夏の花・心願の国 (新潮文庫)

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  • Amazon.co.jp ・本 (304ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784101163017

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  • 短編「夏の花」だけは、原爆を題材にしたアンソロジー「セレクション戦争と文学」(集英社文庫)ですでに読んでいだ。
    https://booklog.jp/item/1/4087610470
    冒頭の一文「私は街に出て花を買うと、妻の墓を訪れようと思った。」に象徴されるように、静かに湧き出す清水のような文体。それは「明るく静かに澄んで懐かしい文体」を目指したという作者の言にも当てはまる。

    しかし、妻の早世と、偶然帰省した広島での原爆被爆という2つの体験を経た作者が、その文体どおりにいつも凪いだ水面のように静穏でいられたとは思えない。
    それを裏付けるように、私はこの作品集を読んで、次の2つのことが気になった。

    ①妻の病が進んでいくのを自分では止められなくそれを静かに受け入れざるを得ない作者の思いが静かに描かれるのと表裏一体をなすものとして、戦争が進み暗く単調化していく世相に誰もが覆いつくされて止められない様子が、耳をすませば和音の低音部のように文体から響いてくるのが分かる。

    ②妻に静かに寄り添う一連の描写のあと、後半に置かれた短編では、作者が「U」と表記する22歳の女性が彼にとって存在感を増してゆく。妻に先立たれて7年近くがたつ作者が「ある優しいものによって揺すぶられていた」と書くのを、“静穏”と一くくりにして良いのか正直迷う。

    つまり私にとっての原民喜は、この本の解説で大江健三郎が「原民喜は狂気しそうになりながら、その勢いを押し戻し、絶望しそうになりながら、なおその勢いを乗り超えつづける人間であった」と書くその額面どおりに受け取れない作家だった。
    その証拠は短詩「水ヲ下サイ」に現れている。原にとって“あの夏の日”以降、水を求める声々が耳から離れなくなったのだと思う。この短詩に世間一般的な静穏さはない。
    しかし私はそれゆえにこの作家に魅かれる。静穏なだけの作家?そんなのはクソくらえだ。

    原も結局は、自身の内部に静穏と狂気とが併存し、その二者の葛藤を書かずにいられない作家だったのだ。聡明な大江は当然それに気づいていて、狂気を描く作家だけが勢力をはびこらせる情勢を良しとせず、あえて原が狂気の描写を抑え冷静さで勝負しようとした稀有な作家であることをクローズアップしたのだ。
    つまり原が頭一つ出ている理由は、戦争に対する絶対的な批判精神や人間がもつ熱情を、暴れ馬を抑えるように静かなる文体に封じ込めて結晶化しようとした作家としての使命感にある。(それゆえに作者の鋭敏すぎる精神は伸びきったゴムのように張りつめ、突然切れたのだと思う。)

    なおWikipediaによると、作者の死後50年が経過して著作権が失効したためWebsiteで自由に原の作品を見つけられるようだ。でも私は原の一連の作品は“紙のページをめくって”読むほうが作者の使命感に応えてその文章の美しさを味わうのに適していると考え、そして大江健三郎の解説文を読みたいために、この本を買って読んだ。

  • 小川洋子「死者の声を運ぶ小舟」つながりで、表題作「夏の花」のみ読了。淡々と語られる、ヒロシマで原爆にまきこまれた著者の語り。あとから思い出したとしても、冷静に語られる当時の状況に、かえってすさまじいさを感じる。

  • 静謐で美しくも猛焔のような熱量と物悲しさを具える。散文作家という予備知識のみで読んだので、『夏の花』の題名の意と描写の強烈さ、たびたび垣間見せる語彙の妙と美しさがより被爆体験の凄惨さを際立たせる。また病床に臥し日々弱りゆく妻を描く『美しき死の岸に』のなんとも哀しく美しいものか。

    被曝という原体験と無防備な感性が、原民喜という偉大な才能を以てして本作を描かせ自殺へ導いたのかもしれない。

  • 原爆文学の白眉である。

    新潮文庫版は大江健三郎編。原爆前後を描写した『夏の花』三部作を挟んで、その前に原爆を知らずに亡くなった妻の臨終を描く『美しき死の岸に』作品群、そして最後に、絶筆『心願の国』を含む惨劇後の心象を描く作品群を配す。
    作品舞台の時系列的にはこの通りだが、上梓されたのは『夏の花』が最も早く、原爆前後を描く作品は入り交じりながら発表されている。おそらく書かれた順もそうなのだろう。
    著者の妻は糖尿病と肺結核を併発し、5年の闘病の末、終戦前年に亡くなっている。著者は妻と暮らした千葉の家を畳み、広島に疎開して罹災する。
    作品いずれにも、原爆が色濃く影を落としている。短編を集めたものでありながら、作品群を貫く基調があり、読み終えると長編小説を読んだようでもある。

    硬質で繊細、ガラス細工のような文体である。端正で静かな語りの中に、否応なく忍び込む、時には割り込んでくる不安が漂う。

    妻がおそらく助からぬことを知りつつ、主人公(著者)が暗唱する『奥の細道』の一節に胸を突かれた。芭蕉が旅立ちに際して記した

    幻のちまたに離別の泪をそゝく


    である。
    妻が実際に臨終する場面もまた印象深い。冷静でありながら、命あるものがこの世を去ることの救われなさ・どうしようもなさ、見守るものの無力さを描き取った数行は、忘れがたい。

    原爆投下の日、主人公は厠で難に遭う。あるいは命が助かったことを思えば、かろうじて難を逃れたとも言えるのか。その瞬間はむしろ、呆然とした感がある。主人公も他の人々も実際に「何」が起きたのか理解しきれていない。あっけにとられつつ、逃げながら、徐々に惨劇の全容を目撃することになる。
    投下後、月日を経てからも、広島では誰もが誰かを捜していたという挿話が印象的である。
    いったんは快復したように見えても、再発して亡くなる人も多い原爆症の掴み所のなさが漠とした不安を煽る。

    被災後しばらくして、著者は再び、居を首都圏に移す。
    一見穏やかな生活を送っているようでありながら、被災直後のショック状態で見た光景が、ときに、有無を言わせず脳裏に浮かび上がってくるようでもある。静かな印象を与える作品群の中で、『鎮魂歌』は血を吐きながらの慟哭を思わせる激しさである。

    昭和26年、著者は鉄道自殺を選ぶ。
    妻は何ごとについても語り合ってきたよき理解者だったという。その妻を亡くした後に目撃した、取り返しのつかない惨劇。冷静な観察眼と鋭い感性を持つ著者には書き残す以外に道はなかったのだろう。
    「堪えて堪えて堪えてゆくことに堪えよ」と著者が自らを鼓舞しつつ、書かねばならないことを書き留めたこれらの作品を、黙祷を捧げつつ、深く記憶し続けたいと思う。

  • 原爆が、落とされたあとの状況が目に浮かぶように書かれた作品。記録としての文学の役割を果たしている。だからこそ、残してもらった私達がしっかりと読み、受け止め行動しいく義務がある。
    世界で唯一原爆を落とされた国の国民としての自覚を改めて思い知らされた。

  • 一人称視点の話は特に光の書き方が良く、美しく感じる。
    大江健三郎の編み方も良くて、視点や人物が変わりながらも原爆がこの本を貫いている。
    水のように透明で揺れながらも、歩き続けているという印象を受ける。

  • 最後まで読めなかった!文章が読みにくい!

  • ものを書くことへの迷いと覚悟が,静かな文体から感じられる。とはいえ結局は狂気から逃れることは不可能で,しかし何事もなかったかのように語りを続けようとしたのが本作。
    いわゆる原爆文学に分類されるのだが,妻の闘病と死の延長線上として書かれている点に注目すべきだろう。急激に拡張する現実に対する視点の変化は,シュルレアリスムの作家に通じるところがある。
    人間の認識がぶっ壊れる瞬間の記録としても読める。もともとの詩人としての高い技量無しには成り立ち得ない作品。

  • 現代日本文学史上もっとも美しい散文で、人類はじめての原爆体験を描いたと評される原民喜の『夏の花』三部作を含む短編集。原爆以前に亡くした妻への思いと彼が見た原爆投下の惨劇、そして生き残った苦しみ、原爆をこのように描いた作家はほかにはいません。

  • 梯久美子さんの本を読んで、読み飛ばしていた本書を再読。

    硫黄島が玉砕して、沖縄が占領されて、千葉から疎開したはずの広島にもきな臭い戦争の暗雲が立ち込めてくる不穏な空気が市民生活の様子を通じて十分に伝わってくる。
    勤労学徒の女工達が偵察に飛来した輝く機体のB29や残した飛行機雲を窓から見上げて、「綺麗だわね」と歓声を上げる様はリアルすぎてゾクッとする。

    編集に携わった大江健三郎さんが、昭和48年当時の若い人たちに向けて書かれた解説が巻末にあり、
    「つけくわえたいことはただひとつ、」に続く文章に救われました。

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著者プロフィール

1905年広島市生まれ。慶應義塾大学英文科に進学し、「三田文学」などに短編小説を発表。帰省中に広島市の実家で被爆した。直後の市内の様子を書き留めたノートをもとに47年に「夏の花」刊行するなど、被爆後の広島の惨状を詳細に残していった。51年に『心願の国』を遺し自殺。

「2019年 『無伴奏混声合唱のための 魔のひととき』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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