虚航船団 (新潮文庫)

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  • 新潮社
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本棚登録 : 852
レビュー : 63
  • Amazon.co.jp ・本 (577ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784101171272

作品紹介・あらすじ

鼬族の惑星クォールの刑紀999年6月3日、国籍不明の2基の核弾頭ミサイルによって国際都市ククモが攻撃され、翌4日、無数の小型単座戦闘艇に乗ったオオカマキリを従えた文房具の殺戮部隊が天空から飛来した。それはジャコウネコのスリカタ姉妹の大予言どおりの出来事だった-。宇宙と歴史のすべてを呑み込んだ超虚構の黙示録的世界。鬼才が放つ世紀末への戦慄のメッセージ。

感想・レビュー・書評

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  • 神話→歴史→SFという歴史的成立過程を倒置し、気狂いだらけの異様な文房具たち、迫力すら感じる歴史書・通史のカリカチュアを経て、"神話"と銘打たれたブンガクのジョイス的極地に至るまでの密度の濃さは類例を見ない。序盤の教会の件以降、宗教的要素のまるで現れない第三部は、しかし"荒唐無稽"という一点においてまぎれもなく神話そのものなのかもしれない。そしてラストに配された親子の会話からは、どんなに前衛や実験と称して迂回や破壊や冒涜を繰り返そうとも、小説として真っ当なオチをつけずにいられない物書きの性が垣間見える。

  • 筒井康隆の作品の中では長いほうだと思いますが、わりと好きな作品。
    ただし中身はあまり覚えていない。
    表紙の通り、いろんな文房具が出てくるのですが、昔から物品に感情移入するタイプだった私には面白く思えました。

  • 作者は後にイタチ科惑星の“ファウナ”に、「ラッコ忘れた」と言ってゐるが、例へラッコもふもふが21世紀初頭に辛うじてあったやうな状態でも別にいいと思ふ。
     メタフィクションとして、選挙カーががなる人の名前らしきものが出て来る他、ホチキスが放つ針をカタカナに見立て
     ココココココココココ
    といふ表現が出て来る。

  • 第一章「文房具」
    文房具たちだけが乗っている宇宙船。巨大な船団のうちの一隻であるようだが、目的も行く先もよくわからない。とりあえず、さまざまな個性的な文房具たちが紹介されていくが、基本的に彼らのほとんどは「気が狂っている」。狂っていないものを探すほうが難しいくらい狂っているのが当たり前。その強迫観念の種類もさまざまで、宇宙船というよりむしろ精神病院の患者の症例を紹介されているかのよう。文房具を擬人化した、というよりは、逆に身の周りの変な人たちを片っ端から文房具化した感じ。終盤で唐突に流刑にされた鼬族の棲む惑星クォールを攻撃し鼬たちを殲滅せよという命令がくだり急展開。発狂者死者殺人者らが大騒ぎしつつもなんとか任務を果たそうとするが・・・。

    第二章「鼬族十種」
    鼬たちの国クォールの歴史が延々語られる。オコジョ、テン、ミンク、スカンクなどの鼬族らが覇権を争い、国家を築き、権力争いに明け暮れ、伝染病が流行ったり、宗教がうまれそれがまた争いの種になったり、文学、音楽、哲学、美術、それからもちろん科学技術の発展、繰り返す戦争と侵略、革命。ほとんど世界史の教科書感覚。というか世界史のパロディ。日本らしき国も後半で登場、あきらかに歴史上の人物の名前をもじった鼬が多数登場し(例:クズレオン・ポナクズリ)たまにニヤリとしてしまう。そして当然文明のいきつく先は核戦争。そこへさらに宇宙からの侵略者、文房具たちが・・・。

    第三章「神話」
    文房具の攻撃で壊滅状態にあるクォールの鼬たち、しかし侵略者である文房具たちももともと気が狂っているのでろくなものではない。しだいに改行すらなくさまざまな文房具や鼬たちのエピソードが過去未来現在バラバラに断片的に繋ぎ合わされ、さらにそこに作者自身のことまで挿入されてもはやカオス。文房具と鼬の間に生まれた子供の、ラストのセリフは好きだけれど、たっぷり570頁読み切るのに大変パワーが必要でした。文房具も鼬も滑稽で憐れだけれど、つまりこれって、けして他人事ではなく、今私が生きているこの世界そのもののことなんだよなあ。なんとも実験的というか、挑戦的な作品でした。

  • 筒井康隆作品の、妙に人間臭いモチーフと、軽々と死ぬこと、最後が読点の極端に少なく混沌に落ちていく感じがどうにも苦手で、煙に巻かれたような気がしてしまう。
    パロディと比喩の境界、唐突な視点の切り替え、語句の繰り返し、年代がごちゃごちゃ、ページをまたぐ、作者の独白や思考が混入、、、手法としてはとても挑戦的で斬新。

    文章などが小説らしくなくて読んでる最中は面白いと思えないんだけど、のちに構成やそれぞれの登場人物(登場文房具?)の意味を考えていくと、深いものがあるなーと気付かされる。
    便箋と封筒の、他人から聞いたら何がなんだか分からない言葉の置き換え遊び、これがこの本全体にもあてはまって「違和感」を出していそう。なんでそんなもので喩えちゃうの!意味不明!みたいな。
    あとは虚構歴史を一通り目で追っていたおかげで、第3部の鼬界の「歴史上の人物」への言及が( 上半身の鼬とか )あああれね、という感じで理解できたのが面白かった。

    冒頭で意識過剰なコンパスが出てきて、これが最後まで印象に残る。最後はマリナクズリ視点で、「スマートで優しかった」と言われているのがこの本唯一の救いかしら。

  • 筒井康隆の才気が爆発し、「全体小説」の如く、日本を含む現実世界をカリカチュアライズした傑作。

    「私とは何か?」という問いを各人が持ち、不可思議な行動を取り続ける擬人化させた文房具の世界は、あたかも吉本隆明の詩作に出てくる以下の言葉を想起させる。

    「ぼくが真実を口にすると ほとんど全世界を凍らせるだらうといふ妄想によつて ぼくは廃人であるさうだ」
    (吉本隆明「廃人の歌」 「転位のための十篇」より)

    何から何までが狂っていて、にも関わらずこれが架空の世界とも思えない現実性があるところが恐ろしい。

  • 十数年ぶりに再読。今回はまだおぼろげな当時の記憶が残っていたので第三部のメタをまだなんとか読めなくもなかったけど、あと10年後くらいたったら、ダンテの神曲についてるような注釈がないと読めなくなりそう。

  • 【1章】文房具が、自らの使用用途(ひとつの役割)に拘るあまり、おかしくなってゆく…僕らと同じね。【2章】鼬の文明史。自前の毛皮があるため毛織物業が発展せず、産業革命が興らないという設定は巧い!【3章】物語のラスト。コンパスイタチは「これから夢を見る」という。彼は、戦争描写で埋め尽くされ、閉じられてゆく物語の中で、自分の内側にあらたな虚構(夢)を建立しようとしている。完全にあきらめられた世界の中で見る夢は、明るい未来か?SF的な危険予知夢か?世界を虚構化(解釈して認識)し、切り開いてゆく営みは、この先もまだまだ続く。

  • 宇宙船冷艦カマキリ号の乗員は気が狂った文房具たち。大好きです。

  •  どんな小説を書いても、読者はそれを簡単に消費できてしまうわけで、この本だって文庫版で900円もせず、ページ数だって600ページもないわけだから、読める人なら一日で読めてしまう。分量的には。しかし、著者はこれを六年がかり、殆どかかりっきりで仕上げたわけであって、それをたった一日で消費していいのか。
     勿論悪いとは誰にも言えない訳だけれども釈然としないのも当たり前なわけでそのように消費されることを拒む小説があっても良い。この小説は私の読んだ限りではそうした意図の元にまずは書かれていて、とはいっても第一章などはわりかし読みやすいというか、読みにくい文体を用いて文房具に感情移入を強いるという無茶苦茶を早速かましてくるのだがそれをクリアすれば一気に読んでいける。この章で印象的なのは文房具たちの神経症じみた行動や描写であってこの異常なまでのリアリティに文房具としての個性が重ねあわされていく様はどうしたって泣けてしまう。ナンバリングのカウントが行為を無機質化するが故にその悲劇性が一層強調されるダブルクリップの話などは、無機物への感情移入が有機物への憧憬すら喚起させるものにも感じられそれがどうしようもなく悲しい。ある意味これは文房具を通して人間を描く、というかそれぞれの存在の理由を追求するような話であってそこにコミットできるかどうかが鍵となるがコミットできれば書かれている内容はそれなりにオーソドックスとも言える。
     第二章では様相ががらりと変わり世界史のパロディが始まる。鼬族クレオールの歴史の、延々数百ページにもわたる記述だ。これは文体からして歴史教科書のパロディになっているから読み進めるのは相当苦痛なのだが「読み進める」という感覚からして間違っているということに気づけば勝ちだ。「勝ち」というのは変な表現だが明らかに読者に対して勝負を仕掛けてきているからあえてこの表現を用いる。ここでは歴史教科書をじっくり頭に入れながら読むように、何度も反芻しつつ読んでいくのが正しい。そうして頭の中に壮大な一つの歴史が展開されていくその様を楽しむのである。人類史のパロディが随所に盛り込まれていてそれを解き明かしていくのも楽しいし、ひょっとしてこの歴史はわれわれの歴史と繋がっているのではないだろうかという妄想を介在させても面白い。私の場合は古代核戦争論について書かれたオカルトの小説を読んでいるような感覚で、あり得そうであり得なかった歴史のその虚構と現実との接線にぞくぞくしながら読んだ。まるで現実のことのように書かれることで生じるリアリティがたまらない。
     第三章ではいよいよ第一章と第二章の虚構世界が接続され、虚実入り乱れての大洪水が起きる。記述は離散してはまた引き合わされ、空間も時間も主観も解体されやがて大きな渦のようにうねりを見せ始める。そのうねりの中には今これを書いている著者の現実、意識の流れ、あるいは「この小説に対してなされるであろう評論の先取り」までもがぶち込まれ、もはや批評の言葉すら寄せ付けない勢いになってくる。勿論根幹にあるテーマは存在の理由の追求、といったところにあるだろうし最終的にはそこに着地するからそれを元に批評の言葉をつむぐことは可能なのだが重層的に意味を見出そうとする作業がかなりの部分で撥ね付けられてしまって表層に漂う直感以外のものを足がかりにできない不安を感じさせる部分があまりに多すぎるのだ。もしこれは批評しようとすれば足場が絶えず取り払われる恐怖の中でなんとか言葉をつむぎだし、そのすべてが一言で全否定される可能性も甘んじて受け入れなければならないだろう。そんな気がする。

     読み終えた時には五度、いや六度、人によっては十度以上の射精感にも似た疲労と快楽に襲われ、それというのもその長い「読みにくさ」と徹底的に対峙してその「読みにくさ」がかき回されていく感覚にやられてしまうからなのだが、結局それはそのように小説を消費することをわれわれはいったいどれほど経験しているのかという話にもなってくるのだ。著者は殆どかかりっきりで六年かけてこの小説を書いた。その苦労たるや実作者でない人間には想像を絶するものがある。想像を絶する苦労を、では絶するからといって一切考慮しなくてもいいのか。やはり不公平ではないのか。
     とにかく全編に漂う「消費されてたまるか」という感覚が新鮮でもあり苦痛でもあったけれど、それがだんだん快楽にもなってくるという不思議な一冊でした。肝心なのはそれがしっかり快楽になるという点であって、そこに筒井さんの虚構に対する誠実さ、真摯さみたいなものを感じたかな。それは決して奇をてらったものというわけじゃない。「たかが虚構」をそのように読むということ自体に快楽が内包されていて、それを引き出す姿勢(それはつまり、『たかが虚構』に対して全身で没入して、それをフィードバックしなければいけない、ということでもある)が、何より誠実で、何より真摯に感じられる、ということです。
     いや、本当に、へとへとになるぐらい疲れましたけど、面白かったです。

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