ローマ人の物語 (26) 賢帝の世紀(下) (新潮文庫)

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  • Amazon.co.jp ・本 (224ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784101181769

感想・レビュー・書評

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  • ハドリアヌスの晩年とアントニヌス・ピヌスの事跡。
    ある意味ローマにおいてもっとも静かな時代の体現者のアントニヌス・ピヌスは、自身はパクスロマーナを謳歌したのだろうか。
    本当の意味て「国家の父」を演じ切ったのではないか。

  • ハドリアヌス帝。なかなか興味深い皇帝だった。ただ、学生の頃に世界史で習った、五賢帝、パクスロマーナのイメージとは違った。やはり、テストのために覚えた用語集の言葉と物語、小説として描かれる当時のローマとではイメージの膨らみ方が違う。ハドリアヌスはその最たる人かなぁと思う。塩野さんはあまり良くは書いていないが、嫌いじゃないキャラクターだなぁと思った。五賢帝と一括りにされる意味もなんとなく分かる。1人が欠けてもローマ最大領土は得られなかったし、その維持も平和もあり得なかった。その中でのハドリアヌスの働きぶり、統治ぶりは実にハドリアヌスらしく他の皇帝ではできなかったのだろうなと思った。

  • ハドリアヌス帝の治世終盤と、次のアントニヌス・ピウス帝についての巻。
    印象に残ったのはローマ帝国におけるユダヤ問題だ。紀元前のポンペイウスから始まりハドリアヌス帝の治世まで、ユダヤ問題の流れがざっくりまとめられていた。ユダヤ教徒とキリスト教徒の不仲にもチラッと触れられていて、こういう歴史的背景があったのかと興味深く読んだ。

  • 治世21年のうち約12年間帝国辺境の旅をしたハドリアヌス。
    47歳のスペイン滞在中に総督官邸の庭園を一人で散策中に刃物を持った奴隷(暗殺ではなくて狂気に冒されていた)に襲われても助けを呼ばずに取り押さえしかも罰を与えず治療をほどこすように命じたというエピソードがありました。

    でも最後の旅を終えてローマに帰還してからは、まだ60前後というのに体調をくずし、性格も悪くなっていきます。
    後継者を考えているときに姉の夫が孫(ハドリアヌスの姪の息子)を持っていこうとしていることを知り、皇帝暗殺を謀ったという罪でその祖父と孫に自殺を強要します。
    ここで元老院は冷水を浴びせかけられた思い。

    ハドリアヌス本人も辛くて死にたかったのですが、なかなか死ねません。
    やっと亡くなったところで、元老院議員喜び、ハドリアヌスの神格化拒否となりそうなところ、慈悲深い次の皇帝アントニヌス・ピウスの熱意によりそれは免れましたが。
    あれだけ頑張ってきたのに。酷い、元老院議員。でもあの時代に生きていたらそんな風になってしまうかな。


    さてアントニヌス・ピウスについては次の皇帝マルクス・アウレリウスによる自省録が味わい深いです。
    勉強になります。

    この巻ではユダヤとローマの関係がとても興味深くわかりやすく書かれています。
    普通の人間関係にもあてはまるし、またユダヤのことが少しずつわかってきて楽しいです。

  • ハドリアヌスとピウスの巻

  • 五賢帝と言われた時代物語。内乱を収束させ、自身が高齢であることからその準備を短期間に行い、適切な後継者を選択したネルヴァ(第12代皇帝)。帝国を隅々まで飛び回り、最大版図を築いたトライアヌス。反対に、帝国内にとどまり、内政やインフラ、法体系を充実させたハドリアヌス。慈悲深い皇帝として市民の尊崇を集めたアントニヌス・ピウス。そして哲人皇帝と讃えられ、その著書である「自省録」が2000年後の今でも読まれているマルクス・アウレリウス。もちろんそれぞれの皇帝に闇の部分はあり、ユダヤ人国家の制服と追放が今に至る悲劇の元となっているような事件も。その上で、賢帝と言われる理由があるということ。国家の安全、市民の幸福、平等(今から考えると限定的ではあるが)、税の免除や娯楽の提供、元老院議員や貴族、兵士への対応など、リーダーとして重要な要素が随所に散りばめられている。もしかして最高のリーダー論なのではないだろうか。

  • ハドリアヌスの治世の続き。
    あとあまり何も無いアントニヌス・ピウスも少し。

  • <ローマ人の物語>は、いよいよ五賢帝の最後、マルクス•アウレリウスまで来た。
    幼少期の頃から皇帝ハドリアヌスに可愛がられ、将来を嘱望されていた哲人皇帝の、満を持しての登場だ。
    ハドリアヌスは、早くからマルクス•アウレリウスを後継者に決めていたが、何分若いため、彼までの繋ぎとして、凡庸なアントニウス•ピウスを中継ぎにすることにした。
    その中継ぎが長生きし、帝国も安定していたことから、マルクス•アウレリウスの登板はかなり遅れる。
    アントニウス•ピウスは幸せな皇帝だ。帝国に何も起こらなかったために何もせずとも良く、偶々時代が安定していたために、五賢帝の一人に数えられているのだから。
    因みに、五賢帝とは、
    ネルヴァ(在位3年に過ぎない)
    トラヤヌス
    ハドリアヌス
    アントニウス•ピウス
    マルクス•アウレリウス 
    だ。
    一世紀末から二世紀後期にかけて約80年のローマ帝国の安定期を指す。
    この定義をもたらしたのが、<君主論>のマキャベリであるのが面白い。
    それを<ローマ帝国衰亡史>のギボンが踏襲することで、定着したのだ。

    何もしなかったが安定していたアントニウス•ピウスが死去し、マルクス•アウレリウスが皇帝になると、其れを待っていたかのように、帝国の問題が噴出する。
    五賢帝最後の皇帝の時代は、激動の時代に突入するのだ。
    まるで、誂えたドラマのようだ。

    マルクス•アウレリウスが戦場で記した<自省録>も同時並行で読む。

  • 主にハドリアヌスとアントニヌスの統治が書かれている。
    「ダキアを征服することでドナウ河防衛線の強化に成功したトライアヌスと、帝国全域を視察することで帝国の再構築を行ったハドリアヌスが、「改革」を担った人であった。この二人の跡を継いだアントニヌスの責務は、「改革」ではなく、改革されたものの「定着」にあったのだ。」
    「人間にとっての最重要事は安全と食の保証だが、「食」の保証は「安全」が保証されてこそ実現するものであるということを。ゆえに、「平和」が最上の価値であることを。」
    「ローマ帝国は一つの大きな家であり、帝国内に住む人はこの大家族の一員であるということの確立であったのだ。」
    「同じくローマ皇帝ではあっても、トライアヌスとハドリアヌスは、統治者としてその治世をまっとうしたのである。一方アントニヌスは、父親を務めることで一貫したのだった。」
    アントニヌスが治世者として理想型で表現されている。

  • 賢帝と言われている人でも色々あったんだな。

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