  道ありき第1部青春編に続く第2部結婚編。13年間にわたる長い闘病生活に耐えた著者が37歳で結婚し、一間だけの家で生活を始めてから「氷点」が入選するまでの日々を綴った自伝。三浦綾子「この土の器をも」、1981.8発行。夫、三浦光世氏の人間離れした寛容さ、素晴らしさがまず記憶に残ります。三浦綾子さんの、これまた人間離れした正直さに感銘しました。

  • 道ありきの続編。

    道ありきを読んだのは、ちょうど一年前。
    道ありきも含めて、三浦綾子さんの作品を読むと、教えられること、考えさせられること、が多い。

    私にとって結婚は、まだまだ遠い先の話だけど、
    なんとなく、こんな夫婦になりたいなと思ったりもした。

    ずっと気になっていた『氷点』を読んでみようかな。

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著者プロフィール

1922年4月、北海道旭川市生まれ。1959年、三浦光世と結婚。1964年、朝日新聞の1000万円懸賞小説に『氷点』で入選し作家活動に入る。その後も『塩狩峠』『道ありき』『泥流地帯』『母』『銃口』など数多くの小説、エッセイ等を発表した。1998年、旭川市に三浦綾子記念文学館が開館。1999年10月、逝去。

「2023年 『横書き・総ルビ 氷点(下)』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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