俺俺 (新潮文庫)

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  • 新潮社
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  • Amazon.co.jp ・本 (352ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784101164526

感想・レビュー・書評

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  • 1.著者;星野氏は小説家。大学を卒業後、産経新聞記者になったが、会社を退職し、メキシコに私費留学。ラテン文学の影響を受けた。現実と幻想を掛け合せた小説を書き続けている。植物・水をモチーフにした作品や社会問題を問う作品が多い。「目覚めよと人魚は歌う」で三島由紀夫賞、「焔」で谷崎潤一郎賞などを多数受賞。
    2.本書;永野均(主人公)は、些細な事で他人の携帯をポケットに入れオレオレ詐欺をする。それを契機に自分によく似た俺が大量発生。家電量販店で働く俺、公務員の俺、大学生の俺、・・自分だけの世界を作ってゆく。しかし、それは長く続かない。やがて俺同士の殺し合いへと発展。文庫あとがきより、「他人との違いが消えた、100%の単一世界から、同調圧力が充満するストレス社会を笑う小説」。大江健三郎賞を受賞。
    3.個別感想(印象に残った記述を3点に絞り込み、感想を付記);
    (1)『第二章 覚醒 』より、「お父さんもいぃつも、まだ大丈夫だ、休むわけいかないって言って、少しずつ悪くなって気が付いたら取り返しつかなくなってたんだから。ちりも積もれば山となる、だよ」「体が弱るとね、心も弱るんだよ。体だけなら休めば治るけど、心まで弱ると、そんなつもりはないのに、自分から人生諦めたりするんだ。人間は弱いんだよ」
    ●感想⇒「体が弱るとね、心も弱るんだよ」という言葉には、身につまされます。私事です。会社に入った頃から働き盛りの頃まで、無茶をしていました。企画業務が長く、この仕事は時間軸で成果を出すのが難しい職種です。上司に、「スタッフ仕事は24時間勤務、有給休暇は万一の際の保険」と鼓舞されました。自分も、“自身と現場の人達”の為に、良い仕事をしなければならない、という使命感がありました。早朝出勤・遅くまでの勤務・ストレス解消の為の暴飲暴食・・が祟り、体を壊し精神的に落ち込む事が間々ありました。心と体の健康は車の両輪なのです。私は、ある事をキッカケに、生活態度を変えました。業務の生産性を上げ、休日は休養日と割切りました(=読書・散歩・家族団欒を楽しむ)。今は働き方改革で、私のような愚行はないと思います。しかし、“上司の労いに対する感動”や“仕事に役立つ勉強”は掛けがえのない財産になったのも事実です。
    (2)『第二章 覚醒』より、「一人前の社会人になれなかった奴に、自力で切り開いていかなきゃならない仕事ができるかっていうの」「税理士だとか会計士だとか弁護士だとか、会社を辞めてから試験勉強始める人って、大抵が逃避なのよね、私の経験からすると。本当に受かる人って、仕事と勉強両立させてでも受かるもんよ」
    ●感想⇒人生の節々には選択すべき岐路があります。進学・就職・結婚の選択は重要です。知人の中に一旦は企業に就職したものの、会社の風土が思い描いたものとは違った事もあり、学生時代の理想を実現すべく退社し、再勉強して目標達成した人がいます。名門企業に勤務していただけに、周囲の人は「働きながら勉強した方が良い」とアドバイスしました。しかし、当人曰く「仕事と勉強を両立した方が万一の際の保険になるが、自分を追い込まないと、良い結果にならない」と言い、勉強に専念し見事に成功しました。こういう人は稀かもしれませんが、何が何でも目指した事を成就したいという信念に感服です。「本当に受かる人って、仕事と勉強両立させてでも受かるもんよ」は決め付けだと思います。
    (3)『第四章 崩壊』より、「おふくろは一人で働き続けて、俺と姉貴を育ててくれた。・・・自分はもう諦めた、その分、あんたが写真の道を極めなさいとハッパを掛けてくれた。でもカメラマンとしての就活に失敗してフリーターを始めたら、あんたは自分の夢どころか人の夢まで壊したと罵られた。何のために、あれだけ無理して働いてきたんだ、息子をフリーターにする為なんかじゃない、だったらお姉ちゃんみたいに地道に大学目指せばよかったんだ、まったく情けない、恥だ、と言われ続け、俺はいたたまれなくなって家を出た・・・」
    ●感想⇒親の責務は、“世の為人の為”に少しでも貢献できる子供を育て、社会に出してあげる事です。片親家庭が大変な事は十分理解出来ます。子育ての過程では、人に言われぬ悩みもあると思いますが、人格を否定するような言葉だけは慎むべきです。所で、社会問題となっている“引き籠り”を持つ家庭は大変でしょう。色々事情があると思いますが、一つには親の子への接し方に問題があったのかも知れません。人格は2~3歳で基礎が出来るそうです。子育ては片親に任せる(特に精神面)のではなく、父母両方で愛情を注ぐ事が基本と考えます。自責の念を込めて。
    4.まとめ;オレオレ詐欺から始まり、自分にそっくりな俺が至る所に増殖する、という話の展開は奇想天外で、理解するのに一苦労です。人は様々な顔を持って生活しています。親、子、夫、妻、上司、部下・・・という顔で、様々な役割を演じています。人は他人と関係を持ちながら生きているのです。良きも悪しきも一人では生きてゆけません。そうした時に、本書の様に周囲がみんな“俺”だったら生き易く、心地よいでしょう。しかし、現代人はマスコミに踊らされ、個性が埋没。お互いを排除しようとする人もいます。本書は、奇抜な発想で青年の心の葛藤を描き、現代社会に警鐘を鳴らす秀作だ、と思います。(以上)

  • 個性が疎まれる時代になってきた。小さい頃から、リレーは順位を着けずに皆でゴールし、競争なんてもってのほか。出る杭は打たれる。人と違う事をするのを恐れ、人と同じだと安心する。皆流行りの同じ服を着、流行りの同じ髪形で、少しでも足並みを合わせない他者を異質の目で見る。自分とは何なのか、本当の自分はどういう人間なのか分からないまま何となく生きる。そんな世の中を見ていると、いつかこの世界が俺俺時代になってしまうのではないかと不安になる。

    主人公の記憶がどんどん改竄されていき、一体今主人公は誰なのか、本当の主人公はどういう人間なのか分からなくなって行く、とても怖い話だった。「世にも奇妙な物語」に出てきそうな、ゾッとする話。映画化されるそうなので、どう作られるか楽しみだ。

  • 映画をみてから興味を持って読んでみました。主人公のおれおれぶりが活字の場合、また違った勢いを伴っていて面白かったです。

  • 苦手なあの人を観察すると、私とよく似た部分がある。そのことに気づくと、何だか憎めなくなってくる。

  • 最初の日常の一場面からまさかまさかの展開。 想像だにしないストーリーに、とにかくこの混乱を早く治めたくて、ページをめくればめくるほど更なる混沌が待ちかまえていて。 凄かったです。なんでしょう。非現実なホラーな世界なんだけど、明瞭にイメージできる世界に圧されて震えちゃいました。 ラストの意外性も良かったです。手放しでホイホイと人に勧められないのですが、是非読んで体感してみてほしいと思える強烈な一冊。 できれば前知識無しに手にとることをお勧めします。ようこそ俺俺ワールドへ。

  • 安易にオレオレ詐欺に手を出していとも簡単に成功してしまう冒頭、道徳的に過ぎるラストはどうかと思った
    チンケなオレオレ詐欺こら人類創世、個の誕生まで読ませる

  • 軽いノリから意外と深いテーマへ。
    この作家の作品は初めて読みましたが、非常に洒落た作品だと思いました。
    途中の流れはこれ必要?という点もあったけど、
    思いついた自身のテーマをドヤ顔で描き切った感じが、
    非常に好感持てました。

    秀逸です。

  • ありえない、と一蹴することもできる反面、いままさに、そんな現実に直面しているとも言えるのではないか。

  • ファーストフード店で、たまたま隣り合った男が携帯を「俺」のトレイに置き忘れていった。なんとはなしに、その携帯の持ち主になりすまして、その携帯の持ち主の親からお金の振込もしてもらい、俺俺詐欺のような話になったところで異変が起きる。金を振り込んでくれた「親」がアパートにやって来て、まるで最初から「俺」が息子だったかのように振る舞う。自分の実家に帰ると、同じ顔をした「俺」が応対に出て、この頃似たような「俺」が訪ねてきてトラブルになったという…

    「世にも奇妙な物語」風味に話が進んでいく。途中から「自分と他者の違い」「自分の中に潜む凶暴性、凶悪性」が引き出され、職場でのいじめや、多数の「俺」が互いの腹の内を知りながら互いを「削除」していき、輪廻転生(?)とでもいうか手塚治虫の「ブッダ」のような世界観も挟みつつ「自分とは何か」を考えさせられる。どんなに嫌な奴に見えてもそのどこかに自分と同じような部分があって世の中は反面教師だらけ、と言いたいのかなと感じた。

  •  出来心で詐欺を働いた日から増殖していく俺。始めは元の自分が何者であるか分かっていたのに、次第に記憶も曖昧になり、いつの間にか別人の名前を語り、別人の記憶と境遇を生きている主人公俺がとても不気味だ。
     他者を心の中で疑いながら自らの役割を演じているというのは怖いけど、同じようなことを日常的に行っているのは自分だということに改めて気付かされる。物語のラストは、自分とは違う他者と完璧に理解し合うことは無理だけど、相手の立場を想像する力が大切だと考えていた最近の自分とシンクロしていて、腑に落ちた気分。

  • 絶対にあり得ないことなのにとてもリアルになっている。

  • パラレルワールド系の話かと思ったら全然違った…あんまりSFを楽しむって感じじゃなくてちょっとお説教臭い感じ。大人になったらまた読みたい。

  • テンポのよい文章に、読むほどにスピードが増してくる。
    それは、何も考えさせず、読むことそれだけに集中させるための著者の故意なのかもしれない。
    あそこにも俺、そこにも俺、ほぼ俺。
    実はそれは心地のよいものではなく、俺自身が俺によって翻弄される。
    オレオレ詐欺からカジュアルに始まった物語は、想像以上の展開を見せる。

  • もっとオレオレ詐欺をこねくりまわす話を想像していたが、オレオレ詐欺はほんの導入なのですね。
    話はどんどん『世にも奇妙な物語』に…。だんだん俺が増えて、俺の口で語られる記憶も別の俺に浸食されるがごとく変わっていくしで、読んでるこちらも「あれっ?そうだったっけ…」と混乱させられる。
    ただ、途中放棄するどころか、続きが妙に気になって、一気読み。それだけ面白かったということでしょう!

  • 最後まで詰まることなくサクサク読めた。次々と出てくる造語が面白かった。「俺山」が崩壊したあたりから非現実的なことが起こり続け(最初から非現実的なのだが)、ついていけない感じもしたが、その代わりだらだら感もなくあっさりした読み口で、そんなところも良かった。小説を読むにあたって多少なりとも「頑張って」読む必要があった私にとって、「俺俺」は非常に読みやすく、素直に面白いと感じた作品だった。

  • 家族というのはどこか似ているものである。

    自分の母親や父親、兄や妹や、息子や娘のそれぞれ、まったく同じということはないのだが、顔つきも性格、仕草やクセなど、どこか自分と似てる。
    だから、家族といるときには、自分と似ているがゆえに、他人と過ごす時にはなかなか感じることの出来ない安心感を得られたりすることがある。考えていることや感じていることも共有しやすい。言葉にしなくてもわかることもある。だから、「home」という言葉には、「家族」という意味の他にも「安心できる居場所」という意味もある。

    しかし、同時に似ているところがあるゆえに安心できないこともある。
    人間は完璧でないがゆえに、必ず欠点を抱えている。欠点は人それぞれだが、自分と似ている家族は、その欠点の場所も似ている。自分が自分に対して「嫌だな」と思う場所を、他の家族も抱えていることは多い。そして、それを疎ましいものであるという意識をお互いに共有しているから、不愉快さが増強される。つまり、家族のメンバーのある行動や、容姿や、クセに対して「嫌だな」と感じた時、その「嫌だな」は自分にも跳ね返ってくるのである。だから余計に「嫌だな」と思う。不愉快である。

    本書で描かれているのは、自分の容姿や性格を共有する「俺」が増殖した世界である。はじめ、主人公その他二人の「俺」は、他人といる時には決して共有することの出来ない安心感や気楽さを共有する。「俺」が三人集まって、「俺」の純度が高くなった部屋「俺山」や、休日に出かけた山登りなどで、言い知れぬ解放感を感じる。

    しかし、次第に「俺」が増殖していくに連れて、そうした解放感はやがて息苦しさに変わっていく。

    なぜなら、様々な場面で出会う「俺」は、必ずしも自分の良い面ばかりを反映しているわけではないからだ。自分が普段は見たくないようにしている、自分の負の側面が、別の「俺」の姿から垣間見える。いくら隠そうとしても、相手が「俺」である以上、それは透けて見えてしまう。もちろん、相手からも自分の隠したい嫌な部分は隠せない。これは実に嫌な感覚である。この場合の嫌悪は、「どことなく似ている」家族に対して感じる「嫌だな」という感覚を濃縮したものであるから、なおさらである。

    自分の中にある黒い部分が相手の「俺」にもあるとわかるから、安心できない。終盤の「俺たち」の血なまぐさい争いは、それゆえ必然である。

    人々が極めて高い同質性を保った社会はどうなるのか、といえば、そこにある微妙な差異をお互いに睨みつけながら、憎悪しあうしかない。

    私達は「俺」ばっかりの世界の生きやすさと、息苦しさを踏まえて生きていくしかないのであろう。

  • そういう話だったのか。

  • なかなか教訓があって面白かった!
    映画、どんな感じなのかなー!

  • 解説が秀逸。思わず「なるほど」とうなづいてしまう。でもこの本を消化するにはもう少しだけ時間がかかりそう。
    p331「(解説)人は演じることによって自己を獲得するのか。それとも、演じることをやめることで本当の自己に到達するのか。」役割をやめて解き放たれたい。親子関係、上下関係、男女の関係、あらゆる関係性に縛られず、真の自分を追求したい。他人との関係性が無くなった自分は、他人と繋がって一つになる。境目のない世界、全体主義的統率は人を酔わせる。この一体感は快感に違いない。だがしかし、その代償として次第に自分が失われていく。俺山。そして全体から逸脱すればそれはある種の死を意味する。こうして結局、自分というものが消滅してしまう。でも消滅してしまう前にまた他者との関係性の中で、他人とは明らかに異なる自分を再び手にするのだ。
    他者がすなわち俺であること、これはすこぶる楽だ。完璧に分かり合える。だからそれを望む。そこには関係性がない。なぜならみんなが"俺"だから。俺俺俺俺俺。でもきっとそんな俺は崩壊する。なぜなら他者は"俺"であるというのは、実際は幻想に過ぎないから。それに自分が他者と同一であることに耐えられないから。人は明らかに異なる他人との関係性がないことには耐えられない。結局のところ、そうでなければ自分を保てない。関係性があって始めて自分というものが生まれる。それは他者を"俺"の中に取り込んで支配してしまうことよりも、遥かに切実なのだ。

  • 読んでいて非常に辛かった。
    しかし、同時に何かカタルシスも得られた。
    それほど、自身にも身に覚えのある感覚が描かれている。

    この本の面白さは、他人を「俺」にするという発想だと考える。
    自身の不確かさ、他人との境界線のあいまいさは、他の作品でもテーマとなっていると思う。
    しかしながら、多くの場合は「他者」が「自分」を侵食する恐ろしさ、絶望に焦点が当たっていると考える。
    そのような作品のなかで、本著は発想が逆転している。
    そして、そのような仕掛けが、単なる「恐ろしさ」のだけでなく、「優越感」からの「孤独」や「絶望」というストーリーの落差を生み出していて、より物語に深みや読者に迫る何かを生み出していると考える。

    また、個人的には「俺」の増殖は、個人の境界線のあいまいさではなく、「もともとそんな境界線などない」という発想から生まれているのかな、と考えていた。
    つまり、「自分の思ってることや経験していることは、何だかんだで他の誰でも持っていて、『特別』な『個人』など有り得ない」という発想だ。
    しかし、作者はどうも個人の境界線を非常に意識していると考えることから、もしかしたらそのような「境界線」に執着する我々の「淋しさ」も作者は十分に理解してストーリーに組み込んでいるのかな、と考える。

    一回の読書ではなかなか十分に理解が行き届いていないと考えることから、また時間を経て機会があれば読み直したい。
    読むのは辛い作品だけれども(苦笑)

著者プロフィール

1965年、 アメリカ・ロサンゼルス市生まれ。88年、 早稲田大学卒業。2年半の新聞社勤務後、 メキシコに留学。97年 「最後の吐息」 で文藝賞を受賞しデビュー。2000年 「目覚めよと人魚は歌う」 で三島由紀夫賞、 03年 『ファンタジスタ』 で野間文芸新人賞、11年 『俺俺』 で大江健三郎賞、15年 『夜は終わらない』 で読売文学賞を受賞。『呪文』 『未来の記憶は蘭のなかで作られる』 など著書多数。

「2018年 『ナラ・レポート』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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