イノセント・デイズ (新潮文庫)

著者 :
  • 新潮社
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  • Amazon.co.jp ・本 (480ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784101206912

作品紹介・あらすじ

田中幸乃、30歳。元恋人の家に放火して妻と1歳の双子を殺めた罪により、彼女は死刑を宣告された。凶行の背景に何があったのか。産科医、義姉、中学時代の親友、元恋人の友人など彼女の人生に関わった人々の追想から浮かび上がるマスコミ報道の虚妄、そしてあまりにも哀しい真実。幼なじみの弁護士は再審を求めて奔走するが、彼女は……筆舌に尽くせぬ孤独を描き抜いた慟哭の長篇ミステリー。

感想・レビュー・書評

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  • R1.7.25 読了。

     『正義は一つじゃないかもしれないけど、真実は一つしかないはずです。放火殺人で死刑を宣告された田中幸乃。彼女が抱え続けた、あまりにも哀しい真実――極限の孤独を描き抜いた慟哭の長篇ミステリー』。
     本屋で見かけて衝動買いしてしまった。百田尚樹氏の永遠の0のように、新聞記事などで見かける何気ない1文で書かれた人の生涯。どのような生い立ちがあり、どのような経過を経て死刑囚となったのか?とても衝撃的な内容でした。一気読みしてしまいました。人の人生とは生きてきた環境によって、その人の性格などによって形作られていくことを改めて考えさせられました。
     辻村深月さんの解説も良かったです。

    ・「人間というのはなかなか複雑な生き物でな。思っていることをなんでも口にできるというわけじゃない。でも、いつかお前さんが向き合う誰かさんは、お前の言葉に期待している。なのにうまく説明することができず、思ってもみないことを言ったりする。だからお前はその誰かさんと真摯に向き合い、何を求めているのか想像してあげなければいけないんだ。」
    ・「俺の尊敬しているある先生は、弁護士が自分の命を懸けて挑める案件なんて、生涯に1件あるかないかだって言ってたよ。人生に起きるすべての出来事がその日のための鍛錬だって。」

  • 読み始めて間もなく、翌日・翌々日寝不足確定を覚悟したほど熱中し心揺さぶられた作品。

    主人公・幸乃の激動の人生。取り巻く人々の生き様。

    願うこと、救われること、叶うことで幸せと感じること。それは決して皆同じではなく、人それぞれ違うこと。

    誰かにとっての幸せは違う誰かの不幸せ。
    その逆も然り。

    十人十色、それで良いと思った。

  • 早見一真さんの「八月の母」が好きだったので、著者の代表作である本作を購入しておりましたが、しばらく積読状態でございました。しかし、久しぶりに戸棚から本作を見つけ、手に取り読むことに。

    本作は、元恋人の一家を放火によって惨殺してしまったとある死刑囚の物語。あまりにも残忍な事件であったため、雑誌やテレビといったマスコミに多くその事件は取り上げられ、死刑囚の凶悪さが世間に広まっていく。しかし、彼女を担当する看守が彼女と接する中で、世間の報道と実際の彼女との姿に差異があることに気づく…というストーリー。

    本作の導入として、看守からの目線でスタートしますが、そこからは彼女の幼少期や中学時代、社会人生活が第三者からの視点によって語られていきます。その語りからは、凄惨な事件を起こしたとは思えない純真さと優しさが見られ、なぜこんな事件を起こしてしまったのか?とすごく読者の興味を惹く構成になっており、私もその展開に魅せられました。

    ネタバレになるので、物語の結末については触れませんが、個人的には悪くない結末だったのかなと思います。まぁ本作はミステリー要素も強い社会派の作品であるため、話したいことは多いけれど、全部話しちゃうとネタバレになって面白さが半減してしまうのが、本の感想を書いてる自分としては辛いところです。

  • 転職をして半年とちょっと。
    おもいのほか早くなじめた、と思う一方で、生活リズムや仕事には、まだまだ慣れていないような気もする。
    通勤時間が短くなったのはかなりありがたい。
    でも、転職前は通勤を読書の時間にあてていたので、今の生活は本を読む時間を自分で意識して作っていかないと、なかなか時間がとれない…

    それなりに残業も多いので、結局読書が後回しになってしまって、寝る前に読み始め、数行読んでは眠り、というのを繰り返し、こんなに読み始めたら止まらなくなる系の作品を読了するのに、膨大な時間がかかってしまった。
    読書の時間をどう確保するか、というのがわたしの今後の課題だ。

    帯の言葉「読後、あまりの衝撃で3日ほど寝込みました…」「少女はなぜ、死刑囚になったのか」とあり、解説が辻村さんということもあって、手に取った。
    放火事件を引き起こしたとされる田中幸乃。30歳。彼女は、死刑判決を言い渡される。
    プロローグ「主文、被告人を―」
    第一章「覚悟のない十七歳の母のもと―」
    第二章「養父からの激しい暴力にさらされて―」
    第三章「中学時代には強盗致傷事件を―」
    第四章「罪なき過去の交際相手を―」
    第五章「その計画性と深い殺意を考えれば―」
    第六章「反省の様子はほとんど見られず―」
    第七章「証拠の信頼性は極めて高く―」
    エピローグ「死刑に処する―」

    判決文が各章のタイトルになっているという構成で、これだけでもかなり興味を惹かれる。
    各章ごとに語り手は異なり、その語り手の目線で、田中幸乃という人間像が語られる。彼女はいったいどんな道のりをたどって、死刑囚となったのだろう。そう思いながら読み進めていく。この終わり方は、果たしてハッピーエンドなのか、バッドエンドなのか。タイトルの『イノセント・デイズ』の意味とは。

    田中幸乃が産まれた日。P61「昭和六十一年三月二十六日、午前六時二十分」。
    わたしと同じ学年で、「2480グラム」で産まれた幸乃。彼女が過ごしてきた日々は、わたしが過ごしてきた日々と同じテレビ番組が、同じ音楽が流れていたのだなと、そんな思いを馳せながら読みすすめる。
    しかし、途中からそんな思いを馳せる余裕もなくなるくらい、幸乃がたどった日々は残酷なものであった。

    P34「判決理由とは本来誰のためのものなのだろう?はじめて死刑判決の理由を聞いたとき、そう感じたのを覚えている。これから死を宣告される者に対し、だから納得しなさいというものなのか。それとも怒りに駆られた遺族や市民に対し、これをもって溜飲を下げろということか。」

    わたし個人としては、死刑制度には反対です。ただ、この国には死刑制度があって、わたしはこの国に産まれ、今この国に住んでいるということは事実。
    この作品の中に、この制度に対するメッセージも込められていたのだろうと思う。

    田中幸乃の生い立ちや、彼女を知る人たちの気持ちや行動。最終的にすべてがしっかり繋がった、という感じはあまり持てていないのだけれど、これが、自分の読書の仕方(数行読んでは眠るスタイル)によるものの可能性も高くて、うまく評価をつけられない。
    でもたぶん、この作品は、すべてがしっかり繋がったかどうかじゃなくて、辻村さんの解説の言葉を借りると、P466「“暗い”や“明るい”、“幸せ”や“不幸”という一語だけの概念を超越した場所で彼女を救おうと格闘し、味方であり続けたひとりの作家の誠実さの熱」P467「激しく熱いだけでなく、哀しみや怒り、絶望にも似た、こんな静かで凄絶な熱もあるのだ」ということなんだと思う。

    • 土瓶さん
      辛くて重たい話でした。

      「店長がバカすぎて」
      とても同じ作者によるものと思えない。
      辛くて重たい話でした。

      「店長がバカすぎて」
      とても同じ作者によるものと思えない。
      2023/11/26
    • naonaonao16gさん
      土瓶さん

      こちら、埋もれてしまって返信ができておらずですみませんでした。

      早見さんの作品初めて読んだんですよ~
      『店長がばかす...
      土瓶さん

      こちら、埋もれてしまって返信ができておらずですみませんでした。

      早見さんの作品初めて読んだんですよ~
      『店長がばかすぎて』みたいな作品の方がこの作者さんらしい作品なのでしょうか?
      他の作品を読むかどうか悩み中です。
      2023/12/03
    • 土瓶さん
      ああ。コメントの返信は気が向いたらでいいですよ^^
      俺も忘れてるので(笑)

      早見さんの作品は俺もその2作しか読んでないのでわかりませ...
      ああ。コメントの返信は気が向いたらでいいですよ^^
      俺も忘れてるので(笑)

      早見さんの作品は俺もその2作しか読んでないのでわかりません。
      いろいろ書ける人なのかな?
      奥田英朗さんなんかもそうだし。
      2023/12/03
  • あーーーーー、、、、、

    悲しい虚しい切ない気持ちになる、この自分の感情も傲慢なのかもしれない…と思えた読後感。。

    『人から必要とされたい』これは全人間が少なからず持つ本能?その大きさは境遇や価値観によるのか、、

    なんかもう最後、ほんとに祈ってる自分がいました、、、。

    文章構成わかりやすく、章毎にそれぞれの目線から語られていて読みやすい、またもや1日で読了。

  • 誰が悪いのか、どうすればよかったのか、ただただ救いの手を伸ばしたくなる痛切なイヤミス。鬼面白い!★5

    元恋人の家族ごと放火、殺害した罪によって死刑判決を受けた女性の物語。主人公の関係者たちによる目線で、痛々しい過去のストーリーが進んでいきます。その後の判決後の展開では、錯乱と焦燥にかられた主人公が描かれ、心情が胸に迫ります。

    主人公の女性は、私が一番応援したくなる種類の人間です。
    自身に厳しく、責任感が強く、目標を定めたら一直線な女性で純粋さが強み。例えば女優、政治家など、実現するのが難しい夢を持っている人であれば、猛烈な輝きを放つ女性になれるでしょう。
    ただ、やたら業が深く、もっとも恋人にはしたくないタイプかもしれない。

    殺害された元彼氏は、私が一番嫌いな種類の人間です。
    優しさと憎しみを繰り返して心の中に入り込む、平気で人の弱みに付け込む。でも本人には悪気はなく、瞬間瞬間ではひた向きに生きている。
    こういった人が女性にもてることは知っています、でもなりたくありません。

    この小説の魅力は、こういったキャラクターはみんな魅力的で生き生きとしているところで、感情移入が半端ないです。もうサイコー
    もちろん世界観やストーリーも素晴らしく、ぐいぐい引き込まれ、圧倒的に丸ごと一冊読めてしまいます。ラストでは自分が助けてあげなきゃ…と思わず涙が流れました。

    世間では社会的弱者による悲しい事件が繰り返されますが、背景には少なからず本作のような現実があるのでしょうね。彼ら、彼女らに自分は何ができるのでしょうか。ほんの少しだけ笑顔にすることすら難しそうです。

    とにもかくにも超名作です、未読の方は今すぐ読みましょう。

  • 過去の交際相手の妻と子ども達を怨恨による放火で殺害したとして、24歳の田中幸乃は死刑判決を受けた。彼女を身近に知っているものたちはその判決に驚き、何人かは事実を確認しようと動き始めるが、彼女自身は犯行を否定せず反省も口にせず、再審請求もしなかった。
    裁判長が読み上げる彼女の判決理由‐彼女の生い立ちや犯行の経緯-とともに、彼女の人生の一部を知るものがそれを回想していく形で物語は進められる。

    日本推理作家協会賞受賞作品らしく、最後まで気を抜けず目を離せない作品だった。
    判決理由で短く切り捨てられた彼女の人生に、どんな真実があったのか明らかになっていく過程は、温かく悲しい。




    *******ここからはネタバレ*******

    作品の構成としては優れていると思うが、そのためなのか不自然な展開ではないかと思われるは多々見受けられた。
    私の読解力では解けない疑問だ。

    例えば、
    幸乃の祖母は、引き取っても得るところのない彼女をどうして手元に置きたがったのか。
    幸乃の父は、どうして突然彼女の養育を放棄したのか。酔って暴力をふるったのはあの1回だけだったのであれば、姉である実子の陽子のためにも引き続き養育した方がよかったのではないか。

    執行への時間が差し迫った中で、翔が冤罪の可能性を追求しようと協力を求めた敏腕弁護士を慎一が断ったのはなぜなのか?
    そもそもなぜ慎一は幸乃と特別に親密であったのか?それは彼女が彼の窃盗を身代わりしたためなのか?彼女はそれを知っていたのか?

    9歳までは普通の温かい家庭で育った彼女が、自己肯定感が極端に低いのはなぜなのか?


    男性の著者だからか、ミステリ気分を上げるためなのか、性暴力があっさりと描かれ過ぎの点も気にかかる。
    いくら意中の男の子からであっても、中学生が心の準備もないままに半ば暴力的に行為に至られては、平静を装うことも困難ではないか。
    この辺りはエンターテイメントと考えられるのか。




    普段子どものために書かれた本を読むことが多いだけに、人物の扱われ方にひどく違和感を感じる。

    あとがきで辻村深月さんが「田中幸乃を見守り、味方であり続けたのは、誰よりも、著者の早見和真その人だと」書かれているが、私は彼女が「死ぬために生きたこと」を肯定できない。
    死ねば、自分の存在さえ消せば、何かが収まるものでもないし、彼女のその死への執着から自死を選んだ若者もいたのだから。

  • 陰陽五行説を発端とする算命では、宿命を変えることができないもの(生年月日・親・兄弟など)、運命を変えることができるもの(住居・職業・結婚など)と定義しています。自分の宿命にあった環境の中にいれば自分らしく生き、能力が発揮されるとされます。そして、それが難しい。

    親子三人を焼き殺した放火殺人の罪で確定死刑囚となった幸乃。彼女の死刑執行日の当日から物語が始まります。そして、第一部では、母親の中に生を受けたその時から彼女に負の連鎖が巡ってきます。
    彼女の宿命は恵まれたものでなく、運命を変えるには、まだ子供でした。手を差し伸べるべき大人は居なかったのです。そして、彼女のイノセントな心は、巡り合ってしまった人達の因果まで受け入れていきます。
    幸乃は、死刑を受け入れて、その宿命と死ぬ為に生きた運命から解放されます。自分の罪を償わなかった人達の葛藤。彼女を救うことで救われたかった人達の過酷な運命は残ります。

    akodamさんご紹介ありがとうございました。
    涙腺は変化なしですが、ホント好きなタイプの小説です。レビューは何書いているのか混沌してしまいましたが、面白いヤツ読んでしまって、文豪に戻れるか心配。

    • akodamさん
      おびのりさん、こんばんは。
      何と形容するのが相応しいのか…
      兎角私の琴線に響くレビュー、確かに受け取りました。
      宿命と、死ぬために生きた運命...
      おびのりさん、こんばんは。
      何と形容するのが相応しいのか…
      兎角私の琴線に響くレビュー、確かに受け取りました。
      宿命と、死ぬために生きた運命。
      この一節こそ、正に私が感慨に耽た理由だろうと改めて思い返しました。ありがとうございました!
      2022/06/08
    • おびのりさん
      akomdamさん
      おはようございます。
      楽しませていただきました。
      ストーリーもそうなんですけど、ラストの余韻が好きでした。
      また、本棚お...
      akomdamさん
      おはようございます。
      楽しませていただきました。
      ストーリーもそうなんですけど、ラストの余韻が好きでした。
      また、本棚お邪魔します
      2022/06/09
  • 【感想】
    ブクログユーザーの皆さんの感想をよくお見掛けする為、読んでみようと思った作品。
    WOWWOWで妻夫木聡・竹内結子が出演しているドラマもあるようですが、この物語はドラマよりも書籍の方が映える作品だと思う。

    読後の感想として、第一に思ったことが「理不尽さ」だった。
    理不尽すぎる。。。こうやって冤罪で処分される人間がどれほどいるんだろう。
    ただ、他の冤罪事件と少々毛色が異なるのは、冤罪の被害者である田中幸乃本人が、誰よりもその罪を回避しようとしなかった事。
    その理由でもある彼女の人生全体に、この上ないくらいの孤独さが作中に溢れ出ていた。

    色んな犯罪者が世間にいる中で、これほどまでに恵まれなかった人間が果たしているのだろうか?
    いや、彼女自身、周りに恵まれなかったわけでは決してない。
    ただ、ボタンの1つ1つの掛け違いというか、募り募った小さな不幸の積み重ね故に、このような悲劇が生まれてしまったのだろう。

    個人的には、幸乃の姉や中学時代の友人、そして元カレの友人など関係者たちが口を揃えて「これ以上関わりたくない」「背負いたくない」という気持ちが芽生えていることに、悪い具合で心にとても響いた・・・
    幸乃に対しての理解があり、不憫であると思った上で、やはり皆それぞれの人生があるからもう関わりたくない、終わりにしたいという気持ちが物凄くリアルだった・・・

    一人の女性の歩んできた人生が第三者目線ではあるがしっかりと描かれたこの物語。
    読んでいてとても悲痛なモノではあったが、面白かったです。


    【あらすじ】
    正義は一つじゃないかもしれないけど、真実は一つしかないはずです

    田中幸乃、30歳。
    元恋人の家に放火して妻と1歳の双子を殺めた罪により、彼女は死刑を宣告された。
    凶行の背景に何があったのか。
    産科医、義姉、中学時代の親友、元恋人の友人など彼女の人生に関わった人々の追想から浮かび上がるマスコミ報道の虚妄、そしてあまりにも哀しい真実。
    幼なじみの弁護士は再審を求めて奔走するが、彼女は……
    筆舌に尽くせぬ孤独を描き抜いた慟哭の長篇ミステリー。


    【引用】
    p24
    「いい加減自分と決別したい。今日をもってノートともお別れだ。こんな価値のない女を好きになってくれてありがとう。さようなら、敬介さん」
    幸乃の逮捕前から、放火殺人事件の概要は派手に新聞紙面を賑わしていた。逮捕後は一転、幸乃の生い立ちや容姿についての報道合戦が始まった。

    私生児として出生した過去や、その母が17歳のホステスであったこと。
    養父から受けていた虐待に、中学時代に足を踏み入れた不良グループ、強盗致傷事件を起こして児童自立支援施設に入所していたという事実。
    そして出所後に更生し、真っ当な道を歩み始めたかに見えたものの、最愛の人との別れを機に再びモンスターと化していった経緯・・・


    p41~
    第1章「覚悟のない17歳の母のもと・・・」
    「ほら、お母さんにそっくりだよ」
    丹下は感じたままを口にしたが、ヒカルは真顔で否定する。
    「ダメですよ、絶対にダメ。こんな目つきの悪い私に似たらかわいそう」
    そう過剰に反応した次の瞬間、ヒカルは瞳を潤ませた。赤ちゃんをおそるおそる胸に抱き、次第に声が大きくなる。赤ちゃんも釣られるように泣きじゃくった。
    「ユキノ。生まれてきてくれて本当にありがとう」


    p106
    第2章「養父からの激しい暴力にさらされて・・・」
    倉田陽子が妹の存在を忘れたことは一日もない。でも毎日がめまぐるしく過ぎていき、幼少の頃の思い出が少しずつ霞に捕らわれていくにつれて、どこかに存在するはずの幸乃という人間から現実味は消えていった。
    だから最初にニュースであの事件を知った時も、不思議なほど動揺はしなかった。冷たい言い方かもしれないが、他に数多ある絵空事のよな事件にしっかりと紛れ込んでいた。

    だがその中に二つ、陽子の心をざらつかせる報道があった。
    それはあの優しかった母を無責任なホステスと、三年前に他界した父を酒乱の虐待養父と一方的に断じたものだ。


    p109~
    第3章「中学時代には強盗致傷事件を・・・」


    p178
    「あなた、少年法って知ってる?」
    笑いをかみ殺すのに必死だった。この顔だけは絶対に見られてはならないと、理子は再びうつむいて、さらに早口でまくしたてる。
    「幸乃って三月生まれだよね?まだ13歳ってことだよね?だから大丈夫なんだ。絶対に捕まらないから」
    気づいた時には理子は土下座し、額を床にこすりつけていた。
    「うん、そうだよね。理子ちゃんには悲しむ人がいるんだもんね。それに理子ちゃんにはこれまでずっと助けてもらってたから。私を必要としてくれたから」
    「いいよ、理子ちゃん。早く逃げて」

    (中略)

    何をしていても、何を実現しようとも、彼女の影に怯えていた。常に許しを乞い続け、もちろんその声はどこにも届かなくて、理子の気を滅入らせた。


    p228
    第4章「罪なき過去の交際相手を・・・」
    「もう別れた方がいいよ。敬介に翻弄されるのはやめにしなよ、君の身体がもたないよ」
    聡は懇願するように言っていた。しばらく不思議なものを見つめるようにしていた幸乃の瞳に、次第に怒りの色が浮かんでいく。まるで敵対するかのような強い表情に、聡はたじろぎさそうになる。

    幸乃は諦めたように息を漏らすと、「ずっと一人だった私に彼は手を差し伸べてくれたんです。彼に甘えているのは私の方です」と、先ほどの言葉に付け足した。
    「彼だけが私とつながろうとしてくれました。だって、これまでもいっぱい人に縋って、捨てられて、信じて、裏切られてを繰り返してきましたから。子どもの頃も、中学生のときも、施設時代も、出てからも。もう絶対に誰も心に立ち入らせまいとしてたのに。敬介さんがこじ開けてくれたんです」


    p252~
    第5章「その計画性と深い殺意を考えれば」


    p254
    母を失い、父から「必要なのはお前じゃない」という言葉をかけられたとき、絶対に安全だと信じていた足場があっけなく崩れ落ちた。その直後、祖母を名乗る女が目の前に現れたが、はじめから幸せの香りはしなかった。母が懸命に自分に近づけまいとしていてくれたことも知っていた。

    美智子との生活は生やさしいものではなかった。一番こたえたのは幸乃を女として対等な存在とみなし、冷ややかな視線を向けられていたことだ。
    そのくせ、美智子が入れあげていた韓国人の男に、幸乃が陵辱されている場面は見て見ぬフリをし続けた。汚らわしいものを見るような目で「あんたもヒカルと一緒か」と吐き捨てられ、避妊具の箱を投げつけられた。


    p277~
    第6章「反省の様子はほとんど見られず」


    p292
    父はさらに翔の目を見つめていたが、少しすると諦めたように息を漏らした。
    「俺の尊敬しているある先生は、弁護士が自分の命を懸けて挑める案件なんて、生涯に一件あるかないかだって言ってたよ。人生に起きるすべての出来事がその日のための鍛錬だって。行く以上は成長して帰ってこい。お母さんを泣かせない範囲でな。いろんなものを吸収してこい」
    父はほぼ一息で言い切って、なぜか誇らしそうに目を細めた。


    p294
    「この件は本当にお前が首を突っ込むべきことなのか?小さい頃の友人というだけで、名乗り出る理由になるのか?」
    おそらくはそれが父の本題だ。ヴァナラシで事件の続報を知って以降、翔自身がずっと考えていたことでもある。
    幼い頃の記憶を辿って辿って、ぶち当たった場面があった。それは当時の友人たち、幸乃を含む「丘の探検隊」のメンバーを前に、自分がこんなことを言ったときだ。
    「誰かが悲しい思いをしたら、みんなで助けてやること。これ、丘の探検隊の約束な」
    父にそれを説明しようとは思わなかった。
    「これが俺にとって生涯で唯一の案件かもしれないからさ。たまたまそれが早く巡ってきただけかもしれないから、そのつもりで挑むよ」


    p333
    「田中幸乃の犯した罪を許すことは絶対にないよ。でもね、火を放った瞬間の彼女はたしかにモンスターだったかもしれないけど、生まれながらにしてそうだったわけではないことを僕は間近で見て知っている。じゃあモンスターにしたのは誰だったのかって、検証してみる必要があったんだ。彼女を見てきた時期を綴ることは、僕にとってはある意味では禊ぎだった」


    p334
    「ごめん、丹下くん。全然違うわ。本音を言うとね、僕はもうこれ以上何かを背負うことが恐いんだ」

    「もっと言うとね、僕は早く彼女の刑が執行されないかとも思ってるよ。それがいかにひどい考えかってわかっているけど、どうしてもその思いが拭えない。彼女が今もどこかで生きていることが恐いんだ。毎晩のように夢に出てくる彼女から逃れたい」


    p345~
    第7章「証拠の信頼性は極めて高く」

    p391
    「あのさ、佐々木くんって幸乃ちゃんにどんなイメージを持ってる?」
    八田は照れくさそうに鼻をかいた。
    「イメージですか?さぁ・・・ち、小さい頃は、明るくて、屈託がないっていう感じでしたけど」
    「へぇ、すごい。世間のイメージとは見事に逆だね。僕には無垢っていう印象が強いけど」
    (中略)
    「ちなみに純粋とか無垢なとかって、英語でどういうか知ってる?」
    「イノセントっていうんだ」
    八田はさらに顔をほころばせる。
    「でね、そのイノセントには、無実のっていう意味もあるんだってら、不思議だよね。どうして純粋と無実が同じ単語で表されるんだろうね」


    p416
    「あの事件の本当の犯人はあなたのご友人ではありません。浩明をはじめとする、あのグループの者たちです。田中幸乃さんではありません。」
    全身の毛がざわりと震えた。老婆は慎一から目を離さない。


    p419
    「なぜ罪をかぶってくれるのかわかりませんが、身代わりになってくれる人がいたんです。それに縋るのっておかしいですか?田中さんに死刑判決が出たとき、申し訳ないのですがホッとしました。もうこれで怖がる必要はなくなったのだと、少なくとも私は安堵しておりました。だけど、浩明は違った。あの子はさらに追い詰められていきました。」

    「それが判決の出た日の日記です」
    老婆の言葉を聞き流しながら、慎一はページをめくる。変わるのは日付だけで、内容はほとんど同じだった。綴られているのは後悔の念ばかりだ。命を奪った家族への、一人残してしまった井上敬介への、アパートを半焼させられた草部猛への、必死に守ろうとしてくれた祖母への、そしてまた新たに自分が命を奪おうとしている幸乃への謝罪の言葉が、綿々と綴られている。
    老婆は否定するが、それはやはり遺書と読めるものだった。

    「せめてあの子が神様のもとへ行けますように。そう祈りながらも、真相を明かすことはできませんでした。ただ読み返してみたら、自分が一体何を守ろうとしていたのか、今更ながらわからなくなりました」

    「一緒に来て頂けますか?」
    慎一は、噛みしめるように語りかけた。そう、自分たちは間に合ったのだ。次の春には一緒に桜を見ることができる。きっと何かを取り戻せる。
    老婆が毅然とうなずくのを確認し、慎一は拳を握りしめた。もう二度と大切なものを取りこぼすことのないように。
    「たくさんの人の人生がこれから変わるんだと思います。多くの人にとってそれは望まないことかもしれません。あなたにとっても、ひょっとしたら幸乃ちゃんにとっても。それでも、僕はあなたを警察に連れて行きます。もう決着をつけなきゃいけません」


    p423
    エピローグ「死刑に処する」

    p440
    看守の瞳は、背後に隠していた手紙を幸乃に差し出した。

    《僕だけは信じているから。僕には君が必要なんだ。必ず君をそこから出します。だから、そのときはどうか僕を許してください》

    力なく見開かれていた瞳に、怒りがふっと宿った気がした。幸乃が慌ててそれをひったくった瞬間、長く燻っていた私の疑問は確信に変わった。

    この人は罪なんて犯していない。
    ただ死ぬことを強く望んでいた女のもとに、そのチャンスが舞い降りてきただけだ。

    生きることに絶望し、でも薬で死ぬことに失敗した女が、直後にまったく違う形で命を絶つ方法を授かった。他人に迷惑をかけることを極度に恐れ、その日が来るのをひたすら耐えて待ち続けている。
    そう考えれば、すべてのことが腑に落ちた。すべての疑問に説明がつけられる。


    p442
    「そのピンクの手紙、どこまで持っていくつもり?何を隠したまま逝こうとしているの?あなたが死ねばそれでいいの?私はずっと不満だった。あなたに言いたかったことがある」
    幸乃は両手で耳を塞ぎ、聞きたくないというふうに首を振る。そのまましゃがみこんだ幸乃に寄り添うフリをし、私も冷たい床に膝をつく。
    「傲慢よ。あなたを必要としている人は確かにいるのに、それでも死に抗おうとしないのは傲慢だ」
    倒れて、倒れて、倒れて、倒れて・・・
    私は心の中で祈り続ける。それは、「生きて」と懇願することに等しかった。


    p445
    「もう恐いんですよ、佐渡山さん」
    その声が全身に染み渡っていく。
    「もし本当に私を必要としてくれる人がいるんだとしたら、もうその人に見捨てられるのが恐いんです」
    「それは何年もここで堪え忍ぶことより、死ぬことよりずっと恐いことなんです」

    ロープが細い首に巻かれる。想像の中の幸乃は、初めて笑顔を見せた。
    やっとここに辿り着けたと、ついにこのときを迎えたのだと、透き通った笑みを浮かべている。

    少しずつ小さくなっていくロープの音は、そのまま田中幸乃の命が消えていくことを象徴していた。そして再び部屋が完全な静けさを取り戻した時、私は一人の女が呆気なくこの世界から消え去ったことを突きつけられた。

    傍目には何も変わらない。冷たい空気も、立ち込める線香の匂いもそのたまだ。でも、彼女はもういない。
    誰かに迷惑をかけることを何よりも恐れていた女は、決して最後に取り乱すことなく、その誰かたちによって裁かれた。

  • 衝撃的

    間違えなく今まで読んだ中で5本の指に入る名作。

    読後この感情を言葉に表す事が難しく、「儚さ」に近い感情で満たされている。
    「死刑判決」の裁判の情状に沿うストーリー展開の中、関わる人間とで協和したり不協和したり。
    同じ出来事でも外から見た物と中から見た物の違和感の多さ。
    優しさや純粋さが招く悪条件や悪環境や不都合さ。
    最終的に読者へは悲壮感、主人公へは解放感。
    なんだろう?
    何度も書くが凄い作品だった。

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著者プロフィール

1977年神奈川県生まれ。2016~2022年に愛媛県松山市で執筆活動に取り組む。現在は東京都在住。2008年に『ひゃくはち』でデビュー。2015年に『イノセント・デイズ』で第68回日本推理作家協会賞、2019年に『ザ・ロイヤルファミリー』で山本周五郎賞とJRA馬事文化賞を受賞。その他の著作に『95』『あの夏の正解』『店長がバカすぎて』『八月の母』などがある。

「2023年 『かなしきデブ猫ちゃん兵庫編  マルのはじまりの鐘』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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