- Amazon.co.jp ・本 (418ページ)
- / ISBN・EAN: 9784101187044
感想・レビュー・書評
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夏目漱石『こころ』の島田雅彦的解釈によるオマージュと捉えれる本作。
作品中盤から約200pに及ぶ“先生”の冗長な日記は、作者の意図的な悪ふざけ・ナンセンスを感じ個人的に楽しく読めた。
ただ、伝えたい内容は非常に掴みづらく、作者の自由な筆に付き合わされた感は拭えない。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
もう人間はいなくなってしまった。人間の影だけだ。現実もまた消えてなくなってしまった。
日記は嘘しか書かない。ここに書かれた私はフィクションである。
ラーメンのスープには高分子状態の妄想が溶け込んでいる。
イイワヨワタシモヒマダカラヒトリデタベルノハシノウカニワルイワ。ぼくの期待を一字ずつなぞるような答え。
ウィーンと東京の距離は飛行機で十二時間。魂は飛行機ほど早く飛べないし、よく飛ぶ方向を間違える。
結局、黒を白といいくるめたり、相手を煙に巻いたりできる言葉を人は母国語と呼ぶのだろう。
しかし、「リカちゃんの茶室」にはあった不思議な距離感、何もかも曖昧なままなのに関係だけはでき上ってゆく雰囲気はホテルの部屋にはなかった。そこでは二時間の休憩という枠組みの中で一挙手一投足があらかじめ意味づけられているのだった。私はホテルを出たあと、恋人にいう。
ー君のアパートへ行こう。
先生は誰にも理解されず、永遠に胡散臭さの固まりであり続けるべきなのです。先生はその正体を誰にも明かしてはなりません。正体が謎である限り、来世でもしぶとく生き延びてゆけるのですから。
地に足が付いてない。霧の中から世界を眺めるような。悲壮な覚悟の遊び人。夢の中で死者と交わる。鈍いのぞき魔。
テーマも内容も面白くないけど、死と時間の概念がおぼろげで、各章節の終わりの余韻が気になって読んでしまう。なんだか全て空想と肉感の世界に遊んでいるような、夏目漱石というより世俗的な光源氏。謎の師弟関係。最後の10ページくらいの回想・手紙部分でなんかやっと落ち着いた。行間の隅の隅から、簡単に言いくるめてガール・ハントをして女の子とベッドインを妄想している脂っぽい哀しいおじさんの姿が見え隠れする。どれだけこの本の欠点を指摘しても、彼岸先生は「それこそ私の意図するところだ」と開き直るのだろう。
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おもしろい
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あまり面白くなかった。
変わった小説家とその弟子の話。
女性を口説くテクニックだったり、小説家が狂ったので、その日記を弟子が読むとか。
けっこうどーでもよいっと思ってしまう。
人の考えなんていろいろ。その考え方を理解する事にあまり興味をそそられない。
ましてや共感を持てない人となるともっと。
そういう事でけっこう読む飛ばした。 -
恋文の技術をふと思い出す
追記
きくひとか ああ、なるほど -
夏目漱石の『こころ』を下敷きにしてはいるものの、途中から太宰治的要素が強くなり、惰性で読み通した。
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読んで損なし。
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ロシア語専攻の大学生、菊人(きくひと)は、近くに住む小説家の先生(川向うに住んでいたので「彼岸先生」と彼は呼ぶ)に師事し始める。先生は、女遊びばかりで口がうまく、嘘をついてばかり。遊んでいるばかりの先生はいつも何を考えているのかわからない。のらりくらりと捉えどころがないが、自分の生き方について深刻な悩みを抱えているように見える。そんな先生を菊人がどんな人間か描写していく話。本の大半は先生の日記に費やされている。
先生、奥さん、書生のぼく、という種類の登場人物、生き方に悩む先生、自殺、先生からの手紙と日記、これらのことは夏目漱石の『こころ』をたしかに意識しているように思える。
蓮實重彦の解説でそうだったのか!となった。たしかに諏訪響子は自殺をほのめかしており、先生を「彼岸先生」と呼ぶのは菊人だけだった。
先生のような女遊びばかりの人生は楽しそうだなと思った。 -
物語のかなりの部分を占めるエロ自慢日記。それに対するとらえ方で、だいぶ作品の印象が変わるんじゃないでしょうか。個人的には楽しく読めました。タイトルや構成、登場人物も含め、夏目漱石の作品が頭から離れませんでしたが、内容的には、こっちの方がずっと好きでした。