泥流地帯 (新潮文庫)

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  • Amazon.co.jp ・本 (544ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784101162065

感想・レビュー・書評

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  • 耕作が教師になって同じ境遇の子の綴り方に涙ぐむ優しさにふれる。耕作の恩師、菊川先生のようだ。
    耕作が尊敬する菊川先生も、論語や聖書に精通する耕作のおじいちゃんも慈愛に満ちた人だ。もの知りなだけではない。人が学ぶうえで、生きるうえで、本当に大切なことを教えてくれる。
    徴兵制のある時代、小作人が蔑まれた時代、お金のために子どもが売られた時代、そんな時代の話。読み進めるのが辛い場面、切ない場面もあるが、読むことをやめることができない。
    貧しさの中、理不尽な扱いを受けながらも凛として生きていく耕作。そしてその兄、拓一。

    そして十勝岳噴火、山津波。
    良子は母に会えることを楽しみにしていたのに
    それも叶わず亡くなった。

    「正しい者」がなぜ試練を受けなくてはならないのか。深い哀しみの中、耕作の心はどうなっていくのだろうか。

  • 三浦綾子の小説『泥流地帯』映画化、「おくりびと」の滝田洋二郎監督が企画に協力へ : 文化 : クリスチャントゥデイ
    https://www.christiantoday.co.jp/articles/32457/20230626/miura-ayako-deiryu-chitai-yojiro-takita.htm

    『泥流地帯』映画化プロジェクト支援 募金活動 | 三浦綾子記念文学館
    https://www.hyouten.com/deiryu-chitai-bokin

    三浦綾子 『泥流地帯』 | 新潮社
    https://www.shinchosha.co.jp/book/116206/

  • 久しぶりに読んだ三浦綾子さんの作品

    貧しい中
    困難に立ち向かい
    まっすぐ生きていく主人公に
    最後に最大の試練が襲い
    終了

    この後どうなるのか
    想像するしかない…

    • まいけるさん
      実はこの本を今読んでいます。若い頃、三浦綾子さんが好きでよく読んでいたのですが、いま再ブームです。かなり昔の話なのに何故こんなに面白いんでし...
      実はこの本を今読んでいます。若い頃、三浦綾子さんが好きでよく読んでいたのですが、いま再ブームです。かなり昔の話なのに何故こんなに面白いんでしょう。三浦綾子さんの物語り力でしょうか。
      そばさん、これからもよろしくお願いします!
      2024/03/31
  • 生まれや育ちが貧しく貧困でも、真っ当に生きる姿に惹かれました。

    四人兄妹(富、拓一、耕作、良子)育ての祖父母の言葉こそ、脈々と後世に語り継がされていくべきものですね。
    愚直にも真っ直ぐ真っ当に、真面目に生きていくことの大切さ、今の世では死語とも言われても刷り込ませるべき内容だと思いました。

    天災なのだからやむ無し…

    それだけで片付けてはいけないだろう。

    自分が生き残れたのが日頃の行いの良し悪し云々と漏らすシーンがあったが、何故あんたがそれを言うのか?他の人にとった態度、言動は問題無かったのか?
    昔の設定だからその当時、その土地柄の風習もあろうが、それら度外視しても都合のよいことを言ってはならぬ。
    富の義母には解せぬものを感じました。

    四人兄妹の絆の固さ、仲睦まじさが目に浮かびます。
    だからこそ、じっちゃやばっちゃは元より富と良子の最期が哀れでしかないですね…
    特に末の子の良子が可哀想でなりません。母との再会も果たせず死に目にも見てもらえず濁流にのまれる…

    誰にも罪はないのになぁ…

    そして生き延びた男兄弟の拓一と耕作。
    後に彼等がどうなるのかは続編にて完結するとのこと。
    スタンバイは出来ていますので、早速続編に取り掛かります。

  • 誰かが話題にした本が記憶に残り、気になって入手して紐解き、その本との出会いが善かったと思える場合というものが在ると思う。本作はそういう、話しを聞いて気になったという切っ掛けで出会った。そして読後に、本との出会いが善かったと余韻に浸っている。
    少し長く読み継がれていて、これからも読み継がれていくであろう作品、或る意味で「古典」という趣も在る作品だと思う。
    本作は上富良野町(作中の時代は上富良野村)を舞台とする物語で、実際の大きな災害の頃のことに題材を求めている。この作品を知る切っ掛けとなったのは、上富良野町の隣りである美瑛町を訪ねた経験だった。
    美瑛町を訪ねて、景色を愛で、写真を撮るようなことを何度もしている。そういう中、観光協会によるバスツアーに参加して<青い池>や<白髭の滝>を訪ねることも愉しんでいる。バスツアーでは観光協会の方の御案内に耳を傾けるのが面白い。<青い池>が形成された経緯、<白髭の滝>を眺め易い橋が出来た経緯というのは、「十勝岳の噴火」を想定した防災工事ということが契機になっている。そういう話しの中、「大正時代の噴火で大きな被害が生じた経過」ということに言及が在り、その様子が描かれた読み易い小説として本作が話題になる訳である。
    話題になる都度、「読んでいない小説だ…」と思い、「機会が在れば…」とも思って記憶に留める。が、「機会」とは「在れば」というモノではない。「設ける」というモノなのだ。そう思って、愈々その「機会を設けてみた」という訳である。
    前置きとでもいうような、本作との出会いに纏わる話題で少しばかり文字数は嵩んでしまった。
    現在では「大正泥流」というような言い方もするようだが、十勝岳は1926(大正15)年5月25日午後4時17分に噴火による「岩雪崩」という現象を起こしている。噴火時の爆発で山の一部が崩れ、高温の岩が雪崩のようになった。これが「岩雪崩」だ。熱い岩が流れ出て、高い山に残る残雪を溶かしてしまった。そうなると「火山泥流」ということになり、麓に向かって行ったのだ。「火山泥流」は森を破壊し、森の木が夥しい量の流木となり、土砂を取り込みながら、驚くべき速さで辺りを破壊してしまったのだ。
    本作は、その「大正泥流」という出来事が起こる迄の一家の物語、そして終盤は出来事の起ったその時と、直後の様子が描かれることになる。
    本作の主要視点人物は石村耕作である。耕作には3歳上の兄である拓一が居る。殊に子ども時代はこの兄と行動を共にしていることも多い。そして姉の富が在り、妹の良子が在る。耕作の兄弟姉妹だが、原木切出し作業中に事故で父を失っていた。母は髪結いの仕事を覚えるとして他地域へ出てしまい、兄弟姉妹は祖父母の所で暮らしていた。
    物語は耕作の兄弟姉妹と祖父母、叔父や近所の人達、学校の同級生や教師、村の大人達という登場人物で織り上げられる。小学生であった耕作が次第に成長し、曲折を経て19歳の代用教員として村の小学校で勤めるようになる迄という感じの内容だ。
    耕作は祖父の薫陶を受けるように育ち、或いは学んだ分教場の教師を慕うが、他方に感心しない大人達という存在も在る。何か響く内容が多く、心動かされながら頁を繰った。時に厳しく、優しさも内包する上富良野の自然の中で、少しずつ拓けて賑わいが出始めている上富良野村の市街の中で展開する物語は、様子が目に浮かぶような描写で引き込まれた。また作中人物達の会話も、自身より年長の人達の話し口調を思い出す「北海道に居る人達!」という風情が溢れて、彼らの声まで聞こえるような気がした。
    作中、北海道内の地名が幾つも在る。上富良野村の範囲の地名に関しては位置関係がやや解り悪いが、旭川等に関しては「物語の舞台の大正時代の様子?」と色々と思い浮かんだ。細かいが、嘗ての函館本線の経路であった神居古潭駅というのも出ていて、嘗ての駅舎を再現した建物が在る辺りを訪ねた経過も在ったので何やら面白かった。
    本作の終盤が近付く頃、耕作は教員としての路を歩み始め、一家の物語は「新たな章」に入るような様相だった。祖父が上富良野村に入植して畑を開いて暮らしを続けて30年程を経ていた。農地を一家が取得するには至らず、小作農家という立場が変わらず、経済的に豊かではないが、大正15年は穏やかな正月も過ごした。その一家が、大災害に巻き込まれてしまう。終盤は読んでいて涙ぐんでしまう感さえ在る。
    作品の底流に「因果応報でもない人の人生」と「如何に向き合うのか?」というようなことが在るように思う。本作の終盤の大災害で、失われた生命も在り、そして生き残った人達が在って、生き残った人達のその後が凄く気になった。
    或る意味で「古典」という趣も在る本作に、美瑛で何度も聞いたことが切っ掛けで出会えた。凄く善かったと思う。

  • ⭐︎4.3
    読み始めて、なんと印象に残る言葉の多いものかたりなのだろうと思っている。
    聖書(未だ通読したことはないのだが)を基本に置いたものかたりだと思っている。
    北の大地北海道で土とともに生き、土を生業に静かに生きている人々のものかたりだ。
    今まで生きてきて、幾つも、いく回も、後悔をしてその端端を時折思い出している。
    ふく子・せつ子・耕作・拓一彼等の将来はどうなるのだろう。

    楽しみ楽しみ。

    などと書いたが、楽しくはなかった。悲しく、寂しく、切ないものかたりだった。
    人生の後悔を思い起こさせるものかたりだった。
    我が人生に悔いはなしなどと謳った名優がいたが、私の人生は悔いばかりである。ただ、やらない後悔より、やった後悔を目指している。
    災害時に、生き残ることが罪深いのか、死ぬ事が罪深いのか。と作中で問われる、ああそれならば生き残るものが罪深いのだろうと思ってしまう。
    人生はままならないものだ。

  • 「おれはな耕作、あのまま泥流の中でおれが死んだとしても、馬鹿臭かったとは思わんぞ。もう一度生れ変ったとしても、おれはやっぱりまじめに生きるつもりだぞ」
    どんな理不尽が襲いかかっても拓一は真面目に生き続ける、作中でのその姿勢に何度も感動させられた。
    拓一・耕作兄弟と家族の幸せはもうすぐ近くというところで、この災害が起きた。泥流に迷わず飛び込む兄、拓一。厳しい環境で育った男の強さに驚くばかり、本当に昔はこんな感じだったのだろうか。
    実際にあった出来事を基にした作品ならではのリアリティーを感じることもできた。迷わず続編も買ったくらいに、拓一・耕作兄弟のこれからの挑戦が気になった。

  • 生きるってなんだろう。
    幸せってなんだろう。

    20年ぶりに再読。
    三浦綾子さんの文の力強さよ。

    実家の本棚のにおいを感じながら、あたたかさを噛みしめる。

  • 愛があふれる家族の生きていく様にとても感動した。
    自分のことはおいといて、人のことに一生懸命、って、大切だね。

    離れていたお母さんに会えるであろう続編に、さらなる感動を期待したい。

  • ある弁護士がFBで勧めていたことをきっかけに手にした1冊。遠藤周作は何冊も読んだが、三浦綾子は初体験。もしかして最初にして彼女の最高傑作を読んだかもしれない。
     特に東日本大震災を体験した今となっては、天災はかくもありきと身をつまされる筆力に脱帽。続泥流地帯とセットで読むべきです。
     私がはっとさせられたキリスト教?宗教観は次のとおり。こんないい小説を紹介してくれたある弁護士に感謝!
    ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
    「なぜ正しい者が貧しい苦難に会わねばならないのか?なぜ悪いことをしてお金を設けて世にはばかっている者は、いま被災に巻き込まれず暮らせているのか?」という問いに対して、
     「良いことには良い報いがあるとか(善因善果)、悪いことには悪い報いがあるとか(悪因悪果)、それは人間の願望に過ぎないんだよ。理想に過ぎないんだよ。
     悪い奴は亡びてほしい、いい人間は栄えてほしい。そういつもねがっているうちに、悪いことがあれば天罰が下ったとか祟りにあったとか、いいことがあれば精進がよかったとか、人間がそう勝手に思うようになってしまったんだよ。
     それもこれも、善行には善い結果が、悪業には悪い結果があってほしいという願いが、そんなことを言わせるようになったんじゃないのかなあ。」

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著者プロフィール

1922年4月、北海道旭川市生まれ。1959年、三浦光世と結婚。1964年、朝日新聞の1000万円懸賞小説に『氷点』で入選し作家活動に入る。その後も『塩狩峠』『道ありき』『泥流地帯』『母』『銃口』など数多くの小説、エッセイ等を発表した。1998年、旭川市に三浦綾子記念文学館が開館。1999年10月、逝去。

「2023年 『横書き・総ルビ 氷点(下)』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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