ローマ人の物語 (26) 賢帝の世紀(下) (新潮文庫)

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  • Amazon.co.jp ・本 (224ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784101181769

感想・レビュー・書評

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  • ハドリアヌスの晩年とアントニヌス・ピヌスの事跡。
    ある意味ローマにおいてもっとも静かな時代の体現者のアントニヌス・ピヌスは、自身はパクスロマーナを謳歌したのだろうか。
    本当の意味て「国家の父」を演じ切ったのではないか。

  • ハドリアヌス帝の治世終盤と、次のアントニヌス・ピウス帝についての巻。
    印象に残ったのはローマ帝国におけるユダヤ問題だ。紀元前のポンペイウスから始まりハドリアヌス帝の治世まで、ユダヤ問題の流れがざっくりまとめられていた。ユダヤ教徒とキリスト教徒の不仲にもチラッと触れられていて、こういう歴史的背景があったのかと興味深く読んだ。

  • 主にハドリアヌスとアントニヌスの統治が書かれている。
    「ダキアを征服することでドナウ河防衛線の強化に成功したトライアヌスと、帝国全域を視察することで帝国の再構築を行ったハドリアヌスが、「改革」を担った人であった。この二人の跡を継いだアントニヌスの責務は、「改革」ではなく、改革されたものの「定着」にあったのだ。」
    「人間にとっての最重要事は安全と食の保証だが、「食」の保証は「安全」が保証されてこそ実現するものであるということを。ゆえに、「平和」が最上の価値であることを。」
    「ローマ帝国は一つの大きな家であり、帝国内に住む人はこの大家族の一員であるということの確立であったのだ。」
    「同じくローマ皇帝ではあっても、トライアヌスとハドリアヌスは、統治者としてその治世をまっとうしたのである。一方アントニヌスは、父親を務めることで一貫したのだった。」
    アントニヌスが治世者として理想型で表現されている。

  • 自分がどこにいるのかよく分からなくなってきたな、この長さで。
    まぁそれはさておき、何でこんなにまで拡大したのかね?ローマは。イタリアからエディンバラって今の感覚からすると単なる無謀な試みにさえ見えてくるんですが、今とは決定的に違う地理・空間感覚があったんでしょうな。
    読んでいてふと思った次第、そしてその素朴な疑問はあまりに愚なのか、あまり相手にもしてくれなさそう、本作は。

  • ハドリアヌス帝とアントニヌス帝。どちらも基本的に優秀で、かつそれぞれその時代に合っていたから賢帝とよばれたのだろう。ハドリアヌス帝みたいな人の下で働く人は大変だろうな…。

  • 特になし。
    時代的に退屈。

  • ハドリアヌスの治世の後半から始まる今巻。
    帝国内の巡察を行うハドリアヌスにユダヤの反乱の報が届き、ユダヤの鎮圧が行われる。この鎮圧以降、イェルサレムを追われたユダヤ教徒は国を失い、20世紀に至るまで流浪の種族となる。
    晩年のハドリアヌスは、老人特有の頑迷さにより、周囲を困らせる人間に。元老院とも対立する。
    後継者に指定したアエリウスもハドリアヌスより早逝し、一旦は不発に終わる。

    最終的にアントニヌスに、ハドリアヌスが目をかけていたマルクスアウレリウスを養子に迎えることを条件に皇位を継承する。

    そのアントニヌスは、ハドリアヌスが構築した平和を守ることを成し遂げる。また、人格者でもあった彼は、慈悲深い人、という意味のピウスを通称として呼ばれ、史上、アントニヌス・ピウスと呼ばれるようになる。

  • ハドリアヌスの治世の後半と、それを継いだ皇帝アントニヌス・ピウスの治世を取り上げている。

    ローマ帝国の全土を回り、地方の統治と安全保障の基盤を盤石にすることに心を砕いたハドリアヌスであったからこそ、ユダヤ問題はローマ帝国の安定を脅かす可能性のあるものであるとの印象をより強く受けたのかもしれない。

    ローマ人はもとより、他の民族、宗教との間にも一定の距離を置き、決して融合することのないユダヤの民の生き方が、彼にとってある一線を越えた段階で、この状況に対する決定的な対応が必要という判断をしたのだろう。

    ユダヤ人の反乱を軍事力で平定するだけでなく、その後イスラエル建国まで続くユダヤ人の離散(ディアスポラ)の始まりとなる、ユダヤ人のイェルサレム居住を禁じる措置が、このハドリアヌスの治世に始まっている。

    神の国の建国を自らの民族にとって唯一の「自由」の実現と捉えるユダヤ民族と、司法、祭祀、徴税といった現世における自治を「自由」と捉えるローマ人の考え方の違いが、この時代において決定的な形で表面化したということが、筆者のローマとユダヤの関係についての俯瞰的な解説でよく分かった。

    一方、その後を継いだアントニヌス・ピウスの時代は、きわめて平穏に過ぎていった。

    「現場主義」の前皇帝とは異なり、筆者が「カントリー・ジェントルマン」と書いているような温厚でバランス感覚に富み、保守的で公徳心にあふれた皇帝の性格そのものの治世を、過ごしている。

    このような対照的な人物を、血統ではなく養子縁組という形で次期皇帝に選ぶというローマ帝国の各皇帝の見識にも、改めて驚かされた。

  • ハドリアヌスの晩年とアントニヌスの統治に関してだが、ローマ帝国は統治者が血で選ばれているわけでも無く、かといって選挙で選ばれているわけでもないのに素晴らしい統治者が連続で現れるのは、何故だったのだろうか?
    やはり、元老院議員になるためのプロセスが指導者としての資質を選り分け、育てるからかな?
    [more]
    ハドリアヌスが晩年にちっとばかし我儘な振る舞いをしていたみたいだか、周囲やアントニヌスからの諫言には耳を貸していたようだし、アントニヌスを独断で物事を進めないし、すごいなぁ
    まあ、かなり昔だから悪い記録は余り残っていないのかもしれないし、著者フィルターがかかっているだけかもしれないが、良い事だけ書かれているとしても凄い内容だよ。

  • 五賢帝時代と言われたその時代を表した最終章。賢帝とはローマ帝国の歴史全体を通しての評価だと思いますが、当然その時代に生きた市井の人々の評判も含まれます。ハドリアヌス帝は賢帝の一人ですが、その晩年は、今までの性格を現す「一貫していないことでは一貫していた」という好評価から、ただの「一貫していた」という老年期の普通の人の概念で欠点とされる性向で一貫してしてしまった…ようです。その理由のひとつとして、帝国の全域にわたって長年視察、巡行を続けた結果、肉体を酷使して健康を害したせいであることがあります。更に作者は、その要因をハドリアヌスは、やらねばならないことはすべてやった、という想いに由来していた…と分析しています。気配りを欠いた言動に国民から、冷笑を浴びたりしたエピソードに、ある程度社会に影響を及ぼす立場にある人の「老害」を感じました。現代の日本においても諸外国においても、その例はすぐ頭に思い浮かびます。しかし、この逆風に於いてハドリアヌスの死後、神格化を反対していた元老院の意向に次期皇帝のアントニヌスは、必死に抵抗し、彼の帝国再構築の偉業は歴史の闇に埋もれずにすんだのでした。
    そのアントニヌス・ピウスの治世は、皇帝として新しいことは何もしないという時代だったのですが、それは否定的な意味ではなく、帝国全域を平穏な秩序が支配していた「幸福な時代」と言えます。人格者で美男、その上言動にはユーモアが漂っていたというのですから、本当に稀に見る人物だったようです。ハドリアヌスとアントニヌスの二人の時代は、ローマ帝国の礎となる安全の保証が実現され、平和の価値を実感できる国になっていました。

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