- Amazon.co.jp ・本 (416ページ)
- / ISBN・EAN: 9784101174198
感想・レビュー・書評
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最も好きな作品
このフレーズ自体はワンピースの章名から知り、まさかそのままの題名で小説があるとは思わなかった。
作品自体は黒澤明の用心棒や椿三十郎といったサムライ映画を連想させるものがあり、作者の隆慶一郎自身も黒澤同様、史実を研究し尽くすことで忠実に当時のサムライを再現しており、フィクションではあるものの本当にいた侍とはこのようなものだったのだ、と確信出来るほどの描写になっている。
杢之助の生き方は現代に生きる私にとって、本当に尊敬すべきであり目指すべき指針となった。
葉隠も同時に読んで欲しい。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
未完の書、という事を解説で知る。佐賀藩士、いや、浪人斎藤杢之助の痛快劇。
潔き葉隠の魂が次第に、丁度良い描写における何をやっても上手くいく、ご都合主義的万能型主人公による勧善懲悪ストーリーに転換した気がして、思考が散る。実在せぬものを描くのだから、土台エンタメ的要素が盛られるのは仕方ない事。純粋に楽しめない自分を恥じつつ、自らのバイアスを殺して読む。葉隠ならぬ。
さて、葉隠。葉蔭に奉公を隠す、縁の下の力持ち的な生き様。佐賀藩士の心構えや歴史、習慣に関する知識を集めたものと聞く。ビジネスでは企業理念のほか、少し前にウェイマネジメントとして、ミッションや行動指針のような、先輩たちの言葉とか会社が大事にしてきた事を表す象徴的なエピソード集のようなものが流行った。コンサルまがいの小金稼ぎが、サラリーマン企業の好きそうな仕事のデコレーションをマネタイズ化したような現象だが、葉隠や武士道とは、それの最高峰としての集団心理現象、ミームではないか。 -
上巻に記載
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武士道と云ふは死ぬことと見つけたり。葉隠の武士道思想を物語化した隆慶一郎未完の遺作だ。理想の死のあり方から逆に生を考える。死を毎朝シミュレーションし、その覚悟が真っ直ぐな生を作り出す。己の人生をどう生きるべきか。死と背中合せの状況は、まさか今日死ぬなんてあり得ないと思ってる現代の我々の生き方とは全く違う。死をネガティブなものと捉える人たちとも違う。死は日常的であり特別なものではないからこそ、美しい死に方に意味があるし死ぬことを恐れず命を賭けられる。死を厭う現代の我々が日本の歴史の中では異質であること、おそらく戦争が終わるまでこの感覚って日本人には当たり前にあったのでしょうね。
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2020.11.14
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……
武士道といふは死ぬ事と見付けたり
—— 毎朝毎夕、改めては死々、常住死身に成て居る時は、武道に自由を得、一生落度なく、家職を仕課すべき也。
……
ここで終わるのかと呆気にとられたが、あとがきで未完だと気づく。
こんなに面白くて有名な作品なのに映像化されていないのを不思議に思ったが、未完のためか。
葉隠入門と聞き堅苦しいかと思ったが、テンポが良く時代劇を観ている感覚で楽しく読める。時代劇の脚本家だったと知って納得。
登場人物が良い。
杢之助と求馬、違う道を歩むが志は同じ。
死人として淡々としている杢之助がふと見せる人間味。
あくまでも人間臭く実直な求馬。
勝茂のいくさ人としての靭さと孤独。
常住坐臥死人。
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司馬遼太郎『峠』的な死生観、ちょっとエンタメ。読後感爽快
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「葉隠」の舞台である、佐賀鍋島藩の話。「葉隠」によれば、武士は毎朝自分が死ぬことを克明に思い浮かべるべきらしい。エンターテイメントとしてはとても面白い。
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常識の範囲では解決がむずかしい事象を
死人として生きる侍が、常識を超えた思考と行動で
難局を打破していく痛快な時代劇。
殿様や土地への忠誠ではなく、
自らの生き方への忠誠として
この思考は昇華していったのか?
都合よくその時代に利用されることは避けたいと思う。
ただ、パラダイムシフトで先行き不透明な現代に於いてこそ、
このような何らかの視座を持つことは必要か。
隆さんの作品は、10年超ぶりか。
これを持って全作品読了。 -
「葉隠」をベースにした歴史小説。家光の時代鍋島藩の「死を覚悟して」毎日を生きる浪人が主人公。毎朝自分が死ぬことを想像し、死の覚悟を確かめる。浪人仲間等とともに藩の問題を裏から支援する。
話の最後は残念だったが(この展開は読書人生で2度目だ)時々強烈にはっとする箇所があり、心震わせられる。
死に対する意識が改まったと言うか、そこまで行かなくても大儀の前には自分を殺すことの大切さを思う。
また、死ぬとは前のめりに生きたいとも思う、医療が発達してなかなか死ねなくなった現代、前向きに死を選択する生き方の思案。