- Amazon.co.jp ・本 (483ページ)
- / ISBN・EAN: 9784101214412
感想・レビュー・書評
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ねえねえ、おかむら~、ワカメちゃんはパンツを見せても恥ずかしがらないのに、どうして、しずかちゃんは恥ずかしがるの? ねえ、なんで?
わかめちゃんがはいているのはズロースで、しずかちゃんはパンツだから~
ボーッと生きている方々に、以下は本書のざっくり解説。
和装の女性が下着を穿くきっかけとなったとされる有名な惨事が白木屋の火災。テレビなどでもたびたび紹介されるこの事例、実は一部が間違って流布されている。
亡くなられた方のほとんどが火の手から逃げ遅れたことにより、高層階から飛び降り。ロープにつかまって脱出、または救出されている女性が、着物の裾がめくりあがったことにより、羞恥心から思わず手を放してしまって亡くなった、なんて事例は1件もない。
事実と反し、なぜそんな説が広まったかと言うと、新聞の求めに応じた白木屋の専務が、2、3階まで避難してきた女性が、そこから地上に降りるためにロープにつかまって降下している最中に、地上の野次馬の視線を気になって、片手で裾を押さえた落下し、けがをした事例がある、というような趣旨の発言をしたから。けがであって、死んだわけではない。その辺がごっちゃになって報道されてしまった。
2階から飛び降りるくらいなら骨折はするかもしれないけど、死にはしない。命の危険が薄らいだ時点で、羞恥心がもたげてきたのではないだろうか。本当に生きるか死ぬかの瀬戸際で、命と羞恥心を秤にかける馬鹿はいない。
その後、時代が洋装へと変わっていくにつれて確かに下着をはく習慣は徐々に浸透していった。
最初期の女性用下着は素材が悪く、窮屈で、はき心地のきわめて悪い物だった。なぜか貞操帯としての役割も期待されパンツ(このときはズロース)をはくことを推奨する啓蒙もひろまっていく。
しかし、なにぶんにも素材が悪い、ゴワゴワする。気持ち悪いからはきたくない。そんな女性も多かった。寅さんの名セリフ、粋な姉ちゃん立ち小便はあの時代(寅さんの子ども時代)は実際によくみられたことであったとのこと。公衆便所が男女一緒だった時期もあるらしい。
淡谷のり子は言わずと知れたブルースの女王。ブルースなんて言葉を知らない田舎者ばっかりだった日本では「ズロース」の女王と勘違いされた。
パンツ普及には長い時間がかかった。
冒頭のチコちゃんの質問(いけねっ!チコちゃんって言っちゃった)なぜワカメちゃんはパンツを見せても恥ずかしくないのか。それは、わたしはパンツをはいています、貞操観念のしっかりしたこどもです。パンツをはかないふしだらな大人の女と一緒にしないでください!という主張があるから。それがワカメちゃんの”見せパン”なのだ。
時は流れて1950年代から60年代になると、素材の改良、小型化、デザインの洗練の時代がくる。ズロースからパンティへ、貞操帯からセクシャリティなものへと役割がシフトする。進駐軍やハリウッド映画などのアメリカ文化の流入がひとつの契機となった。マリリン・モンローが地下鉄の排気口の上で盛大にスカートをめくりあげるのが55年。日本の猛烈丸善ガソリンの広告が69年。この頃から、パンツは見られてはいけないもの、見られたら恥ずかしいもの、との意識が徐々に広まっていったらしい。ドラえもんは70年代初め。しずかちゃんもこの流れの延長にある。
のび太君がデレデレして見ているのは、しずかちゃんのパンツではない。しずかちゃんなのだ。
この本、男性が読むより、たぶん女性が読んだほうが面白く感じると思う。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
IS4a
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p.2018/6/21
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羞恥心とは作られたものであった
本来の日本は性におおらかだ -
風俗史。目のつけどころがおもしろい。ただ、言いたいことはわずかなのにボリュームが多い。小説の引用も繰り返しが多く、連載物を単行本にしたためなのかと思ってしまう。半分くらいのページ数でよかったのではないか。2019.11.29
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「京都ぎらい」の井上章一がこんなのも書いているんだと手にした一冊。
たかが布と思いながらも、気にしてしまうのはやはり見てはいけいないものゆえのチラリズムか。
マンチン分布考に続けて読んでいたので、傍から見ると、ちょっと好きものに見えていたかもしれませんね。
ちょっと、ひと昔前の書きっぷりだなと思ったら、2002年に発刊された本の文庫化だったんですね。 -
パンツが見える
それを喜ぶ男性、恥ずかしがる女性。
もちろんこれは本能の問題ではない。
「はいているから見えても恥ずかしくない」と思う少女、「ちぇ!はいてやがる!」と落胆する男、1930年代ではこれが普通のことだったのだ。
和装から洋装へ、腰巻きからズロース、パンティへ。
下着を巡る羞恥心の劇的な変容を多数の文献から圧倒的な熱量で考証する。
貴方の好奇心を刺激する名著。
(あらすじより)
表紙のぽぁぁんに釣られました。
でも内容はいたって真面目な文化人類学(?)です。
そう、なぜ(全てとは言わないが大抵の)男はパンツが見えると嬉しいのか。
いつからその潮流が生まれたのかを徹底的に調べている。
和服が主流だった1930年以前は女性の大半はノーパンだったのに!
知らなかった!
昔の和服のときってパンツなかったのか!
風に吹かれる、しゃがんで洗濯するなど日常の中でもモロチラの機会があったそうだ。
そして女性は「見られてもしょうがない」という態度を取っていたらしい。
そして洋装が出回り始めても下着は生まれず、ワンピースでもセーラー服でもノーパーンの時期があったそうだ。
流石にやばいとうことで履かれ始めたのが、男性用の猿股や、ズロースというモモヒキのようなものをはいていたそうだ。
戦後、高度経済成長期に生活水準が向上してようやくパンツをはき、パンツが見えない所作が美しいとされ、男どもはパンチラをありがたがるようになった。
女性がパンツを履くようになって90年ぐらいしかたっていないという事実に驚愕しました。
平安時代からはいていると思ってました。
さらに!
大正時代が舞台の「鬼滅の刃」!!
なんてことだ!
禰豆子は女性で、着物で、蹴り技で戦う。
つまり1話からずっとノーパンだ!
炭治郎!お前、禰豆子を人間に戻す前にパンツはかせろ!
と言っても時代が違うので伝わらないんだよなー、この感覚。 -
これほど「パンツ」という単語を短時間で見ることはこれからも無いだろう。いや、無い。
パンツはいつから日本で使われ始め、いつからパンチラという概念が生まれたのか。
下着を身に着けてもいなかった日本人女性が、パンツが見えることに対して何時から羞恥心を持つようになったのか。
そういったことに焦点を当てて、記事や文学から下着史を読み解いていく本。
話が飛んだり関係ない話も入り込んだりするが、「パンチラ」の歴史について知りたい人は一回読むべきだと思います(?) -
2018.04.29 HONZより
「今、我々はあたりまえのようにパンツをはいています。「何故、私はこのような布を股にあてがっているのだ?」と、改めて考えたりせず、習慣としてパンツをはいている。」