数学する身体 (新潮文庫)

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  • Amazon.co.jp ・本 (227ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784101213668

感想・レビュー・書評

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  • 本書は、東大工学部・理学部数学科を出た(文Ⅱから理転)独立研究者・森田真生(1985年~)が2015年に発表した初の単著で、史上最年少で小林秀雄賞を受賞したもの。(2018年文庫化) 著者は現在、数学をテーマとした著作・講演活動などを行う。
    本書で著者は、古代ギリシアからの数学史、ナチスドイツの「エニグマ暗号」を解読し「人工知能の父」とも言われる英国人アラン・チューリング(1912~54年)、そして、多変数解析関数論の研究で世界的な業績を残した数学者・岡潔(1901~78年)を語りながら、「数学とは何か」、「数学にとって身体とは何か」、「数学とは何であり得るのか」を問うている。その過程では、数多の数学者のほか、建築家の荒川修作、『生物から見た世界』のフォン・ユクスキュル、脳科学者のラマチャンドランなどにも話は及ぶ。
    しかし、解説で鈴木健氏が言っているように、著者の関心は明らかに岡潔に注がれており、著者が岡潔の『日本のこころ』に出会ったときに、「私は、岡潔のことをもっと知りたいと思った。彼が見つめる先に、自分が本当に知りたい何かがあるのではないかとも思った。簡単に言えば、「この人の言葉は信用できる」と直観したのだ。」という確信に基づいて語る言葉は、私には強い印象を残すものであった。
    「「情」や「情緒」という言葉を中心に据えて数学や学問を語り直すことで、岡潔は脳や肉体という窮屈な場所から、「心」を解放していこうとした。・・・岡潔は確かに偉大な数学者であったが、生み出そうとしていたのは数学以上の何かである。」
    「岡は科学を丸ごと否定しているのではない。彼は「零まで」をわかるためには「零から」をわかるのとは違う方法が必要であると言っているのだ。」
    「自他の間を行き交う「情」の宿る個々の肉体は狭い。人はその狭い肉体を背負って、大きな宇宙の小さな場所を引き受ける。その小さな場所は、どこまでも具体的である。友情もあるだろう。恋愛もあるだろう。人と交わした約束や、密かな誓いもあるだろう。苦しい離別もあれば、胸に秘められた愛もあるだろう。そうしたすべてが、ひとつひとつの情緒に、彩りを与える、そこに並々ならぬ集注が伴うと、それが形となって現れる。岡潔の場合、数学となって咲いた。」等々
    私は、岡潔の『春宵十話』は以前読んでおり、その中にあった「数学とはどういうものかというと、自らの情緒を外に表現することによって作り出す学問芸術の一つであって、知性の文字板に、欧米人が数学と呼んでいる形式に表現するものである。」という表現に衝撃を受けたが、その真意は十分には分からなかったし、本書についても、一読しただけで著者の言わんとすることが消化できたとは思えない。
    しかし、著者が「あとがき」に記している「よく生きるために数学をする。そういう数学があってもいいはずである。この直感に、私は形を与えていきたい。」という思いには直感的にシンパシーを覚えるし(更に、岡潔も著者も「よく生きるために●●をする」の●●は「数学」である必要は必ずしもないとも言っているのだ)、それを少しでも身体で感じられるように、今後時間をかけて思索してみたいと思うのである。
    (2018年5月了)

  • 単行本が発売された時、岡潔を語るなんて(稀有な)面白い若者がいるんだな、と思っていた。
    改めて文庫版を見てみると、小林秀雄賞受賞とある。なるほど。『人間の建設』だなー。

    第一章半ばから第二章半ばくらいは、割と流してしまったけど。
    チューリングと心と機械の話。
    コンピュータが、人間の生活の中で密接に関わるようになると、それは単なるモノではなくなってしまうと締められる。

    第三章からは、岡潔と情緒と数学の話。

    「岡潔は常に、「自明(トリヴィアル)ではなく本質(エッセンシャル)」を追求する人である」

    という一文を考える。
    目で見えるモノの世界が、そのモノが秘めている本質とは必ずしも一致しないということか。
    今、ちょうど美について考える機会があって、個人的な感想になるのだけど……。
    人が自然持っている(はずの)感じる心。
    けれど、なぜソレに対して感じるのかという所はその瞬間は明らかには分からない、のだと思う。

    この場合、感じたことは本質なのだろう。
    そして、その本質への帰り道を岡潔は数という世界を通して顕にしようとしたということか。
    自分という身体を通して、本質に接続していく。
    言葉にしたけど、言い切れていないような……。

    「数学は零から」と「零までが大切」という対比は、バランスが危ういほどの深遠を感じる。

    「自他の間を行き交う「情」の世界は広いが、情緒の宿る個々の肉体は狭い。人はその狭い肉体を背負って、大きな宇宙の小さな場所を引き受ける。その小さな場所は、どこまでも具体的である。」

  • 新たな先史時代に佇む人類への一冊(原研哉) 波 2015年11月号より
    http://www.shinchosha.co.jp/book/339651/

    数学がはじまる瞬間 —『数学する身体』に寄せて―下西 風澄 - HONZ
    http://honz.jp/articles/-/41952

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    数学はもっと人間のためにあることはできないのか。最先端の数学に、身体の、心の居場所はあるのか――。身体能力を拡張するものとして出発し、記号と計算の発達とともに抽象化の極北へ向かってきたその歴史を清新な目で見直す著者は、アラン・チューリングと岡潔という二人の巨人へと辿り着く。数学の営みの新たな風景を切りひらく俊英、その煌めくような思考の軌跡。小林秀雄賞受賞作。
    http://www.shinchosha.co.jp/book/121366/

  • 大学には属さない在野の数学研究者であり、数学の魅力を伝える様々な講演活動等も行う若き著者が、数学の歴史を紐解きながら、数学との距離が遠くなってしまった身体をいかに数学に取り戻せるか、というテーマの元に、数学という学問の面白さを語る随筆。小林秀雄賞の受賞作という点からも明らかなように、文体は極めて理路整然としており、かつ静かな熱量を帯びた語り口が魅力的に映る。

    読み手に一定の解釈の自由度を与える(良い意味で、特定の意味を読み手のおしつけない)文章であるが故に、読む人によってどこを面白いと感じるかは恐らく大きく違うだろう。僕個人としては、作図や数学的記号を用いた演算といった「道具」を数学が手に入れることで、「意味」を超えるものがそこから生み出されるという点に改めて「道具」というもののもたらす可能性を感じた次第。人間がその時点で知覚できる「意味」には常に限度があり、その本当の意味はむしろ事後に遅れて解釈されるようになる。虚数の概念のように、数学ではそうした事象が顕著に見られるという点が面白い。

  • 数学が何かというよりは
    数学とはどこにあるのかという問いに近い本。

    全体的に論旨はやわらかく、妥当なところだとは思うけれど
    正直に言って小林秀雄賞という名前からあの人の圧力をイメージすると物足りない。
    (ま、本人は別にそれに寄せるつもりもないんだからいいんでしょうが)

    もう少し、一歩ずつ踏み込んでもいいのだけれど、
    それは数学者らしいはにかみなのだと思う。

    彼らは真理や公理を崇拝するので近づきたいと思いながら
    急に睨みつけてしまうような無作法だけはしまいと気遣う者たちではあるから。
    そうやって、数学と心を通わせるということは
    世界そのものと心を通わせることである。

    個人的には人間の条件に関して無前提のものがありそうなので
    おそらく突き詰めれば僕はそこで反発することになるだろう。


    >>
    チップは回路間のデジタルな情報のやりとりだけでなく、いわばアナログの情報伝達経路を進化的に獲得していたのである。
    物理世界の中を進化してきたシステムにとって、リソースとノイズのはっきりした境界はないのだ。(p.38)
    <<

    とある電子回路をコンピュータの自己学習によって最適化させた時の描写である。コンピュータの感受性というものもあり得そうな感じで面白い。

    >>
    ダニの比較的単純な環世界とは違い、彼女の環世界は外的刺激に帰着できない要素を持っている。それをユクスキュルは「魔術的(magische)環世界」と呼んだ。
    この「魔術的環世界」こそ、人が経験する「風景」である。(p.129)
    <<

    動物の生態学などで、ここについては現在異論を差し挟めるはずである。
    これが人間の特権でないことを認めてから先に進めないといけない。
    というか、僕としては人間概念は解体したいのだよなぁ。

  • 最初はチンプンカンプンだったが、アランチューリングが出て来て、面白くなった。
    「イミテーションゲーム」という映画を見ていたので、馴染みがあったのだ。
    そして、岡潔が出て来て、こちらも小林秀雄との対談で知っていた。
    今まで読んだことのないジャンルの本に、興味を持たせる本である。

  • 数学に関する読み物。前半は数学の通史を概観し、後半では計算機科学の祖である数学者アラン・チューリングと孤高の日本人数学者岡潔を取り上げている。本のタイトルのような身体性に関する記述はあまりないけれど、知的好奇心を大いにくすぐられて、読んでいて久々にわくわくさせられた。岡潔の著作にも触れてみたくなる、良書です。

  • 数学することと生命活動を営むことの間の関係性を,数学の歴史を繙き,チューリングと岡潔の生を顧みることにより明文化する.明確な解が存在するかも分からないが,何はともあれやってみて,それから思考すればよいではないか,という姿勢は,研究者に通底する.

  • 数学と数学者の話ししか出てこないのに、爽やかで清涼な残り香。なんとも不思議なエッセイだった。
    大学の教養課程で「数学」の授業が「論理」についての授業だった時におぼえた解放感を思い出した。本書は言葉をつくして「考えること」「考える手続き」「思考の道具」「考えたことを共有する方法」など思わぬところで「生きることと数学」がつながっているのだと語りかけてくれる。
    素晴らしい読書体験だった。

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