- Amazon.co.jp ・本 (431ページ)
- / ISBN・EAN: 9784101231419
作品紹介・あらすじ
極悪非道の強姦殺人魔を無罪とし、悲惨な再犯を招いた支離滅裂の判決。鑑定の虚偽を見抜けぬ思考停止した裁判官。元役員の正義の内部告発を罰した裁判官。陰惨な集団リンチによる殺人事件の、事件自体の存在をも否定した裁判官…。各個の事情を顧みぬ判例主義、相場主義、無罪病、欠落した市民感覚、正義感の欠落、倣岸不遜。緻密な取材で、司法を斬る渾身の告発ノンフィクション。
感想・レビュー・書評
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筆者の怒りを痛いほど感じ、読んでいる間、こちらもずっと沸騰笑
裁判官は世間知らずで少しおかしい、と噂には聞いたことがあったものの、まさかここまでとは…。
第15章を読むと、それもさもありなん。
加害者としても被害者としても、裁判沙汰には決してなりたくない。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
105円購入2012-02-14
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トンデモ本決を列挙し、裁判官の劣化に警鐘を鳴らした本。2003年執筆。
確かに、到底妥当とは思えない判決の数々。血が通っていないというか、真実を突き詰めようとせず(特に刑事事件の場合)、弱者に厳しく、ことなかれ主義で判例踏襲のガッカリ判決が多いのには驚かされる(一方当事者の視点で解説されているので、必ずしも鵜呑みには出来ないけれど)。ここに紹介されている以外の多くの判決が妥当なものであることを祈りたい。
とは言え、少年犯罪の扱いなど、この当時と比べて改善されたことも多いのではないだろうか。当事者が上級審で判決を勝ち取り、世論が沸騰して判例が変更され、立法され…。
著者は、このようなトンデモ判判決の問題が、エリート裁判官の出世欲(その裏返しの最高裁から睨まれたくないという保身)と最高裁の強力な統制が生んだヒラメ裁判官=正義の指針を示すという気概も崇高な使命感の欠如した裁判官の存在と、司法修習で徹底される要件事実教育(゛なぜそんなことをしたのか゛゛どういう事情があったのか゛ということは、単なる訴訟進行上の肉付けに過ぎないとして原則的に無視し、どういう事実が判決を左右する構成要件に該当するか、それを抽出する整理の仕方を教え込む教育)に起因するとしている。
裁判員制裁判や弁護士の裁判官任用である程度解決できるとのことだが…。既に導入済みの裁判員裁判によってどの程度改善されたのだろうか。知りたいところだ。
本書で?と思った点が二つ。争いを裁くのは精神的にとてもタフな仕事だ。従って、裁判官のよい意味でのエリート意識というか自信と誇りは必要なのではないだろうか。当事者の気持ちになって感じてみることはとても大切だが、当事者より高い立場に立たないと、公平で妥当な判断を下すことは出来ない。どちらかに肩入れしすぎるのは危険だと思う。
もう一つは、著者が人格権を重視し、報道の自由を狭める判決が出される傾向を批判している部分。報道の自由の下で、芸能人等にあたかもプライバシーがないかのような行き過ぎた報道や、事実無根の中傷記事の数々が是認されるのはどうかと思う。 -
怒りのあまり後半は読まない
人間が腐る
門田スゲエ -
裁判官とて人の子
が、しかし判例や大物に巻かれるのはちょっと・・・ -
裁判官は正義の味方ではなく、ただの公務員ですと言うことが分かり易い例とともに解説している。ただし、罪もない人の人生を変えてしまうことに何の責任も感じない(もちろん裁判官だから罪を問われることはない)、エリート意識の固まりである最悪な公務員。普通の人がこの本を読めば、ふつふつと怒りを感じるだろう。彼ら裁判官は、裁判員制度にも反対していたことから、一般の善良な市民には、必要な制度だったことが、今更ながら理解できた。
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これを読むと、ああ裁判員制度って必要だなと思うんだけど、その反面、裁判員ですらこうなのに法に対してドシロートの一般市民に何が出来るよ?とも思う。
ただ、取材は緻密です。ノンフィクション作家の中では好きな作家さんです。 -
日本の裁判官の実態を書き上げた作品。
これを読めば絶対に怒りがこみ上げてくる。
人権派と称される輩の恐るべき業績や光市の母子殺害事件など、
自分がよく知っている事例を詳細に記している。
是非とも裁判官に読ませてやりたい本。
ここまで感情移入した作品は珍しい。 -
間違ったことは書いていないかもしれないけれどかなりセンセーショナルな言い方で全15章を構成。知ってる裁判官の判決もちらほら。ただ「狂った裁判官」よりは理性的な印象。
裁判が人と人の中にあるということを忘れたような裁判官の発言は、批判されて当然だと思う。多くの人が見て「さすがにこれはどうなのか」と思う判決もある。人によって何を変だと思うかはそれぞれだと思うけど、打たれ強い結論はやはり、いろんな視点で考えられた上の結論ということになるのだろう。
少年の実名報道に対して賠償を認めた判決への批判などは疑問。「殺人を犯した少年の精神的慰謝料を認めたコンピュータ裁判官」とか徹底的に批判しているけど、被疑者の少年がどんなに酷いと思われるようでも、被疑者の権利も考えなければいけない。訴訟になる前に「そんな訴訟はやめろ」と諭せればよかったと思うけど、裁判所に出てきてしまった以上、裁判官として取れる手段は…比較衡量位か。事件の重大性からどこまで必要性相当性を広げるかは考え方が分かれうるだろう。実名報道によってリアリティのあるニュースにするという価値への評価の違いもあると思う。どこを「正しい」と考えるのかは、少年法61条のような拠り所のない限り、はっきり言って物差しの設定の仕様がないけれども、いずれの結論を出すにせよ、反対の考えも考慮したことをわかってもらうようにする努力は必要だろう。
「日本は法治国家ではない、徳治国家だ」という言葉を別の文脈で批判として最近聞いた。当然の前提として裁判は法律にのっとって平等に行わなれるべき。
全ての人に納得してもらえる裁判というのはなかなか難しいとおもうけれども、いろんな立場から考えて、極力、血の通った裁判にしていかなくちゃならないと思う。