とにかくうちに帰ります (新潮文庫)

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  • Amazon.co.jp ・本 (208ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784101201412

作品紹介・あらすじ

うちに帰りたい。切ないぐらいに、恋をするように、うちに帰りたい――。職場のおじさんに文房具を返してもらえない時。微妙な成績のフィギュアスケート選手を応援する時。そして、豪雨で交通手段を失った日、長い長い橋をわたって家に向かう時。それぞれの瞬間がはらむ悲哀と矜持、小さなぶつかり合いと結びつきを丹念に綴って、働き・悩み・歩き続ける人の共感を呼びさます六編。

感想・レビュー・書評

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  • あなたは、どんな時に『うちに帰りたい』と思うでしょうか?

    “うちと外”という通り、人は自分が安らげる場所を持つ一方で、そこから出た場所を”外”として意識すると思います。そんな”うち”の大本山と言えるのはもちろん自宅でしょう。さまざまな理由から、”自宅に居場所がない”と、他所へこっそり通われている方もいらっしゃるかもしれませんが、基本的には自宅は、私たちが”外”の疲れを癒す場です。

    ”外”にも楽しいことはたくさんあると思いますが、やはり最後には自宅のことを思います。では、どんな時に『うちに帰りたい』と思うでしょう。会社で大失態をして上司に叱られた時でしょうか?会社で大恥をかく展開に陥った時でしょうか?それとも会社であまりの忙しさの中に疲れ果て、ただただ帰りたいと思う時でしょうか?そうです。会社という”外”の代表格のような場所にいると家が恋しくなるということは誰にだって経験があることだと思います。

    さてここに、『埋立洲』にオフィスのある二人の会社員が帰宅する様を描いた物語があります。交互に二人に視点を切り替えながら展開していくその物語は誰もが一度は経験したことのある舞台を描きます。この作品は、家への道のりの長さを描く物語。主人公たちの心の叫びがひしひしと伝わってくる物語。そしてそれは、『傘にぶつかる大粒の雨』と、『傘の角度によっては耳の真横で掃除機が動いているような』激しい風の中に『うちに帰りたい』と切実な思いを吐露する主人公たちの物語です。

    『昼過ぎから降りが激しくなって、今はもう豪雨と言っていい態まで天気は変化していた』と『警報も出されている』天気の中、『なんでわたしがこんなものまで』と思いつつ『スクーター用のレインコート』を手にするのは『備品管理係』のハラ。『営業部の一年後輩のオニキリ』に頼まれて『狭い備品室の最奥』から探し出したハラは『こういう日ぐらい探し物は自分で探せ』と思います。『交通機関が停止しないうちに帰れという通達が本社から出て』いるものの、『週明けまでにこなさなければいけない作業が残っている』という中に『仏頂面を作って事務所に戻』ったハラは、『一年先輩の営業のイシイさんと、中途入社して十ヶ月になる千夏ちゃん』がまだ残っているのに気づきます。『どうしても片付けたい仕事がある』というイシイの一方で、『なぜか居残ってデスクを片付けたり爪を見たりしている』千夏。そんなところに『どうもお手数おかけしました』とオニキリが現れレインコートを受け取っていきました。『もういいか』と思い、雨の中へと歩き出したハラですが、『防災セット』の『肉じゃが』のことを思い出し、事務所へと戻ります。そんなハラの耳に暗くなった事務所から『発情中の猫のような』イシイと千夏の声が聞こえ諦めて再び雨の中を歩き出します。
    場面は変わり、『全員の分のパソコンを見て回る』のは係長のサカキ。『このままいくと循環バスが運休になるかも』という中に部下を帰宅させたサカキは、ようやく職場を後にします。『明日は息子のよしひろに会いに行く日だ』と思うサカキは、『五分でも遅れたら会わせてもらえない』という元妻の決定権の強さを思います。ようやくバス停に着いたサカキは、そこに『…これ以降の便については、到着・出発時刻ともに未定とさせていただきます。(運休の可能性もあり)』という掲示があるのを見て肩を落とすと『来た道を戻り始め』ます。『埋立洲と本土をつなぐ橋』へ向かって歩くサカキは、『今日はどうしても帰らなければいけない。明日息子に会うために』と自宅に取り寄せた『スターウォーズのポップアップ絵本』のことを思います。『会社に泊まって朝出発するというわけにはいかない』、『本を開けた時の息子の笑い顔が見』たいと思うサカキ。そんなサカキの『スーツには、まがまがしい水玉模様のように雨が染み込んでい』ました。
    『豪雨による鉄道の運休、並びに、車道の渋滞』という中に、『うちに帰りたい。切ないぐらいに、恋をするように、うちに帰りたい』と家路を急ぐ会社員たちの姿が淡々と描かれていきます…という表題作〈とにかくうちに帰ります〉。誰もが一度は経験したことのある状況下を淡々と描き出す好編でした。

    “職場のおじさんに文房具を返してもらえない時。微妙な成績のフィギュアスケート選手を応援する時。そして、豪雨で交通手段を失った日、長い長い橋をわたって家に向かう時。それぞれの瞬間がはらむ悲哀と矜持、小さなぶつかり合いと結びつきを丹念に綴って、働き・悩み・歩き続ける人の共感を呼びさます六篇”と内容紹介にうたわれるこの作品。内容紹介にある通り六つの短編が収録されていますが構成は変則的です。というのも前半の四編は〈職場の作法〉という括りで一つに束ねられる強い結束力を持った連作短編。真ん中の〈バリローチェのフアン・カルロス・モリーナ〉は登場人物が〈職場の作法〉に緩く重なる形、そして表題作は全く独立した短編という構成になっています。しかも表題作はそれだけで全体の半分のページ数を占める中編となってもいます。

    津村記久子さんというと独特なユーモアの中に淡々と日常を切り取っていくような独特な文章が印象的です。三つほど見てみましょう。まずは、職場の光景を表した箇所です。

    ・『私は、巣穴から頭を出して周囲を見張るプレーリードッグのごとく、椅子からしりを浮かせてきょろきょろする』
    → 〈職場の作法〉の短編の中で、『至急』で『FAX番号』を調べる必要が生じた主人公・鳥飼の様子をこんな風に表します。『冷や汗をかきながら、引き出しの中のものをすべてデスクに出して』、『やはりない。なんでだ』と焦る鳥飼。

    次は表題作〈とにかくうちに帰ります〉から二つです。表題作では、豪雨に見舞われた会社員たちの無防備な姿が描かれます。

    ・主人公のハラは、『傘にぶつかる大粒の雨の音を聴』く中に、それを『ポップコーンがレンジの中ではねているような音だ』と思います。『ポップコーンをレンジで作るよりも、雨に遭う回数の方が日常でははるかに多いわけだが』『なぜかそう思った』というハラ。
    → なんともまどろっこしい表現ですが、どことなく分かるような気がします。激しい雨の中にそんな感想を抱くハラですが、ここは序の口。この後、雨の中のサバイバルは本番を迎えていきます。

    そして、そんな豪雨を芥川賞作家さんならではの表現でこんな風に描きます。

    ・『ただれたような厚い雲は果てることがなく、輝くクリーム色の稲妻が走り、その下で海はのたうち回っている。水平線の少し手前に、大きな船が一隻だけ、小さく頼りなく浮かんでいる。聖書にあったんじゃないだろうか、こういう風景、とハラは思う』。
    → これは凄いと思います。『稲妻』を『輝くクリーム色』と表現した文章は初めてですが極めて冷静な観察眼だと思います。そして、船を表した箇所では『聖書』を登場させる大袈裟ぶり!一体どんな豪雨なんだ!と作品世界が日常を超えてもいきます。

    そんなこの作品で私が一番面白いと思ったのは〈職場の作法〉の中の〈ブラックボックス〉です。この〈職場の作法〉自体はあるひとつの職場の日常風景を淡々と描いています。視点の主は鳥飼早智子という営業事務の女性ですが、彼女の視点から見た職場の面々の様子が描かれていきます。〈ブラックボックス〉で光が当てられるのは『短大を出てすぐに見合い結婚し』、『飲食業のパート』の後に『事務職』として入社後『今年で五年目』という設定の田上です。『動きもしゃべり方もゆっくりで、見るからにおっとり型』という田上の仕事の仕方を見る鳥飼は『こみいった時間管理』に魅せられていきます。それこそが、

    『十五分でできることを一時間かかると見せかけて、これは簡単な仕事ではないんだよ、おまえたちはちゃんとありがたがれよ、と主張している』

    という側面です。『自分の仕事の格を守るために、自分自身の能力を低く見積もらせる』という考え方。そんな田上と自分を比較する鳥飼は、

    『私はこき使われることの不満を単純な無愛想さで示すけれども、田上さんは仕事の出来上がりの遅い早いで示す』。

    という田上の凄さに気づき、『どちらが上手かは明らか』だと思います。そんな田上の仕事の仕方をこんな風に整理してみましょう。

    ・『大声を出したり、くどくどと嫌味を言ったり、無言で舌打ちするような輩』が仕事を依頼してくる

    ・『まったく怯ま』ない田上

    ・『書類を黒い箱に隠しては、相手がいらついてくる時間帯、胃酸が分泌され、こめかみが震え出す時刻にこそ内線をかけ、書類を取りに来させる』。

    ・『言葉でも表情でも陳情でもなく、仕事そのもので、腹の立つ相手に一撃を加える』。

    田上さん凄いです!こんな方を敵に回すような仕事の仕方をしたら会社の中では生きていけなさそうです(笑)。会社という場がいかに恐ろしいところであるか、改めて恐怖しました(冷汗…)

    そして、この作品ではずせないのが表題作の〈とにかくうちに帰ります〉です。表題からはどんなシチュエーションが登場するのか?と思わされますが、そこに展開するのは、『昼過ぎから降りが激しくなって、今はもう豪雨といっていい態まで天気は変化していた』という悪天候な気象の中に、『本土にある電車の駅の間をつなぐ循環バス』を頼らざるを得ない立地、『埋立洲』にある会社で働く会社員たちがオロオロと逃げ帰る様を描く物語です。物語は『備品管理係』で働くハラの物語と、別会社で係長を務めるサカキの物語が交互に描かれていきます。共通点は暴風雨の中に家に帰るということですが、それぞれに会社を出て家へと向かう中で、そんな道中に巡り合う人、巡り合う景色、そして巡り合う悲喜劇が淡々と描かれていきます。

    ・ハラ視点の物語: 6つ
    ・サカキ視点の物語: 5つ
    ・オニキリ視点の物語: 1つ

    そんな風に構成されていく物語には、誰もが経験したことがあるはずの悪天候の中に家路を急ぐという場面での人々の素直な、内心から出る気持ちが吐露されます。

    『うちに帰りたい。切ないぐらいに、恋をするように、うちに帰りたい』。

    『歯をくいしばって声を絞り出し、願いを表明する』主人公のハラ。何か大きな事件が起こるわけでも、ドラマティックな事象が怒るわけでも、ましてや人が死ぬわけでもない、単に暴風雨の中、『埋立洲』にある会社から『本土にある電車の駅』へと向かう彼らの姿を描写するだけ、言ってみればたったそれだけのことにも関わらず、思わず見入ってしまう物語がここにはありました。そんなこと…と軽く思うあなたに是非読んでいただきたい、津村さんだからこそ滲み出る味を感じるとても良くできた物語だと思いました。

    『会社から単に帰るというだけのことに、どうしてこうまでてこずっているのだ』。

    大きくは三つ、細かくは六つの短編から構成されたこの作品では、津村さんのユーモアに溢れる独特な視点から見る物語が描かれていました。”働き・悩み・歩き続ける”私たち人間の生き方を改めて見るこの作品。人の感情の細やかな描写に読者にまでずぶ濡れ感が伝わってくるこの作品。

    さりげない日常を淡々と描く、それでいてそんな日常の積み重ねこそが私たちの人生であることを感じさせてもくれる作品でした。

    • 淳水堂さん
      さてさてさんこんにちは!

      『どんな時に『うちに帰りたい』と思うでしょうか?』
      『うちに帰りたい。切ないぐらいに、恋をするように、うち...
      さてさてさんこんにちは!

      『どんな時に『うちに帰りたい』と思うでしょうか?』
      『うちに帰りたい。切ないぐらいに、恋をするように、うちに帰りたい』
      家にいるのに「帰りたい。」って呟いてしまうことありませんか?
      私の場合は会社辞めたのに「ああ、会社辞めたい……、辞めたけど。」もありますが 笑
      帰るって場所ではなくて心の問題なんでしょうかね。


      『プレーリードッグのごとく、…』
      前の会社で、フリアドレスの机の通路歩くと、座ってたみなさんがハッとしてキョロキョロするので(私の歩き方が騒がしすぎたのかもしれませんが^^;)、「ここはサバンナ。プレーリードッグの巣の間を歩いてる。」と妄想してました笑
      2023/07/08
    • さてさてさん
      淳水堂さん、こんにちは!
      質問に回答をありがとうございました!そうですね。『帰りたい』という感情は『逃げたい』ということとも近いような気もし...
      淳水堂さん、こんにちは!
      質問に回答をありがとうございました!そうですね。『帰りたい』という感情は『逃げたい』ということとも近いような気もします。今この瞬間から『逃げたい』。確かに場所じゃないかもしれませんね。この作品の『帰りたい』は読者も同情したくなるような惨憺たる場面でした。余計にそうなんでしょうね。
      プレーリードッグの比喩は面白いですね。淳水堂さんの比喩も面白いです。巣の間、なるほど。そんな風に妄想できると職場でいるのも面白いかもしれませんね。『帰りたい』とはならないかもしれないです。
      2023/07/08
  • 帰路、「早く帰りたい、早く帰りたい」
    と無意識につぶやいている事がよくある
    (心の中でね)
    なのに、ド◯ールなどに寄り道してしまう矛盾…

    きっと帰りたい場所というのは、家とは限らないのだろう
    それぞれがその時、心穏やかでいられる場所なのかも知れない



    「とにかくうちに帰ります」
    表題作のこちら、
    豪雨により交通手段を失った人々が、ずぶ濡れになりながら、ひたすら家に帰ろうとする話。
    ただそれだけ。
    最初は全く物語に入り込めず、ただ文字を追うだけだったのが、いつの間にか惹き込まれている自分に気付く。
    主な登場人物は、会社の同僚ペアと、小学生男子と会社員男性のペア。
    きっと読者は、この4人のどこかに自分を見つけ共感していく。

    「職場の作法」
    こちらは職場での日常を、主人公・鳥飼の視点で描いていく。
    特別な事は何も起こらない。
    鳥飼が社内の人々を観察する目は鋭く、的確にその人物を表している。
    それがまたクスッ笑えるのだ。

    「バリローチェのフアン・カルロス・モリーナ」
    こちらは「職場の作法」と同じ登場人物だが、ちょっとマイナーなフィギュアスケート選手を密かに応援している話。
    これまた絶妙な観察眼で笑わせてくれる。



    津村記久子さんの作品は初読み。
    最初はピンとこない感じだったのが、気付くと惹き込まれ、もう一度パラパラと読み返していました。
    大きく心を揺さぶられる作品ではないけれど、ありふれた毎日も悪くないな、って思える本でした。

    • Manideさん
      でましたね、ド○ール(笑)

      帰りたい場所がたくさんあるといいですね。
      私はどこだろうかと、考えちゃいました。

      aoiさん、今年も1年間あ...
      でましたね、ド○ール(笑)

      帰りたい場所がたくさんあるといいですね。
      私はどこだろうかと、考えちゃいました。

      aoiさん、今年も1年間ありがとうございました。
      良いお年をお迎えください(^^)

      感謝のアイコンいいですね♪
      2023/12/29
    • aoi-soraさん
      Manideさん
      今年はアイコンで遊ぶことを教えてもらい、ブクログがますます楽しくなりました!
      感謝します♪

      良いお年をお迎え下さい(⁠ ...
      Manideさん
      今年はアイコンで遊ぶことを教えてもらい、ブクログがますます楽しくなりました!
      感謝します♪

      良いお年をお迎え下さい(⁠ ⁠ꈍ⁠ᴗ⁠ꈍ⁠)
      2023/12/30
  • 職場の人間関係小説。
    三部構成。
    「職場の作法」は、女性事務員さん達の日々の葛藤、静かなる抵抗が、思い当たるふしもあり、面白く読んだ。
    「パリローチェのファン・カルロス・モリーナ」
    そうね、こんなニッチな会話にあることもあるよね。
    「とにかくうちに帰ります。」都会の災害時帰宅困難者の道中記かな。
    なんとなくこんな感じよねっていう状況をユニークに描いていると思います。

  • 「ポトスライムの舟」の感想で、次の仕事へ向かう気持を書いたのですが、実は4月に再就職し、2カ月の試用期間を終えて、今月初めに新しい職場の近くに引っ越すという、しっちゃかめっちゃかの慌ただしさを体験しておりました(図書館にはしばらく行けず、文庫本を読む日々)。

    ただ、新しい我が家(賃貸)は自然の多い、のどかな場所で、狭いながらも庭付き!(雑草管理もあるのですが、それでも良い)で、すっかり気に入ってしまい、この作品の内容とは違った意味で、「とにかくうちに帰ります」、と思っております。

    そして仕事については、津村さんのおっしゃる通りで、千差万別のその他の痛みはあり(覚悟していた分、今回は割と前向き)、そんな折に、この作品に収録されている「職場の作法」を読んで、正にジャストタイミングで、共感しまくっております。

    「できる子だね」と自尊心をくすぐられることには必ず裏がある。すなわち、ゴミ箱にゴミを捨てるように、仕事を投げ与えられるということ。

    そうですよねと、思った。

    次々と名前を呼ばれると、自分は頼られている、仕事ができているとうれしがっていた。(中略) 
    そんな気持ちをいいように利用する連中も当然存在する。

    新しい仕事を体験するというのは、もちろん良いこともあるが、年齢を重ねると、時に哀愁を感じることもあるし、周りに感じさせる申し訳なさも発生する。辛いところだが、そんな私にも津村さんは寄り添ってくれてるようで、なんか嬉しくなる。

    それとは別に、田上さんの老練さを感じさせる立ち振る舞いには、尊敬の念を抱いたし、他の登場人物の細かすぎる設定が絶妙で、それがユーモア感を漂わせながらも、お仕事小説として、しっかり問題提起するところはしている点が、また素晴らしい。切っ先は思いのほか鋭い。

    また、それに続く「バリローチェのフアン・カルロス・モリーナ」は、「職場の作法」と同じ登場人物で、こちらはオフビート感満載の、これぞ津村さんのひとつの世界観、といった内容です。くだらないと感じるかもしれませんが、私からすれば、なんて庶民的で、感情のやり取りのささやかなことよ、と思ってしまいます。鳥飼さんのファンになりました。

    そして、もう一つ表題作については、上記の二つとは異なり、登場人物がカタカナ表記になっています。これについては、「ポトスライムの舟」文庫版の解説が分かりやすく、客観性を持たせることで悲しいのだけど、なんだか笑えるみたいな二面性と、主観性を持たせないことで、誰もがそういった思いになりうる(悲しくも嬉しくも)気持ちを込めたのだと解釈しています。名前はあるようでないし、読んでる人の名前を当てはめてもいい。内容は、一見レアな出来事に思われるが、誰にでも起こりうることだと思う分、共感度も高くなるのだと思います。

    そんなわけで、表題作と鳥飼さんシリーズ、それぞれ、一粒で二度美味しい短篇集となっており、津村さんの作品の中でも、比較的読みやすい作品だと思いました。そう思った根拠は、それだけ、私たちの普段っぽさが作品に溢れているからだと感じたし、下記の鳥飼さんの言葉からも感じ取れました。

    「つくづく誰もが普通の人で、悪くもなりきれないし冷徹にもなりきれない。面白くないけど、良くないことでもないのかもしれない」

  • 6作品が収められた短編集。
    1作目から5作目は軽妙なタッチの作品群。作者の目の付け所も面白い。その描写は「あー、あるある」と既視感を感じさせてくれる。
    仕事で使っているペンを偏愛する鳥飼さん(ペリカーノジュニアってのがまた絶妙)は、頼まれた仕事になかなか手をつけない田上さんに感嘆し、無神経な発言を繰り返すオジサンにいら立ち、勝手に人のデスクのモノを使っちゃうオジサンには何故か少し寛容。どれもが共感を感じるとともに、会社の中の女性の生き辛さを再認識させてくれる物語。

    6作目の表題作はちょっとだけ毛色が異なる。6作目は、嵐の中、とにかく家を目指す4人を描いた物語で、まるで過酷なロードムービーのような作品。ぼくは晴れた静かな夜に読んでいたのだが、何故か台風の日に読んでいる気になってしまった。そんな迫力ある描写が楽しめる一作。

    特に面白かったのは5作目の「バリローチェのファン・カルロス・モリーナ」。
    いや、面白かったと言うのは語弊があるかな。物語中、特に何も起こらない話しなのだ。だけどクスリとしてしまう。作者の文筆力の凄さにやられてしまう快作。

  • 場面の切り取り方と視点が独特で面白い。

  • うちに帰りたい。
    切ないぐらいに、恋をするように、うちに帰りたい――。

    目に入った瞬間に購入してた、津村さんの新刊です。
    最近になってようやくわかってきたのですが、10月11月は私にとってわりと低空飛行な時期のようです。
    ものすごく不調なわけではないけど、あまり本を読む気になれず、仕事が嫌いなわけではないけど早く帰りたい気持ちが募る時期。

    この本との出会いは必然だったようにすら感じます。
    いつものことながら、津村さんの小説には劇的なドラマは起こりません。ごくごく日常的な生活をとても丁寧に、大事に描いています。

    「職場の作法」と題された連作短編集には、鳥飼さんから見た職場の同僚たちが登場します。
    これがまた、「いるよね、こういう人!」という人たち。
    中でもツボだったのは、最初から登場してくる田上さん。彼女のちょっぴりブラックながらも誇り高い態度とノートにやられます。

    日常に寄り添って描かれたこの物語は、決して平凡というわけではなくて、登場人物それぞれがいろんな問題を抱えたりしながら、それでも日々を生きている、という、当たり前といえば当たり前のことをどれだけきちんと捉えられているのかということを問われているような気持ちになります。
    当たり前のことって、普段は意識せずにするりと流れてしまうもの。それをきちんと捉えて提示できるのは、あとがきで西加奈子さんも述べていますが、津村さんのセンスなのでしょうね。

    ささくれた気持ちが癒されました。やっぱり津村さんだいすき。そして、西加奈子さんのあとがきがまた、超絶よかったです。

  • 「仕事の流儀」という最初に載っていた小話がおもしろかった。
    職場にこういう色んな人いるんだろうけど、普通の人は面白さに気づけない。それに気づいて深彫するのが上手な津村さんなのだなぁ。
    バカリズムの「架空OL日記」を思い出したよ。
    斜めからの深掘り、みたいな感じ。
    この話とおなじ主人公が、海外のマイナーなフィギュアスケート選手を応援する話もおもしろかった。
    「この人が応援すると負ける、怪我する」って人、いるいる。
    現実にいるこういう人って「私が応援すると負けちゃうから応援しないどくね」なんて自分で言うことが多くて興ざめなのだけど、このお話では自分で自覚がなさそうな感じがニクいね。

    「とにかくうちに帰ります」は、豪雨の日に洲にある会社や塾から帰宅しようとする人々のお話。
    雨によってじわじわ体が冷えていく感じ、描写がうまい笑。

    津村さんの目線って、こどもに優しいよね。
    別にこどもに関する感動物語を狙っているのではないのに、なんかじーんとくるんだよなぁ。
    この子にとって、豪雨のたびに大人このこと思い出すんだろうな~って思う。
    好きな作家さんです。

  • 前半の作品は、とにかく楽しそうな職場だった。
    途中、エッセイ?実話なのかな?と錯覚するほど、リアルな話だったなー
    何度かふふっと笑ってしまった。

    後半は前半とは違い、過酷な状況でみんなが必死で帰る中、出会いもあったりして、寒い中、心温まる出来事もあってよかった。
    あの晩、みんなの中で、少し何かが変わったのかな。

  • 働く人達あるあるが満載でした。しかも、視点がいちいち細かくて面白かったです。鳥飼さんの冷静な観察眼がツボでした。田上さんのブランディングが衝撃的すぎて、わたしのなかで後々の職場の方のエピソードの印象が薄まるくらいでした。
    フィギュア愛が細かすぎる描写からひしひしと伝わりましたが、作者はフィギュアのファンだったのですね。いくらにわかでもフィギュアを見てる時のハラハラする感覚が面白いほど伝わりました。
    豪雨の話は、牛丼の食べ方に共感したり相変わらず細かいなあとおもいましたが寒さや疲れなどが伝わりすぎてこちらまで読んでて辛くなってしまうところもありました。賢い坊主の少年、いい味出してます。
    ハラさんの性別が女性なのは後半でメイクを、、、のところで気づき、万年筆の間宮さんに至っては、あとがきになるまで性別が男性ということに気づかず読んでいました。。。

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著者プロフィール

1978年大阪市生まれ。2005年「マンイーター」(のちに『君は永遠にそいつらより若い』に改題)で第21回太宰治賞。2009年「ポトスライムの舟」で第140回芥川賞、2016年『この世にたやすい仕事はない』で芸術選奨新人賞、2019年『ディス・イズ・ザ・デイ』でサッカー本大賞など。他著作に『ミュージック・ブレス・ユー!!』『ワーカーズ・ダイジェスト』『サキの忘れ物』『つまらない住宅地のすべての家』『現代生活独習ノート』『やりなおし世界文学』『水車小屋のネネ』などがある。

「2023年 『うどん陣営の受難』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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