私が語りはじめた彼は (新潮文庫)

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  • 新潮社
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  • Amazon.co.jp ・本 (304ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784101167558

作品紹介・あらすじ

私は、彼の何を知っているというのか?彼は私に何を求めていたのだろう?大学教授・村川融をめぐる、女、男、妻、息子、娘-それぞれに闇をかかえた「私」は、何かを強く求め続けていた。だが、それは愛というようなものだったのか…。「私」は、彼の中に何を見ていたのか。迷える男女の人恋しい孤独をみつめて、恋愛関係、家族関係の危うさをあぶりだす、著者会心の連作長編。

感想・レビュー・書評

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  • さて、突然ですが、あなたは次のような言葉を聞いて話題に上がっている一人の人物をイメージできるでしょうか?

    ・『村川はいい加減ですが不真面目ではない』by 妻

    ・『父は決して偉ぶることがなかった』by 息子

    ・『本ばかり読んで、夢見がちで自分勝手な男』by 義理の娘
    
     ・『先生はさびしくて繊細』by 浮気相手
    
    それぞれの関係性から見た同一人物を表したこれらの言葉は、一見同一人物を表しているようにもそうでないようにも感じられます。

    私たち人間には、さまざまな顔があります。悪い意味での表と裏ということではなく、それぞれの関係性に合わせた顔という意味です。そこには、長く一緒にいればいるほどに見えてくるものもあるでしょう。付き合い始めたばかりの恋人、初めは良いところばかりが目に入って熱を上げたものの、次第にマイナス面が目立ってきて結局別れに至る、そんなことは決して珍しくありません。また、本人が意識して特定の人の前ではある理想の姿で振る舞っているという場合もあるでしょう。その場合には、正体がバレてビックリ!という未来が待ってもいるかもしれません。人というもの、その人の本来の姿というものを理解するのもなかなかに大変です。

    さて、ここに、一人の大学教授が影の主人公となる物語があります。妻と息子、娘の四人家族だというその男性は、やがて浮気相手とその子どもの元へと去ってしまう…そんな前提の物語が描かれるこの作品。そんな男性とさまざまな繋がりにあるさまざまな人物が視点の主を務めていくこの作品。そしてそれは、そんな大学教授に一度も視点が移らない中に、そんな人物の存在が読者の頭の中に徐々に浮かび上がっていく物語です。
    
    『奥さん、いかがです。思い当たることがあったら、どんなことでもおっしゃってください』と、『ついに焦れて』『言葉を発した』のは、この短編の主人公・三崎。『それでも口を開く気配は』ない彼女に『思い当たることは…』と再び言葉を発すると、『たくさんありもするし、なにもないとも言えます』とようやく彼女は言葉を発しました。『彼女に会うのは、数年』ぶり、『もう五十に手が届く年齢』という彼女は『村川はなんと言っています?』と『私の持参した紙を手にとって』続けます。それに、『先生は何もおっしゃいません』と三崎が言うと『三崎さんもご存じでしょう… 私が村川の数ある女の一人になっていることを』と返されます。『どう答えたものなのか』と三崎は逡巡しますが、『先生はいま、非常にまずい立場に追いこまれています。その手紙…怪文書のせいで』、『このままでは先生は、大学を去らねばなりません』と続けます。それに『三崎さんも大変ですね… 村川の私的な厄介事のために奔走して』と言う彼女は『村川が大学を追われたら、あなたの学界での出世にも響きますか』と三崎の立場を気にかけます。『先生がいなくなったら、いまの大学で僕が講師の職に就くことは難しくなるでしょう』と返す三崎。そして、三崎は『滲んだインクで綴られた』便箋を開きます。『大学関係者ナラビニますこみ各位。○○大学文学部歴史学科東洋史専修専任教授村川融ハ教育者トシテフサワシカラヌ人物デアルコトヲココニ告発スル…』と始まる便箋には『修士課程二年倉橋香織ト一年半ニワタリほてるデ兎ノゴトクマグワイ続ケタ…』と綴られていました。『数社の週刊誌にこの手紙のコピーが送られて』いることを告げる三崎は、この手紙を書いた主が誰であるかの心当たりを村川の妻に尋ねに訪れたのでした。そんな中で、彼女は『太田春美を知っていますか』と『意外な名前』を持ち出します。『太田さんは、結婚しています』と言う三崎に『私だって村川と結婚しています』と返す彼女は、『ほたるが盗み撮りした写真です』と、『昼下がりのホテルのロビー』を写した写真を取り出しました。さらに、彼女は『カセットテープを取りだ』し再生すると、そこからは、村川と女性の声が『衣擦れとベッドの軋み』とともに聞こえてきました。太田春美だと思われるその声。そして、彼女は『村川と私のあいだで離婚の話が進んでいることを知って、太田春美はこの時期に告発文を書いたのだと思う』と語ります。それによって『地位を失った先生を手に入れ』、『この町を去る覚悟なのだろう』という太田の考えを推測する三崎は、『あなたは悔しくはないですか』と彼女に問いかけますが、そこに『涙の影』はありませんでした。そして、『手紙は太田春美が書いたのだ。私は太田春美を訪ねるだろう』と思う三崎の姿が描かれる冒頭の短編〈結晶〉。各短編に名前のみ登場する村川融の妻が語る村川の人となりを朧げながらに知ることのできる好編でした。

    “「私」は、彼の中に何を見ていたのか。迷える男女の人恋しい孤独をみつめて、恋愛関係、家族関係の危うさをあぶりだす、著者会心の連作長編”と、内容紹介にうたわれるこの作品。2004年5月に刊行された三浦しをんさんとしては最初期の作品の一つです。この時代の三浦さんは、主人公の翻訳家が訳す、はちゃめちゃな物語が”小説内小説”として登場する「ロマンス小説の七日間」や、”昔話”をコンセプトにしてそれを下地にした物語が創作されていく「むかしのはなし」、そしてBL世界を匂わす「月魚」など、実験的な作品が多々生まれています。そんな後、2006年には傑作「風が強く吹いている」が登場することを考えると、三浦さんの試行錯誤の時代だったのかなとも思います。そして、この作品にもそんな色彩が色濃く登場します。それが、物語の冒頭に唐突に記された『二千年以上前の話』です。

    『寵姫が臣下と密通していることを知った若き皇帝は、まず彼女のまぶたを切り取った。これから自分がどんな目に遭うのかを、彼女がしっかりと瞳に映せるように』。

    そんな風に始まる物語の内容は衝撃的です。『彼女の体中の穴という穴を、縒った最上級の絹糸で縫いあわせた』、『皇帝は、まぶたと舌を失い、穴を塞がれた女を、それまでどおり豪奢な部屋に置き、着飾らせておいた』と続く物語は、どんどんホラーな表現がキツくなっていきます。選書ミスをしたか?と冷や汗が出だす中に、いきなり『奥さん、いかがです。思い当たることがあったら、どんなことでもおっしゃってください』とこの短編の主人公・三崎の何のことはないセリフの登場によって現実に引き戻される読者。しかし、そんな強烈な印象は後を引きます。また、冒頭の物語が本編にどう関連するのか?その答えを読者は探しますが、明確な繋がりを見つけられない中に、物語は、謎の存在とも言える村川融という人物への関心に移っていきます。とは言えこの短編〈結晶〉には、冒頭の物語の世界観を引きずる文体が多々登場します。この短編で主人公を務める三崎が太田春美という存在の登場を妻に匂わされたことから戸惑う場面の描写を抜き出してみましょう。

    『私の心は、何万年もかけて生成された氷柱に貫かれたかのように痺れた』と強烈に始まる一文は、『憎しみも恨みも凍結され、絶対零度で細胞を灼かれる痛みのみが、遠い宇宙から降り注ぐ電気信号のように私の神経にかそけく届く。私はもう泣くことも叫ぶこともできなかった』と、三崎の心情を劇画調の表現で描写していきます。『彼女にすがりつき、泣きながらこの絶望を訴えたい』と言う三崎は『私の四肢はむなしくソファに沈んだままだった』と自身の姿を俯瞰します。他にも『彼女は噴きあがる熱気にひるむことなく、かげろうのごとく摑みどころのない体と心で、業火の中にたたずむ』や『私は、蠍のように研ぎ澄ました毒の滴る針をもって、太田春美の言葉を殺す。そこに真実はないと断じるのみだ』といった、とにかく劇画調の表現の頻出は間違いなく、この作品を読み始めた読者を戸惑わせます。しかし、ご安心ください。この表現はこの短編〈結晶〉のみです。物語は、二編目以降別物に読みやすくなっていきますのでくれぐれもこの短編の途中で”挫折”されないようご注意ください(笑)。もちろん、こういった表現がお好きな方には逆にたまらない短編だと思います。

    そんなこの作品は六つの短編が連作短編を構成しています。そして、そんな六つの短編全てに登場し、物語を一つに繋げていくのが大学教授、村川融(むらかわ とおる)の存在です。六つの短編はそれぞれに視点の主となる主人公が登場しますが、六つの短編全てに登場する村川融に視点が移ることはありません。そうです、この作品は影の主人公・村川融に何らかの関係を持つ人たちがそんな村川融の存在を匂わせながら、それぞれの人生を語っていく中に物語が展開していくという体をとっているのです。似たような体裁としては、川上弘美さん「ニシノユキヒコの恋と冒険」、柚木麻子さん「伊藤くんA to E」があります。これら二作品は書名に影の主人公の名前まで登場させるこだわりを見せます。一方で三浦さんの作品では『彼』と匂わすところにミステリー感が漂います。

    では、六つの短編タイトルおよび視点の主と関係性、そしてそこに語られる村川融という存在、さらには印象的に登場するこだわりの存在をまとめてみましょう。

    ・〈結晶〉: 三崎(大学の研究室の助手)、『村川の魅力は、ある種の女にはたまらないもの』、『村川の専門でもある、古代の朝廷』、『村川の誕生日は、二月四日』、『村川はいい加減ですが不真面目ではない』、『エゴイストですがロマンティスト』
    ※こだわり: 二千年以上も前の話

    ・〈残骸〉: 賢司(浮気相手の夫)、『先生はさびしくて繊細』、『村川は哀れで愚かな男』、『口当たりのよい夢の果実ばかりを求める』
    ※こだわり: うさぎ

    ・〈予言〉: 村川呼人(息子)、『世の中のなんの役に立つわけでもないのに、古代の中国について調べ続ける父をすごいと思っていた』、『父は自分の脳みそと研究にかける情熱だけを頼りに、俺たちを食わせていた』、『父は決して偉ぶることがなかった』、『父はなんで俺たちを捨てたんだろう』
    ※こだわり: バイク

    ・〈水葬〉: 渋谷俊介(義理の娘の隣人)、(義理の娘の)村川綾子は『週に一度は父親宛に手紙を書き、これまた週に一度、必ず父親から返信が届く』
    ※こだわり: ぬか漬け

    ・〈冷血〉: 市川律(義理の娘の婚約者)、『本ばかり読んで、夢見がちで自分勝手な男』『あなたは冷たいところが父と似てる』
    ※こだわり: 化学

    ・〈家路〉: 三崎(大学の研究室の元助手)、『先生にかかわる女たちは、時を止める魔法を知っているのかもしれない』、『だれもが、先生に一番愛されたのは自分だと競いあった』、『先生は女たちに愛を求め、女たちは先生を愛した。だが、先生を理解したものはなく、先生に理解されたものもいない。だれ一人として』
    ※こだわり: 徘徊老人のアナウンス

    義理の娘の隣人という予想外な人物まで登場させて物語は予想外な内容に展開していきます。しかし、影の主人公・村川融に関する描写は当然に関係性が近い人物の登場回の方がより具体的です。上記で抜き出した表現だけ読んでもどことなく村川融という人物が思い浮かんでもきます。物語は、そんな村川融という存在によって人生が何らかの形で影響を受けていく様が描かれていきます。そして、それは短編の中でその展開が匂わされてもいくため、ある短編を読んだ読者は、前の短編の結果が、その短編に登場する主人公にこんな影響を及ぼしたんだということが朧げながらに伝わってきます。そして、最後の短編〈家路〉で全てが決着し、『彼』=村川融という存在の大きさを感じる中に物語は幕を下ろします。

    “私は、彼の何を知っているというのか?彼は私に何を求めていたのだろう?”

    人というものは、誰であれ、その存在によって他の人に影響を及ぼしていくものです。この作品では、村川融という存在が彼の人生に何らかの形で関わっていくそれぞれの主人公たちの人生に影響を及ぼしていく様が描かれていました。短編ごとに語られていく村川融の存在が短編を経るごとに大きくなっていくのを感じるこの作品。短編ごとに『バイク』や『ぬか漬け』、そして『うさぎ』などを短編世界に意味を持って登場させることで、物語に不思議と深みを与えていくのを感じるこの作品。

    美しく綴られていく物語の中に、今の三浦しをんさんらしさに繋がるこだわりの感情を見た、そんな作品でした。

    • おびのりさん
      おはようございます。さてさてさん。
      初めて、いいね一番乗りで、ちょっと興奮しました。ご連絡まで。(о´∀`о)
      おはようございます。さてさてさん。
      初めて、いいね一番乗りで、ちょっと興奮しました。ご連絡まで。(о´∀`о)
      2023/01/05
    • さてさてさん
      おびのりさん、おはようございます。おびのりさんもこの作品お読みになられたのですね。不思議な感覚の一冊でした。
      ありがとうございます!
      おびのりさん、おはようございます。おびのりさんもこの作品お読みになられたのですね。不思議な感覚の一冊でした。
      ありがとうございます!
      2023/01/05
  • 一人の男性の不倫から生じた波紋を 彼に関わる人々をそれぞれ主人公とした六編のオムニバス。
    主人公達は波紋に過剰に反応し踠き苦しむ。回避した者も呑み込まれた者もいる。恋人や家族の絆の儚さの冷淡な表現が巧み。
    評価が分かれ気味の作品のようですが、各章とも独立した短編として完成していること。ラストの家路に含ませた儚い危うい希望が好みで高評価。

  • 彼は、結局かたちをなすほどに浮かび上がらないが、取りまく人々の語る人間模様に引き込まれる。

  • ある人物を直接には描かず、色んな関係者との関わりを関係者目線で描くことでその実像を浮かび上がらせていくタイプの小説、あるよな(例えば、奥田英朗の「噂の女」のような)。 本書も基本、このタイプの連作短編。

    古代中国の歴史を研究する著名教授の村川は、冴えない風貌なのに何故か複数の愛人を持ち、その挙げ句家族を捨て、浮気相手の一人と所帯を持ってしまう。再婚相手は子持ちの中年で、特に魅力溢れる女性という事でもない。家族の心に傷を負わせ、関係者を不幸にしつつ自由奔放に振る舞う村川だが、一方では達観しているようなところもあって、何ともつかみどころがない。結局最後まで、村川の人物像は浮かび上がってこない。

    不可解といえば、あっさり入水自殺してしまった村川綾子の心情も??だったし(「水葬」)、市川の腰に彫った蜥蜴の刺青が刺激されてエクスタシーを感じるというのも??だった。

    何とも不思議な作品だった。

  • 大学教授・村川融について、妻、娘、息子、弟子etcがそれぞれ語る連作。
    興味深いのは、何人もの人が語る村川融という人間の人物像が、最後まで読んでもぼんやりとしていてよく分からないということ。
    大学教授で、けして容姿端麗ではないけれどなぜか妙に女にもてて、研究熱心で、薄情なところがある男。という特徴は浮かび上がってくるものの、本人はほぼ登場しないから、実のところどんな人なのか分からない。
    ただ、登場人物全員がそれぞれの形で村川融に翻弄され、それぞれの形で強く惹かれていたということだけは分かった。

    読んでいて、実際の人間というのもそういうものなのかもしれない、と思ったりした。
    一人の人間について、Aから見たら優しくて善い人でも、Bから見ると冷酷な人物に映る可能性があって、そこに実体なんていうものは存在しないのかもしれない。
    それぞれの主観を通した評価が、一人の人間の人物像を浮かび上がらせていく。だけどそれは明確な答えではないから、どこかぼんやりとしている。

    最も印象的だったのは、村川融の息子の中学時代からその後について描かれた「予言」でした。
    胸が苦しくなり、先が気になってどんどん読み進め、胸が熱くなり、そして温かいところに着地する。
    すっきり爽やかとは言えない後味の短編が続く中、唯一笑顔になれるような。
    でも後味が悪いお話も変な余韻があってそれはそれで良かった。

    人間の内面にある打算とか醜さが、何かのきっかけで露呈する瞬間。そして一波過ぎた後、かき乱されたそこは一体どうなるのか。
    逃げる人、修復しようと努力する人、見て見ぬふりをする人、そもそも気づかない人、きっと様々だ。
    こんなに恐ろしくてある意味壮絶な小説を20代の時に書いていたなんて、一体どんな人生を歩んできたらそうなれるのだろう、としばし考えてしまうような小説でした。

  • 最後に田村隆一の『腐刻画』が来て、鳥肌ばばばときた。
    もー、なんつーすごいもの書いてんだ、しをんさん!

    腐刻画とはエッチングと言って、浮き出したいところを防食処理し、そぎ落としたいところを腐食処理するといった手法だったように思うが、最後にそれ提示させられて、もうど真ん中撃ちぬかれた。

    ひとつひとつの話がとても素晴らしいし、何より構成がいい。
    しをんさんの文章が上手いのはもう分かりすぎるほど分かっているのに、やっぱり上手い。もうそうとしかいえない。
    それをさらさら書くように描くから、揺さぶられる。たまらん。

    さて、語られている「彼」には防食処理が施され、「彼」を浮き出そうと語り部たちは6章をふんだんに使って語るのに、「彼」はいつまで経ってもなかなか見えてこない。
    どういう人物なのか、どうしてそんなに女に求められるのか、あるいは求めるのか、どこかどう魅力的なのか、もうそういうことが全然分からない。
    それなのにどんどん惹きこまれていく。
    しをんさんはそうした距離感を描くのが本当に上手い。
    何だろう、この感じは。
    昔、あるところで生きていた人の話を、本当に聞かされているみたいになる。

    登場人物たちが、皆それぞれ少なからず「彼」に奪われたり、影響を受けたり、齎されたりして、前に進もうともがき苦しみ、自分だけの道を見つけていく姿にとにかくやられた。

    それぞれのエピソードは別物に見えるが、切り離されたものでなく、最後まで読むと、一つの物語として完成させるにあたり、なくてはならないものになっている。

    しかし最後まで読んだってやっぱり見えたようで見えていない。
    だけどこれ以上はどうしたって無理なのだということは、読了後、明白になる。
    彼らは確かに「彼」を語る。
    だが彼らは本当の意味で「彼」を語ることが出来ない。
    なぞかけみたいだな。

    彼らは人生の旅の中で「彼」と間接的、あるいは直接的に関わるが、結局彼らは彼らの目を通してしか「彼」を語れないのだ。
    当然なんだけど。
    だが彼らがそうして「彼」と重なったからこそ見ることが出来たひとつの光はどれも美しい。
    それを読者である私も味わったとき、私も少しだけ「彼」という人を見る。
    もっと知りたい語って欲しいと思うけれど、やはりそれは駄目なのだ。
    それ以上語らせてしまうことは、登場人物を離れ、作者の介入になってしまうからだ。
    その辺の駆け引きが、すごいんだよしをんさん!

    ああもう上手くいえない。(あんたこんだけ長々書いといて)
    とりあえず読んでもらうしかない。
    読めば分かる、さあ、みんな読むがいいよ。(偉そう)


    全てのアプローチが好きで、どれも印象に残った。
    少し大袈裟に感じるかも知れないが、1ページごとに心に残る言葉がある。
    ……と書いてから解説を読んだら、解説の金原さんも同じようなことを言ってらした。
    わかってるなあ、金原さん!(偉そう)

    三崎の生き方には特に揺さぶられて、最後の「家路」を読んだ後に、もう一度始まりの「結晶」を読んでしまった。


    ……いかんよいかん、深みに嵌ってしまった。
    これは抜けるまで相当の時間が掛かりそうだ。
    少し引用文を載せすぎたか……?
    でも一番好きな言葉は、最後の4行なのだ。
    これは書かないでおく。

  • 三浦しをんさん初読みだったかも。不倫を繰り返す大学教授とその不倫相手たちに振り回される人々を主人公に書かれています。不思議展開も多く、あまり好みではなかったです。息子さん視点の話が一番良かったかな。他の作品も読みたいとはあまりならなかった。

  • 人生、愛が全て、というわけではないんですが…。とりあえず彼の周りの人間の嫉妬心が凄すぎる。ここまでの男の人っていったいどういう人なんでしょうか??
    自分は渦中には絶対に入りたくない。でも、小説として読むのには、好きな感じ。

  • 「あなたの心に打ち込まれた杭は、いずれは溶けますよ。でもぽっかりと空いた穴はいつまでも残るでしょう。それは痛み続け、そこを通る風音があなたを眠らせぬ夜もあるかもしれない。だけど私は、この痛みをいつまでも味わい続けていたいと思うのです。それが、私が生きてきた、そしてこれからも生き続けていくための、証となるからです、私の痛みは私だけのもの。私の空虚は私だけのもの。だれにも冒されることのないものを、私はようやく、手に入れることができたのです。」

  • 3.3

  • 私は、彼の何を知っているというのか? 彼は私に何を求めていたのだろう? 大学教授・村川融をめぐる、女、男、妻、息子、娘――それぞれに闇をかかえた「私」は、何かを強く求め続けていた。だが、それは愛というようなものだったのか……。「私」は、彼の中に何を見ていたのか。迷える男女の人恋しい孤独をみつめて、恋愛関係、家族関係の危うさをあぶりだす、著者会心の連作長編。
    Amazon より

    不思議な距離感の話.最後まで読んで「彼」について少しでも何かが分かったかと言えば、そうとも言えるし、そうとも言えないように思う.ゆるゆると真綿で首をしめられるような息苦しさが残る.事実は一つでも、真実は人の数だけあるのだ.

  • 不倫を繰り返す大学教授の周りに生きる人たちが主役の連作短編
    そこに描かれるのはドロドロの熱情ではなく、虚ろな執着と少しだけ熱を残した諦念であるように自分は感じた
    文章がとにかく良い

  • とにかく村川という人物はなんだったのかと言うことにつきる。
    村川に少しでも翻弄されたり関わった登場人物お疲れ様でした。
    と言うしかない

  • 2005年(第2回)。9位。
    かっこいいわけでもない大学の先生がモテる。女性がいっぱい寄ってきて、妻子を捨てて、子持ちの女性と新家庭を気づく。そして誰も幸せにならなかった。
    を、先生に関わってしまった人々の視点から見る小説。捨てられた妻子も、新家庭の誰も幸せじゃない。唯一、先生の助手は、それではいけないと気づく。
    結婚して二人でいると閉塞する。子供作って家族作らないと閉塞する。あーあーあーあーあー
    な感じで、物語を楽しむというより、作者の言葉(うんちく)に膝を打つ小説。そして助手は気づいてよかったと思う。

  • ある一人の男性大学教授をめぐり、関係する人物のそれぞれの立場にて繰り広げられる物語が集まっている一冊。一話一話味わいつつ、各物語の登場人物は他の物語と関係があるので、全ての話のつながりを考える楽しみもある面白い構成でした。
    まずは比喩や表現力が豊かな点に驚きます。少々凝り過ぎて話の本筋を見失いそうになりますが。。。ストレートな表現をしないところが、恋愛小説のようでミステリー小説ようなますます謎めいた様子を引き立てていました。
    一人の男性から元妻、家族、その友人、研究者などなど、こんなにも人間関係は広がるものかと感心しました。

  • いつ、「彼」が出てくるのかしら?と
    私の中で「彼」がだんだん形成されつつあったのに、終いまでいってしまった。
    「彼」自体は、語ることのないままで終えて、座りの悪さを感じた。まるで、御斎の食事のような。

  • 母はよく言っていた。その年齢にならないと分からないことってたくさんあるのよ、と。それを、しみじみ実感出来る年齢になってしまった。でも三浦しをんと言う作家はそんなハードルなど軽々越えてしまう。なぜあの若さで、老いて行く者の抱える心の襞があれほど鮮明に書けるのだろうか。一人の男を巡る人々のそれぞれの想いや葛藤の中に、幾つも心惹かれる言葉を見つけた。

  • 図書館で。
    特に何か特別なことが起こるわけでもなく、ものすごい特徴のある人物が描かれるわけでもない…のだけれども、それが反対に面白いというか、気が付いたら世界に引き込まれていた感じで読みました。文章が上手なんだな、うん。

    当事者ではなく、色々な人物がある特定の人を語っていくという手法は他でも見たことがあるのですが、なかなか面白い。センセイは一言でいうとかなりどうしようもない男なので、本人が登場しない方が色々イマジネーションが膨らんで面白いなぁ、と。それにしがみつく女性もある意味滑稽だし、離れた方もなんだか負け犬みたいで…難しい。

    個人的には振り回された助手が、一応それでも何とかなったみたいで良かったね、という感じでした。そういう話ではないんだろうけど。

  • 人間の微妙な感情の襞をすくい取った純文学。文章も美しい。無常が定めの虚しい世の中にあって、「ことさらに求めていかない愛」のみが存立可能であること、また、そういった愛の逞しさ、美しさを静かに描いた連作短編小説。「私の痛みは私だけのもの。私の空虚は私だけのもの。だれにも冒されることのないものを、私はようやく、手に入れることができたのです」損われてしまった愛をいつまでも味わい続けていたい、とつぶやく。その『結晶』はこの世で一番美しく、そこにたゆたう思いの、なんて豊かで、なんて切ないことか。

  • 三浦しをんは「舟を編む」「風が強く吹いている」という作品が有名で、森絵都のようなさわやかな文章を書かれる方だというイメージがあったので、そのイメージが大きく覆った。


    老いた大学教授、村川融を巡る、それぞれの独白からなる作品である。

    しかし、独白によって構成されている多くの作品(※といっても湊かなえ著の作品以外出会ったことがないので、湊かなえ作品だと言い換えても問題ありません。)と違う点は、全く騒動の全貌が見えてこないことだ。
    それもそのはず、各章で語り手となる人物は、中心となる大学教授とどこかで繋がりがあるということが共通しているだけで、繋がりの強さは家族から全くの赤の他人まで幅広い。そして語り手の語っている時代までもが幅広く設定されている。
    したがって、先程『騒動を巡る作品』と記述したが、どちらかというと騒動の基となる大学教授のことをどのように見ていたか、そしてどのように感じていたか語り手の視点を通して知るという作品に近いのではないかと思う。

    全編を通して、良い意味で全く何も分からなかった。
    ただ、中心となる村川融がここまで人を魅了し振り回すことができるのがすごい。作中に何度か村川の魅力が語られるシーンが出てくるが、自分は全くその魅力が分からなかった。
    一方で、確かにこういう人を好きになる人がいるのはわかる。趣も何もあった表現ではないが、村川は俗に言うだめんずなのだと思う。
    このような人の魅力に振り回されるのも、人生のスパイスとしてある意味楽しいのかもしれない。

    そしてこの作品の一番の魅力は、三浦しをんの描写力が光っていることだ。
    ここまで人のもやもやとした形にならない心境を、感情を、温度を、空気を、描写できるだろうか。
    語り手の視点を余すことなく伝えることができる描写力は、変態的で官能的であるとさえ感じた。
    ある章でうさぎが登場するが、この物言わぬ無力なうさぎがとても可愛らしく、記憶の中のうさぎとは別の生き物なのではないかと思わせるほどに官能的だと感じさせられた。

    彼女の他の作品は私の思っていたようなさわやかな作品が多いようなので、今度はその中で彼女の光る描写力を楽しみたいと思う。
    しかし欲を言えば、彼女のうさぎを官能的と思えてくるような作品も再び読んでみたいという気持ちもある。

  • 何故か女性を惹きつける村川教授。彼をめぐる女性たちは彼の存在によって人生を狂わされた。そしてその女性たちとなんらかの形で関わる男性たち。全体を通して暗い小説なのですが、ページがどんどん進みました。

  • 連作短編集。
    いくつかの短編に共通するテーマは「思い出を胸の奥にしまって生きていく」ということなのかなと感じた。言葉にするとなんだかありきたりだけど。大切なものを喪っても、喪ったというその事実までもを自分の一部として飲みこんで生きていく。

    そのテーマ(?)が如実に描かれている「結晶」「予言」の2編が大変良かった。
    特に「予言」は、この短編だけなら評価5!と思えるほど心に響いた。主人公が傷ついた時の、誰にもわからない悔しい気持ち、むなしさ、疎外感、無力感みたいなものがリアルに伝わって、主人公と一緒に泣いてしまった。
    全編通してドロドロした人間関係が目立つなか、この一編のさわやかな友情が救いだと思った。

  • 読み終わった後にどっと疲れを感じそうなじっとりとした内容だけど、言葉遣いが巧みで文章自体は軽やかだからそうはならなかった。面白かった。

  • 大変面白かった。interestingの意味でもamusingの意味でも。関係者の視点で次々と語られていく連作形式の小説はよくあるが、こういう展開になるとは予想だにしなかった。私のような一読者が言うのもおこがましいが、実に上手い作家さんだと思う。『舟を編む』でもそう感じたけど、これを書いた時点で既にベテランの貫禄だったとは。個人的に『まほろ駅前…』より人間の闇に焦点を当てたこちらが好みなので、この小説で直木賞を取って欲しかった。

    p42
     そんな私の惑乱を感じ取ったかのように、彼女は、
    「村上はいい加減ですが不真面目ではないのです」
     とつぶやいた。「責任を負うことはしないけれど、義務は己れに課します。エゴイストですがロマンティストでもあります」
     それは先生を評すると同時に、おぞましい愛の本質について語った言葉に思えた。

  • 一人の大学教授の妻、娘、息子、教え子、再婚相手の娘、などの話。

    略奪愛の末に再婚したけど、その家庭のぎこちなさに耐えられずに自殺する娘の話、など重く暗い話が満載。
    略奪される事に怯えるお母さんと一緒に暮らしてたら、そりゃ楽しい家庭にはならないよねぇ。
    奪っておいて幸せに暮らしてないって、何がしたいんだろうなぁと思ってしまう。

    内容はひどく暗いけれど、語り口が上手くて最後まで読み切ることができました。
    恋愛の不確かさ、家庭・家族の闇について掘り下げた感じです。
    風が強く吹いている、や神去なあなあ日常のような熱い話や家族の話も書いている人なので、恋愛全否定では無いのだろうけど、こんな風にも書けるんだなぁ〜と幅の広さに感心してしまいます。。

  • 三浦しをんさんは本当に色んな雰囲気のお話を書けるのだなぁと思いました。

    この物語で語られる「彼」とは、大学教授である村川融。村川融の妻・不倫相手・娘などの女性と関わりのある男性達が語り手となる、ひねりのある構造です。

    物語として、結局最後まで読んでも結論めいたものは描かれていないのですが、それこそが人生なんだ。この人たちはこれからももやもやしながら生きて行くんだなぁと感じられて、そこがとても良かったです。

  • 友人の出産祝いパーティーに参加する行きの電車の中で読む。電車を乗り替え、少ししてから友人にあげるはずだったプレゼントは消え、この本しか持っていないことに気付く。

    前の電車に置き忘れた。

    忘れ物相談口に電話し探してもらうが、折り返しの電話がかかってくるまで、本の内容が全然頭に入ってこ無い。

    不倫、浮気、この著者でもこのようなドロドロしたのを書くのだと戸惑う。大学の教授が前妻と分かれ再婚。彼の周辺の人物を視点を変えて書いた物語。不倫とは周りの色々な人をこんなにも不幸にするのだなあと思う。

    文中の「たった二人で、支えあったりけなしあったりして結婚していくのは、難しい。子供の教育、家のローン。緩衝材や刺激物を混入させることで、夫婦は夫婦として機能しやすくなるのだ。一対一の人間関係は厳しい。緊張に疲れはてるか、惰性に流されるか、たいていはどちらかに行き着いてしまう。」という一文に考えさせられてしまう。

    私は独りが好きで、子供が嫌いだと思っていたので、そんな風に考えたことが無かったが、自分に子供が居なかったらを仮定してみた。二人の時はよくケンカしたし、子供がいなかったら駄目になっていたのでは?
    或いは、子供を作るという選択肢を早々と決め、授かった事で、自分達自信の事をもっと考え、やるべきことがあるのに、育児を理由に考えるのを放棄しているのでは?と。

    「冷血」の章は文を読んでいて、空虚な風景を見ているようで、好きだなと思った。本著者の本は好きだが、こんな風に好きになったことはなく、面白さ再認識。また、後で再読しても面白いと思えた(前半頭に入ってこなかったのもあるかな。。。)

  • 三浦しをんの私が語りはじめた彼はを読みました。
    古代史を専門とする大学教授村川融は妻の他に愛人を持ち、その後妻と離婚して愛人と生活していきます。

    彼に関わる人物たちの視点から物語が語られます。
    それぞれの人物たちが心の中に暗い情念を抱えて生きていく様子が描かれていきます。

    三浦しをんの著作は若者が主人公の青春の物語と腐女子の明るいエッセイしか読んだことがなかったので、こんな物語も書く人なんだなあと再認識したのでした。

  • ここ最近自分が読んでいた三浦作品が陽なら、これは陰、という感じ。やるせない哀しさ。
    一人の恋多き男性を核に、取り巻く人々のオムニバス的な短編集。

    三浦さんの作品たちを、ワタシはまだそれほど数多く読んでいるわけではないのですが、「そっかー、こういうお話も書ける人なのね」と懐の深さに感心してしまいました。

    話自体はやや暗く、スッキリとしたエンディングでもないし、読了後、心に少し苦味が残るのですが、人と人との愛情ってもしかしたらこの話のように割り切れないし、周りを取り巻く人達がすべてハッピーでもない、もしかしたら憎悪や嫌悪されているのかもしれない、その上にそれぞれの愛憎が成り立っているのだ、という部分がすごくリアルに感じました。

    それぞれの章の語り部達が語る「彼」、村川は幸せだったのでしょうか。案外彼はある意味幸せな生涯だったのかもしれません。
    「彼」を取り巻く語り部達の愛は、それぞれ仄暗い薄闇の中で終わりが見えなくても。

  • 一人の男性を中心に・・・ってありがちなパターンだったけど
    とても面白かった。他の作品とはまた違っていて。こんな小説も書かれるんですね~。

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著者プロフィール

1976年東京生まれ。2000年『格闘する者に○』で、デビュー。06年『まほろ駅前多田便利軒』で「直木賞」、12年『舟を編む』で「本屋大賞」、15年『あの家に暮らす四人の女』で「織田作之助賞」、18年『ののはな通信』で「島清恋愛文学賞」19年に「河合隼雄物語賞」、同年『愛なき世界』で「日本植物学会賞特別賞」を受賞する。その他小説に、『風が強く吹いている』『光』『神去なあなあ日常』『きみはポラリス』、エッセイ集に『乙女なげやり』『のっけから失礼します』『好きになってしまいました。』等がある。

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