ダンシング・ヴァニティ (新潮文庫)

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  • Amazon.co.jp ・本 (348ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784101171524

作品紹介・あらすじ

美術評論家のおれが住む家のまわりでは喧嘩がたえまなく繰り返され、老いた母と妻、娘たちを騒ぎから守ろうとおれは繰り返し対応に四苦八苦。そこに死んだはずの父親や息子が繰り返し訪ねてきて…。コピー&ペーストによって執拗に反復され、奇妙に捩れていく記述が奏でるのは錯乱の世界か、文学のダンスか?巨匠が切り開いた恐るべき技法の頂点にして、前人未到の文学世界。

感想・レビュー・書評

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  • クリストファー・ノーランが映画化してくれないか

  • 2019/8/20購入

  • 特異な物語展開のその自在というか奔放・・反復展開され変幻する物語世界(振幅)に惹きこまれた。正直途中退屈を感じることも多少あったけれど(失礼)。作家が誇示する小説の技量(語る力)、それは大した力業なのだがその強引さにどこまでつきあっていけるか?・・一方作家は読み手に対しそれをたくらんでいる?文学誌(「新潮」)に掲載された本作はそんな実験性に富むものでエンタメであるが読む人を選ぶ作品かと思う。著者の愛読者であっても好き嫌い(あるいは関心の強弱)が分かれるのでは?(そのところ『虚人たち』と似ているかも)。

  • それまでの話を繰り返すのかと思いきや、繰り返した話はそれより前とは少し異なる話になり、また前に戻って繰り返すのだが、またまた少し違う、を繰り返して話が進む。
    まともな作家には、こういう形式で小説を書くという発想はないだろう。巨匠?ならではの作品と言うべきか。若手の作家だったら発表することすら無理でしょうね。形式だけでなく話の内容もぶっ飛んでるので、どう評価していいのか私にはわからない。
    ひとつだけ思ったのは、映像で見てみたいということ。読み始めて数ページで読むのが面倒になってしまったのも一因だが、映像で見たらおもしろいんじゃないかと。

  • 誰かが家の前で喧嘩をしている。
    場面が繰り返し繰り返し繰り返されると思いきや全然知らない場所にやってきていて
    そしてまた繰り返す。
    目まぐるしく変わらない状況と台詞回しで
    誰かが家の前で喧嘩をしている。
    ノンストップな幻想、妄想、虚構的シュール。
    そして喪失。
    踊り続ける虚栄。
    喪うことが人生だ。
    そのことを噛み締めながら。
    思い出を反復しながら。

  • 楽しみ方がいまいちわからなかった…。少し異なる同じシーンを繰り返しながら、少しずつストーリーが進行していく。解説に「音楽と同じようなメロディーの繰り返し」とあって、なるほどなぁ、と思ったけど、うーん、難しい。

  •  本作は文学的実験である。しかし同時に娯楽小説でもある。実験の主たる手法は反復。
     「おれ」は美術評論家で、母親と妻、幼い娘、出戻りの妹とその娘と先祖代々の家に住んでいる。ストーリーは「おれ」の本が売れたり家を建てたり画家と付き合ったりという美術評論家の日常であるが……
     「ねえ。誰かが家の前で喧嘩してるよ」と妹が言いにくる。とばっちりを受けたら大変と家族を奥の部屋に避難させ、「おれ」は二階の窓から様子をうかがう。すると家の前ではやくざと大学生が喧嘩している。喧嘩がエスカレートして死人が出たところで、再び「ねえ。誰かが家の前で喧嘩してるよ」。とばっちりを受けたら大変と家族を奥の部屋に避難させ、「おれ」は二階の窓から様子をうかがう。すると家の前ではやくざの抗争だ。ついにパトカーが来ると、再び「ねえ。誰かが家の前で喧嘩してるよ」。とばっちりを受けたら大変と家族を奥の部屋に避難させ、「おれ」は二階の窓から様子をうかがう。すると家の前では下っ端相撲取りが喧嘩している。喧嘩がエスカレートして死人が出たところで、ようやくループから抜け出して次の展開に進む。
     といった具合。反復というのは音楽では古来当たり前の技法だった。ソナタ形式では提示部を反復する。というのは主題をすぐには覚えられないからである。展開部で主題は様々に変化を施され再現部で再びもとの主題がもとの形で戻ってくる。現代の芸術でも美術ではミニマル・アートがあるし音楽でもミニマル・ミュージックがある。ただ、本書でなされている反復はクラシック音楽的なものではなく、ジャズのアドリヴの意匠のようにも思える。演劇でも反復の技法があるし、反復のないダンスなんてあり得ない。ところが文学では反復というのは忌避されるだけだった。この「反復」については『創作の極意と掟』のなかで入念に解説されていて、先頃映画化された『All You Need Is Kill』などゲーム小説への言及もある。
     作品ではこの反復自体が魔術的リアリズムとして機能する。さらに死んだ父は思い出の父として平気で作中に登場するし、幼くして交通事故で亡くなった長男も思い出の中で成長して成人となって登場する。これも繰り返し登場するという「反復」でもある。浮世絵の始祖といわれる岩佐又兵衛のことを調べるために彼の住んでいたあたりに直接行ってみようと思い立てばそのまま万治三年の江戸に行ってしまう。
     表紙のフクロウは要所要所で顔を出す、これも反復のひとつの形態である。バーニーガールは表紙には2人しか書いてないが10人ほどいるコロスで途中で出てくる(あるいはこの2人は歌手になった「おれ」の姪と娘かも知れないが)。古代ギリシャ劇のコロスつまりコーラスの語源となったものである。舞台に上がって状況を説明をしたり注釈したり観客に語りかける。これを普通の小説的の記述の中でやってしまうのだ。コロスもまた反復のひとつの技法である。
     反復のリズムがギャグを生むこともあるし夢と現実の混淆を生み出しもする。しかしこの反復の律動に身を委ねていると、ああ人生ってつまらない繰り返しだなあなどといった想念も頭に浮かんでくる。ヴァニティとは、空虚、むなしさ、無意味といった意味で、転じて虚栄心の意味もある。踊る空虚。

  • 明晰夢をひたすら言語化するスキルとバイタリティ。伊集院光が言うところの「脳汁を垂れ流す」状態か。「音楽」「フクロウ」とくれば、ツイン・ピークスも思い出す。

  • こ……これは。
    『夢の木坂分岐点』のあとにピッタリのチョイス。
    自分の読書力が高いとかではなく、これは読者を選ぶ小説だなぁ。ツツイファンでもしんどいと思う人がいるかもしらんが、反復によって光るギャクもあり、非常に面白く読めた。
    さっそく友人にすすめたが、「分裂症を誘発するやばい文章」とうまいことを言っていた。

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著者プロフィール

小説家

「2017年 『現代作家アーカイヴ2』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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