- Amazon.co.jp ・本 (347ページ)
- / ISBN・EAN: 9784101169125
作品紹介・あらすじ
長篇小説はなぜイギリスで、短篇小説はなぜアメリカで発展したのか?――小説からエッセイ、詩、批評、伝記、歴史、戯曲まで、目からウロコの話が満載。決定版文学講義。「丸谷さんは、古代から現代にいたるまでの文学の姿をたんに手際よく整理してみせたのではない。ここで展開された論議は、つねに現代文学の先端的位置からなされているのである」(湯川豊「あとがき」より)
感想・レビュー・書評
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平成22年、ということは、2010年に出た本。だそうです。
丸谷才一さんが、聞き手の湯川さんという人との対談形式で、古今東西のあれこれについて薀蓄オモシロ話をしゃべる、という本。
何かこう、深く感動をしたり、衝撃が走ったりする訳ではないですが、本好き、文学好きとしては大変に面白かった。そういう趣味を持っている大人にとっては、ありがたい愉快な本ですね。重すぎず、軽すぎず、胃にもたれずに軽快に、へ~、と、ふ~ん、が、ぎっしりです。
その代り、余程、ノート取りながら読み込まない限り、右から左へと衰えた記憶力がとりのがして行くような本です…。
別段、結論があったり、とある論を強弁するための理論だったりはしません。
まあ、雑学、オモシロ逸話があって、「へ~」と面白がってると、「こういうことなのかもね」みたいなスパイスがある。
くらいのことなんです。文学のあるべき論とか愉しみ方を、何か、まるばつ点けて指導しよう、俺が知ってる俺に従え、みたいな、傲慢ヤンキーな本じゃないんですね。
まあ、その分、実に楽しくとっちらかってる、とりとめのなさが素敵なレッスンです。で、確実に、文学という考え方とか、その受け止め方が、先入観から解放されて柔らかくなります。
全体としては、そんなこと以外あまり言うことがないんですね(笑)。
まあ、ただ一つ言うと。
丸谷さんだって、そりゃ間違ってることもあるかもしれませんし。
丸谷さんの考えが絶対正しくもないんでしょうけど。
ただ。
「私たちが、ぼんやりと、当たり前のこととして受け止めているイメージって、嘘なこともあります。名作と言われているものが、面白いと限らない」
「私たちが、ぼんやりと、当たり前のことと思っているコト。考え方。ちゃんと歴史を、過去を見つめると、それは、ある時期に誰かが、恣意的に意図的に、作り上げちゃったことだったりします。そしてまた、そんなに昔の事ではなかったりする」
というような、過去への目線。自分の理性を信じる合理主義。実証なしに、妄信的に感情論を言わない理性主義。
そして、ユーモアですね。ユーモアと、余裕というか。めくじら立てない感じ。
そういうのが、好きな人は好きでしょう。僕は好き。
でも、そういうのがとにかく気に食わん!っていう人も、いらっしゃるんだろうなあ、と思いますが。
僕は好きなんで。今後も、エッセイ的な本をふらっと読むなら、司馬遼太郎さんと、丸谷才一さんって、双璧の安定感だなあ、と思います。満足度の点で。
というか、そこを基準にしちゃうと、ほかは…「なんでこんな合成着色料ベタベタの、子供だましみたいな安物お菓子を買わねばならぬのだ」と思ってしまうんですよね…。
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という訳で、以下、個人的な備忘録です。
①短編小説
②長編小説
③伝記・自伝
④歴史読み物
⑤批評
⑥エッセイ
⑦戯曲
⑧詩
という章に分かれています。
やっぱり正直、⑦⑧は丸谷さんの得意分野ではないせいか、やや、薄いというか淡泊ですかね。
①短編小説
●短編小説というのは、結局、掲載される媒体があってのお話です。
●それは、資本主義が発達して、そういうのを購買する人たちが出てきてからの話です。
●だから、18世紀~19世紀のヨーロッパとかが早かった。
●何故だかイギリスは長編が強い。フランスが短編が多い。
●「猟人日記」はsportsman's sketch であって、その辺からスケッチという言葉が自然主義写生主義的に近代日本文学に入ったのでは。
●「本歌取り」的な物語のありよう。例えば、聖書とか、そういう巨大な物語が前提としてあって、短編があるみたいな。これを「ハイジャック」と呼んだりする。
●永井荷風は短編小説が上手い、というような雑談も面白かった。
②長編小説
●19世紀ロシアの大長編小説、ドストエフスキーとかは、その頃の雑誌の有為転変と露骨に関係があるそうな。やはり掲載連載の場が大事。
●近代日本文学は、漱石以外は長編は乏しい。
●ディケンズとか、グレート・ブリティッシュ・ノーベルと言われるそうである。アメリカはそういうところに劣等感があったりする。トム・ソーヤ、ハックリベリーフィン、とかいろいろあるのにね。
●一方でイギリスの長編文学の商売としては、「スリー・デッカー・ノーベル」という形式があって、要するに上中下巻の三冊で買わせたい。そのために、上巻中巻の終わりに、かなりハッタリで引っ張る。「我輩は猫である」はこれを意識していると思われる。
●結局そんなこんなは、識字率の高い中産階級以上が、本を買うゆとりがある世の中があって、はじめて実現する。
●古い時代の長編小説、というのも各国あるけれど、そう考えると源氏物語は凄い。
●トルストイの小説は、登場人物の魅力が乏しいから、いまいちである。その辺、ドストエフスキーの方が、登場人物がキャラ立ちしているというか、そこンとこで面白い。
(※これ、同感なんですよね…。トルストイ、「アンナ・カレーニナ」を読んだ限りでは。)
●その、登場人物のキャラ立ち、という意味で、やっぱり漱石は面白い。
●近代日本文学は、自然主義、告白主義、私小説主義に毒されてしまったところがある。吉行淳之介さんが、言ったそうな。「丸谷、アレの方が毎月書くためには、楽で良いんだよ。ま、そりゃ、本格小説の方が良いに決まってるんだけどさ」。これには爆笑。
●長編小説は都市小説であるかも、というお話。
③伝記
●この章はほとんど記憶が索漠としていますが。天皇裕仁、昭和天皇の最高の評伝というのが、外国人が書いたものである、というのだけ覚えています。
④歴史もの
●「太平記」という物語は、「南朝の怨霊が北朝を恨み続ける」みたいな怨霊思想らしいんですね。で、これが、かなり強く中世~近世の人々の心を捉えた。江戸後期の「日本外史」「大日本史」なども、その流れの中にあって、それで明治維新まで行ってしまった。
●「太平記」もそうだけど、マルクスの「資本論」もそうで、力強い魅力のある本は、ダイジェストで広まっていく。マルクス主義者のほとんどは、資本論なんか読んでない、と断言する丸谷さん(笑)。
●石母田正さん「中世的世界の形成」。伊賀の黒田の庄の話で、名作だそう。これは確か別のヒトの本でも出てきた話で、いつか読んでみたい。
●1935年、ゴンブリッチさんという名前のオーストリア人さんが出した「若い読者のための世界史」という本があって。この人が、第2次世界大戦後に、まえがきというかあとがきで、「予測できなかった」と非常に名調子の後悔の念を書いているそう。
●歴史が読み物になるときに、やはり面白いのは逸話である。人物の逸話。
●なんだけど、明治後の日本の、歴史学会?はランケさんという学者の主義に流されてしまって、そういう逸話の面白みを編纂することに、やや欠けているのでは。
⑤批評
●「学問という円」と「エッセイという円」。この二つの円の重なる部分が「批評」である。ふ~~~ん。
●本居宣長の解釈について、折口信夫さんが、小林秀雄さんの解釈を否定していた、という。「宣長は、古事記じゃなくて、源氏ですよ」。
本居宣長を解釈する上で、古代中世的な日本らしいおおらかな?セックス感の視点。
●近代日本文学は、大変に「学問」を軽蔑していたという。だから、夏目漱石も批判されていた。
●そのあたりを、司馬遼太郎が何かの文学賞の選考で、指摘した、という。
●小林秀雄の文体=明治憲法のような。ハッキリ言って、趣旨不明なことが多い。名文だけど。
●当時の西欧の影響も受けて、田山花袋さんが明治40年「布団」それから、自己告白的な文学が主流になって、漱石は余裕派高踏派、と批判された。
●古代日本で言うと、和歌の撰者、紀貫之など、「批評家」の時代もあった。
●山崎正和「不機嫌の時代」。日露以降の日本文学の、深刻さ、ニヒルさ、陰鬱さ。
●森鴎外の史伝三部作が面白いらしい。読んでみたい。
⑥エッセイ
●野坂昭如さん曰く「エッセイは、冗談、ゴシップ、雑学」
●「徒然草」よりも「方丈記」の方が、ゼッタイ、おもしろいらしい。
●ハックスレー、グリーン、オーウェルのエッセイは面白い。うん、同感。
●ベンヤミンは前期が堅いけど、後記は面白い。
●江戸時代は随筆がいっぱいある。けど、くだらないものもいっぱい。
●無内容な随筆について、というくだりで、「内田百閒って志ん生な感じだよね」と、丸谷さん、ここ、面白かった。
⑥戯曲
●歌舞伎と、バロック演劇の相似点。強引なような…気もするけど面白かった。
●悲劇と喜劇。井上ひさしさんを、「悲劇作家」と位置付ける。これも、視点が面白かった。
●笑劇、ファルス。マンゴンドラ。これはかなり、確かに面白そう。三谷幸喜さんは、ファルスなのではないだろうか(私見)。
●名作「夕鶴」を「面白くないよね?みんなそう思ってるでしょ?」という丸谷さん(笑)。戯曲には色気が必要だ、と。ほんとの意味で、大人だなあ。
⑦詩
●詩については、僕があまりに知らないというのもあって良く判らなかったという、既に記憶が劣化しています。
●ただ、日本では、明るい肯定的な詩が軽くみられるのは、どーなんだ?という、丸谷さん。
●そういう意味で、大岡信さん、北原白秋さん、谷川俊太郎さんとかいいんじゃないか、みたいな。
●詩を愛して、詩、言葉が酒の肴になる、という話は、何だか素敵だった。
以上
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季刊「考える人」に掲載されたインタビューをまとめたもの。短篇、長篇、伝記・自伝、歴史、批評、エッセイ、戯曲、詩の各分野について最先端の立場からの刺激的なお話。
長編小説が発展するためには読み手の成熟(資産、閑暇、教養が十分あって、小説の世界とじっくり付き合う時間をもてる)という要素も無視できないという話になるほどと思う。たしかに、学生時代(なかでも教員研修で海外滞在中)ほど長編小説に読みふけったときはなかったし、家族の世話や仕事に追われる今の日常では隙間で読める短篇やエッセイはそれなりにはかどっても(このような対談型の評論も小間切れの読書に耐えるから読み進んでいるけれど)長編小説や分厚い評伝にはなかなかとりかかれない。
イギリスで長編小説、フランスで短編小説がはやった理由など、歴史や当時の社会事情なども含めてそういうことを考えることがこれほどおもしろいと気づかせる話術もすごい。大学の文学講座でこういう話が聞けたら、それを緒にたのしい卒論がたくさん生まれそうな気がする。
詩の話も示唆に富んでいた。
日本の近代文学は詩(レトリックと音楽の同時的併存、相乗効果によってもたらされる快楽)を失ったという話にはうなずくところが多いけれど、一方で、昔話のような伝承や子供向けの物語や絵本の文章など、いまもいいまわしのおもしろさと韻律が生きていてかつ作品の質を保証している世界もあると思うので、それについての意見も聞いてみたかったと思う。 -
丸谷才一さんの言葉はすごくわかりやすい。長編小説、短編小説、伝記、批評、詩、エッセイなどに分けて、聞き手の湯川豊さんが進行。イギリスで短編小説の地位が上がらず、長編ばかりが好まれるのはブルジョワ社会の成熟が早かったからじゃないかとか。誰が書いた何が出てきて文学シーンがどうとかって話じゃなく、そのお国の政治や成熟度が大きくその国の文学のあり方を左右したのではないかという話。長編小説は日本ではすごく難しい試みだったとか、ああいわれてみればというような発見が多い。加藤周一の日本文学史序説、この後に読むか前に読むかしたら補完しやすいんじゃないかと思う。語り口もジャンルも全く違うんだけど、文学がいかにして人と歩んできたのかがわかりやすいと思う。
丸谷さんも訳に加わっているユリシーズ積んであるなぁ。読まなきゃ。でかいし重いから文庫で買えばよかったと後悔。丸谷さんは小説は一作しか読んでないけどエッセイや対談形式の著作が好き。 -
知への意欲を刺激される対談集。文学そのものに対して目が開かれた思い。自分の不勉強を自覚した。
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『思考のレッスン』を彷彿とさせるような面白さ。小説、伝記、批評、エッセイ、戯曲、詩など文学のジャンル全般を丸谷才一がその該博な知識を駆使して語り尽くす。
相変わらずの軽快な語り口で、難しい議題であっても、するする読めてしまう。
個人的にはブローデルやブルクハルト、石母田正などの歴史家の重鎮の名前ですらもさらっとさりげなく挙げてしまう辺りに、著者の懐の深さを垣間見たような気がした。感心した。 -
知的な文学論議。
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10/14 読了。
巻末の読書案内が親切! -
読みながら、また一人、文豪、かつ優れた批評家がこの世を去ったという実感を否めなかった。
丸谷才一の小説なりエッセイなりは、その旧仮名遣いが拭いがたい違和感となって、少し手に取るのをためらってきたのだけれど、でも手に取った作品はどれも当たりだった。でもやっぱり旧仮名遣いには抵抗がある。
そんな中、本書はインタビューとのことで仮名遣いも現代で、気軽に手に取れた。で読んだら、洋の東西を問わずその博覧強記。インタビュアーのころころ変わる話題転換にも柔軟に応じながら、文学のあらゆるジャンルについて自在に語り出していく。すごい、という他ない。