二十歳の原点 (新潮文庫)

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感想 : 239
  • Amazon.co.jp ・本 (258ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784101183015

感想・レビュー・書評

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  • (自分のことについて色々書いちゃったの本当に失礼しました。場違いだと分かっていますがすみません…この人惨めだな、くだらないなと思われても書きたかったのです…)

    自分にとっては日本人の書いた本を本気で読み始める原点となった本です。
    元彼に別れの話を切り出されて一、二日間が経った日に、偶然とウェブで紹介文を見かけた。「独りであること、未熟であること、これが私の二十歳の原点である。」この言葉に引き付けられない人は多分いないと思いますが…
    恋について、人間について、「自分」について…
    代弁してくれているような本なのです
    今までぼんやりとしていた気持ちや考えも、行き先というか取り付けられる器というか、を得た。それが高野悦子さんのが書いた言葉なのです。
    でもね、自分は日本語が本当に下手なんですから…高野悦子さんが書いたことを全部誤解していたとか、自分がただ勝手な思い込みをしていただけなんだとか、高野悦子さんのこと自分全然理解できない、社会背景も全然違うからとか…ちょっとこういう考え方をしたら虚しくなるのです…自分にとって何が真実なのだろう。手にしっかり掴んでいるものは本当にあるのだろうか。

    現実と、家族と、自分と決別したかったのです。母と父は高校の頃から私のことヒネクレ者だと思っていたのかもしれない…双子の姉ともだんだん心が通じなくなった…そして自分に矛盾と嘘しかない…

    燃え尽くしてこの世から消えたかった…
    …でも自分は弱かった、今も精神が弱すぎ。
    ↑自分を否定することでみんなから許してもらいたのか?同情されたいのか?

    元彼が曰く、私の悲観に何もない、私が物事の本質をちっとも見抜いていない。私の考えがくだらないつまらない…でも元彼はすごい人なんだ。元彼のことを考えるとどこか劣等感が込み上げちゃうほど元彼は自分にとって理想な人間だった。

    めちゃくちゃな日本語で何を言いたいのか…
    誰か教えて、物事の本質を、真実を。
    こんな図々しいお願いをしている自分本当もう終わりだw

    …この本との出会い、感謝しています。

  • もうこれまでに3回は読んでいるだろうか。
    読むたびにレビューを書こうとして、しかしこの気持ちをどう表現すべきなのか
    わからずに書くことを断念して、を繰り返して4回目の再読となる。
    確か、初読は19歳のころ。そのころのわたしも日記帳にガリガリと
    長い長い日記を書いていたのをぼんやりと覚えている。

    23歳になるときを控えつつあるわたしには
    過去に覚えたような衝撃を、この本からは受けられなかった。
    簡単に言ってしまえばこれは、理想の高すぎるひとりの女子大生が
    恋愛では男に遊ばれ、学生運動に曖昧な自己の輪郭を求めるがうまくいかず
    絶望して自殺に至った日々を記した文章でしかない。
    「メンタルヘルスブログ」のような公に向けられた文章ではないから
    他者から読むと、心理描写やことがらの繋がりが粗い手記でしかない。

    しかし、それでもこの日記が素晴らしいのは
    完全にプライヴェートなものでありながらも、他者の目を意識しているかのように
    内言が省かれずに正確に描かれている点にある。
    できごとは、細かく書かれていない。唐突に指をカミソリで切ったりする。
    つまり不可解なことは多い。
    それでも、この文章からわたしたちがある感銘を受けるのは
    そのときの気持ちをできる限り克明に記そうと彼女が努力しているからだ。
    それは完全に自己のためであるが、その内容が――彼女にとっては不本意だろうが――
    普遍的なものであったからだろう。

    もうこの文章に自分を重ねて浸れるほどにはわたしは若くないし
    ある一定の層にしかガツンと響くものはないというのはわかるから
    星は3つにするけれど、きっとまた読み返すのだろうなと思う。
    きっと彼女は、純粋すぎたのだろう。

  • 関川夏央の「昭和時代回想」に高野悦子のことが書かれている。
    以下引用。

    「日記をつぶさに読めばわかるが、高野悦子は素直さ、明るさ、真面目さを併せ持った人である。いい職業人、いい奥さん、いい母親になれた人である。ただ野太さという資質、またはなにごとにつけ四捨五入ですませられる生活者の融通のみが欠けた彼女を、意味なく悩ませ焦燥させ、ついに死を選ばせたものは、六十年代後半という時代の空気に底流した軽薄な悪意である。かん高い「連帯」のかけ声こそ誠実と純粋を信じた若い女性にいたむべく孤絶をよびこみ、「性の解放」はどこにも達し得ない新たな迷路を出現させただけだったのである。」

    高野悦子が亡くなったのは、1969年、20歳の時だった。関川夏央も、1969年に20歳だった。
    それよりも10歳若い私には、その当時の時代の空気が分からないけれども、関川夏央が書いていることが的を得ているとすれば、すなわち、高野悦子が死を選んだ理由の1つが「時代の空気に底流した軽薄な悪意」であるとすれば、なんとも痛ましいことだ。

    ■2021年7月追記
    思い立って再読。最初の感想を書いたのが2016年なので、約5年ぶりの再読。
    再読してみて、上記に引用した関川夏央が書いた高野悦子評がすごく的を得ているのではないかと、あらためて感じた。
    「時代の空気に底流した軽薄な悪意」が、高野悦子を、あるいは、当時の何人もいたはずの他の高野悦子を、「意味なく悩ませ憔悴させ」たのである。
    痛ましいのは、「意味なく」の部分だ。日記が書かれたのが、1969年の1月から6月の間のこと。日記の途中から、聞き齧りの左翼用語や学生運動用語が頻出するようになる。彼女が内容をきちんと理解して書いているとは思えないが、そういった風に考えることを時代から要求されていたのだと、ある種の純粋な、高野悦子のような女子学生は感じたのであろう。しかし、当時の左翼運動は、どこにも行き着かなかった訳で、結局は、そのように感じたことに意味がなかったということであり、そこに痛ましさを感じざるを得ない。

  • 世の中との摩擦のなかで、自分を見つめ続けた高野さん。自省と自己否定を繰り返し、闘争と自己確立に格闘する様が生々しく描かれている。
    他者を通してしか自己を確認することはできない。世の中や政治、他人との相対的な比較のなかで自己は疎外されうる。そこでは人は孤独であり、未熟であることを痛感する。

  • もし今も彼女が生きていたら、
    普通に就職・結婚し、子どもをもうけ、
    「ウフフ、若かったわね」なんて笑うだろうか。
    死を選ばなかった、同年代の人たちのように。

    甘すぎたのか、あるいは厳しすぎたのか。
    幼稚だったのか、あるいは大人すぎたのか。

    読むたびに相反する感想を持ってしまう。
    ただ、私が二十歳の頃はここまで悩み多くなかった。

  • 20歳で自殺を遂げた女子大生の、20歳の誕生日から自殺までの半年間の日記。

    一生懸命自分を探して、もがき苦しんでいる様子が、生身の文章からひしひしと伝わってくる。
    私も20歳の頃に、同じような孤独と無力感を感じていたような気がするが、あの混沌とした気持ちをここまで文章に表現できる著者を失ってしまったのは残念なこと。

    今この子に会えたら、掛けてあげたい言葉が沢山ある。
    そんなに考えても答えなんて見つからないってことを教えてあげたい。

  • 結末が結末なだけに、読み進めていく手が時に躊躇したり、共感してしまう部分のあまりの多さに嫌悪感を抱く。
    間違ってもさくっとは読めない。
    一日数ページめくるだけで精いっぱいでかなりの精神力がいる、と思う。
    彼女はあまりにも多感すぎたのではないか。
    考えすぎてしまったのではないか。
    とめる術を、見つけることができなかったのかもしれない。
    この本を読み終えたのは電車の中だった。
    しかも不思議なことに丁度人身事故が起きて止まっている電車の中、だった。
    とても暗い気持ちになった。
    突き落とされたような、暗い気持ち。
    でもそこに希望が見えた。
    自分が死を望んでいないことにはっきり気づけたということ。
    死の向こうにある生を信じているということ。
    脚本家・小説家の野沢尚氏が訴え続けたその言葉をふと思い出した。

  • もう数十年も前、私が大学入学してすぐ初めて図書館に行った時、この本がやけに目立って並べられていた。元々軽薄なうえに大学入学でうかれてた私は「わあ、大学ならではの重そうな本」くらいの感覚で、手に取ることなどなかった。
    それから本をよく読むようになり、やはり気にはしていたものを知りたくもあり、自分の大学の過去の出来事も知りたくもありで、買ってみた。読んだ。苦しかった。泣いた。
    小説ではないただただ過ぎるホントの現実、当時のきしんだ社会、そして彼女の中の子供の純真さと・・本の終わりを知って読んでいるだけに滝つぼに向かう川の上を流されているように、心の中の音がだんだん大きくなるのを感じながら読んだ。
    大学入学時に読んでおくべきだったか、いやいやきっと分かりもしないあほたれのままだっただろう。今でも何も分かっちゃいないけど。

  • 高野悦子さんが鉄道自殺を遂げてから50年。20歳で亡くなつてゐるので、即ち生誕70年といふことにないます。生きてゐれば現在70歳になるのか.........念のために申し上げますと、映画活動家の高野悦子さんとは同姓同名の別人であります。

    これは中学生の時に初めて読んだのですが、その時は割かし共感した記憶がございます。わたくしも当時は、姿の見えないもの、更にはこの世に存在しないものを追ひかけてゐたなあと思ひます。
    この度読み返してみて、随分と印象が変りました。残念ながら悪い意味で。

    「独りであること、未熟であること、これが私の二十歳の原点である」と冒頭にあります。
    しかしこれは演技で、本人は決してさうは思つてゐなかつただらうと推測します。本文を読めばこの言葉がポーズであることが分かります。そして自意識過剰。自分の顔立ちは可愛い。整ひ過ぎてゐる。だから二十歳の記念に眼鏡をかけやう。
    タバコを吸ひ、酒を飲むことが「自由のしるし」、そして自殺願望。

    学園紛争への参加にしても、どれだけ本気だつたことか。さだまさしさんの唄で、「安保の年はわからぬくせに 人並みにデモったりして」(昔物語)といふのがあります。同じやうに、皆が参加するから何となくとか、不満を抱いてゐる者が単に鬱憤晴らしで参加したり、果てはファッションとして(ファッショぢやないよ)デモを捉へて参加する奴など、どれだけ「わかつてゐる」人間がゐたか。

    世話になつた両親を蔑ろにし、そして最後は鉄道自殺。とことん親不孝者ですなあ。自殺するなら迷惑をかけずに一人でやれ、との意見を否定する人がゐますが、その人は迷惑がかかつた人たちの事が念頭にないのか。
    私見では、最悪の自殺は鉄道自殺だと考へます。電車に轢かれると、身体はバラバラになります。所謂「マグロ」といふやつですな。それを片付けるのは誰か。運転士の中にはショックを受けてこの仕事を続けられず、退職に追ひ込まれた人もゐます。
    運休に伴ひ、乗客の足が奪はれます。鉄道会社は、とてつもない損害を受ける訳ですな。名松線ならほとんど乗客はゐないからいいだらうなんて考へないやうに。

    再読して、さういふ事をつらつら勘考いたしました。「孤独」も「未熟」も自ら演出した、「甘え」がどうしても気になつて仕方がないわたくしでした。当然違ふ意見の方もゐるでせうが、莫迦なおつさんの独り言と思つて聞き流してくだされ。

    http://genjigawa.blog.fc2.com/blog-entry-806.html

  • 絶望しているときに読むと、心強い感じだった
    舞台が京都なのも相まって。

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著者プロフィール

1. 高野悦子(たかの えつこ)
1949年1月2日 - 1969年6月24日
『二十歳の原点』で知られた女性。逝去当時、大学生だった。栃木県生まれで、栃木県立宇都宮女子高等学校を卒業し、立命館大学文学部史学科日本史学専攻に入学、京都に拠点を移す。ジャズ喫茶に通い、詩作、そして学生運動に励んでいたが、1969年6月24日、列車に飛込み逝去。死後、20歳の誕生日から続く内面の吐露を記した日記が、同人誌「那須文学」に掲載され、1971年に『二十歳の原点』という題で書籍化、ベストセラーとなった。2019年に没後50年を迎える。

2. 高野悦子(たかの えつこ)
1929年5月29日 - 2013年2月9日
映画運動家、岩波ホール総支配人。『母 老いに負けなかった人生』『岩波ホールと〈映画の仲間〉』などの著作がある。

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