海 (新潮文庫)

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  • 新潮社
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  • Amazon.co.jp ・本 (184ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784101215242

作品紹介・あらすじ

恋人の家を訪ねた青年が、海からの風が吹いて初めて鳴る"鳴鱗琴"について、一晩彼女の弟と語り合う表題作、言葉を失った少女と孤独なドアマンの交流を綴る「ひよこトラック」、思い出に題名をつけるという老人と観光ガイドの少年の話「ガイド」など、静謐で妖しくちょっと奇妙な七編。「今は失われてしまった何か」をずっと見続ける小川洋子の真髄。著者インタビューを併録。

感想・レビュー・書評

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  • 『海』
    殺風景な部屋で、サイダーを飲みながら動物のビデオを観ている(たぶん10代の)小さな弟が呟く。

    「さあ、なぜだろう。僕が行ったこともない遠い場所に、僕とは似ても似つかない姿をした動物が生きていて、彼らもまた僕と同じように食べたり、家族を作ったり、眠ったり、死んだりするのかと思うと、それだけで安心なんです。変でしょうか」

    語り手である「僕」の視点で眺めれば、少し自分とは見えかたの違う「小さな弟」の世界に戸惑いを覚えるかもしれない。けれど視点を「小さな弟」に変えて世界を見渡せば、そこにはあっと息を飲む壮大で力強い生命の物語を見ることができた。「小さな弟」は「遠い場所」で身をたゆたえながら、ただ生命の塊となる。

    海からの風によって音楽を奏でる「鳴鱗琴」。その演奏者は世界でただひとり「小さな弟」だけ。「鳴鱗琴」は、「僕」を自然の源へと導いていく。海に抱かれ「鳴鱗琴」を奏でる「小さな弟」の姿は、力強く美しいだろうなと想像する。
    自分の存在は、宇宙のなかの地球という星に宿ったひとつの生命。そんな大きな括りで考えることができたらいいのに。普遍的な自然の理のなかで、動物も人間も息をし、食べて、眠り、死んでいく。ただそれだけなのだから。

    『風薫るウィーンの旅六日間』
    昔の恋人に再会するために、ウィーンにある養老院を訪れた六十代半ばの琴子さんと、無理やり付き合わされた感じの「私」

    琴子さんは語る。
    「とにかく、遠い場所に、たとえ一瞬でもじぶんのことを思い出してくれる人がいるなんて、うれしいじゃありませんか。そう思えば、眠れない夜も安心です。その遠い場所を思い描けば、きっと安らかに眠りにつけます」

    孤独や淋しさなんかで消え入りそうな自分という存在が、その人の思い出のなかでは確かに存在しているということ。
    思い出は夜空の星のように遠くで輝いている。誰の手にも届かず、決して消すことのできない光。
    あの人の思い出のなかで、わたしもそうだったらいいのに。その一瞬の煌めきを慈しみながら、生きていってもいいじゃない。それが人というものなんだから。


    『バタフライ和文タイプ事務所』
    タイプライターの活字から漂う淫らな雰囲気と、顔の見えない活字管理人の指と声と薄水色のシャツ。
    彼の活字をなぞる指の淫靡さが、妖しさに魅入られた「私」によって大胆に表現されていく。体温を持つ指と、指に絡みとられる漢字という無機質な存在が官能的に溶け合っていき……。
    これは小川洋子さんならではのエロチックさだ。声フェチと指フェチのわたしは、小川さんに今回もぞくぞくさせられる。かなり好き。

    他にも『ひよこトラック』『ガイド』『銀色のかぎ針』『缶入りドロップ』の優しくてちょっぴり奇妙な短編が収録されている。

  • 短編は短い妄想だと、著者インタビューに書いてあり、その果てを知らない妄想には、私の想像力など全く及ばない。だから、ついつい読み耽ってしまう。

    「海」というタイトルを見て、こういう話ではないかと、なんとなく想像してみたが、かすりもしないのは、そりゃそうであって、小川さんの述べる「その世界でしか生きられない人たち」を、「そうではない人」と触れ合うことで生まれる物語は、おそらくささやかな出来事であっても、お互いにとって、大切なものになったのではないかと思ってしまう展開が素晴らしくて、「ひよこトラック」の中年のドアマンと無口な少女もそうだし、「ガイド」の僕と題名屋の老人もそう感じました。ガイドは、タクシーの運転手も良い味出してて好き。

    また、それとは別に、「風薫るウィーンの旅六日間」の終わり方がまた印象深く、ものすごく厳かな雰囲気の中に、突如訪れるコメディ的な要素が、何とも言えない感じで良かった。まさかと思ったけれど、これはこれで良かったよねって。

    そんな他の人にとって、どうでもいいようなところにも目を向ける小川さんの人柄は、インタビューを読んでもすごく興味深く、下記の言葉が特に心に残りました。

    「たとえ本というものが風化して消えていっても、耳の奥で言葉が響いている・・・そんな残り方が、私の理想です」

  • 小川洋子さんのように世界を見ることが出来たなら…。
    見慣れていると思っている、聞き飽きていると思っている世界の中にはこんな物語がきっとあるんだ。

    隣で耳を澄ませないと聞こえない音楽、声、言葉たち。
    じっくり見つめないと見つけられない光、色、模様。

    それはイヤホンを耳に突っ込んで歩いていては聞こえないかもしれない。
    本から目を上げないと見えないかもしれない。
    私は自分で目と耳を塞いでいるのかもしれない。

    目と耳を塞いだままいったい何を探しているんだろう。
    どこに向かって歩いているんだろう。
    何も分からないままフラフラと迷って、時に開き直りながら歩いている。
    そんな状態でよく歩けるものだ。
    でも立ち止まっても周りの景色は動いている。
    怖くて、焦って、急がなきゃなんて思って。
    硬いものにぶつかって痛い思いをしないように。
    汚いものを踏まないように。
    そんなことを心配している。

    この物語の中の世界は私の目に映る世界とは違うように思う。大切なものが。決定的に。
    命は決して清潔ではない。
    そして、こんなにも美しい。

    この物語に書かれている人たちは特別に美しい存在ではないはず。
    美しいことに条件なんてないのだ。きっと。

  • ああワタシ、小川洋子さん作品の読者として初心者だなぁ。
    と、あらためて思ってしまった。

    お年始参りに親戚の家へ電車で往復約3時間。
    その時にお供として持って出たのがこの本。
    薄いし短編集だし、読むのが遅くてもほぼ読みきれるだろうと。

    とんでもない。初心者ならではの誤算。
    もう、一篇目の表題作『海』から、流れる時間がとてもゆっくりになった。
    ゆっくりゆっくり、文字を追い、光景を思い浮かべ、気付けばその世界の住人になっている。

    小さな弟の奏でる架空の楽器「鳴鱗琴」・皺くちゃの50シリング札・蝶のように活字を探す手の動き・きらきら光を反射するかぎ針・カタカタと鳴るドロップ缶・様々な抜け殻とふわふわひよこ・不完全なシャツ屋に、記憶の題名屋。

    見た事のあるものも、見た事のないものも、すべてそこにある。
    小川さんの書く世界は不思議だ。

    「温かいのか冷たいのか、よく分かりません。心地よく温かいからか、あるいは逆にあまりにも冷たいからか、いずれにしても感覚が痺れてしまっているようなのです。」(80ページ)
    以前から小川作品に感じていた温度はまさにこれ。
    温かいような、ひんやりとしているような、でも振れ具合はどちらも激しくはなく、まるで人肌のよう。

    時折、無性に、この体温のような世界に浸りたくなるのです。

    • 九月猫さん
      nejidonさん、こんばんは♪

      嘘泣きまで披露してしまう小川さん愛に充ちたコメント、楽しいです(*´∀`)ノ

      小川さんのマイノ...
      nejidonさん、こんばんは♪

      嘘泣きまで披露してしまう小川さん愛に充ちたコメント、楽しいです(*´∀`)ノ

      小川さんのマイノリティを描くスタンス、本当にいいですよね。
      描かれているマイノリティにも人であれ物であれ、心惹かれます。
      読んでいると、読んでいる自分はマイノリティ側に同化しているのか、
      寄り添っている語り手に同化しているのか、わからなくなります。
      温かいと思えばひんやりとして、近くにいると思ったらするっとすり抜けられて。
      もっと浸っていたい、もう少しもう少し・・・と思った瞬間に現実に追い返されるのに、
      突き放された感じはなくて、ヘンに温かさと穏やかな静けさが残る。

      うーん、うまく言い表せませんね。とにかく不思議で仕方のない世界と空気です。
      居心地が良くて、いつまでも浸っていたくて、vilureefさんへのお返事にも書いたように
      やはりワタシも「さらり」とは読めないです(^^;)

      この本の解説に書かれていた「注文の多い注文書」がタイミングよく出たので、
      今はそちらを読んでいますが、もったいなくて毎日ちびちび読んでいます(笑)
      2014/02/05
    • cecilさん
      九月猫さんこんばんわっ!
      久しぶりに九月猫さんの本棚に遊びに来たら、素敵なレビューと本が新しく登録されていてウキウキしております。

      ...
      九月猫さんこんばんわっ!
      久しぶりに九月猫さんの本棚に遊びに来たら、素敵なレビューと本が新しく登録されていてウキウキしております。

      そして、私は海や雪などがテーマの本は素通りが出来ないのですが、この作品の存在を新たに知ることが出来て嬉しいです。
      ぜひ読んでみたいです!
      しかも、不思議な世界観のお話もあるようでとても気になります。

      ちなみに作品の評価が★4つですが、九月猫さんが★をひとつ減らした理由が気になります♪
      私も評価はその時の気分で直感的につけてしまうのですが他のレビュワーさんはどのような基準で評価されているのか気になる今日このごろです。
      2014/02/11
    • 九月猫さん
      cecilさん、こんばんは♪

      海といえば、cecilさん!
      cecilさんといえば、海! ですものね(*^ー゚)b

      他の方も...
      cecilさん、こんばんは♪

      海といえば、cecilさん!
      cecilさんといえば、海! ですものね(*^ー゚)b

      他の方も書いていらっしゃいますが、マイノリティの描き方がとても素晴らしくて、
      寄り添う視線は、優しいのにちょっとひんやりともしています。
      そういう小川洋子さんの世界がお好きそうなら、ぜひぜひ手にとってみてくださいまし♪

      ☆4つなのは、2つ目のお話がいろんな意味で「そりゃないよw」だったのと、
      ラストのお話が「いいお話」だけど余韻が残らなかったのが理由です。
      好きなお話なのですが、ラストだと物足りない感じで。
      うっすら溜まった毒を中和するのにはラストに持ってくるのがいいお話なのでしょうが、
      その毒をワタシは中和されたくなかったので(笑)

      とかいろいろ言ってみましたが、☆のつけかたはワタシも直感的です(笑)

      2014/02/13
  • 小川さんの作品は、どれもこれも不思議な要素をもっているけど、何だか優しい。
    それは奇妙なものを受け入れる寛容さがあるからだと思う。
    そして文章には、静かでゆったりとした空気がいつも流れている。
    短編集なので、少しづつ違った趣の妄想に浸ることができた。
    特に「バタフライ和文タイプ事務所」のような、小川さん独特の官能的な世界が好きです。

  • 七編からなる短編集で、それぞれの違う味わいが楽しい。
    装丁は吉田篤弘さんと吉田浩美さん。
    表題作でもある「海」では、「メイリンキン」という聞きなれない楽器が登場する。
    主人公の婚約者の弟が発明した楽器で、世界で唯一の楽器であり、弟は唯一の演奏者でもあるという。
    海からの風が吹かないと鳴らないというその音色が、今にも聞こえてきそうで聞こえない。
    不思議な余韻を残す作品だ。
    「バタフライ和文タイプ事務所」という、妖しく隠微な作品もある。
    普通人の日ごろの会話にはおよそ登場することもない「子宮膣部」なんて単語が頻繁に出てくる。
    しかもその描写が実にみだらで、どうやら作者の狙いはそこにあるらしい。
    さすが、言葉を紡ぐプロだけのことはあります。見事です、小川さん。
    「ひよこトラック」と「ガイド」も、温かい「仕掛け」にしてやられるようなつくりだ。
    もう少し踏み込んだ作品をと、つい願いそうになるが、絶妙の匙加減で終わるのがこの作者らしいところ。
    さらりと読み終わります。

  • 海が眩しい季節になったので選んだ
    小川洋子作品はエッセイに次いで2作品目
    出てくる子ども達の愛らしいこと!

    『海』義理家族との居心地が定まらない感じ
    泉さんの年の離れた弟さんとその後の交流はどうなるかしら
    『風薫るウィーンの旅六日間』観光できない「私」に気の毒さを感じながらも、どういう結末なのか読み進めた。「そこに立ち会った者だけが引き受けなければならない種類の、痛みがあるようだった。」そうそう、わかるわかると頷いていた。結末は
    えええ!と前を読み返してしまった。
    『バタフライ和文タイプ事務所』文体、会話、漢字だけでこんなに妖艶なるとは!
    倉庫の管理人の彼、欠けた活字を埋葬する小箱を手作りするなんて素敵すぎです。「手を焼かせる活字の方が、情が移っていとおしくなるくらいです。」使っていない脳のいろんな場所が活性化されるよう。
    『銀色のかぎ針』「編み物をする人はいつでも、自分以外の誰かのために何かを編んでいる。」確かにそうですね!
    『ガイド』困ったとき助けてくれる小母さんみたいな存在になりたい。ママの仕事に対する「僕」の敬意に癒される。素敵な旗ができますように。

    • naosunayaさん
      海が眩しい季節になったので、っていいですね。
      海が眩しい季節になったので、っていいですね。
      2022/07/18
    • ☆ベルガモット☆さん
      naosunayaさん こんばんは

      はじめまして、コメントありがとうございます。
      多くのいいね!をありがとうございます。
      図書館で...
      naosunayaさん こんばんは

      はじめまして、コメントありがとうございます。
      多くのいいね!をありがとうございます。
      図書館で彷徨っていたところ、『海』という一文字でこの本に呼ばれた気がしました。
      予想していたものを軽く飛び越えた物語でしたが、良かったですよ
      2022/07/18
  • 静けさの中に小さな喜びが積み上がる「ひよこトラック」や、"僕"の成長にウルっときてしまった「ガイド」…
    何度も繰り返し読みたくなる少し寂しげな7つの短編。

    大切な一冊。単行本を探したくなってしまった…

    そう、また新幹線乗り継いで高松に行きたい気分にも。

  • 小川洋子さんの短編集。
    短編とは思えぬ小川洋子ワールドに浸った。

    多くのお話は、主人公が、少し不思議な人たちと交流する。
    その交流を通して、主人公の心が少し豊かになる。読んでいる私の心も、あたたかくなるような、少し広がったような、そんな感じがした。

    ラフスケッチみたいな3ページ程度の短編も2つ入ってる。
    幼稚園バス運転手のドロップのはなしは、ちょっと泣きそうになった。
    「ひよこバス」もそうだったけど、大人の男性が子供に向ける優しい眼差しって、心に沁みる。
    中年以降の男性が子どもに優しい場面って、多くは父と子、祖父と孫くらいのもので、他人が幼い子を尊重して、こっそり優しくすることって、実は貴重な場面なのではないだろうか。

    「ガイド」の少年の頼もしさにも、母の気持ちになって涙腺が熱くなった。
    息子を心配して家に一人では置いとけない!と思う母が、息子に助けられている。
    親って、そうなんだよ。この話では、息子はまさに大活躍したわけだけど、別に活躍しなくても、子どもがいるだけで親は救われて励まされて支えられているんだよなぁ…なんて思いながら読んだ。

    私の中にたしかに存在するのに、気付いてない、もしくは忘れそうだった気持ち、思い出させてもらいました。

  • 小川洋子さんの短編集

     文庫らしく、ポケットに入るサイズの短編集。お話は、とても美しくて、不思議で、余韻を残してふっと消えていってしまいそうな物語。

    ザトウクジラの浮袋に、いろんな魚の鱗をびっしり貼り付け、飛び魚の胸びれで作った弦が仕掛けてあり、海からの風が吹かないと音を出さない「鳴鱗琴(メイリンキン)」

    風薫るウィーンの旅で、昔の恋人がいる養老院を訪ねる琴子さんの付き添いをする。

    バタフライ和文タイプ事務所の奥にある、倉庫の活字管理人。欠けた活字を交換してくれる。

    詩を書くのを辞めて、思い出に題名をつける「題名屋」を営む老紳士。

    ビルとビルの間をふと覗いて見つけてしまったような、気になる葉っぱの裏をめくったら、見つけてしまったみたいな。世の中にひっそりと「ある」物語を偶然見つけてしまったような感覚だった。不思議な世界が、私の生きてる世界の、少しだけ時空がズレたところに、平然と広がっていた、みたいな。

    「博士の愛した数式」以来の小川洋子さんだったけど、このとても静かな世界が心地よかった。

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著者プロフィール

1962年、岡山市生まれ。88年、「揚羽蝶が壊れる時」により海燕新人文学賞、91年、「妊娠カレンダー」により芥川賞を受賞。『博士の愛した数式』で読売文学賞及び本屋大賞、『ブラフマンの埋葬』で泉鏡花文学賞、『ミーナの行進』で谷崎潤一郎賞、『ことり』で芸術選奨文部科学大臣賞受賞。その他の小説作品に『猫を抱いて象と泳ぐ』『琥珀のまたたき』『約束された移動』などがある。

「2023年 『川端康成の話をしようじゃないか』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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