嵐吹く時も 下 (新潮文庫 み 8-25)

著者 :
  • 新潮社
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感想 : 10
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  • Amazon.co.jp ・本 (335ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784101162256

感想・レビュー・書評

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  • 作者の本は
    いつでも「過ち」「罪」に向き合う人々が描かれる

    それぞれが心に抱く想いがすれ違ったり通じ合ったりして
    人間関係が築かれるということを考えさせられる

  • 下巻も止まらずに読んでしまった。
    ただ都合のよい展開みたいに思えてしまう部分も…。

    まさかのラストにえぇー!と声を出してしまいました。

    でも、読み応えあったー。、

  • 異なるキャラクターの登場人物が家庭に嵐を呼ぶ。人は誰でも過ちを犯すものという前提で許し合うこと、思いやることが必要。人を傷つけないためには一生かけての嘘も許容される。優しい気持ちになれる作品。2023.12.14

  • 結末に驚かされた。こんなことがあっていいもんだろうかと。これは二度目に読んだら、印象変わるんだろうなぁ。

  • 出生にまつわる運命に翻弄されながらも生きる、2つの家族の物語。
    「人間ってあやまちを犯さなきゃ生きていけないんだなあって」
    幸せに見える家族であっても、生き方も考え方も少しずつ違う。問題もある。
    誰もが、その場の感情で流され、過ちを犯す。思いも変わる。
    過去の過ちを悔いて苦しんでいたりもする。
    家族の過ちを責め続けていたりもする。

    読んでいて、章の途中で唐突に10年の月日が流れていたりするので、戸惑うこと有。

  • 名作

  • まさか「ほくろ」で!?という顛末。
    ラストは、なんだかまとまりがなく無理があるように感じた。

  • 【嵐吹く時も 下】 三浦綾子さん

    順平が亡くなって後も、カネナカの忙しさは変わらなかった。
    番頭の甥である三郎もカネナカで住み込み働いていた。

    カネナカに来る前は商家に奉公に出ていた三郎は如才なく働いていたが
    密かに判を持ち出し、多額の借金をし行方をくらませた。

    知らずのうちに三郎の保証人にされていた志津代たちは
    店も土地も全てを手放し、苫幌を離れ旭川へと移ってきた。

    旭川での生活は苫幌での生活とはかけ離れた静かなモノであった。
    文治は記者として働きはじめ志津代との間に3人の子どもをもうけた。

    旭川の静かな生活に物足りなさを感じるふじ乃の前に増野が現れる。

    増野は数年前に行商をやめ、東京で着物屋を営んでいた。
    すでに妻を失っている増野はふじ乃に東京の自分の家に来ることを
    すすめる。

    元来商売好きのふじ乃は新太郎の実の父である増野の誘いを受け
    旭川を離れて東京へ行った。


    10年後新太郎が家出をした、「ソチラに寄った時には知らせてほしい」
    とふじ乃から頼りが届いた。

    新太郎はふじ乃の故郷佐渡に渡り、心に思いを秘めて志津代の
    元へやってきた。

    その時、新太郎は旭川で自分が本当は増野ではなく、順平の本当の
    子であったことを知る。

    不義の子として生まれたと信じていた新太郎は志津代と
    同じ両親を持つ兄弟であることに感涙する。

    そして、ふじ乃、志津代、文治と共に佐渡へ行くコトを条件に
    東京へ帰るコトを約束する。



    今まで読んだ三浦綾子さんの本と少し違うような気がする。
    あまりキリスト教を全面に出していない。

    志津代が主人公だと思っていたけど、下巻では新太郎が
    物語の重要な役割を担ってる。

    放埒な志津代の母のふじ乃
    慎ましやかで聡明な文治の母キワ

    形は違えど、子を想う親の気持ちの深さは変わらない。

    志津代は好き放題に生きているように見えるふじ乃を
    蔑んで見つめている部分があった。
    しかし、志津代も自分が母となって初めてふじ乃の想いを
    思い至る。

    実際になってみないと分からないコトって多くある。

    また、文治の弟の哲三が下宿先の内儀と不義の中になったくだり
    があった。この時、キワは哲三に対し激しく憤った。
    そして、コレがもしふじ乃なら笑ってすますかもしれないと
    文治は思った。

    正しい者には誘惑におちいる者を単に邪悪だと責める傾向がある。
    気をつけて、自分を諫めたい言葉だと思う。

    何事も自分が正しいと思うコトにも気をつけたいと思う。
    「あの時の自分は間違っていた」と思うことが今までも何度も
    あったから・・・

  • 三浦綾子らしく、人間の業をテーマにした小説。婦人雑誌に連載された作品のためか、キリスト教の色が薄く、三浦綾子らしくない。終わり方も連載の関係か中途半端な感じ。単純に娯楽重視の雑誌連載小説と考えれば楽しめる。

  • 6月15日 読了

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著者プロフィール

1922年4月、北海道旭川市生まれ。1959年、三浦光世と結婚。1964年、朝日新聞の1000万円懸賞小説に『氷点』で入選し作家活動に入る。その後も『塩狩峠』『道ありき』『泥流地帯』『母』『銃口』など数多くの小説、エッセイ等を発表した。1998年、旭川市に三浦綾子記念文学館が開館。1999年10月、逝去。

「2023年 『横書き・総ルビ 氷点(下)』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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