- Amazon.co.jp ・本 (432ページ)
- / ISBN・EAN: 9784101169019
感想・レビュー・書評
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とても好きな日本文学です。
時系列が混在し、それが主人公の心境と相まって過酷であっても心地いい文章です。読んだ感覚がラテンアメリカ文学に似ていると思っています。
丸谷才一は、これと「輝く日の宮」がもう素晴らしくて素晴らしくて。
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大学事務員の浜田庄吉は、戦時中には「徴兵忌避者」として日本中を逃げ回っていた過去がある。ある日、浜田のもとに当時の内縁の妻の阿貴子の訃報が届き、同じ日に泥棒とそれを追う学生に遭遇する。そこから浜田は追われる立場だった自分を思い出す。
終戦後、軍隊はなくなりそもそも「徴兵忌避」は罪ではなくなった。その後は町医者の父親の友人である大学の理事の口利きで大学の事務員として働いている。その理事の紹介で、40歳近くで20歳下の妻の陽子を紹介してもらい、昇格の内定も仄めかされた。目立たないように暮らしてきた。しかしこの昇格に反発する者もいるようだ。戦後20年経った今になり、浜田の過去が雑誌に掲載され、学内で取り沙汰されるようになる。
小説の語りは、戦後20年たち40代の浜田が、徴兵忌避者として20歳から25歳に変名の『杉浦健次』で過ごした日々を連想してゆく、時系列の入り混じった意識の流れのような書き方になっている。現在の浜田が東京でバスに乗ると、20歳の頃に地方都市回りでバスに乗ったことを思い出すというような、浜田の意識がごく自然に移り変わってゆく様子は漂うようだ。
現在の浜田は目立たないように暮らしている。当時の徴兵忌避も断固たる反骨精神などとも違い、揶揄されるような死ぬことが怖かっただけでもなく(むしろ人を殺すことが嫌だったのだ)、学生活動家たちの言うような右翼への反対の意思表明でもない。
それならなぜなのか。町医者の父の長男として生まれて、学生の頃から心に抱いていた思い。
戦争そのものへの反対、この戦争への反対、軍隊そのものへの反対、この軍隊への反対。
友人は<戦争なんて、なぜあるのかな?いくら考えても、おれには分からねえや P270> <結局、国家というものがあるから、いけないんだな P350>といいながら、自殺したり戦争に行ったりした。
それなら自分は忌避者になるしかないだろう。
そのために町医者の息子でインテリ学歴の自分が、学歴を捨て、職を捨て、憲兵のいない小さな町を巡りラジオや時計の修理や砂絵の香具師暮らしをしてきた。皆が囁くように家から金を持ち出したりしたわけではない。
そして阿貴子。砂絵師として年上の阿貴子と知り合った。阿貴子はすっかり砂絵師の女房としてともに旅をした。そして終戦前の1年は宇和島の阿貴子とその母親の家に転がり込んでいた、いわば男妾のようなものといわれたら反論はできないが。
終戦を迎えて、忌避も問題ではなくなり、今では20歳年下の美しい妻の陽子と暮らしている。だが意識の底には自分を許せない気持ちを持ち続けている。
自分が徴兵忌避をしなければ、母は自殺しなかったのか、弟は軍隊で暴力を受けなかったのか。浜田の忌避を「罪ではない」という人たちも一言添えているではないか「だが自分は彼とは違ってちゃんと兵役を務めた」と。
藤原俊成女の和歌が浜田の目に留まる。
『これもまた かりそめ臥しの ささ枕 一夜の夢の契ばかりに』
旅先の笹のかさかさする音が不安をそそる、やりきれない、不安な旅路。
浜田の忌避を怪しい雑誌に売り込んだのは、彼と昇格の役職を争う西英雄だった。陰口を叩いたり、チクったりという役回りだが、この西にも前線での体験がある。
西は酒に酔い南方戦線のことを幻想する。
島に上陸した自分たちは、川に入ればワニに襲われ、アメリカ軍には補給を断たれ。アメリカ軍は、食料の入ったドラム缶を狙撃するんだ、癪だったねえ。何もこんなにしてまで弱い者いじめしなくたっていいじゃないか。
酒。椰子の実の汁にジンを入れたカクテルを作って、おれなら『さらば戦友』って名付けるね、ああ、この名前がピンとこない奴らが増えて。『さらば戦友』
少しの間ともに森を逃げたあのウスノロのお坊ちゃん。あいつの持ってた塩を半分もらっちまったが、あいつの死体をちゃんと埋めたんだからいいだろう。不思議だな、俺はこうして生きている。あいつを撃った機関銃の音。ピンピンピン、違うなトトトト、いやダダダダだったか、そしてあの地震みたいな爆発のデーン、いやゴアーン、そうだピカッドスゴアーンガガガガガ。あいつは死んで、いや違う、あいつの上に生えていた樹。あいつはウスノロだったから人間でいたら苦労しただろう、樹ならウスノロだって構わねえ、あいつは今、オラフ島のウスノロの樹になって生きているんだ、どんどん成長して、眩しい天に近づいて。樹だからあいつは生きている。達者で暮らせよ、ウスノロの樹。
忌避が取り沙汰された浜田は、昇格どころか左遷か退職かを仄めかされる。
ここで改めて浜田は自分を振り返る。
さらに家庭における大事が暴かれる。自分にだけ知らせれなかった大事。
戦後自分を責めなかった人たちは、実は自分を「信頼ならない忌避者」として見ていたのだろうか?
終戦の8月15日。軍国主義は終わり、戦争相手のアメリカと和平を結んだ。だが今の自分は不安から開放などされない。
物語の最後の場面は、20歳の浜田が徴兵忌避者として逃亡の旅を始めるその日、つまりこの物語の一番最初の出来事が一番最後に書かれている。
不安な笹まくらの旅、捕まれば死ぬ旅に出る浜田はそれでも開放感があり、それから25年経った現在のほうが未だに不安を抱えている、なんとも不思議であり本当に素晴らしい小説だ。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
その本を読んだのはいつだったのだろうと履歴を掘ると、2012年の春のことだったらしい。
米原万里という人が書いた書評集に蹴つまづき、読み進めるうちにその人柄にみるみる引き込まれいつのまにか彼女の勧めるままに数冊を手にとってみている自分がそこにいた。その書評集のタイトルはどうやら彼女本人がつけたものではないらしく、その類推は本書が彼女が短い生を全うした後にそれまでの連載記事を集めて発行されたものだということを知ったことからきたものだ。
「X月X日」と日記形式で語られるその文中、彼女の友人がある作家の作品を読んで衝撃を受け著述業を続ける自信がなくなったという発言をした際、彼女自身はその作家の選択が気に入らなかったらしく、私にとっては誰なのだろうと記憶をさかのぼった結果、こう言ったのだそうな。
「そんな作家で書く気を無くす前に『笹まくら』で打ちのめされなさい!」
この発言が本書評集のタイトルとして採用されたらしい。自分が本書を手に取った理由がこのタイトルなら、そのタイトルになった作品に目を通さないわけにはいかない。その気持ちがしばらく持続した後中古本の入手を待ちきれなくなり、とうとう「輸入価格」で手にすることにまでなってしまったその結果は…
まんまと打ちのめされてしまった… orz...
遅読派ゆえに週末だけでは読みきれなかったものの、日曜夕には読み疲れてウトウトし、3AMぐらいに目を覚ますとそのまま朝までつききり、月曜の夕には地下鉄を降りた後ベンチに座ってそのままクライマックスを…てな調子で走りきってしまった。
映画「Memento」を小説にしたような…いや、本作は1966年の発刊ということなのでこちらの方が30年以上も先輩ということになる。ただアイデアは逆方向、前者は「消えてしまう記憶」が鍵となっているのに対し、後者つまり本作は「消えない記憶」がその役割を果たしている。「Memento」で味わった時系列の混乱が、ページを左から右へとめくりつつ縦に目線を走らせながら読む形態で再現されてゆく。そのトリックを楽しむためには瞬時に起こる遷移に慣れるしかなく、慣れてくるとその反応速度の高まりが快感に変わってくる。
「その若い女は杉浦をじっとみつめ、それから慌ててお辞儀をした。誰だろう?」
…の部分は特別にそうだった。
映画「Memento」が気に入って、何度も何度も鑑賞したのち、DVDの便利さを活かして全てを単純時系列に並べ直して鑑賞しなおしてみたという経歴の持ち主の自分は、同じ事を本作品でもやってみたくてしょうがないのである。面白さが半減以下になるのは承知だが、そのためにはまずこの書かれたままの順で何度も何度も楽しむべきだと考えている。電子版「笹まくら」が自分の目の前に現れ、数時間に及ぶであろう事前切り貼り作業を経た後に、「さあ。読むぞ!」といってニヤつきながら挑戦できるその日がくるまでに。
主要な場面として現れた宇和島が、先日「街道をゆく」で味わったばかりであったために数倍にも増幅され、いきたい願望がむくむくと入道雲のように育ちだしたのもいとをかし。
そして文庫版で読んだことによるもう一つのおおきな喜びは…そう、またもやあとがきに含まれていた米原万里氏によるお言葉!しかも前述「打ちのめされるようなすごい本」からの再録。まるで「ね、よかったでしょ?」と天の上から呼びかけられているような気持ちになれること、これまた至上の喜びである。
安らかに、そしてまたもやこうしてありがとうございます。 -
徴兵忌避に成功した男を主人公に据えた物語。戦後二十年が過ぎ、大学職員として出世の派閥のという競争に汲々としている現在と、戦時中に憲兵の目に怯えながら全国を放浪した逃亡生活の記憶を、交互に織り交ぜてひとりの男の人生を辿る。戦死した若者の葬列に行き会うたびに、この人物は自分の代わりに死んだのだという罪悪感に襲われていた戦時中の苦しさ。戦争の終結とともにそこから解放されたわけではなかった。戦後すぐの反戦的な空気が徐々に変化し、反動で右傾的な社会の空気が醸成されつつある時代になって、いまさら二十年越しの時限爆弾として出世に影を落とした「徴兵忌避」の過去。勤め先の誰と話しているときにも、相手が自分の過去を知っていて腹のうちでは自分を馬鹿にして、あるいは憎み、軽蔑しているのではないかという想像に翻弄されて、しだいにノイローゼぎみになっていく。自分がしたことは正しかったと思っている自分と、ただ軍隊がいやで逃げていただけではないかと自責し、自分がとんでもない人非人ではないかと思う自分。戦争に行って苦しんだ友人たちや同僚に対する引け目はいつも生活につきまとってくる。逃亡中の一瞬を切り取っただけの短編では描き出せなかっただろう、何十年も続く「その後」の人生。
読んだきっかけは米原万里さんのエッセイで絶賛されていたことで、現在と過去を絶え間なく往復する構成、重層的なストーリーという書評から興味を持ったのだけど、これだけめまぐるしく過去と現在を行き来して生々しく読ませる筆致は尋常じゃない。冒頭、「内容的になんとなく重くて暗そうだしこれは読むの時間かかるかな」とか思ってたらうっかり一気読みしてしまった。 -
今更の初丸谷。素晴らしい作品。
戦争忌避の過去を持つ大学職員が、現在と20年前の回想をシームレスに行き来する内容。
構成も文字表現もどこか知的で、独自性があった。ネーミングも完璧。
半世紀前を全く感じさせない鮮やかさで、他作通読確定。 -
意識の流れ。
突然過去と現在がいりまじる。主人公は戦争忌避者だった。あれから20年がたち、戦争のことなんてみんな忘れてしまったような世界。でも主人公はあの頃と今は繋がっていることをよくわかっている。死と直結しているように見えないだけで、世の中は少しも変わっていないことを。
いま、この作品を読む意義はめちゃくちゃあると思う。 -
もしも丸谷才一氏が存命ならば、今年で90歳になるところです。あの三島由紀夫氏と同年なのですが、丸谷氏はずつとこちら側の人といふ感じがしますな。
『笹まくら』は、丸谷氏の長篇小説としては、『エホバの顔を避けて』に続く2作目といふことになります。発表時すでに41歳になつてゐましたが、まあ、その後の丸谷氏のキャリアを改めて俯瞰しますと、一応初期作品と呼んでも良いのではないかと。
主人公は、浜田庄吉なる某私大に勤める事務員であります。当年取つて45歳。取り立てて起伏の無い生活を送つてゐましたが、ある訃報を受け取つてから、変化が生じます。その訃報とは、戦争中に偶然知り合ひ、付き合つてゐた女性のものでした。
香奠を幾らにすれば良いか思案するとともに、それをきつかけに当時の事を思ひ出す浜田。彼は兵役を拒否し、徴兵忌避者として逃亡生活をしてゐたのでした。時計やラヂオの修理、その後砂絵描きとして生計を立てながら、憲兵に見つかりやすい都会を避けて全国を転々としてゐました。その途中で出会つたのがその女性、阿喜子だつたのです。
結局浜田は終戦までの5年間を逃げ切ることが出来た訳ですが、戦後も20年経過した今になり、あることから「徴兵忌避者」としての経歴が職場内に知れ渡ることとなり、大学内の人事にも影響するやうになります。
ゐづらくなつた彼は転職を考へ、会社社長になつてゐた友人に就職の世話を頼むのですが......
現在の大学職員としての浜田の心理状態と、20年前の徴兵忌避者としての浜田(杉浦といふ変名を名乗つてゐた)の回想が、代はる代はる現れます。この交錯は、章で区切られる訳でもなく、それどころか段落分けすらされませんので、突然場面が変る印象なのです。登場人物が変つてゐたり、「浜田」と「杉浦」の使ひ分けで読者は「あ、ここで変つたな」と判断するしかないでのす。まあ、読み進むうちに慣れますが。
そして第4章に当るパートは、第3章の文章が終らないうちに突然挿入され、吃驚します。そして第5章で第3章の続きが、ちやうどVTRの「一時停止」を解除するかのやうに再開するのでした。これらは、ジェイムズ・ジョイスの手法を取り入れてゐるとか。さう言へば丸谷氏の卒論タイトルは「ジェイムズ・ジョイス」であります。
笹まくら、とは「草枕」と同様の意味らしく、旅寝のことらしい。かりそめの、不安な旅寝。浜田は5年間の笹まくらを重ねましたが、ラストを読むと、実はこれから新たな現代の笹まくらが始まるのかも知れません。見事な最後であります。
丸谷作品の主人公は、どこかの部分で体制、即ち国家に背を向ける人物ばかりですな。それが無意識の行動だとしても。
そして国家とは何かを繰り返し問ふのも特色の一つと思ひました。本書でも友人(堺)と「国家の目的とは何か」を論ずる場面がさりげなく挿入されてをります。
長篇小説作家としては寡作を貫いた丸谷氏ですが、それだけに各作品の水準は真に高いと存じます。個人的好みは『裏声で歌へ君が代』ですが、『笹まくら』も実にスリリングな展開で、知的娯楽としての小説、面白さは抜群であります。
日本語に五月蝿いおやぢとしては有名かも知れませんが、戦後日本を代表する長篇小説家としても、もつと知られても良い存在であると存じます。
では眠くなりましたので、今夜はこれにてご無礼いたします。晩安大家。
http://genjigawa.blog.fc2.com/blog-entry-597.html -
ジョイスの『ユリシーズ』に影響を受けた作家らしく、ユリシーズ的な実験が仕組まれていて楽しめる。
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主人公の心理描写が秀逸でした。過去に残した記憶がブワッと蘇り焦りや不安感が襲ってくるような。読んでて自分まで不安になってくる…。
懲役忌避者という、ある種珍しい立場から描かれた話はとても新鮮で一気に読めました。 -
丸谷才一さんの作品。主人公の思考の流れのままに現在と過去とを行きつ戻りつして太平洋戦争の時代を描いている。主人公は、徴兵忌避者として生きていくことを決め、常に怯えた暮らしを強いられる。それは、戦争が終わった後でも、同じように展開される。徴兵忌避者としてのアイデンティティを背負ったときに、この国ではとても生きにくいことは想像できる。
『ハクソー・リッジ』という映画を思い出す。-
ハクソー・リッジ 2016年アメリカ製作
ネタバレになってしまうかも。
第二次世界大戦中の出来事(実話)を映画化したものです。沖縄の激戦地...ハクソー・リッジ 2016年アメリカ製作
ネタバレになってしまうかも。
第二次世界大戦中の出来事(実話)を映画化したものです。沖縄の激戦地であった前田高地で多くの負傷兵を救ったアメリカ人の活躍が描かれています。
主人公は、軍隊に入隊するが人を殺す事はしないと宣言して武器を使う訓練への参加を拒絶し続けます。
上官の命令に従えないと言っているので、軋轢がうまれます。
この、人を殺さないという心情を抱える人物と、徴兵忌避する主人公の心情が私の中で共鳴したのだと思います。
気になったら、是非映画ハクソー・リッジも観てみて下さい。2020/08/13 -
そうなんですね。
ありがとうございます。知的好奇心が触発されます。
そして私は、ドナルド・キーンさんを思い出しました。源氏物語に魅せられ、...そうなんですね。
ありがとうございます。知的好奇心が触発されます。
そして私は、ドナルド・キーンさんを思い出しました。源氏物語に魅せられ、対戦中は日本語通訳官として働きましたが、硫黄島での名もない日本兵(極限状況でも豆を分け合うという)の日記に涙したという方です。2020/08/13 -
2020/08/16
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