磁極反転の日 (新潮文庫)

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  • Amazon.co.jp ・本 (624ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784101207612

感想・レビュー・書評

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  • 『いい信念は合理的だから、手強い。ダメな信念は非合理的だから、やっぱり手強い』―『Phase Ⅱ 白と黒』

    地磁気の逆転について学んだのは何時の頃だったか。当時の高校地学で学んだ記憶はないが、学部移行して入った学科に古地磁気を研究している助教授が居たのでやはり大学に入ってからか。少々古臭い話だが、その先生の所属していた講座はプレートテクトニクスを認めないことで有名だった学派の流れを汲む教室であったのだが、その中で古地磁気の研究をするというのは異質であっただろう。学部生向けの論文購読を担当していたその先生は、当時は目新しかった隕石衝突による中生代から新生代への移行(あるいはKT境界問題)についての論文や温室効果ガスについての論文なども課題に出したりしていたのだが、結構思うところがありながら学生に接していたのかなと、「磁極反転」と聞くと今更ながらの思い出に耽ったりしてしまう。

    南アメリカ大陸の東海岸とアフリカ大陸の西海岸の形状に注目してウェゲナーが提唱した大陸移動説が、今現在理解されているようなプレートテクトニクスによる学説として認知されるようになった大きな切っ掛けは、大西洋の中央海嶺東西で確認された地磁気のパターンの対称性だ。それまでにハワイ諸島に連なる太平洋の天皇海山列の成因や大西洋中央海嶺上に位置するアイスランドでの火山列の観測などから大陸やそれを乗せたプレートが動いているとの推察は成立していたが、大西洋に広く観察される地磁気の縞模様が過去に記されたプレート移動の記録として認識され、プレートテクトニクスを時間軸にピン止めされた動きとして確立する決定打になった。その縞模様こそ過去に地球が経験した地磁気の反転の記録であると知ったのが学生の頃だった。

    著者がそんな古地磁気の研究者であった為であろうが、双極性地球磁場反転に関する文章には真実味が宿る。例えば小松左京の「日本沈没」が似たような小説として思い浮かぶが、プレートテクトニクスが欧米では認知されているのに対して日本では未だ学説の統一的見解が示されていなかった状況で出版した「日本沈没」が、沈み込み帯というプレートテクトニクスで説明される日本周辺の地球科学的環境を使っていながら、やや非現実的な空想科学小説で来るべきディストピアを描いて見せたのに比べ、伊与原新の「磁極反転の日」は、時期の問題を除けば、非常に現実味のある設定で話が構成されている。それが現実味を帯びていることを知っている者には、空恐ろしい程の近未来小説とも読めるけれど、地球が過去に何度も磁場の反転を経験していることを知らないものには単なる空想科学小説と読めてしまうのかも知れないと思うと、より一層寒気立つ思いがしてくる。

    『科学者と一般人の間のディスコミュニケーションも、たいていそこから始まる。科学者にとって、科学はプロセスだ。どの段階であろうと、修正もあれば棄却もあり得る。でも、一般人にとって、科学は結論だ。しかもそれは、誤謬のない価値ある成果でなければならない。お互いがその違いに気づこうとしない限り、ディスコミュニケーションは続く』―『Phase Ⅳ 急転回』

    思えば、気候変動に関してもかつての大陸移動説同様に、肯定するものも否定するものも、決定打となるような証拠を掴めていないのではないかという気がしてならない。もちろん、IPCC(気候変動に関する政府間パネル)が第6次報告で示したように、最近の温暖化の拍車に人類の活動が与えた影響は無視できないだろう。しかし原始地球の大気から見れば一貫して二酸化炭素の分圧は下がり続けており、それに従って地球が寒冷な環境により長く晒されるようになってきたというのも既に様々な証拠から確認されている事実。小説の中でも語られるが、自分たちが学生の頃は、地球は氷河期に向かっている、とよく語られていた(正しくは、「氷期」に向かう、だが。大陸上に氷河が観察される今現在も260万年前から続く「第四紀氷河時代」であり、今は比較的温暖な「間氷期」に当たる)。二酸化炭素の濃度が気候変動に与える影響が大きく議論されるようになるまでは、太陽活動の変移や、地軸の傾きの揺らぎや公転軌道の変動などの周期を組み合わせたミランコビッチ周期によって氷期-間氷期の変遷を説明する説が一般的だったが、今盛んに行われている脱炭素を巡る議論をする人々の中にどれ位過去の中長期の変動を踏まえて議論をしている人がいるのだろうか、と老婆心ながら心配になる。ハブを駆除するためにマングースを放つというような、自然を完全に制御可能なものとして扱う人間の傲慢さが出なければよいと思うことしきり。小説の中で、時折登場人物に語らせる自然観や人間の思考の傾向に関する見方が、どうも元地球科学者としての著者の本音であるように感じてしまうのは穿った見方だろうか。

    そんな個人的な思いに絡め取られ易い小説ではあるけれど、作家の代表作の短篇集に比べて大掛かりな設定、かつ幾つものエピソードが同時進行で共鳴しながら進んでいく運びは非常に刺激的。ちょっと学術用語(英語で言うところのjargon)が多くて一部の人には苦になるかもと思いつつ、それを乗り越えてこそのグローバルな環境変化に対する議論の在るべき姿じゃない、とも思う。

  • 太陽の黒点フレアが強まり、電波を使う機器が時々使用できなくなる日が多くなった世界。新宿でふと見上げると、空にはオーロラがかかっていた。地磁気が弱まってきていたのである。地球の地磁気がゼロになっていく世界で、宇宙天気を専門とするサイエンスライター浅田柊の周りでは、妊婦達が姿を消していった…。

    背表紙タイトル買い。これは絶対にSF読みはスルーできないタイトルである。そして、中身もなかなかに濃い。

    地球物理学を専門としていたという作者の専門をいかんなく発揮した一冊である。地磁気が無くなっていくという、普段当たり前のものがなくなり、それに伴うパニックとパニックに乗じた混乱。ちょうど2011年の福島第一原発事故で起こった、世間の不安と、過剰な反応などをうまく取り入れ、思い込みの怖さを描いている。

    あのときの日々の放射線量への異常な反応は、日本人(とくに東北関東の人)でないとわからなかったし、あれを経験しなければ、こういう作品も生まれなかった。いい思考シミュレーションの題材となったということだ。

    そういう意味でも、御大小松左京の作品を思わせる作風で、こういうものが書ける作家はもっとがんばってほしい。梅原克文なんかもそうだよね。日本の作家には少ないんだよな。

    本作の中でおもわず唸らされたのは、秘密の医療施設に乗り込んだ際に、医師たちは「関係者以外は出ていけ」と言わないのだ。「中にいる人が危ない」と言われると協力する。実際に謎の実験が行われていたとしても、末端の手を下している人たちは善良で、患者の命が優先であるという描き方が出来ている作品はなかなかないと思う。

    もちろん小松左京に比べると足りていないところもあり、地磁気以外の部分、例えば遺伝学や発生学の部分であるとか、厚労省や文科省の内部の組織のこと、雑誌編集部や研究室のことなど、地磁気や太陽フレアなどの部分に比べると、どうしてもふわっと曖昧な表記が多いため、リアリティがないのだな。

    でもまあ、こういう作品が書ける小説家にはがんばってほしいので★5。

  •  地球物理学の本としてとても面白かった。多くの新知識を得られたのがうれしい、という小説読後の感想とはちょっと違う感じを持った。
     今まで全く興味のなかった分野で、なぜ本書を読もうと思ったのかは不明。しかし読んだらおもろかった。小説としてのストーリーの印象がかなり薄いくらいに、地磁気やらフレアだのと言った専門用語にひかれた。

著者プロフィール

1972年、大阪府生まれ。神戸大学理学部卒業後、東京大学大学院理学系研究科で地球惑星科学を専攻し、博士課程修了。2010年、『お台場アイランドベイビー』で第30回横溝正史ミステリ大賞を受賞し、デビュー。19年、『月まで三キロ』で第38回新田次郎文学賞を受賞。20年刊の『八月の銀の雪』が第164回直木三十五賞候補、第34回山本周五郎賞候補となり、2021年本屋大賞で6位に入賞する。近著に『オオルリ流星群』がある。

「2023年 『東大に名探偵はいない』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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