博士の愛した数式 (新潮文庫)

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  • / ISBN・EAN: 9784101215235

感想・レビュー・書評

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  • e^πi+ 1 = 0
    数学史上最も美しい公式と言われている

    私は数学が一番苦手な科目で、この数式を見てもヒトカケラもその美しさなんて分からない

    でもこの物語を読んだ後は、本当の数学的意味はやっぱり理解できないものの、なんて美しいんだろう、って感じられる唯一の数式になった

    記憶を直近の80分しか維持出来ない博士と、家政婦とその息子

    その関係に、読んでいる間ずっと心動かされた作品。

    2004年第一回本屋大賞受賞作
    (図書本)

  • 人は生きていくうちに何かを失くしたり何かが欠けてしまうことがある。そんな時に、そっと耳元でそれが人なんですよ、それでいいのですと囁く声がする。
    人と違う自分を受け入れられず苦しむことになるかもしれない。けれど、この世に一人しか存在しないあなた、そのあなたが私はいいのですと肯定してくれる声が聞こえる。
    それが私にとっては小川洋子さんの物語だ。この「博士の愛した数式」は特に強くそう思える作品だった。

    80分の記憶しかもたない博士と、家政婦の私、私の息子ルート。3人の過ごした日々はお互いをいたわりあいながら、歓びや驚きに満ち溢れた日々だった。過去から前に進むことが出来ない、記憶力を失くした博士。けれど、失くすことの出来ない博士の数学への崇高な愛に触れた私とルートは、博士の欠くことの出来ない本質に惹かれていったのだろう。

    失くすことは悲しい。それでも、それがあなたの全てじゃない。あなたがいてくれてよかった。
    あなたがいるから、私がいるのですよ。
    私にも伝えたい人がいる。

    • mayutochibu9さん
      私はこの本を読んで心が温まりました。
      昨今、シングルマザーが多い時代ですが、博士の影響を受け、立派な大人になったのがとても感動をしたところ...
      私はこの本を読んで心が温まりました。
      昨今、シングルマザーが多い時代ですが、博士の影響を受け、立派な大人になったのがとても感動をしたところです。
      私も子供たちにどれだけいい影響を与えられるか、日々、考えております
      2019/12/07
    • 地球っこさん
      mayutochibu9さん、こんばんは。
      コメントありがとうございます♪
      そうですね、私もとても心が温まりました。
      子どもというのは...
      mayutochibu9さん、こんばんは。
      コメントありがとうございます♪
      そうですね、私もとても心が温まりました。
      子どもというのは、大人が思う以上にいろいろ考えてますよね。
      ルートが「私」が博士を信じていなかったと涙を流して怒る場面がありましたが、それは自分が博士を守れなかったと自分自身に対する怒りでもあったと思います。
      私はそこに博士と過ごすうちに成長したルートの姿を見ました。
      きっと「私」もルートの怒りの意味を判っていた思います。
      「子どもたちにどれだけいい影響を与えられるか」
      mayutochibu9さんのお言葉に、身の引き締まる思いがいたしました。
      ありがとうございました(*^-^*)


      2019/12/07
  • 登場人物の語る言葉の素直さ(嘘・偽りのなさ)が心地よく、そこに数式の美しさが溶け込んで品の良さを感じることができる作品でした。

    完全数、28、江夏の背番号。
    約数を足すと、その数になるのが完全数: 28 = 1 + 2 + 4 + 7 + 14
    連続した自然数の和で表すことができる: 28 = 1 + 2 + 3 + 4 + 5 + 6 + 7 (本当だ、美しい!)

    素数、11、村山の背番号。
    偶数である素数は2だけ。
    2以外の素数は 4n + 1 か 4n - 1 のどちらかで表すことができる: 11 = 4 * 3 - 1
    前者(4n + 1)なら2つの二乗の和で表せる: 13 = 4 * 3 + 1 = 2² + 3² (これも美しい!)

    私は数学も好きなので、博士の語る数式の説明に過剰に反応してしまった。

    阪神ファンの博士が集めた野球カードが大切に保管されているくだりを読んで、野球好きな私も収集していた野球カードを何年かぶりに取り出しました。
    気が付けばルートが博士に喜んでもらおうと一所懸命に江夏のレアカードを探したように、西武ライオンズを応援している同じ職場のお嬢さんが喜びそうなカードはないかと思いながら見直していました。

    数学と野球が好きな人には絶好の作品ですね。

    最後まで分からなかったのは、ルートを守るために博士が書いた数式の意味。
    その数式は 《 e^(πi) + 1 = 0 》 オイラーの等式(本書ではオイラーの公式と言っている)。
    √を守る?ための式。
    ルートに関係あるのは 虚数の i (= √-1)だ。
    どこかで謎解きがあることを期待するも、最後まで説明されず意味不明でこれだけモヤモヤが残りました。

    ただ、博士が最も美しいと感じ愛した数式が《 e^(πi) + 1 = 0 》であり、義姉は確実にその意味することを知っていたということ。
    「博士の愛した数式」が言わんとしていることは、読者がそれぞれ自由に考えてみればいいということなのでしょう。

    《 e^(πi) = -1 》としなかったのは、0 が必要だったからと想像します。
    作品の中で0の発見や0の意味について語っている場面がありますので、間違いないかと思います。
    0 は、ゼロであると同時に"円・輪"の意味を持たせようとしたのだと考えると、なんとなく分かったような気になります。

    • kuma0504さん
      こんにちは。小説も読みましたが、映画の時に私が「教えてもらった」のは以下の「解」です。いろんな解釈があるのはいいですね。

      月一回、映画好き...
      こんにちは。小説も読みましたが、映画の時に私が「教えてもらった」のは以下の「解」です。いろんな解釈があるのはいいですね。

      月一回、映画好きが集まっておしゃべり会をしている。今日は午後から三々五々やってきて、最終的には老若男女8人が熱心な話をした。本当に映画を好きな人間が思いっきり映画のことを話すことの出来る場所というのは、実はほとんど無い。私の知り合いはみんな私が映画を良く観ていることを知っているので、「今面白い映画ない?」とは聞いてきてはくれる。時には観た映画の感想を交換することはある。しかし、さらにもう一歩突っ込んだ話をしようとすると、「私そこまで真剣に映画は観ていないのに……」という顔をするので、それ以上言えなくなるのである。そのことで失敗もいくつかした。

      この会は純粋に自説を30分延々としゃべってもいやな顔はされない。今日は例えば「単騎、千里を走る。」で意見が真っ二つに分かれたけど、しこりは残らない。お互いの意見を尊重するからである。しかも映画音楽に関してはこの人、昔の映画については、ハリウッド映画については、ジョニーデップについては、と、それぞれ得意分野がある人もいて勉強になる。

      (というわけで前置きが非常に長くなりましたが)能の話に詳しい女性から「博士の愛した数式」についての講義を伺った。まさに講義だった。何しろ資料を五枚もコピーしてきてくれたのだから。

      この映画に関しては映画にうるさい全員が絶賛していた。小泉監督は原作を上手いこと換骨奪胎し、わかりやすく奥深い世界をつくっていた。謎として残されていたのは、最終場面である。浅丘ルリ子の義弟(この呼び方についても「おとうと」と言わないのは意味があるだろう)寺尾聰に対する態度は、非常に複雑なものがある。そこに現れた深津絵里、齋藤隆成親子。深津も実は禁じられた恋の体験者である。そして浅丘には無い子供をもうけている。「潔い足のサイズだ」と寺尾に誉められる深津は足を怪我している浅丘にできなかった行動力で寺尾の心を開いていく。浅丘が中尾と深津親子の仲を裂こうとしたときに出てくるのが、「オイラーの公式」である。

      私はこの公式の意味がわからなかった。しかし、とりあえず映画としての意味はすっきりわかった。

      オイラーの公式を示された浅丘はなぜか深津親子が中尾の世話を再開するのを認める。その場面の間に出てくるのが、中尾と浅丘が事故をする前に見たという能の場面なのである。

      能は「江口」という題目である。諸国一見の僧が江口の里を訪れ、西行法師と遊女とのやり取りを思い出す。そこへ里女、実は遊女・江口の君の幽霊が現れ、そのときのやり取りを回想する。西行法師は一夜の宿を遊女に求め、断られる。しかし、それは遊女が出家に対して世捨て人を思う心からで、宿を惜しんだのではないと弁明する。今江口の君はそのときを回想し、仮の宿であるこの世への執着を捨てれば、心に迷いも生じないし、人との別れの悲しさもないと仏教の悟りを開く。そしてその姿は普賢菩薩と変じ、西方浄土に去っていく。そういう「筋」であるが、講師は「後半は言葉では説明できない。」という。たから少し長いと思える能の場面をじっくり見て感じるしかないのである。

      映画で使われた能の場面は後半のクライマックスである。地謡は以下の如し。
      思えば仮の宿に、
      心となむ人をだに諌めしわれなり
      (映画ではここで二人は手をつなぐのである。)
      これまでなりや帰るとて、
      即ち普賢菩薩とあらわれ、
      (能ではここでシテは普賢菩薩になる)
      舟は白象となりつつ光とともに白砂の
      白雲にうちのりて西の空に行き給ふ
      ありがたくとぞ覚ゆる
      ありがたくこそは覚ゆれ

      オイラーの公式のe(πi)+1=0は調和の0悟りの0でした。
      能「江口」はオイラーの公式の「解」だったのです。
      悟りを開いたのは浅丘ルリ子です。
      だから彼女は「仮の宿」という執着を捨て、木戸を開いたのです。

      私はこの説明でものすごくすっきりしました。
      言葉では説明できない何かを感じたような気がしました。
      0は確かに「無」ではない。博士はこの公式を悲しんだのではない。
      やはり愛していたのだ。
      興味がある方は能の「江口」でいろいろ調べるといいかもしれません。
      2021/03/03
    • Kazuさん
      kuma0504さん、こんばんは。
      詳しい説明、ありがとうございます。
      能「江口」は、私にはよくわかりませんが、私が感じたことに近いよう...
      kuma0504さん、こんばんは。
      詳しい説明、ありがとうございます。
      能「江口」は、私にはよくわかりませんが、私が感じたことに近いようですね。
      やっぱり 0 が大切な要素だったと言ってくれているので、なんだか少し安心しました。
      2021/03/03
  •  祖父と孫くらい年が離れた博士とルート君の友情に心が温まりました。未亡人の恋心もいじらしい。

     博士が「いかん。子供をいじめてはいかん。」と言いながらメモに書いた〝オイラーの等式〟。博士が示したかった意味は何か、謎を解くヒントになりそうな箇所を私なりに抜粋します。
    -------------------------------------------
    【159ページ抜粋】
    「実生活に役に立たないからこそ、数学の秩序は美しいのだ」と博士が言ったのを思い出す。
    (中略)
    「物質にも自然現象にも感情にも左右されない、永遠の真実は、目に見えないのだ。」

    【178ページ抜粋】
    博士が幼い者に向けた愛情の純粋さには、言葉を失う。それはオイラーの公式が不変であると同じくらい、永遠の真実である。

    【195ページ抜粋】
    「0が驚異的なのは、記号や基準だけでなく、正真正銘の数である、という点なのだ。(中略) 0が登場しても、計算規則の統一性は決して乱されない。それどころか、ますます矛盾のなさが強調され、秩序が強固になる。(中略)1-1=0美しいと思わないかい?」
    -------------------------------------------

     〝オイラーの等式〟は、解析学(ネイピア数e=2.71…)、代数学(虚数単位i)、幾何学(円周率π=3.14…)、乗法単位元(1)、加法単位元(0)、5つがキレイに等式で1つにまとまっています。eとiとπが、1や0のシンプルな数字に着地するなんて、数学がわからない私にも凄さは伝わります。

     無秩序の数字が本能的に収まりが悪く感じるように、私(家政婦)と未亡人の口喧嘩は良くないことと博士は示したかったのではないでしょうか。〝オイラーの等式〟を図で示すと、中心に〝0〟が鎮座します。愛情のように、人として大事にしないといけない軸を意味していると私は想像しました。あと、オイラーの等式に表れる三角形と、過去と現在の(恋愛の)三角関係をかけたのか‥?(←たぶんコレは違う)

     余談ですが、通常の小説には登場人物たちの「氏名」が出てきますが、本書では「私(家政婦)、息子(ルート)、博士、未亡人」となっています。何か意図が隠されているのか気になりました。素数のように、余計な要素を削り落とし、最低限の登場人物の識別だけを意図したのでしょうか。

  • 心に優しく響いてくる物語でした。

    小川洋子さんの優しさや気品が文章から伝わる。

  • なんだろう。この心が温かくなる感じ。
    小川洋子さんの紡ぎ出す文章の美しさと暖かさ。
    日々の生活に追われ殺伐とした心が真っ白で太陽の香りで満たされたシーツに優しく包まれていくような心地よさ。
    いくらでもこの文章を目で追っていけるような、そして文章から生み出されるこの美しき世界に取り込まれていくようなそんな感じがするのです。

    小川洋子さんの小説を読むのは『密やかな結晶』に続いてまだ2作目ですが、もう完全に小川洋子さんの生み出す文章の心地よさに身をゆだねてしまっています。

    『コンビニ人間』や『消滅世界』のような普通の生活をまるで異次元世界のように描くことができる村田沙耶香さんの小説にも中毒性がありますが、このごく普通の生活のなかにある美しい部分、それだけを抽出して読者の目の前に広げてくれる小川洋子さんの小説にもまた違った意味での中毒性があるのです。
    例えるなら、村田沙耶香さんの小説が日頃歩いている道がいきなり崩れ落ち、気がつくと全く価値観の異なったパラレルワールドに迷い込んでしまっているような気持ちにさせられるのだとしたら、小川洋子さんの小説は日頃歩いている道に落ちている石ころが実はダイヤモンドだったり、エメラルドだったりということを気づかせてくれるような小説だと言えば分かりやすいでしょうか。それくらい、何気なく過ごしている毎日の生活には小さいけれどかけがえのない美しいものが詰まっているということを小川洋子さんの小説は教えてくれるのです。

    それから、この『博士の愛した小説』を読む前に事前に(これは偶然ですけれど・・・)、サイモン・シン氏の傑作『フェルマーの最終定理』を読んでおいたことが、本書を読むときに非常に役に立ちました。
    本書は、ある自動車事故から「記憶が80分しかもたない」という障害を負ってしまった数学者である博士が主人公なのですが、自分が数学者であった時の記憶ははっきりとしているので、障害を負った後でさえ、数学への愛はまったく以前と変わっていません。そんな博士のお世話をすることとなった家政婦の「私」とその10歳の息子・ルート(これは本名ではなく、博士が息子に付けたあだ名です)との数学を通じた交流が描かれるのです。

    本書には、「友愛数」「完全数」などという数学の神秘がなんども出てくるのですが、これは『フェルマーの最終定理』を事前に読んでいたので「ああ、あのことね」と難解な数論の話もついていくことができました。『フェルマーの最終定理』には数々の数学者が登場するのですが、この主人公の博士も彼らのように数学の美しさに取り憑かれた一人なのだなと、本書を読みながら一人で勝手に納得していました。

    それからもう一つ個人的に良かったことは、この小説の舞台が1992年のことなのですが、ルートが大の阪神タイガースのファンだったこともあって、本書には当時の阪神タイガースの試合の動向や選手の名前などが頻繁に出てきたところです。僕も、ちょうどこの頃、阪神タイガースのファンとして一番応援に力が入っていた時期で、背番号00を背負った亀山やパチョレック、久慈、和田、ノーヒットノーランを達成した湯舟、メジャーに行く前で若手とした大活躍していた新庄などの名前と出会うたびに、学生だった当時の僕の記憶が色鮮やかに浮かびあがり、この小説を読むことで僕だけの楽しみ方が出来たことでした。
    そして、阪神タイガースが博士の数学と絶妙に結びつき、博士の記憶の中で燦然と輝く阪神の大投手・江夏豊の背番号の秘密とが相まって、このラストへの壮大な伏線となっているところは見事でした。

    本書は、記憶が80分しかもたない博士と、家政婦の「私」と、その息子ルートとの「大人の愛の物語」と言い切ってしまっていいと思います。
    そこには、ドロドロとした恋愛ではなく、あくまでも真摯で崇高な愛の姿が描かれます。
    数学への愛、尊敬すべき者への愛、家族愛、庇護されるべき小さき者への愛、そして秘めたる愛。いろいろな形の愛が描かれ、そして、その一つ一つが暖かな光となって、この小説を読む者の心の中に優しく灯っていくのです。

    小川洋子さんの描くこのような美しく柔らかで暖かな小説は、僕の読書人としての今後の人生に非常に大きな部分を占めていくことになるのは間違いないと思います。
    本当に素晴らしい読書経験でした。ありがとうございました。

  • 「博士の愛した数式」 小川洋子(著)

    平成17年12/1 文庫初版 (株)新潮社
    令和2年1/20 51刷

    再読。
    改めて第1回本屋大賞受賞作品を読んでみた。

    はっきりした輪郭を持たない登場人物たちが
    しっかりとした生活を続け

    意味のある力強い未来を作り出していく。

    本当に素晴らしい作品だった。
    いや、本当に本当に素晴らしい作品でした。

    原田マハにハマって
    次は村上春樹をまた読んでみようかなぁ…
    って思っていたのですが

    小川洋子にします。

    文庫の楽しみでもある巻末解説は

    小川洋子の取材を受けた数学者 藤原正彦氏
    素晴らしい解説をありがとう!

  • 第一回本屋大賞受賞作。
    知る人ぞ知る作品ですが、ようやく読めました。

    彼のことを、私と息子は博士と呼んだ。そして博士は息子をルートと呼んだ。という一文から始まります。

    文系で、ヤクルトファンなのですが、グッときました。なんだろう。美しかった。簡単に言いたくないのだけど。一言で言うならそれに尽きます。
    三人の関係性がたまらなく良いですよね。

    わたしは恋愛小説と思って読みました。
    博士と私の間に起きる些細な出来事や、やりとりがそれをほのかに感じさせる。そんな描写にギュッと心掴まれていました。

    久しぶりにプロ野球チップス欲しくなった。
    昔は30円くらいで買えてたよなぁ。確か(笑)今は、倍くらいしたんかな。
    あのチップスの量で60円高いーって思うのは私だけなんかな?

  • 家政婦の「私」が、「博士」に対して、家政婦ではなく、一人の人間として寄り添おうと家族のように接する態度、気持ちは尊敬しかなかった。息子である「ルート」も素直で優しいわけだ。

    なんか親子ものには弱いなぁ。「博士」がとにかく子供を大切にするとこもグッときちゃった。

    わからない数学関連の内容はありつつも、わかったふりしたらなんかロマンチックに浸れましたよ。

    前からよく耳にした作品。読めて良かった。



  • 博士の住む離れの様子、日々そこで繰り広げられるやり取りや心情の移り変わりは、すぐ側で見ているかのような描写でした。

    子どもの素直さや、あどけない表情が大人を救い、場を和やかにしてくれる。それは、障害のことを忘れさせてくれるような、幸福な時間に感じました。
    2021,5/5-5/8

著者プロフィール

1962年、岡山市生まれ。88年、「揚羽蝶が壊れる時」により海燕新人文学賞、91年、「妊娠カレンダー」により芥川賞を受賞。『博士の愛した数式』で読売文学賞及び本屋大賞、『ブラフマンの埋葬』で泉鏡花文学賞、『ミーナの行進』で谷崎潤一郎賞、『ことり』で芸術選奨文部科学大臣賞受賞。その他の小説作品に『猫を抱いて象と泳ぐ』『琥珀のまたたき』『約束された移動』などがある。

「2023年 『川端康成の話をしようじゃないか』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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